私はイラクのバグダッドにあるスンニ派の家庭に生まれました。


イラン・イラク戦争が勃発し、父が死にました。2003年、サダム・フセイン政権崩壊後、バグダッドではスンニ派とシーア派の激しい内戦が始まりました。


この間に、私の二人の兄が死に、学校時代の友だちも、三人を除く全員、殺されました。(生き残った友の一人は、現在、Sにおり、もう一人はB、もう一人は別の国にいます。)家族や友が殺されたという訃報を聞くたびに、私はものも食べられず、眠れない苦悶の夜を過ごしました。


父と兄二人を亡くした母は、その心痛から立ち直ることができず、数年前、後を追うように亡くなりました。妹二人は、他の地域に避難しました。


こうして私は、天涯孤独の身になりました。


☆☆


身寄りのない私は一人でトルコにやって来ました。


ある日、知り合いになったロシア人が私をキリスト教会に誘いました。私は教会の中にあるすべてのものに心休まるなにかを感じました。


2カ月後、私を教会に誘ってくれた友人は祖国に帰っていきましたが、私は引き続き、教会に通い続けました。


教会で私は、この世の次に訪れる、来世の世界についての消息を聞きました。


「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3、4)




それを聞いた時、私の心に希望が湧き上がってきました。


私は涙も、死も、殺し合いも、叫びも、苦しみもない世界がやがて来るということを約束している、この神の言葉に信仰を持ちたいと強く願いました。


自分の家族や友だちが、目の前で殺されるのを見るのは本当に辛いことです。でも、この世ではもう会えなくても、私は、あの世で愛する人々に再会したい。


こうして私はイエス・キリストを救い主として信じ、クリスチャンになりました。


☆☆


私はマズムール(詩篇)が好きです。それからルカの福音書、マタイの福音書、その他の福音書も好きです。


これからもっと聖書に親しみたいし、各巻の名称も覚え、すぐにページを繰ることができるようになりたいです。また自分の母国語でみことばを教えてくれる人が与えられるように祈っています。


殺し合いはもうたくさんです。聖書の神さまは愛です。


私は一人ぼっちで、身寄りのない者ですが、イエスさまの中で、お兄さんのような人に出会いました。


クリスチャンたちは、肌の色や人種に関係なく、皆ひとつで、お互いに愛し合っています。だから私は今、とても幸せです。


この証を読んでくださり、ありがとうございました。



マタイ5:3,4

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。






スポンサーサイト


見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、

なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。


詩篇133:1




ハングルと日本語が見た目には違っていても、中身の文法や構造がおどろくほど似ているのと同じように、同じセム語ファミリーに属するヘブライ語とアラビア語も、とても共通点が多いといわれています。


ためしに下のショート・ビデオをご覧になってみてください。







私はこの楽しいVTRを見ながら、なんだかとっても心があたたかくなりました。


そして、イエスさまを救い主として信じる方々が、この両言語圏からさらに起こされ、そして両言語でもっともっと主の御名がほめたたえられていきますように、という祈りが心の底から湧き起こってきました。


今日は、Nelson Martin 作詞の How Great is Our God のヘブライ語バージョンと、アラビア語バージョンを、みなさんにご紹介したいと思います。

(各曲の後ろにはボキャブラリー・コーナーも設けましたので、そちらもご参照ください。)




ヘブライ語版





גדול אלוהי
שירו
כי גדול אלוהי
כל אחד יראה
כי גדול אלוהי


Gadol Elohai
Shiru
ki Gadol Elohai
Kol echad Yirei
Ki gadol Elohai


שם מְעַל כל שם
אותך ראוּי
להלל
ליבי ישיר כי
גדול אלוהי


Shem me'al kol shem
Otcha raui
le'halel
Libi yashir ki
gadol Elohai



ボキャブラリー:


Gadol Elohai(גדול אלוהי)―偉大な神
Kol(כל)―すべて
Yirei (יראה)―畏敬、awe、畏れ

Shem me'al kol shem(שם מְעַל כל שם)―すべての名にまさる御名
Otcha raui(אותך ראוּי)―(~を受けるに)ふさわしい、You are worthy
le'halel (להלל)―賛美



screen320x48020160804.jpg

*ヘブライ語は学び始めたばかりで、よく分からない表現が多く、そのため、上に挙げただけしか意味を調べることができませんでした。手抜きをしたわけじゃないんです。。ごめんなさい!






