60代からの世界宣教



その後、さまざまな経緯があった後、南欧ギリシャの教会で奉仕するアフガン人兄弟から、「ここには実に多くのアフガン難民がいる。手伝いに来てほしい」というSOSの知らせを受け、私は妻と共に数か月、ギリシャに滞在しました。


ここに来て私は、すでにアフガン人の祈りグループができていることに驚きました。主が働いておられたのです。しかしながら、各種宣教団体で救われても、その後、(言語的・文化的問題があり)地域教会で彼らがあまり霊的に成長できていない現状を目にした私の心に、「彼らが自分たちのことばで主を賛美できる教会があったらどんなにいいだろう」という思いが与えられました。


しかしそうなると長期に渡るこの地でのコミットメントが必要とされます。私はその時、63歳でした。妻はハングル以外、何語も話せませんでした。そんな私たち夫婦が、この年で、全く新しい環境に宣教に乗り出していくことができるというのでしょうか?


私は妻に彼女の気持ちを訊いてみました。すると、彼女は祈った後、「あなたが主にそう導かれたのなら、私はあなたについて行きます」と静かに答えてくれたのです。





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私:ユ牧師、日本の兄弟姉妹に何か励ましのメッセージがありましたら、お願いします。



:今こそハーベストの時期だと思います。ヨーロッパへの難民の大量移入、こういった現象は、教会史の中でもきわめてユニークなものだと言えると思います。主は確実に働いておられます。


もしあなたがイエス・キリストの弟子でしたら、、もしあなたが神のしもべでしたら、あなたもまた、神さまのこの働きに参与されますよう祈ります。また、私たちはさまざまな方法でこの御働きに参与することができます。トルコでもギリシャでもドイツでも今多くの業が起こっています。


「今」、波がうねっており、風が「今」というこの時期、吹いています。主の働き人として大切なことは、この機会を逃さないということではないかと思います。宣教の門が開かれているこの特別な時期、この特別な機会を逃さない、ということです。


トルコの浜に打ち上げられた幼い難民の子どもの写真は全世界を泣かせました。世界で起こっているこういった現実になにも感じず、なにも応答しない――これこそ深刻な状態だと思います。


神さまは語っておられます。あなたはそれに応答しますか?




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宣教師への支援



神学校で学びをする一方、私はその頃、アフガニスタン南部で医療宣教を行なっている宣教師夫妻を霊的・経済的にサポートしていました。


神学校3年目に入った年、この夫妻の元を実際に訪れ、彼らを励ましたいという思いが与えられ、私はそのことを教会の兄弟姉妹に分かち合いました。そうすると賛同してくださる仲間が与えられ、こうして23人から成る短期宣教団が結成されました。




アフガニスタンへ



こうしてその年の夏、私たちはアフガニスタンに入国しました。


まず北部で奉仕しておられる宣教師たちの元を訪れた後、私たちはいったん首都カブールに戻り、シャワーを浴びたり身支度をしたりしました。


その後またバスに乗り、今度は南部にいる宣教師の元に向かいました。


しかしその途中、ガズニの路上で、武装したグループが立ちはだかり、銃を撃ってきたので、運転手はやむなくバスを止めました。


私たちはバスから降ろされました。そして近くの村に連れていかれました。


しかし当初彼らは、「私たちは警察だ。ここの周辺にはアルカイダ勢力がいるため、私たちはあなたがたを保護したいと思っている。」と言っていました。しかしそういった説明を聞いても釈然としませんでした。


私は年長者だったので、彼らから別個に呼ばれ、「お前たちは中国人か?」「イスラム教徒か?」等質問を受けました。それに対し、私は「自分たちは韓国人で、クリスチャンです」と答えました。


その後、私たちはさらに山岳地帯に連れて行かれました。


翌日、私たちは自分たちがタリバーン勢力の手に陥ったことを悟りました。


小屋の中で私たち23名は皆、頭を垂れ、「主よ、私たちの命はあなたのものです」と一人一人祈り、告白していきました。


翌朝、外に出るように言われたので、そうすると、壁と建物の間に、長い溝が掘ってあるのが見えました。そして私たちは全員、その溝の前に一列に並ばされました。


見ると、覆面をした男たちがライフル銃をこちらに向けており、ある男はそれをビデオ撮影していました。


今、自分たちの身に何が起ころうとしているのか、もちろん、すぐに分かりました。


しかしみなさんに証しますが、その時、私たちの心は深い平安の内にありました。聖霊が力強く私たちの上に臨んでいたため、誰ひとり、泣いたり叫んだりする人はいませんでした。タリバーンは、私たちに、「一人一人、自分の名前と、父親の名前を言え」と命じましたので、私たちはそうしました。


しかし何が起こったのか分かりませんが、私たちはまた小屋に戻されました。(ビデオを撮影していた人たちが「なぜ撮れていないのか?」と互いに言い争いをしていたようなので、その時、ビデオが故障していたのかもしれません。)




ペ牧師の追憶



この拉致事件で、二人の仲間が殺害されましたが、その内の一人が私たち宣教団のリーダーであったペ牧師でした。


今でも覚えていますが、彼は「みなさん、心配しないでください。今、この瞬間にも、世界中のクリスチャンが私たちのために祈ってくださっていますから。」と私たちを励ましてくれました。


彼はアフリカ宣教にビジョンを持ち、数年後にはアフリカに行く心づもりをしていました。


ペ牧師は40代半ば、私は一回り年上の50代半ばでしたので、私は隣に座っていた彼に、「もしもの時(誰かが殺されなければならない事態が発生した時)には、年長者である自分をまず行かせてほしい。あなたには養わなければならない多くの羊がいるし、あなたはまだ若いから。」と言い、そのことで彼と話し合いました。


すると、彼は次のように答えました。「自分にとっては、宣教地のアフリカで死ぬのも、ここで死ぬのも、変りはないです。その時が来たら、私が行きます。」





ラジオで訃報に接する



その後、タリバーンは、(外国政府の追跡を避けるため)私たちを3-4人の小グループに分け、絶えず移動させました。私は3人の姉妹と同じ組になり、40日の拉致期間、12回余り、各地を転々とさせられました。


