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グラディエーター(剣闘士)、3世紀、キプロス



先日、私は、次のような記事を書きました。


Gotquestions.orgの被り物に関する日本語記事について考えてみました。




そして、その中で、私はみなさんに、「はたして現代文化が、みことばに対する私たちの従順を規定するのでしょうか?それともその逆でしょうか?」という問題提起をいたしました。



)現代文化  みことば 
(現代文化が、みことばを規定する)


)現代文化  みことば 
(みことばが、現代文化を規定する)








初代教会と「文化」




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古代ローマ演劇の模倣 (ここに映っている役者は全員男性です)、Roman Theater




初代教会のクリスチャンたちの生きていたローマ帝国では――現代と同じように――きわどい「R-指定エンターテイメント」が目白押しでした。


演劇では、犯罪物、不倫物のストーリーが人気を博し、上流階級のローマ人の恰好の娯楽でした。


また、闘技場での、残忍な戦車レースや、野獣同士の殺し合い、剣闘士たちの殺し合いなどは、上流階級の人々だけでなく、一般市民にとってもかなり魅力あるエンターテイメントでした。




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それでは、初代教会のクリスチャンたちは、自分たちを囲むそういった文化に対し、どのような姿勢をとっていたのでしょうか。


演劇鑑賞に関し、ラクタンティウスは次のように言っています。



舞台の及ぼす悪影響は、もしかして闘技場のそれよりも、さらにひどいものなのではないかと思う。


喜劇の扱うテーマは、処女の凌辱や、娼婦の情事などだ・・


同じように、悲劇では、悪王の犯す親殺しや、近親相姦が、観客の前にこれみよがしに披露されている。




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ローマの演劇




パントマイムはまだましだと言えるだろうか?


彼らは、身振り手振りで、不倫の仕方を教えているではないか!


こういう事が、恥も外聞もなく演じられ、その上、誰もがしきりにそれを観たがっている――


それを私たちの子どもや若者たちが観たら、いったいどんな反応をするだろうか。



『初代キリスト教徒は語る――初代教会に照らして見た今日の福音主義教会』 p28





また、テルトゥリアヌスも次のように言っています。



「わが処女の娘に、どんな汚れた言葉も聞かせまい」と油断なく娘を守り、保護している父親みずからが、当の娘を劇場に連れていくのだ。


そして娘を、ありとあらゆる下劣な言葉や身振り行ないにさらしている。


はたして、やってはいけないことでも、それを「観る」分には構わないのだろうか。


こういう類の下劣な言葉が、口から出ていく時、人を汚すのであるとすれば、目や耳に入ってくる、そういったものははたして人を汚さないだろうか?(マタイ15:17-20参)


Tertullian, The Shows, chap.21, 17





また闘技場エンターテイメントに関し、ラクタンティウスはこう書き記しています。



一人の人間が殺されるのを見て、満足感を覚える人は――たとえ、その殺された人が有罪判決を受けていた者であったとしても――己の良心を汚している。


その人は事実上、「共犯者」であるか、または秘密裡に犯された殺人の「意図的な傍観者」であるのと同然だ。


にもかかわらず、彼らはそれを「スポーツ」と呼んでいる。そこで人間の血が流されているのに!




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ある一人の男(剣闘士)が、死の一撃を前に、観客に憐れみを乞うている・・・


それを見ながら、男が殺されるのを許すだけでなく、「奴を殺せ!」と迫る彼らは、はたして正しいと言えるだろうか。


彼らは、流血や、深い切り傷だけでは満足できないのだ。だから、このようにして残酷で、非人間的な死の票を入れている。


実際、剣闘士は、傷ついて、地面に倒れているのだ。


それなのに、彼らは、彼をもう一度攻撃するよう、ただ単に死んだふりをしていないか確かめるため、死体を殴打するよう命じるのだ。

―――

剣闘士の一方が迅速に殺されないでいると、群衆は怒り出す始末だ。


あたかも人間の血に飢えているかのように。彼らは、殺人に手間取るのが大嫌いなのだ・・そして、この悪事にどっぷり浸かることによって、彼らは人間性を失ってしまっている。




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従って、義の道にとどまろうと努める私たちクリスチャンが、このような公の殺人行為にあずかるわけにはいかない。


神が「殺すなかれ」と仰せられる時、禁じておられるのは、公法によって有罪と宣告される暴力だけではない。


神はまた、人の目には、合法的とみられる暴力をも禁じておられるのだ。


Lactantius, Institutes, bk.6, chap.20






でも、どうでしょう。


もし2016年現在、どなたかクリスチャンが、ある種のテレビドラマ、映画、書籍、音楽、あるいはキック・ボクシングなどのスポーツやエンターテイメントに対し、まともに警告のメッセージを発し、公に声を挙げ始めたら、、、


そういう人は、「愛のないパリサイ人」「偏狭なファンダメンタリスト」「律法主義者」等、この世の人々からだけでなく、仲間のクリスチャンたちからも嫌がられ、煙たがられ、非難されるのがおちではないでしょうか。


その一方、Seeker-friendly(求道者にやさしい), Culture-friendly(文化にやさしい)アプローチをとるクリスチャンは、敵を作らず、いたるところで歓迎される――そういう傾向が強いように思います。


たとえば、現在、次のようなことを公に言い切るクリスチャンは、皆にどう思われるでしょう?