アラビア語版






1
الرب في علاه مكللاً ببهاء
Al-rab fi olah Mokalalan bebaha

عظيمُ القدرةِ شديدُ الرفعةِ
Atheem el-kodrati shadeed el-refate

يلتفُ بالمجدِ والظلمة تختفي
Yaltafo bel-magdi, wa al-zolma takhtafi

من وجهِ ذا الاله
Mn wageh tha el-Elah (x2)


عظيم يا الله كم انت عظيم يا الله
*Atheem ya Allah, Kam anta atheem ya Allah

كم انت عظيم .. عظيم يا الله
Kam anta atheem..atheem ya Allah




2
من جليل لجيل يملـُـكُ
Mn geel l-geel yamloko

والكلُ سيخضعُ
wa Alkolo sayakhdao

للألفُ والياء الكائن للابد
lelalef w al-ya, al-kaen lelabad

الآبُ السمائي الأبنُ السرمدي
Al-ab el-samaii, Alebn Elsarmadi

الروحُ الأزلي .. الروحُ الأزلي
Alroh Elazali.. Alroh Elazali

--------

انت مَلِكُ المُلوك مستحقٌ السجود
Anta Malek Elmolok, Mostakhek Elsogod

وستبصر العيون كم انت عظيم
wa Satobser el-aoioon, Kam anta atheem!




ボキャブラリー:


Mokalalan(مكللاً)-crowned
Atheem (عظيم)―偉大な
El-kodrate(القدرةِ)―力、能力

El-refate(الرفعةِ)―崇高、尊厳
Yaltafo bel-magdi(يلتفُ بالمجدِ)ー栄光に包まれる
Al-zolma takhtafi(الظلمة تختفي)―暗闇は消え去る

Mn wageh tha el-Elah(من وجهِ ذا الاله)―神の御顔
Kam anta atheem! (كم انت عظيم)―How great you are! あなたは何と偉大な方でしょう!


Ya Allah(يا الله)―おお、神よ。

(*クリスチャンの場合は、「おお、主よ!」という意味。Allahという語彙は、アラビア半島のあの特定宗教の「神」というイメージが強いのですが、言葉そのものとしては、英語のGod(god)と同じくニュートラルな単語であり、アラブ人クリスチャンの間は、このように日常的に使われています。)


Lel-alef w al-ya(للألفُ والياء)―アルファでありオメガ(初めであり終わり)
Al-ab el-samaii(الآبُ السمائي)―天の御父
Al-e-bn el-sarmadi(الأبنُ السرمدي)―永遠の御子

Al-rokh el-azali(الروحُ الأزلي)―とこしえの御霊
Anta Malek-el-molok(انت مَلِكُ المُلوك)―あなたは王の王
Mostakhek el-sogod(مستحقٌ السجود)―跪拝するにふさわしい





esauandjacobreconciliation.png







6cf859ad053032d6cba90d558398445c20160802.jpg
Happy Norooz! (ペルシャのお正月は春分の日に当たります。)



「アラビア語とペルシャ語は、いったいどう違うんですか?」という外国人の問いは、

「日本語と中国語って、いったいどう違うんですか?」という外国人の問いにとても似ていると思います。


日本語も、中国語も、同じような文字(漢字)を使っています。

また「大学」「経済」など語彙の面でもお互いに通じる部分がそれなりに多いです。


しかし、中身をのぞくと、この二つの言語は、文法の仕組みが大きく異なっていることがわかります


例)

[日本語] 私は、大学に行きます。

[中国語] 我 去上大学。(Wǒ qù shàng dàxué)




日本語では、動詞(「行きます」)が最後に来ますが、中国語では、英語と同じく、主語のすぐ後に、動詞が来るシステム(I go to)なのです。

アラビア語とペルシャ語も、だいたいこんな感じの「近さ」と「遠さ」があると思っていただければいいと思います。


☆☆


違う語族ハウスに住んでいる



cartoon-dog-house20160802.jpg



まず、両者の基本的な違いは、「語族」にあります。


アラビア語が、セム語ファミリーに属するのに対し、

ペルシャ語は、インド・ヨーロッパ語ファミリーに属しています。




つまり、一つの語族を一つの「家」に例えるなら、アラビア語は、ヘブライ語、アラム語、フェニキア語、ウガリット語たちと一緒のハウスで生活しています。

それに対し、ペルシャ語は、英語、ドイツ語、北インド諸語(サンスクリット)など、おおざっぱに言えば、「ヨーロッパ系の言語たち」と一緒のハウスにいるのです。

さらに思い切って言えば、アラビア語は「中東系」、それに対するペルシャ語は「ヨーロッパ系」ということができると思います。註1



persian-farsi-language-and-alphabet-6-72820160802.jpg



「え?それなのに、なぜペルシャ語はアラビア文字なの?」と疑問に思う方がいらっしゃるかもしれません。





ああ、悲しき侵略




iranjihad1.jpg
7世紀 アラブ侵略



もともとペルシャ人たちは、アラビア語では文字を表記していませんでした。

ササーン朝ペルシャ(AD226-651)では、アラム文字から派生したパフラヴィー文字というのが使われていました。

またゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』は、6世紀にパフラヴィー文字に基づいて考案されたアヴェスター文字によって編集されました。