また他の兄弟姉妹がどこにいるのか、そういった安否もまったく分からない状態にありました。


ある日、見張りのタリバーン兵がラジオを聞いていました。


ちょうどその時、上海からの英語ニュースが流れ始めたので、私は彼にそれを聞いてもいいかと尋ねました。すると彼はボリュームを上げ、ラジオを私の前に置いてくれました。


しばらくすると、私たちに関するニュースが流れました。「衰弱の激しい女性二人は釈放予定。メンバー21名は、、、」


おお、なぜ21名?私たちは23名のはずなのに。。。その時、私は仲間の誰か二人がすでに殺されたことを悟ったのでした。


「一人はおそらくペ牧師だろう。あともう一人は誰だろう。」


しかし、(そのことを知らずにいる)3人の姉妹たちを動揺させないため、私はその事実を知った後も、顔色を変えず、平常通りに彼女たちに接しました。


しかし夜、私は声を押し殺しながら、殺されたであろう仲間たちのことを思い、泣きました。




さらなる試練



その後、生き残った私たちは釈放され、韓国に帰国しました。しかし、帰国後に遭った試練は、拉致されていた時以上に厳しいものでした。


未信者はもちろんのこと、一部のクリスチャンたちも激しく私たちを糾弾しました。


タリバーンがメディア向けに語った私たちに関する嘘があたかも本当であるかのようにメディアで流されていました。


また韓国内にある反キリスト教諸団体が、身に覚えのないありとあらゆるデマを流し、誹謗中傷が相次ぎました。


私はうちのめされました。神学校に戻りはしましたが、精神的なショックと重圧があまりに重くのしかかり、勉強に集中することができませんでした。


授業を一コマとっては、休み時間、寮の部屋に戻り、ベッドに横たわらなければ、もはや自分を支えることができない状態にありました。




神様、なぜですか?



私はまたその時、怒りの感情に苦しんでいました。


「主よ、あなたはなぜ、このようなことが起こることをお許しになっているのですか。」私は主のなさることが理解できず、主に対し怒りの感情を抱いていました。


病院の医師は、何か大きな衝撃を受けた後には、脳にも損傷がおき、そのため回復までには時間がかかるかもしれません、と言っていました。


そんなある朝、私は、神学校の早天祈祷会の席で祈っていました。


すると十字架を背負い、一人歩いておられるイエス様を目の前にみました。あらゆる人々が彼を非難し、激しく誹謗中傷の言葉を投げつけていました。彼をなぐりつけている人々もいました。


イエス様は私を見つめ、「キョンシクよ、あなたは今、自分が受けている小さな批判にも耐えることができませんか?」と心に語りかけました。


その瞬間、私は泣きくずれました。


「おお主よ、私はあなたを非難し、あなたに対し怒りの感情を抱いていました。私を赦してください。赦してください。」


するとその時、自分をあれほど苦しめていた怒りの情が跡形もなく消えていったのです。


また、私はその時、自分の周りにいたタリバーン兵たちのことを思い出しました。


彼らは深い霊的闇の内にあり、また非常に貧しい状態にありました。40日間、私たちはナンと水(それから時々新玉ねぎ)だけをあてがわれていましたが、それはまた、彼らの食事でもありました。彼らは本当に貧困の内に生きていました。


気がつくと、主は私の心に彼らを愛する新しい心を与えてくださっていました。




その3に続きます。





2007年にタリバーン武装勢力に拉致されたセンムル教会宣教団のユ・キョンシク牧師(65)が、昨晩、わが家を訪問してくださり、食卓を囲みながら、共にすばらしい恵みの時に与りました。


またユ牧師の許可をいただいた上で、献身に至るまでの証やアフガニスタンでの体験、釈放後の試練、再起、、といった師のライフストーリーをこれからみなさんにお分かち合いしていきたいと思います。



〔*センムル教会(샘물교회)は、聖書主義プロテスタント正統派に属する長老派教会です。


昨晩、この教会の神学的立場を詳しく調べてみましたが、韓国長老派の中では最も保守的なコシン(高神)教団(대한예수교 장로회 고신교단)に属する教会であることを確認いたしました。


またコシン教団は、1907年の平壌信仰復興に始まり、戦中の神社参拝抵抗史における殉教、、といった霊的流れを汲む歴史あるプロテスタント教団です。〕




――――
証し



人生の半ばに



私はコンピューター・エンジニアとして26年間、IT関係の企業に勤めていました。


しかし53歳になった時、ふと思ったのです。「おそらくもうこの先、自分の人生は長くてもあと三分の一位しか残っていないだろう。クリスチャンとして私はこの先、どのように生きてゆくべきなんだろう?」


そしていろいろ考えた末、一般のIT企業ではなく、聖書的原則に忠実なIT会社を自分で興そうと決め、会社を退職しました。


☆☆

さて、退職してから新しい会社を始めるまで、私は約1年間、充電期間を持つことにしました。





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ある朝、デボーションの時に、なぜだかわかりませんが、その日の聖句とは直接関係のない「わたしの羊を飼いなさい」というみことばが静かに心の内に語られ、私は驚きました。


その時私は妻と共にLAにいたのですが、その後、車に乗って、一か月余り、米国北部・カナダを走っている時にも、「わたしの羊を飼いなさい」というこのみことばが私の心から離れませんでした。





悔い改め




帰国後、私は教会で行われた二日間の修養会に参加しました。


一日目、主が今までにない光で私の心を照らし、私は我知らず涙を流していました。


それまで私は自分がそれなりに良い信仰者であり、夫であり、父であると思っていました。教会では長老職も担っていました。


しかし主の光に照らし出されてみた自分の姿は実に罪にまみれ、多くの咎を負っていたのです。


その日、私は家に帰り、妻と子供たちの前に行き、「私は良い夫ではなく、良い父親でもなかった。どうか私のことを赦してほしい」と謝りました。家族は突然の私の謝罪に、非常に驚いていました。


翌日、私はまた集会に参加しました。


説教者がマタイ28:18-20の大宣教命令の箇所からメッセージをしていました。


誇張ではなく、その時、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という御言葉が落雷のように私の魂を直撃しました。