女性の中には、特殊な薬を服用し、自分自身の体内に宿っている、未来の人間の生命を絶っている人たちがいます。


彼女たちは、そのようにして、出産前にすでに殺人を犯しているのです。




ちなみに、↑は、初代教会のマルクス・フェリクスの発言です。(M.Felix, Octavius, chap.30)





おわりに




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剣闘士



クリスチャンと現代文化というのは、短絡的な答えを出すことのできない深いテーマであり、祈りつつ謙遜に探求していくべき課題だと思います。


D・A・カーソンは、Christ & Culture Revisitedという著書の中で、リチャード・ニーバーによる古典Christ & Culture(1951)を批評しつつ、21世紀のクリスチャンがどのように「文化」問題に取り組んでいくべきかを、さまざまな角度から考察しています。


この中で氏は、「クリスチャン」と「文化」というのは、互いに区別し得る二つの異なる実体でありつつも、相互に対し完全に排他的な実体でもない、という興味深い指摘をしています。(同著、p75)


そう考えると、私たち自身、現代文化の「一部である」ことは避け得ようのない事実ですし、また一般恩寵により、周囲の文化の中にも「良いもの」はたしかに存在しています。


しかし、またカーソン氏が言うように、私たちクリスチャンの中には、「神を中心をせず、イエスを主と認めないあらゆる文化的スタンスは、悪である」という確固としたキリスト教世界観が存在していることもまた事実です。


その意味において、この記事で取り上げた初代教会のクリスチャンの、「文化」に対する妥協のない態度は、そういったキリスト教世界観の顕れの一つではないかと思います。どうでしょうか。



ローマ12:2a

この世と調子を合わせてはいけません。




ヤコブ4:4a

貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。




1ヨハネ2:15a

世をも、世にあるものをも、愛してはいけません。










ルカ18:28-29


すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」


イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、


後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」





今日、愛する姉妹が私に、上のみことばを送ってくださいました。


そしてこのみことばを通し、私は、3世紀のカルタゴに生きた、ある一人の若い女性のことを思い出しました。


ペルペチュア(Perpetua)という名のクリスチャンです。


それでは、これからみなさんとご一緒に、初代教会期の北アフリカに心と思いをはせつつ、彼女の人生を辿ってみたいと思います。


☆☆


22歳の若いペルペチュアが、女召使のフェリシタスと共に、求道者・初信者のためのバイブル・クラスに初めて足を運んだのは、折しも北アフリカの教会に大迫害が加えられている、まさにその時期でした。


時の皇帝セプティムス・セヴェルスは、AD202年に法令を発布し、帝国民がキリスト教ないしはユダヤ教に改宗することを禁じました。




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Septimus Severus



セプティムス皇帝自身は、エジプト神セラピスの崇拝者であり、帝国内に増すキリスト教徒の数に脅威を覚え、禁令を発したのでした。




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異教セラピス神




特に教会成長のめざましかった北アフリカにおいては、改宗を禁じるだけでなく、「キリスト教を教えたり、改宗者を作ったりする者」にも厳刑が処されることになったのです。


にもかかわらず、カルタゴ教会の牧師サトゥラスは、求道者のためのバイブル・クラスを開き続けていました。



☆☆


ペルペチュアには生まれたばかりの赤ちゃんがいました。


彼女の夫については何も記録が残っていませんが、歴史家によれば、なんらかの原因で夫は死んでしまったか、あるいはペルペチュアがイエス・キリストに信仰を持ったゆえに、彼女を捨て去ったのではないかと推測しています。


また、The Passion of Perpetua and Felicitasという資料によれば、信仰をもってまもなく、ペルペチュアは、サトゥルス牧師や、女召使のフェリシタスなどと共に、捕縛され、投獄されたようです。





イエス様か家族か




彼女は良家の出の娘さんでした。おそらく当時の貴族階級にあたる家柄だったのではないかと思います。


その地方の有力名士であったペルペチュアの父は、大切な一人娘が、なにやら新しい宗教を信じ、そのために一般犯罪人として投獄されたという知らせを聞くや、すぐに刑務所にやって来ました。


牢の中にいる娘をひと目みた父親は、胸をかきむしられるような思いで、叫びました。


「ああ、愛する娘よ。なんということだ。この光景をみるに堪えない。娘よ、すぐにその新興宗教を棄教しなさい。後は私がお前の釈放のためになんとか取り計らってあげるから。」