「私はこれまでこの箇所を何百回読んだことだろう?それなのに、自分はこれまでこの箇所があたかも存在しないかのように生きてきたし、実質上、このみことばを無視してきたのだ。」


そのことに気づかされた私は泣きながら主イエスに赦しを乞い、祈りました。


すると、イエス様は、99匹の羊を置いてでも1匹の失われた羊をお探しになる――その心を私に表わしてくださったのです。


「主よ、私はあなたのその心を知りませんでした。あなたが探し求めておられる失われた羊たちを、私も探し求めていきたいです。」そう私は祈りました。




変化



それからの三週間というもの、私は絶えなる祈りと賛美の中にいました。


そして起業準備のためにオフィスに行っても、そこでもまた、ひたすら賛美し、聖書を読み、祈る、、という「普通ではない状態」が続きました。


また、私は大のゴルフ狂でした。そして毎日のようにゴルフ場に通っていたのですが、なぜかもう、それに対する愛好心自体もなくなってしまったのです。




献身



「主よ、私はどうすればよいのでしょうか?」私はIT会社起業という自分の計画を主の前に差し出し、祈りました。また教会の牧師にも相談に行きました。


するとやはり周囲の信仰者たちの心にも自分自身の心にも、フルタイムでの献身というのがみこころではないかということが示されました。


「主よ、私はもう若くはありません。しかしこれがあなたの召しでしたら、私はそれに従います。」


こうして私は三年課程の神学校牧師科に入学しました。




その2につづきます。





私はイラクのバグダッドにあるスンニ派の家庭に生まれました。


イラン・イラク戦争が勃発し、父が死にました。2003年、サダム・フセイン政権崩壊後、バグダッドではスンニ派とシーア派の激しい内戦が始まりました。


この間に、私の二人の兄が死に、学校時代の友だちも、三人を除く全員、殺されました。(生き残った友の一人は、現在、Sにおり、もう一人はB、もう一人は別の国にいます。)家族や友が殺されたという訃報を聞くたびに、私はものも食べられず、眠れない苦悶の夜を過ごしました。


父と兄二人を亡くした母は、その心痛から立ち直ることができず、数年前、後を追うように亡くなりました。妹二人は、他の地域に避難しました。


こうして私は、天涯孤独の身になりました。


☆☆


身寄りのない私は一人でトルコにやって来ました。


ある日、知り合いになったロシア人が私をキリスト教会に誘いました。私は教会の中にあるすべてのものに心休まるなにかを感じました。


2カ月後、私を教会に誘ってくれた友人は祖国に帰っていきましたが、私は引き続き、教会に通い続けました。


教会で私は、この世の次に訪れる、来世の世界についての消息を聞きました。


「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3、4)




それを聞いた時、私の心に希望が湧き上がってきました。


私は涙も、死も、殺し合いも、叫びも、苦しみもない世界がやがて来るということを約束している、この神の言葉に信仰を持ちたいと強く願いました。


自分の家族や友だちが、目の前で殺されるのを見るのは本当に辛いことです。でも、この世ではもう会えなくても、私は、あの世で愛する人々に再会したい。


こうして私はイエス・キリストを救い主として信じ、クリスチャンになりました。


☆☆


私はマズムール(詩篇)が好きです。それからルカの福音書、マタイの福音書、その他の福音書も好きです。


これからもっと聖書に親しみたいし、各巻の名称も覚え、すぐにページを繰ることができるようになりたいです。また自分の母国語でみことばを教えてくれる人が与えられるように祈っています。


殺し合いはもうたくさんです。聖書の神さまは愛です。


私は一人ぼっちで、身寄りのない者ですが、イエスさまの中で、お兄さんのような人に出会いました。


クリスチャンたちは、肌の色や人種に関係なく、皆ひとつで、お互いに愛し合っています。だから私は今、とても幸せです。


この証を読んでくださり、ありがとうございました。



マタイ5:3,4

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。







見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、

なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。


詩篇133:1




ハングルと日本語が見た目には違っていても、中身の文法や構造がおどろくほど似ているのと同じように、同じセム語ファミリーに属するヘブライ語とアラビア語も、とても共通点が多いといわれています。


ためしに下のショート・ビデオをご覧になってみてください。







私はこの楽しいVTRを見ながら、なんだかとっても心があたたかくなりました。


そして、イエスさまを救い主として信じる方々が、この両言語圏からさらに起こされ、そして両言語でもっともっと主の御名がほめたたえられていきますように、という祈りが心の底から湧き起こってきました。


今日は、Nelson Martin 作詞の How Great is Our God のヘブライ語バージョンと、アラビア語バージョンを、みなさんにご紹介したいと思います。

(各曲の後ろにはボキャブラリー・コーナーも設けましたので、そちらもご参照ください。)




ヘブライ語版





גדול אלוהי
שירו
כי גדול אלוהי
כל אחד יראה
כי גדול אלוהי


Gadol Elohai
Shiru
ki Gadol Elohai
Kol echad Yirei
Ki gadol Elohai


שם מְעַל כל שם
אותך ראוּי
להלל
ליבי ישיר כי
גדול אלוהי


Shem me'al kol shem
Otcha raui
le'halel
Libi yashir ki
gadol Elohai



ボキャブラリー:


Gadol Elohai(גדול אלוהי)―偉大な神
Kol(כל)―すべて
Yirei (יראה)―畏敬、awe、畏れ

Shem me'al kol shem(שם מְעַל כל שם)―すべての名にまさる御名
Otcha raui(אותך ראוּי)―(~を受けるに)ふさわしい、You are worthy
le'halel (להלל)―賛美



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*ヘブライ語は学び始めたばかりで、よく分からない表現が多く、そのため、上に挙げただけしか意味を調べることができませんでした。手抜きをしたわけじゃないんです。。ごめんなさい!