「いいえ、お父さま。それはできません。私は死に至るまでこのお方に忠実であり続けるつもりです。ですから、棄教はいたしません。」


それを聞いた父親は、怒りの余り、すんでのところで愛娘をひっぱたくところでした。


しかし、そういった父の怒りも彼女の決心を変えることはできませんでした。






乳児である息子と引き離され




しかし彼女のケアを必要としている幼い息子のことを考えると、さすがの彼女の決心もぐらついてくるのでした。


「あの子は今、どこで何をしているのかしら。誰があの子にミルクを飲ませてあげているのだろう。夜泣きをした時、誰があの子を抱き上げてくれているんだろう?ああ。」


ペルペチュアは、息子いとしさに、もう信仰も何もかもすべてを忘れ、家に帰りたいとさえ願う自分を発見し、愕然としました。


「ああ主よ、息子にこのまま会えないと思うと、私はもう気が狂いそうです。息子に会いたい。ああ、どうか私の信仰を支えてください。」


そうした危機の中、ある二人のクリスチャンが、獄にいるペルペチュアの元に息子を連れてくることに成功したのです。


その時の心境を彼女は次のように記しています。



息子は飢えで気を失いかけていました。私はお乳をあげました。


そして私は、母と兄を慰め、息子の将来を彼らに託しました。


しかしああ、家族は、獄にいる自分の事で心を痛め、苦しんでいました。彼らの苦しむ姿をみることのなんという辛さ。


こうして何日も私はこういった試練の下にありました。


しかし幸いなことに、息子と獄中で過ごす許可がおりました。


その許可が下りるや、たちまちのうちに、私の体力は回復しました。








家族の切なる嘆願



彼女の処刑の日が近づくと、家族との間の問題はますます辛いものになっていきました。


父親は再度、獄にやって来、「自分の信心よりも、まずは家族のことを思い遣ってほしい」と嘆願しました。


「お前の身にこのようなことが起こるなら、私たちは今後、一生、悲しみと恥辱のうちを歩くことになるのだよ。」


「でも、お父さん、神様の許しのうちに、この処刑は行われます。私は今、自分自身の力ではなく、主の力の内に置かれていることを感じています。」




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ペルペチュア





翌日、娘が、円形闘技場で、しかも、野獣に食い殺されるという残酷きわまりない仕方で処刑されるという知らせを受けた父親は、なんとかして娘をその悲惨から救い出そうと当局に働きかけました。


しかし、それらは無下に却下されただけでなく、当局は、老いたこの父親をなぐり始めたのです。


それは娘である彼女にとって見るに耐えない光景でした。



父のこの窮状を目の当たりにし、私の胸は張り裂けんばかりでした。





しかし父親はそれでもあきらめませんでした。


彼はなおも獄にやって来、乳飲み子を彼女に首もとに置いたまま、こう言いました。


「娘よ、どうか私たちを憐れんでほしい。私たちと一緒に生きる道を選んでほしい!」







死に至るまで忠実であれ




処刑の日、ペルペチュアをはじめとする信仰者たちは、闘技場に引き出されました。




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サトゥルス牧師や他の兄弟たちは、まず観客のエンターテイメントのため、拷問にかけられました。


アリーナ闘技場の入り口で、サトゥルス牧師は最後の証の言葉を、獄長であったプーデンスに語りました。


記録によれば、後にプーデンス自身、キリストに信仰を持つようになり、自らもまた殉教の道を歩んでいったということです。


男性の信者たちは、熊や豹や野生イノシシの中にほうり込まれました。


サトゥルス牧師はあまりにも全身ずたずたにされ、血まみれになったため、観客たちは、「見ろ、あいつはどっぷりと洗礼の恵みに与ったぞ!」と嘲り、叫びました。


ペルペチュアと召使フェリシタス(彼女は妊娠8カ月の時に逮捕され、獄中で出産していました)が今度は、「狂った雌牛」の前に引き出されました。


しかし、彼女たちの悶絶の苦しみに、さすがの観客も見るに耐えなくなったらしく、「もう十分だ!」と叫び始めました。


その後、斬首される寸前、ペルペチュアは、悲しみに嘆くクリスチャンの仲間たちにこう呼びかけました。



どうか神様のみことばを、これからも兄弟姉妹と分かち合ってほしい。


みんな、信仰に堅く立って。それからお互いに愛し合ってほしい。


ああ、どうか私たちの苦しみが、あなたがたにとってつまずきとなりませんように。








おわりに




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「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのです」とヘブル人への手紙の記者は、私たち信仰者を励ましています。


「私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)


何が、22歳のこの女性をこれほどまで強くしたのでしょうか。


いったい何が、彼女をして、肉親の情との壮絶な闘い、そして最愛の息子との地上での別離を耐え忍ばしめたのでしょうか。


その鍵は、次の節にあると思います。



「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(2節)





どうか私たち一人一人が、信仰の創始者であり、完成者であるイエスさまから目を離さず、ペルペチュアをはじめとする先人たちに倣い、最後の最後まで信仰のレースを全うすることができますよう、主よ、助けてください。アーメン。




その1)からの続きです。

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3世紀のキリスト信者による碑文 source


新生の喜びに与ったキプリアヌスは、財産を貧しい人々に施し、物資的な縛りから解放され、喜びに躍りました。そして彼は献身の道を選びました。

カルタゴ教会の監督になったキプリアヌスは、信者の友に宛てて次のような手紙を書いています。

真に安らかで、信じ寄り頼むことのできる平安、そして真に揺るがず、確かで、けっして変わることのない安心感とは何でしょう?

それは、この世の喧噪から身を引き、救いの固い土台の上に自分自身をしっかり据えることです。

そして地上から天に目を上げることです。

真の意味でこの世より偉大な者は、この世から何をも欲さず、何をも望みません。

ああ、こういった主の守りは、なんと安定し、なんと揺るぎないものでしょうか!

そして永遠につづく祝福の中にあり、なんと天的でありましょう!

それにより、私たちは、この混沌とした世の罠から自由にされ、地の汚れから清められ、

そして、とこしえの命の光にふさわしいものとされるのです。

Cyprian, Ad Donatum, 14




キプリアヌスの残した霊的遺産


キプリアヌスは教会の牧者として、魂のことに気を配り、また他の牧師たちとも密に連絡を取っていました。

彼の残した大量の書簡集を読むと、当時のキリスト教会の日々の懸念や問題がどのようなものであったのかがよく分かります。

たとえば、妥協せずイエスにつき従っていくと同時に、クリスチャンの間における兄弟愛をいかに純粋に保っていくのか――。

これは、3世紀の初代教会だけが抱えていた問題では決してないと思います。

たとえば、キプリアヌスが牧会していた教会の近くのキリスト教会で、次のような問題が生じました。


不道徳な職業をやめたい


ある異教徒の男性がイエス・キリストを信じ、クリスチャンになりました。

その男性の職業は、舞台俳優でした。

回心後、彼は、「私は職種を変えるべきではないか?」と考え始めました。

というのも、当時の芝居のほとんどが、不道徳を助長するような内容であり、こういった演劇は、異教の偶像崇拝にも深く関わっていたからです。

また、当時、役者たちが舞台で女役をうまく演じられるよう、演劇界は時に、少年の役者たちを意図的に同性愛者にならせようと仕向けたりもしていたのです。

「ああでも、私には舞台俳優以外、他に何ら職歴がない。転職しようにも、他に技術がないのだから、、、」と、この男性信者は悩みました。

「あっ、それなら、未信者を対象に演劇を『教える』というのはどうだろう?そうしたら、私自身は、直接、この世界に入り込まずにすむし、生活の糧も得ることができる。うーん、でもいまいち、確信が持てない。」

そこで彼は、そういった悩みや葛藤を、教会の長老たちに正直に打ち明けることにしました。

☆☆

長老たちは彼からの相談を受け、熟考した後、次のように答えました。

「そうですね、うーん、役者業が不道徳な職業であるなら、人を役者に『養成して』、その道に『入らせる』こともやはり良くないことだと言わなければならないように思います。

でも、これはかなり稀なケースですから、私たちはこの件を、近くの教会におられるキプリアヌス監督にも相談することにします。」

相談を受けたキプリアヌスもやはり、彼らに同意して言いました。

つまり、たとえ役者業が、彼の生計を立てる唯一の手段だとしても、キリスト信者にふさわしくない職業を他人に『教える』こと――これもまた、信者にふさわしくないあり方だと思います、と。

ここに私たちは、この世の価値観に妥協せず、キリストの弟子の道を歩んでいこうとする初代教会のクリスチャンたちの強い信仰をみることができると思います。

しかし話はここで終わったわけではありません。

キプリアヌスは、さらにここから愛に満ちた牧会的配慮をもって、長老たちに言いました。

――もし、この役者が、他に生計の手段を持っていないのであれば、孤児ややもめ、貧しい人々を支援しているのと同様、教会は進んで彼を支援すべきです。

そしてさらに次のような言葉もつけ加えています。

もし、あなたがたの教会で、彼を支援するのが経済的に無理ならば、彼をこちらの教会に送ってよこしなさい。こちらで彼は必要な食べ物、着る物なんでも受け取ることができます。

Cyprian, Letter to Euchratius, epis.60



キプリアヌスにとっても、彼の監督する教会にとっても、この役者は、一面識もない人でした。

しかし、どこの教会に属していようが、彼は主にあって愛する兄弟であり、霊の家族でした。

ですから、キプリアヌスは自分たちの教会で彼を養う覚悟を持って、このような書簡を書き送ったのです。

クリスチャンの間に溢れるこのような愛をみて、彼らをけなし迫害する敵でさえも、こう叫ばずにはいられませんでした。


見よ。彼らはなんと互いに愛し合っていることか!