アラビア語版






1
الرب في علاه مكللاً ببهاء
Al-rab fi olah Mokalalan bebaha

عظيمُ القدرةِ شديدُ الرفعةِ
Atheem el-kodrati shadeed el-refate

يلتفُ بالمجدِ والظلمة تختفي
Yaltafo bel-magdi, wa al-zolma takhtafi

من وجهِ ذا الاله
Mn wageh tha el-Elah (x2)


عظيم يا الله كم انت عظيم يا الله
*Atheem ya Allah, Kam anta atheem ya Allah

كم انت عظيم .. عظيم يا الله
Kam anta atheem..atheem ya Allah




2
من جليل لجيل يملـُـكُ
Mn geel l-geel yamloko

والكلُ سيخضعُ
wa Alkolo sayakhdao

للألفُ والياء الكائن للابد
lelalef w al-ya, al-kaen lelabad

الآبُ السمائي الأبنُ السرمدي
Al-ab el-samaii, Alebn Elsarmadi

الروحُ الأزلي .. الروحُ الأزلي
Alroh Elazali.. Alroh Elazali

--------

انت مَلِكُ المُلوك مستحقٌ السجود
Anta Malek Elmolok, Mostakhek Elsogod

وستبصر العيون كم انت عظيم
wa Satobser el-aoioon, Kam anta atheem!




ボキャブラリー:


Mokalalan(مكللاً)-crowned
Atheem (عظيم)―偉大な
El-kodrate(القدرةِ)―力、能力

El-refate(الرفعةِ)―崇高、尊厳
Yaltafo bel-magdi(يلتفُ بالمجدِ)ー栄光に包まれる
Al-zolma takhtafi(الظلمة تختفي)―暗闇は消え去る

Mn wageh tha el-Elah(من وجهِ ذا الاله)―神の御顔
Kam anta atheem! (كم انت عظيم)―How great you are! あなたは何と偉大な方でしょう!


Ya Allah(يا الله)―おお、神よ。

(*クリスチャンの場合は、「おお、主よ!」という意味。Allahという語彙は、アラビア半島のあの特定宗教の「神」というイメージが強いのですが、言葉そのものとしては、英語のGod(god)と同じくニュートラルな単語であり、アラブ人クリスチャンの間は、このように日常的に使われています。)


Lel-alef w al-ya(للألفُ والياء)―アルファでありオメガ(初めであり終わり)
Al-ab el-samaii(الآبُ السمائي)―天の御父
Al-e-bn el-sarmadi(الأبنُ السرمدي)―永遠の御子

Al-rokh el-azali(الروحُ الأزلي)―とこしえの御霊
Anta Malek-el-molok(انت مَلِكُ المُلوك)―あなたは王の王
Mostakhek el-sogod(مستحقٌ السجود)―跪拝するにふさわしい





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Happy Norooz! (ペルシャのお正月は春分の日に当たります。)



「アラビア語とペルシャ語は、いったいどう違うんですか?」という外国人の問いは、

「日本語と中国語って、いったいどう違うんですか?」という外国人の問いにとても似ていると思います。


日本語も、中国語も、同じような文字(漢字)を使っています。

また「大学」「経済」など語彙の面でもお互いに通じる部分がそれなりに多いです。


しかし、中身をのぞくと、この二つの言語は、文法の仕組みが大きく異なっていることがわかります


例)

[日本語] 私は、大学に行きます。

[中国語] 我 去上大学。(Wǒ qù shàng dàxué)




日本語では、動詞(「行きます」)が最後に来ますが、中国語では、英語と同じく、主語のすぐ後に、動詞が来るシステム(I go to)なのです。

アラビア語とペルシャ語も、だいたいこんな感じの「近さ」と「遠さ」があると思っていただければいいと思います。


☆☆


違う語族ハウスに住んでいる



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まず、両者の基本的な違いは、「語族」にあります。


アラビア語が、セム語ファミリーに属するのに対し、

ペルシャ語は、インド・ヨーロッパ語ファミリーに属しています。




つまり、一つの語族を一つの「家」に例えるなら、アラビア語は、ヘブライ語、アラム語、フェニキア語、ウガリット語たちと一緒のハウスで生活しています。

それに対し、ペルシャ語は、英語、ドイツ語、北インド諸語(サンスクリット)など、おおざっぱに言えば、「ヨーロッパ系の言語たち」と一緒のハウスにいるのです。

さらに思い切って言えば、アラビア語は「中東系」、それに対するペルシャ語は「ヨーロッパ系」ということができると思います。註1



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「え?それなのに、なぜペルシャ語はアラビア文字なの?」と疑問に思う方がいらっしゃるかもしれません。





ああ、悲しき侵略




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7世紀 アラブ侵略



もともとペルシャ人たちは、アラビア語では文字を表記していませんでした。

ササーン朝ペルシャ(AD226-651)では、アラム文字から派生したパフラヴィー文字というのが使われていました。

またゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』は、6世紀にパフラヴィー文字に基づいて考案されたアヴェスター文字によって編集されました。

しかし7世紀に入り、アラブ半島でイスラム教が興り、その軍隊がペルシャにも、どどーと押し寄せてきたのです。

こうしてアラブ軍に征服されたペルシャは、その後、イスラーム帝国の一環として編入されていくことになりました。

また文学的にも、アラブ侵略後の200年は、「沈黙の二世紀」と呼ばれ、アラビア文字がオフィシャルな文字として強制されることとなりました。

ここの部分に対する理解はとても大切だと思います。

なぜなら、私たち日本人が中国から漢字を取り入れたのは、自らの意志によるものであったのに対し、ペルシャ人のアラビア文字・語彙採用は、侵略による「強制」であったからです。註2




三つの子音(Root)とテンプレート



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アラビア語とペルシャ語のもう一つの大きな違いはこれです。


アラビア語には、三つの子音(Root)システムがある。

でも、ペルシャ語にはそれがない。




アラビア語やヘブライ語といったセム語系の語のベースは、主として三つの子音です。

例えば、「書く」とか「本」とか、そういう類のことを表す単語のベースはアラビア語では、k+t+bです。(ヘブライ語ではk+t+v



書く  "to write" 

kataba (アラビア語)
katav (ヘブライ語)




そのようにしてアラビア語では、この三つの子音(Root)を、とっておきの「テンプレート」にはめ込んでいきながら、名詞や動詞を作っていきます!


Root                Template

1-2-3              a u u

                  a a tu




例えば、「学ぶ」ということを言い表すRootはd―r―sです。

では、それを右のテンプレートに入れ込んでみるとしましょう。そうすると、こうなります。


a d r u u s

はい、「アドルース」となりました。

そしてこれは、I will learn(=私は学びます)という意味になります。





Affix(接辞)で済ませる![ペルシャ語篇]



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一方のペルシャ語は、そういうテンプレート・システムを取らず、Rootの後ろにちょこちょこと接辞(affix)をくっつけていきながら、いろんな言葉を作っていきます。

親鳥のうしろをピヨピヨついていく、かわいいヒヨコを連想してください。


例)

Root            Affixのヒヨコたち

dan (知る)  
              danestan (知る to know)
              danesh (知識 knowledge)
              daneshmand(科学者 scientist)






おわりに



みなさん、どうですか。

アラビア語やペルシャ語が前よりも身近に感じられるようになりましたか?

「案外、楽しく学べるかも!よし、始めてみようかな?」とやる気になった兄弟姉妹、いらっしゃいますか?

もしそうなら、とてもうれしいです。


さっそくですが、


① アラビア語を始める気満々になった方はココをクリックしてください。


② ペルシャ語を始める気満々になった方はココをクリックしてください。





註1
アラビア語には、男性名詞・女性名詞がありますが、ペルシャ語にはありません。
 
註2 でも、成熟したペルシャ人クリスチャンは、こういう点でも、キリストによる赦しと和解の内に生きようとしており、アラブ人やアラビア語に対しても愛をもって接しています。




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美しいナスタリーク書体



中東のことばの世界を旅する中で気づかされるのが、この地域一帯に影響を及ぼしている二つのパワフルな言語の存在です。

その二つの言語とは、

1)アラビア語

2)ペルシャ語




です。アラビア語を東の横綱とするなら、ペルシャ語は西の横綱でしょう。

☆☆

数年前、私は、トルコから来たあるクルド難民の母子と、どうしてもコミュニケーションを取らなければならなくなりました。

このお母さんは、トルコ語とクルド・クルマンジー語の二語を解し、英語はまったく知りませんでした。

一方、私はトルコ語もクルマンジー語も解しませんでした。

つまり、彼女と私をつなぐ共通の言語は皆無だったのです。

☆☆

しかし女性難民シェルターのことで、どうしてもこの女性に詳細を説明しなければならず、私は途方にくれました。

そしてもがきつつ、ペルシャ語とアラビア語の単語をランダムに並べ立て、なんとか意思を伝えようとトライしてみたのです。

するとどうでしょう。

トルコ語とクルマンジー語の中にもやはり、アラビア語ないしペルシャ語の語彙が豊かに含まれていたらしく、けっこうまぐれ当たりで、彼女が「ああ、分かった!」と肯定的な反応をしてくれたのです!

また、ウルドゥー語(パキスタン)はもちろんですが、中東からはかなり離れた所に位置するバングラデシュのベンガル語の中にも、けっこうペルシャ語の借用語が含まれていることを知り、驚いたことがあります。

(*ちなみに、パキスタンという国の名称はペルシャ語の「paak=清い、clean」と「staan=state、州、場」の二語から成っており、clean state(清い国)という意味です。)


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☆☆

私は、北ヨーロッパの宣教学校にいた時分、自分がもしや中東ミッションに召されているのではないかということを知り、非常に恐れつつも、すぐさまアラビア文字の習得に取り掛かりました。

またちょうどその時、その学校には、エジプト人ミッショナリーの家族が滞在していました。

そこで私は、暇そうにうろうろしていた、そこの家の小さな男の子を捕まえ(笑)、その子から文字のネイティブ発音を学びました。

その後、ギリシャに遣わされたのですが、派遣先の教会では多くの方々がアラビア文字で書かれた聖書を使っておられました。

私はてっきりそれがアラビア語なのかと思ったのですが、訊いてみると、「いいえ、私たちはファルスィー語話者です」ときっぱり否定されました。

調べてみると、ファルスィー(Farsi)というのはペルシャ語のことだということが分かりました。

「ああ、アラビア語とペルシャ語っていうのは同じアラビア文字を使っているけど、やっぱり違う言語なんだ」とそこで初めて知ったのです。

(本当に私の中東理解というのはこの程度しかなかったのです!それでもなんとかなる、ということをみなさまに分かっていただけたらと思います。



アラビア語からペルシャ語に切り替える



こうして現地の言語ニーズに気づいた私は、アラビア語学習から今度はファルスィー語(ペルシャ語)にすばやく切り替えました。

私にとって幸いだったのは、アラビア語経由でペルシャ語に入ったので、両者のおおまかな違いや類似点を見い出すことができたことでした。

次につづく記事で、そういった点をみなさんとご一緒にみていけたらと思います。




おまけ


アラビア語とペルシャ語のひびきを味わってみよう!




↓これはアラビア語での「主の祈り」です。






↓こちらは、ペルシャ語での「主の祈り」です。






それから、下はPaul Wilbur作曲 For Your Name Is Holy のアラビア語バージョンおよびペルシャ語バージョンです。



① アラビア語版





② ペルシャ語版







みなさん、どうですか?

耳で聞いて、どんな印象を受けましたか。それぞれどんな響きがあるでしょう。

発音はむずかしそうですか。それとも、「案外スムーズになじめそう」って思われましたか。

みなさんの自由なご感想、お待ちしています。


もしも私たちの内に人々に対する十分な愛といつくしみの心があるのなら、――たといどんなに深い井戸の中に彼らがいようとも――私たちはなんらかの形で、彼らに話しかけ、対話する道を見い出すものである。

Frances A Schaeffer, The God Who Is There




ドイツの難民施設内で行なわれていた子ども集会に参加した時のことです。

8-9才くらいのアフガン人とみえる痩せた男の子が、眉間にしわを寄せ、思いつめたような表情で私の所にやって来、こう言い放ちました。

「ここにいる人たち(=クリスチャンの奉仕者たち)は皆、カーファルだから気を付けなきゃいけないってお母さんが言ってた。」

☆☆

カーファル(كفّار kuffār)というのはアラビア語で「未信者(非イスラム教徒)」を指す語です。

そして普通、ムスリムの人々が「○○は、カーファルだ」という時、そこには「背教者、不浄人、神の道を捨てた冒涜者」などの意が込められており、必ずマイナスの意味を伴っています。