テルトゥリアヌス『護教論』第39章7




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もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。

ヨハネ13:35




おわりに


キプリアヌスの時代には、カルタゴ地域の教会に激しい迫害が加えられていました。そのため、彼の牧会生活は、地下に潜ってせざるを得ない切迫した状況にありました。

しかし、彼はそのような苦難をものともせず、委ねられた羊の群れのために、力を注ぎ出し、そして究極的には、自らの命そのものをも注ぎ出しました。

258年、ついに彼はローマ人に捕えられ、打ち首にされ、殉教の死を遂げたのでした。

それでは最後に、キプリアヌスの言葉を引用して、おわりにさせていただきます。

「キリストに従う」とは何を意味するのでしょう。

そうです、それはキリストの掟の内に立ち続けることを意味します。

そしてキリストの教えの内に歩み続けることを意味します。

そしてそれは、キリストの足跡と主の歩まれた道に従い続けることを意味します。


ーキプリアヌス





〈参考文献〉

Philip Schaff, ANF05. Fathers of the Third Century: Hippolytus, Cyprian, Caius, Novatian, Appendix
Alban Butler, The Lives of the Saints,Volume IX
デイヴィッド・ベルソー著『初代キリスト教徒は語る――初代教会に照らして見た今日の福音主義教会』



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キプリアヌス、紀元3世紀


今、アウグスティヌスのA Treatise On the Predestination of the Saints(『聖徒の予定説について』)を、少しずつ読み進めています。

1章からていねいに読んでいくと、彼の考え方のプロセスがよく分かり、また「なぜ」そのような考え方・解釈に至るようになったのかが生き生きと伝わってきます。また、その他、今まで知らなかったいろいろな発見があって楽しいです。


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☆☆

そういった思わぬ発見の一つが、カルタゴの牧師キプリアヌス(3世紀)に関するものでした。

アウグスティヌスはこの書の中で、何回か尊敬の気持ちを込め、「I speak of the most blessed Cyprian(もっとも祝福されしキプリアヌスについてお話しますと、、)」と彼について触れていました。

私は二人がそういう風につながっていたことは全然知らなかったので、「へぇー、アウグスティヌスは、キプリアヌス牧師のことを尊敬していたんだ。ふーん、なるほど。」と心は遥か4世紀のカルタゴへと飛び立っていきました。

その時分、アウグスティヌス自身も、神の主権と人間の自由意志の問題についていろいろ葛藤していたということを告白しています。

そんな時、キプリアヌスの「私たちは決して何をも誇ってはならない。なぜなら、何物といえども、それは自分自身のものではないのだから。」という言葉がアウグスティヌスの心に刺さったそうです。

この記事では、キリストを信じ、カルタゴ教会の牧師となり、最後には殉教の道をたどった神の人であるキプリアヌスの生涯と信仰について、みなさんとご一緒にみていきたいと思います。

☆☆

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北アフリカに、Carthage(カルタゴ)と書かれた濃い青の部分がみえますか?この図をみると、キプリアヌスが生きた3世紀には、この地域に多くのクリスチャンがいたことが分かります。


キプリアヌスは、3世紀の初め頃、北アフリカのカルタゴで生まれました。

父親は、ローマ帝国の評議員の一人であり、裕福な異教徒でした。

キプリアヌスは、そんな家庭の御曹司(おんぞうし)として当時一流の教育を受け、育っていったのです。

回心前、彼は、修辞学の教師を修め、また演説家、カルタゴ法曹界の有力メンバーとして活動し、しかし、(回心後の)彼自身の言葉を借りると、「当時、私は、暗やみと陰鬱な夜の中に横たわっていました。」


新しく生まれるとはどういうこと?―彼の葛藤


30歳の過ぎたある年、キプリアヌスにとって人生を揺さぶるような出来事が起こります。

カルタゴ教会の老聖徒であり、長老であったセシリウスとの出会いがそれです。

セシリウスの天的な生き方と信仰は、キプリアヌスの魂の内に大いなる葛藤を生じさせました。

また彼は、聖書の中には「新生」という概念があることも聞きました。

しかし「そんなことが一体可能であろうか?」と彼は疑い悩みます。

そういった内的告白を彼はAd Donatumという著述の中に残していますので、その部分を訳そうと思います。

私がまだ暗やみと陰鬱な夜の中に横たわっていた時分のことです。

その当時私は、神のご慈愛が私に要求していることを実行するのはまったく至難の業だと考えていました、、

自分自身、その当時、数えきれないほどの過失と罪に縛られていましたし、そういったものから解放されるなど、どだい無理な話だと思い込んでいたのです。

こうして私は、悪徳に引きづられ、また数々の罪にふけっていました。




新しく生まれ変わった!


しかし、そんな彼についに喜ばしき救いが訪れました。

そうです、彼はキリストを信じる信仰により新しく生まれ変わったのです。そのことを彼は次のように告白しています。

しかし、その後、新生の水の助けにより、これまでの人生の汚点が洗い流されたのです。

そして天よりの光が――そうです、清澄で聖い光が――神と和解した我が心の中に注ぎ込まれ、満ち溢れました、、

この新生が私をして新しい人間へとなさせしめたのです。

そうすると、どうでしょう。まったくすばらしい仕方で、これまで自分の内でくすぶっていたあらゆる疑いが私の内から消えていったのです、、

ええ、今の自分にははっきり分かります。――肉の悪徳により奴隷となっていた自分の内に当時生きていたものは地上的なものであったことを。

そして、聖霊が私の内でなしてくださった事こそ、神聖かつ天的なものであるということを。

— Cyprian, Ad Donatum, 3-4




さて、新生したキプリアヌスはその後どのような道を歩んでいったのでしょうか?


その2につづきます。


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(Greg Gordon, Liturgy in Early Church Services 、ゴードン師の許可をいただいた上で、2015年8月、翻訳いたしました。)


初代教会の礼拝の様子


私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。1テモテ4:13



世界中にあるさまざまな教会を訪れると、そこには各々礼拝の順序ないし様式というものが存在します。

集会ごとにもちろん細かい違いはありますが、共通の要素というものも多く存在します。――例えば、聖書を朗読すること、説教すること、公の祈り(1テモテ2:1)、主の晩餐(1コリント11:26)、被り物(1コリント11:1-16)などです。

その他、今日一般に行われなくなっているけれども、初代教会の信者の間では行われていた慣習としては、聖なる口づけ(ローマ16:16)があります。

また初代教会において、預言者の働きがある教会では、彼らの言葉を聞く時間が与えられました(1コリント14:29-30)。異言のわざは、他の諸教会においてよりもコリントの集会において頻繁に行われていたようです(Ⅰコリント14:27-28)。また、オリーブ油を塗っての、監督による祈りも行われていました(ヤコブ5:14)。

また、(集会を導く)監督ないしは長老が祝祷の祈りをささげる慣習も、教会史の初期の時点で形成されていったようです。

初期のコリント教会は、自己中心的な人で溢れ、皆がわれ先にと集会に参加したがり、他の人々をかえりみていませんでした。

またそこの教会には、権威に対する恭順の欠如および分裂をもたらす霊がみられ、それによって秩序が乱されていました。そこで使徒パウロは、彼らを勧告し、お互いに愛の道に進むよう彼らを励ましたのです(1コリント13)。

紀元155年、殉教者ユスティノスは、当時のクリスチャン礼拝について次のように述べています。

日曜日と呼んでいる日に、町に住んでいる者も地方に住んでいる者も皆、一同に会する。そしてそこで、使徒たちの書いた覚え書きや、預言者たちの書き物が読み上げられる。

そして朗読が終わると、集会を導く責任者が、今読み上げられたすばらしい内容にぜひとも倣うよう彼らに勧告するのである。その後、我々は皆起立し、祈りを捧げ、そしてそれが終わると、我々は聖なる口づけをかわすのである。

それから誰か一人が、パンと、水と葡萄酒の混ざった杯を、責任者の所に持ってくる。責任者はそれを受け取ると、御子および聖霊の御名を通し、この宇宙の御父に対し、賛美と誉れをささげるのである。

それから彼はかなり長い時間を費やし、我々がこれらの賜物にふさわしく裁かれていることを感謝する(ギ:eucharistian)のだ。

責任者による感謝の祈りが捧げられ、会衆がそれに応答して「アーメン」と答えると、長老と呼ばれている人々が、そこに会する一同に、「感謝の捧げられた(eucharisted)」パンと、葡萄酒・水を手渡した。

また、当日その場に出席することができなかった信徒に対しては、長老たちがそれらを彼らの元に届けに行った。



私たちは初代教会のこういった集会の様子を垣間見ることで、多くを学ぶことができます。

そこから見えるのは、集会がキリストを中心としたものであったということです。

―聖書の朗読にしても聖餐の祝いにしても、それらは共に主を証しするものであり、指導者たちはそこに焦点を置くことによって、キリストを集会の中心としていたのです。

私たちの所属する教会がどのような形態のものであったとしても、こういった慣習を保つことにより、私たちは時代を超え、初代教会の礼拝の伝統および慣習との間に途切れることのないつながりを持つことができるのです。



詩編80:14-19



詩編80:14-19

万軍の神よ。どうか、帰って来てください。
天から目を注ぎ、よく見てください。
そして、このぶどうの木を育ててください。

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また、あなたの右の手が植えた苗と、
ご自分のために強くされた枝とを。

それは火で焼かれ、切り倒されました。
彼らは、御顔のとがめによって、滅びるのです。

あなたの右の手の人の上に、御手が、
ご自分のため強くされた人の子の上に
御手がありますように。

そうすれば、私たちはあなたを裏切りません。
私たちを生かしてください。
私たちは御名を呼び求めます。

万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、
御顔を照り輝かせてください。
そうすれば、私たちは救われます。




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(Greg Gordon, Setting Our Minds on the Heavenly City To Come  グレッグ師から許可をいただいた上で、2015年8月、翻訳いたしました。)


私たちの思いを、やがてくるべき聖なる都に据える


また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。黙示録21:2



初代教会のクリスチャンは、天国および――やがて来(きた)るべき、かの完成されし聖なる都――に対する崇高な幻と重荷を持っていた。

天国における生活というのは実に美しく朽ちないものであり、そのため、そこに達することができるのなら、我々は苦しみもいとわず、現在のこの世もくずのように見なし捨て去ることも潔しとする。――初代教会はそのように教え、信じていた。

ヘブル人への手紙をひもとくと、そこには信仰により生き、天にある都を求め続けていた人々のことが書かれている。「彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」(ヘブル11:16)