つまり、これは一種の蔑視語であり、差別用語なのです。


しかしこの子の挑戦的で「失礼な」語調の奥には、あきらかに不安ととまどいの気持ちが見え隠れしていました。

イスラム教国のイスラム家庭で生まれ育ち、難民としてヨーロッパにやって来た一人の男の子。

これまで慣れ親しんできた環境を突然離れることになり、この子なりに「世界観の揺れ」のようなものを漠然と感じているんだろうなあ、かわいそうにいろいろ不安なんだろうなあ、となんだか不憫さと愛しさの入り混じったような気持ちになりました。


「ああ、そうなんだ。お母さんが、『あの人たちはカーファルだから気を付けなくちゃいけないって言ってるんだね。』」

「うん。」

「お名前は何ていうの?」

「モハンマド。」

「ねえ、モハンマド君、カーファルってさ、神さまの道を捨てた人のことだよね?」

「うん。」

「そして、神さまの道を捨てた人っていうのは、神さまが嫌いな人だよね?」

「うん。」


「でも、ほら、見て。あそこにいるお姉ちゃんたち(=奉仕者たち)はさ、『神さま大好き』っていつも歌ってるよね?そして毎週、ここに来て、神さまのお話をしてる。

モハンマド君、どう思う?神さまが大好きなお姉ちゃんたちは、ほんとうに『カーファル』なのかな?そのことを一緒に考えてみない?」


(モハンマド君、黙ってじっと考えている。)


モ:(しばらく考えた後で)「でも、やっぱり、お姉ちゃんたちはさー、モサルムーン(muslimūn (مسلمون):ムスリム)じゃないんでしょ?」

私:「モハンマド君、『モサルムーン』ってどういう意味か知ってる?」


(モハンマド君、首を横に振る。)


私:「えーとね、モサルムーンっていうのはね、アラビア語で、『神様に従う人』っていう意味なんだよ。

それで、私はモハンマド君に、ひとつ訊きたいことがあるんだ。

ここにいるお姉ちゃんたち皆、心から神様を愛して、そしてモハンマド君たちを愛している。

それはね、お姉ちゃんたちが、神様に従いたいって思ってるからなんだよ。

その一方で、口先だけ、『僕たちはモサルムーンだ』って言いながら、いつも嘘ばかりついて、家ではお母さんや子ども達を殴ったり叩いたり、他の男の人たちとけんかばかりしている人たちもいるよね?

それじゃあ、どうだろう?

神さまの目に、どっちが本当の「モサルムーン」なんだろうか?

そこらへんのことも、モハンマド君、よーく考えてみて。」


おわりに


イエスさまは、天から来られ、天のすべての奥義に通じておられる方でした。

私にとって感動的なのは、そうであるにも関わらず、イエスさまは、むずかしい抽象用語ではなく、「種」とか「鳥」とか「パン種」とか「野花」とか、私たちに分かることばで真理を語ってくださったことです。

異文化・異宗教の人々の間に入って行き、福音を伝えるよう召されている私たちも、やはりイエスさまのこの心をもち、彼らの世界観やメンタリティーを理解しようと努めつつ、彼らに分かることばでイエスさまの愛を伝えたいと願います。

それは困難な道です。

しかし、真実に人を愛する「愛」は、海を越え、山を越え、険しい渓谷を越え、相手の心に通じる「道」を見い出そうと、今日も、血にそまった御手をさしのべておられると思います。

どうか私たち一人一人がその愛を運ぶ、小さな器となりますように。





付録です


今、アフガン人難民の子どもたちの間で、とっても人気のある賛美の歌を一つご紹介します。

なぜ彼らがこれほどこの賛美を好きなのか理由はよく分かりませんが、ムスリムの子であろうと、クリスチャンの子であろうと、とにかくみんな、この賛美が大好きです!

そして何百人という子どもたちが、すでにこの賛美を丸ごと覚えているんです!







عیسی منجی من
(♫イッサー、モンジエ マン=「イエス、私の救い主」)



.イッサー モンジエ マン
シャバーネ ニークイェ マン
ハフェゼ ジャーネ マン
トイ ガムハーレー マン (X2)

イエス 私の救い主
私の良い羊飼い
私の魂の守り主
私の悲しみを背負ってくださる方。



*トイ ヤーヴァレー マン
ト マダット カーレ マン
トイ アン サフレイェ オストヴァーレ マン (X2)


あなたは 私を支えてくださる方。
私の助け主。
私の堅い岩であられる方。




.トー フルーゲ ジャハーン
アーボ ハヤ―テ ザマーン
トー アザーリ ハスティー
アバディー ジャーヴェダーン (X2)

あなたは世界の光。
私たちの生ける水、そしていのち。
[創造の]初めからおられる方
あなたは永遠のお方。




楽譜です↓
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昨日、難民施設にいる求道者の家族を訪問しました。

カスピ海近くに住むトルコ系アゼリ族の一家です。

(*民族学的には、Iranian Azeris, Iranian Turks, Azeri Turks, Azerbaijani Turks等の名称で呼ばれています。)


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この地図の水色の部分がアゼリ族の住む領域です。アゼリ族は、一言でいうと、中東版「関西お笑い系の人々」です。ぼけと突っ込みというスタンスもちゃんと存在しています!他の民族も、アゼリ族に関するおもしろいジョークをたくさん作っています。でもそれを聞いて本人たちも一緒になって笑っているので、特に気にしてはいないようです。とにかく愉快で、おもしろい人たちがこの地域には結集しています。


中に入ると、四畳ほどの薄暗い小さなプレハブに、絨毯代りの厚布が敷かれてありました。「アッサラーム・アレイクム」(=アラビア語で「こんにちは。」の意)とあいさつを交わしながら、そこの床に円座になって座りました。

アフガン族もそうですが、アゼリ族もまた、絨毯の上で円座になってチャイを飲み、食事時にはその場に清潔なシート(sofreh)をひいて、食事を共にするという旧来の慣習を今も保持している家庭が多いです。

地べたで食事をするというのはなかなか楽しいです。さながら、家の中で秋の大運動会が繰り広げられているような――そんなウキウキ感があって私は好きです。


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こんな感じで食事をいただきます。楽しそうですよね!source


私の主人が聖書のメッセージを語り始めると、他のプレハブにいた別のアゼリ族一家もやって来て、小さな部屋は大人や子どもで足の踏み場もないほどぎゅうぎゅう詰めになりました。

その間も、奥さんは、チャイを温め、お茶菓子を出し、果物の皮をむき、それを小さく刻んでは無理にでも私に食べさせようとし(笑)、本当にホットなもてなしぶりです。

☆☆

本質が日常の中に生きている世界


その日は、ある奥さんが「一体この世のどこに神の義があるのですか?」という問いかけをしたことから、例によって皆、熱くなり、わいわいがやがや、「イスラム教的にはーーだと思う」とか「キリスト教の聖典にはどう書いてあるですか?」など、とにかくエキサイティングな分かち合いの時となりました。

例えば、私たち日本人クリスチャンが、「義(righteousness)」という言葉に触れるのは、聖書や信仰書を読む時か、主日礼拝で説教を聞く時くらいしかないのが現状ではないかと思います。

その他、「主権」「意志」「律法」「罪」といった概念も、神学的には議論されても、お茶の間ではまず聞かれない抽象的な語ではないかと思います。

例えば、私が山田さんの家に招かれたとします。畳に腰を下ろし、虎屋の羊羹(ようかん)をいただき、緑茶を一口すすった私は、おもむろに彼女にこう言いました。

「やっぱり虎屋のお茶菓子はおいしいですね。ところで、山田さん、『神の主権と人間の自由意志』について、山田さんは普段、どのようにお考えですか?」

山田さんが未信者の方ならこの時点でもう度肝を抜かれ、言葉を失っておられると思います。しかし仮に山田さんがクリスチャンだったとしても、やはり、いきなりこういう話題を振られては、とまどってしまうのが普通ではないかと思います。

しかし、ここミドル・イースト・ワールドは、こういった「普通でないこと」が「普通」で「日常的なもの」としてすんなり受け入れられている実に不思議な世界なんです!

ですから、例えば、ファーテマさんというムスリマの女性の家に私が招かれたとします。


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チャイとバクラヴァ

絨毯の上に腰を下ろし、バクラヴァ(بقلاوة 〔baqlāwa〕)をいただき、チャイを一口すすった私は、おもむろに彼女にこう言いました。

「おもてなしありがとうございます。ところで、ファーテマさん、『神の主権と人間の自由意志』について、ファーテマさんは普段、どのようにお考えですか?」

そうすると、ファーテマさんは大きな目を天井に向け、しばらく考えてから、話し始めます。「そうですねぇー、私の中では、、、、」

☆☆

実際、昨日、私はアゼリ族のみなさんに、「今、私は、『神の主権と人間の自由意志』についていろいろ考えているんです。このテーマをめぐっては、クリスチャンの間でも1000年以上に渡り議論がなされています」というような事を正直にお話しました。

すると、皆、このテーマにかなりの関心を示し、それについて考え、話したがっていました。

つまり、彼らにとって、こういった話題は、「抽象的な神学議論」では全くなく、むしろ「お茶の間のホットな会話」なのです!

特に、私たちのような外国人の宣教者が何かをシェアすると、皆、目を輝かせ、「この外国人は一体何を言い出すんだろう?」といった純粋な好奇心をもって話に聞き入ります。


エール


そこで私は、今後、このフィールドで働くよう主の召しを受けている兄弟姉妹に励ましの一言とエールを送ります。

「このフィールドは困難も多いですが、それに勝る感動といのちの躍動があります。

あなたの人生に新たな世界が注入されます。

ですから迷わずにその召しに従い、起き立ってください。

神様はあなたと共におられます!」



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中東の人々を熱く愛していくために






愛する兄弟姉妹のみなさん、お久しぶりです。

最後に投稿したのは春の時期でしたのに、今はもう辺り一面、緑の輝きにあふれる初夏の季節となりました。その間、いかがお過ごしでしたか?お変わりはありませんか。

さて、私たちは、ギリシャで信仰を持ち、その後、北ヨーロッパ各地に散っていった兄弟姉妹ひとりひとりの元を訪ね、キャラバン隊のように何千キロと廻りめぐりながら、村々、町々を移動していました。

良い地に蒔かれ、今や60倍、100倍の実を結んでいる友、病や家庭問題に苦しむ友、この世の誘惑にひきずられそうになっている友、懸命に試練を乗り越えようとしている友、プロテスタント教会のさまざまな教えに混乱している友、モスレムの隣人たちに昼となく夜となく福音を伝えている友など、、

さまざまな人生の局面に置かれている兄弟姉妹と再会できたことは、私にとって何よりの喜びでした。


ベルギーでの出会い


ベルギーやドイツなど、各地で真実に主を愛し仕えているすばらしい信仰者たちとの出会いも主は私たちに与えてくださいました。

ブリュッセルのカトリック大聖堂。こういったいのちのない魂の抜け殻のような「建物」の前で多くの観光客が記念写真を撮っていました。がっくりとうちひしがれ、私は広場の真ん中で祈りました。

「おお主よ、あなたはどこにおられますか?背教が進み、急速にイスラム化しつつあるこの地において、どうか生けるあなたの教会を見させてください。」

すると、その日のうちに、主は、燃えるような純粋な信仰を持つ一人の若いベルギー人姉妹の元に私たちを導いてくださったのです。そして彼女を激励するよう主は私たちの口に言葉を与えてくださいました。


主を愛するクルド人の少女との出会い


またあるクルド人の難民家庭で、小学校5年生の女の子に出会いました。

その子は同世代のどの子とも「違ったスピリット」を宿しており――霊的に決して健全とは言えない家庭環境の中で――こども用聖書を一心に読み、イエス様のことや聖書のことについても私に多くの質問をしてきました。そして疑問点や感想などを自作のバイブル・ノートにたんねんに記録していました。