信仰者として、今、あなたも彼らと同じような展望そして望みを抱いているだろうか。

しかし我々にとっては、この世にあふれる物質的豊かさが、そういった天的な望みを遥かに凌いでいるのが現状ではないだろうか。

多くの人は目下、この地上においてあたかも王のごとく生活しており、彼らに与えられているこの偉大な天的特権の数々に気づかずにいるのである。

初代教会の焦点は、快適さ(comfort)ではなく、戦い(combat)にあった。彼らは肉の欲望および金銭欲のもたらす危険(1テモテ6:9)とに対し、戦っていたのである。

コロサイにいる信者たちに対する使徒パウロの勧めはシンプルなものだった。「あなたがたは、、天にあるものを思いなさい。」(コロ3:2)

あなたは、神の右の座におられるキリストを見ているだろうか。あなたのために備えられているこの都を見ているだろうか。

もしそうでないのなら、いったい、いかなる罪、魅惑、世的な魅力があなたをしてこれほど貴い褒美、これほど尊い天の都を遠ざけしめているのだろうか。

あなたの心は現在、この天的な都に対する切望感にうち震えているだろうか。それともあなたは、今のこの世、およびこの世での生活に満足し切っているのだろうか。

紀元100年、ローマのクレメンスは次のように言った。「この世に存在するありとあらゆるもの――我々は、これらを何一つ自分たちのものと思わず、慕いもしない。

この世と、来るべき(都)は、互いに対立しあう敵関係にある。従って、我々はその両方と友情関係を結ぶことはできない。どちらを捨て去り、どちらに付くのかを今はっきりさせなければならないのである。

これに対する我々の考えはこうである。現在目の前にあるものを、取るに足らず、腐敗しやすく、はかないものとして憎み、その一方、やがてきたるべきものを、真に善きもの、朽ちないものとして愛す方がどれだけ勝っているかと。

それゆえ、全身全霊をもって、この戦いにのぞもうではないか。まっすぐな道を走りつつ、朽ちることのない競争を全うしていこうではないか。」

昨今の文化的キリスト教は、この世を満喫するよう説いてくる。――然り、あたかも我々に対する神の御意図が、「今をめいいっぱい楽しむこと」にあるかのごとく。

神の民というのを、この世をただ通り過ぎていくだけの旅びと(1ペテロ2:11)と捉える考え方は、大半の信者に受け入れられておらず、まっとうな考えだと評価されてもいない。

しかし、聖書は私たちにこう説いている。――すなわち、この世の快楽を避け、放縦に走ってはならない。肉の欲望に対してはこれにはっきりと否!と言い、貯蓄にやっきになることからも離れなければならないと。

教会はこの世のものを、他者に仕え、他者を助けるための道具と捉え、これを用いることができる。しかし、たといそうであったとしても、教会の「心」は、ここが我々の本来の家ではないことを肝に銘じておく必要がある。

小さな事に忠実な者は大きな事にも忠実であるだろうと主は仰せられた。教会はそういった意味で、この世のものを神より委託されているのだが、これらに対し忠実であることが求められているのである。

そして我々の主は、この世の悪しき欲望を否定し、貧しい者、低い者、さげすまれている者に仕えるという生き方を通し、私たちに模範を示してくださったのである。


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「わたしは彼らに御言葉を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものでないからです」(ヨハネ17:14)とイエス様はおっしゃいました。

そしてその言葉通り、この腐敗した世にあって、敬虔に生きようとしているクリスチャンはあらゆる形でこの世から憎まれ、あるいは誤解され、あるいは試練の最中におられます。

私はそのような方に向けて、初代クリスチャンの言葉を贈ります。どうか主がこれを読むすべての同胞クリスチャンの心を励まし、強め、新たな力を与えてくださいますように。

まずはじめに、「ディオグネトゥスへの手紙」からの抜粋です。 (Ante-Nicene Fathers(「ニカイア公会議以前のキリスト教著作集」) 第一巻より 私訳)

この手紙は紀元130年に書かれました。作者は不詳ですが、ローマ人に向けてキリスト教徒のことを説明している以下のようなすばらしい箇所があります。

「彼らはそれぞれの国に、ただ単に、寄留者として宿っている…肉にあっても、肉に従って生きてはいない。地上で暮らしてはいるが、彼らは天の民だ。彼らは定められた法律を遵守していると同時に、その生き方によって、法をはるかにしのいでいる。

万民を愛しているが、全ての人に迫害されている。世に知られず、また非難を受けている。殺されているが、彼らはやがて蘇る。貧しいようで、多くの者を富ませている。ほとんど何も持っていないが、彼らは全てにおいて満ち満ちている。

辱められているが、まさにその恥辱のうちに栄光を受けている…そして彼らを憎悪する者は、その憎しむ何らの理由も挙げることができないのだ。」



また同じ手紙の中に次のような箇所もあります。

「これらのことを一言で要約しよう。――肉体の中に魂が存在するように、この世の中の内にクリスチャンは生きているのである。魂が肉体のすべての器官に拡散しているように、クリスチャンもこの世のあらゆる都市に散らばっている。