アフガン人の兄弟姉妹


また、ある難民キャンプでは、迫害のためにカブールから逃げてきたアフガン人の家族と共に賛美をし、救いの証をきき、互いに祈り合う時を持つ恵みにあずかりました。

彼らはイエス様を信じた時以来、家族・親戚から絶縁され、難民キャンプ内でも同国人たちから村八分にされ、不浄人扱いされていました。読み書きのほとんどできない彼らのシンプルで一途な信仰に私は感動しました。

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(ルカ18:17)というイエスさまの御言葉がまことに真であることを改めて思い知らされました。


無神論者Fさんとの対話


R兄の難民施設を訪れた時、そこに一人の若い大学研究者(亡命者)がいて、私たちとの対話を求めてこられました。

この人(Fさん)は、大学でイスラム神学を専攻し(B.A)、博士課程では西洋哲学を修め、その後、つい最近まで母国の大学でハイデッガーやフッサールの現象学を教えていたそうです。

しかし、院生時代にイスラム教を棄教し、無神論者になり、それを公言し始めたことから大学のイスラム当局ににらまれるところとなり、ついに身の危険が迫り、職も地位も何もかも捨てて亡命してきたそうです。

(実際、何千何万というFさんのような、いわゆる「自由思想家」が投獄され、ひどい拷問を受けた末に処刑されてきました。神政政治のなされているこの国で「神はいない」と意見を表明することは重大な犯罪行為とされているからです。)

ですから、この国で無神論者として生きることは、一般の日本人が「えーと、うちは無宗教ですから、、」と言うのとは意味も深刻さも全く違います。こういう人たちは、まさに命がけで「神はいない」という「信仰」を表明し、そこに彼らなりの論理の一貫性と真理を見いだそうとしているのです。

Fさんはまた、アウグスティヌスやトマス・アクィナスの「正義の戦争論」(Just war theory)からブッシュ政権を支持していた福音右派の神学に至るまで熟知しておられ、「そのようなキリスト教神学をバックボーンとしているあなたがたが、『イスラム教は暴力の宗教だ』と批判するのはお門違いではありませんか?

キリスト教の歴史を見てください。まさしく血と暴力に染まった歴史ではありませんか。しかしこう私が言うと、クリスチャンたちは『いや、十字軍を起こした人たちなどは真のクリスチャンではないのです』と反論します。

一方、イスラム教徒たちも、過激派のテロ行為のことなどを批判されると、『いや、あの人たちは真のムスリムではないのです。』と反論してきます。結局のところ、どちらも五十歩百歩です。」

私たちはこの点における彼のキリスト教批判を正しいと認めつつ、これまで歴史の表舞台にこそ登場してこなかったけれども、イエス様の山上の垂訓に文字通り従おうとしてきた一群のキリスト者の群れが、この2000年余り、常に存在してきたもう一つの史実について彼に例証することができました。

こうして私たちは夜を徹して話し合いを続けました。この人は、無神論者を公言しながら、その実、まことに真摯なる真理の探究者であり、求道者でした。

彼の言葉からは「神よ、もしあなたが存在するなら、それを私に示してください」という魂の切なるうめきが痛いほど感じられました。Fさんとの真剣な対話を通して私が教えられたのは、クリスチャンを自称しながら、実際には神がいないかのように振る舞い偽善の内に生きることは、場合によっては無神論者以上に罪深いあり方なのかもしれない、ということでした。

「スーフィーたちの中には、イエス・キリストを髣髴させるような人物が実際にいました。しかし私はこれまで本物のキリスト教徒に出会ったことはありません。」という彼の言葉も私の心を刺しました。

内在するキリストの光が自分の不信仰や悔い改めていない罪によって未だに塞がれていることが示されたからです。主よ、どうか光の中を歩ませてください。


神の国はここにある


ある時には梯子を上って屋根裏部屋に寝たり、小さな一部屋に難民家族とぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝をしたりしました。

それぞれが皆個室とパソコンを持ち、快適ではあっても心がばらばらになりがちな現代社会にあって、こういう風に私たちを迎えてくれる貧しい兄弟姉妹たちのもてなし(hospitality)と愛は、私にとって何よりの精神の滋養、心の糧となりました。

貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから(ルカ6:20)。



現代は効率と実用主義万能の時代です。

各種ミニストリ―もせわしく活動に従事し、洗礼者数をアップさせるべくさまざまな方法論が導入されています。

一方、難民の側でも、「バハーイー教徒の会員証をゲットする方が難民認定されやすいのか、それともキリスト教会のパステスマ証明書をゲットする方が申請には有利に働くのだろうか?」といった、耳を塞ぎたくなるような打算的な会話もしばし聞こえてきます。


そうです、主イエス。
私たちが唯一恐れなければならないのは、この世です。


もし私の感覚が外側の事がらにかき立てられるのなら、

わが霊は、すぐに
痛んでしまいます。


今、私はあなたの元に戻ります。
わが小さな庵の中に。


そうすれば、全き静寂の内に、
私は汝の平安を味わうでしょう。


G.Tersteegen, In Jesus alone will you find peace
私訳



テロの脅威も、爆発的な洗礼者「数」の上昇も、「センセーショナル」な宣教レポートも、いずれも外側に属することがらです。それらは表面にしばらく現われては消えていくさざ波に過ぎません。

それらは私たちを必要以上におびえさせたり、また逆に私たちの肉を有頂天にさせたりしますが、いずれも一時的なものです。

本質的なものは内にあり、キリストの「内」にあることを常に覚えていたいです。

あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます(詩145:13)。



やがて「木、草、わら」(1コリ3:12)が火によって焼かれる日が来ることを聖書は明らかにしています。どうか真実なものだけが残りますように。

主の教会を汚すいっさいの不純物やまがいものが聖なる主の御力によって淘汰されていきますように。重苦しく厚い雲を突きぬけ、輝かしい主の栄光の一条の光を私たちが垣間見ることができますように。

主よ、あなたの御顔を私は慕い求めます(詩27:8b)。




わたしが求めているのはただあなただけです。
あなたは今日、ひどく辱められています。

おお主よ、あなたの御傍にとどまり続ける者とされたいです。

苦しみの中にあってもあなたに忠実であることを通し、
あなたに対するわが愛を証しさせてください。アーメン。


-M.Martyria
私訳





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