魂は肉体の中に宿っているが、肉体に属するものではない。それと同様に、クリスチャンはこの世に宿ってはいても、この世に属してはいない、、魂は肉体の中に(あたかも牢獄のように)閉じ込められているが、魂こそがその肉体を保っている。

それと同様、クリスチャンはあたかも牢獄にいるかの如く、この世の中に閉じ込められている。しかし、実は彼らクリスチャンこそこの世を(腐敗から)守ってくれている存在なのである。

不滅の魂が朽ちるべき幕屋の中に宿っている。そしてそれと同様、朽ちるべき[肉体]の中にあってクリスチャンは旅人として宿っている。――天にある朽ちることのない住み処を待ち望みながら。」



またキプリアヌスは、ある信者の友に宛てた手紙の中で、このようなことを書いています。

(キプリアヌス [200-258]は、北アフリカのカルタゴにある教会の監督でした。当時、教会は激しい迫害下にありました。キプリアヌスは十年余り、地下教会にて牧会に奔走しましたが、ついにローマ人の手にかかり、処刑されました。彼が生前やり取りした手紙の多くは現在も保存されています。)

「真に安らかで、信じ寄り頼むことのできる平安、そして真に揺るがず、確かで、決して変わることのない安心感とは、これである。

すなわち、この世の喧騒から身を引き、救いの固い土台の上に自分自身をしっかり据えること、そして地上から天に目を上げること

…真の意味でこの世より偉大な者は、この世から何をも欲せず、何も望まない。この守りのなんと安定し、なんと揺るぎないことか!永遠に続く祝福の中にあって、なんと天的であることか。

――それによりこの混乱した世の罠から自由になり、地の汚れから清められ、とこしえの命の光にふさわしいものとされるのだ。」(Cyprian Letter to Dontus sec.14 私訳)



続いて、ラクタンティウスの言葉です。ラクタンティウス(260-330)はローマの卓越した修辞学教師でしたが、後に回心し、クリスチャンになりました。

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(ラクタンティウス)

「永遠に(御国で)幸せに生きることを選び取る者は、この世にある間、困難の中に生きるであろう。この地上にいる限り、彼はありとあらゆる種類の困難や重荷にさらされるであろう。

それにより最終的に、かれは神々しい、天的な慰めに与るからである。しかし一方、この世で快適に生きようとする者は来世で苦しむことになるだろう。」(Lactantius Institutes bk.7, chap.5 私訳)



それからアンティオケの監督であったイグナティウス(50-100、使徒ヨハネの直弟子)のメッセージもご紹介します。

彼は信仰ゆえに逮捕され、ローマで処刑されることになりました。処刑場に連れていかれる途中、彼は、自分の愛する教会の兄弟姉妹に向けて、訓戒と励ましの手紙を書きました。その中には次のような言葉が書かれています。

「従って、ただ「キリスト者」の名前で呼ばれるだけでなく、私たちは本当の意味で、キリスト者で《ある(be)》必要がある…もし私たちに、主の御苦しみと同じ様で死ぬ覚悟がないのなら、主のいのちは私たちのうちにない」

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「火よ、苦しみよ、来るならこい。野獣の群れよ、来るならこい。私の骨が砕け、関節がはずれ、手足が引きちぎられるままになれ。体中が引き裂かれるなら裂かれよ。然り、サタンのありとあらゆる邪悪な拷問よ、来るならこい。

ただ我をイエス・キリストに到達させたまえ!…世界の果てまで統治するよりむしろ、我は、キリストの故に死ぬことを欲す。」(Ignatius Letter to the Magnesians chap.5 私訳)



それから最後にオリゲネスの言葉をご紹介します。オリゲネス(185-255)は十代の頃、キリスト者であった父親を迫害で失っています。そして彼自身、ローマ人の手にかかり拷問にかけられ、それが原因で命を落としました。

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《オリゲネス)

「自分達を迫害することを神がサタンにお許しになる時、私たちは迫害に苦しむ。そして私たちが苦しまないことを神がお望みになる時、たとえ自分たちを憎む世のただ中にあっても、私たちはすばらしい平安のうちに憩う。

『勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている』と言われた方の守りに、私たちは信頼を置いている。そしてまさしく、主は世に勝っておられるのである。

それ故、世に打ち勝つべく、天の父から力を授けられた主の許される限りにおいてのみ、世は立ち勝るのだ。主の勝利は私たちを奮起させる。

たとえ信仰ゆえに苦しみ、七転八倒することを主が再びお望みになったとしても、敵よ、来るなら来い。『わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることができる』と敵に言おうではないか。」



「キリストの宗教以外のいかなる崇拝形態も、最終的には、滅ぶだろう。キリストの宗教、これのみが立ち続けるであろう。

見よ、キリストの教えは日ごとますます多くの人の心をとらえているではないか。事実、それはいつの日か勝利を収めるのである。」(Origen Against Celsus bk.8, chap.70 私訳)



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