しかし7世紀に入り、アラブ半島でイスラム教が興り、その軍隊がペルシャにも、どどーと押し寄せてきたのです。

こうしてアラブ軍に征服されたペルシャは、その後、イスラーム帝国の一環として編入されていくことになりました。

また文学的にも、アラブ侵略後の200年は、「沈黙の二世紀」と呼ばれ、アラビア文字がオフィシャルな文字として強制されることとなりました。

ここの部分に対する理解はとても大切だと思います。

なぜなら、私たち日本人が中国から漢字を取り入れたのは、自らの意志によるものであったのに対し、ペルシャ人のアラビア文字・語彙採用は、侵略による「強制」であったからです。註2




三つの子音(Root)とテンプレート



Learn-arabic-cartoon20160802.jpg




アラビア語とペルシャ語のもう一つの大きな違いはこれです。


アラビア語には、三つの子音(Root)システムがある。

でも、ペルシャ語にはそれがない。




アラビア語やヘブライ語といったセム語系の語のベースは、主として三つの子音です。

例えば、「書く」とか「本」とか、そういう類のことを表す単語のベースはアラビア語では、k+t+bです。(ヘブライ語ではk+t+v



書く  "to write" 

kataba (アラビア語)
katav (ヘブライ語)




そのようにしてアラビア語では、この三つの子音(Root)を、とっておきの「テンプレート」にはめ込んでいきながら、名詞や動詞を作っていきます!


Root                Template

1-2-3              a u u

                  a a tu




例えば、「学ぶ」ということを言い表すRootはd―r―sです。

では、それを右のテンプレートに入れ込んでみるとしましょう。そうすると、こうなります。


a d r u u s

はい、「アドルース」となりました。

そしてこれは、I will learn(=私は学びます)という意味になります。





Affix(接辞)で済ませる![ペルシャ語篇]



2a3ee962f70be9cea2cc806aee38f4b620160802.jpg




一方のペルシャ語は、そういうテンプレート・システムを取らず、Rootの後ろにちょこちょこと接辞(affix)をくっつけていきながら、いろんな言葉を作っていきます。

親鳥のうしろをピヨピヨついていく、かわいいヒヨコを連想してください。


例)

Root            Affixのヒヨコたち

dan (知る)  
              danestan (知る to know)
              danesh (知識 knowledge)
              daneshmand(科学者 scientist)






おわりに



みなさん、どうですか。

アラビア語やペルシャ語が前よりも身近に感じられるようになりましたか?

「案外、楽しく学べるかも!よし、始めてみようかな?」とやる気になった兄弟姉妹、いらっしゃいますか?

もしそうなら、とてもうれしいです。


さっそくですが、


① アラビア語を始める気満々になった方はココをクリックしてください。


② ペルシャ語を始める気満々になった方はココをクリックしてください。





註1
アラビア語には、男性名詞・女性名詞がありますが、ペルシャ語にはありません。
 
註2 でも、成熟したペルシャ人クリスチャンは、こういう点でも、キリストによる赦しと和解の内に生きようとしており、アラブ人やアラビア語に対しても愛をもって接しています。




nastaliq20160802.jpg
美しいナスタリーク書体



中東のことばの世界を旅する中で気づかされるのが、この地域一帯に影響を及ぼしている二つのパワフルな言語の存在です。

その二つの言語とは、

1)アラビア語

2)ペルシャ語




です。アラビア語を東の横綱とするなら、ペルシャ語は西の横綱でしょう。

☆☆

数年前、私は、トルコから来たあるクルド難民の母子と、どうしてもコミュニケーションを取らなければならなくなりました。

このお母さんは、トルコ語とクルド・クルマンジー語の二語を解し、英語はまったく知りませんでした。

一方、私はトルコ語もクルマンジー語も解しませんでした。

つまり、彼女と私をつなぐ共通の言語は皆無だったのです。

☆☆

しかし女性難民シェルターのことで、どうしてもこの女性に詳細を説明しなければならず、私は途方にくれました。

そしてもがきつつ、ペルシャ語とアラビア語の単語をランダムに並べ立て、なんとか意思を伝えようとトライしてみたのです。

するとどうでしょう。

トルコ語とクルマンジー語の中にもやはり、アラビア語ないしペルシャ語の語彙が豊かに含まれていたらしく、けっこうまぐれ当たりで、彼女が「ああ、分かった!」と肯定的な反応をしてくれたのです!

また、ウルドゥー語(パキスタン)はもちろんですが、中東からはかなり離れた所に位置するバングラデシュのベンガル語の中にも、けっこうペルシャ語の借用語が含まれていることを知り、驚いたことがあります。

(*ちなみに、パキスタンという国の名称はペルシャ語の「paak=清い、clean」と「staan=state、州、場」の二語から成っており、clean state(清い国)という意味です。)


220px-Khatt-e_Nastaliq20160802.jpg


☆☆

私は、北ヨーロッパの宣教学校にいた時分、自分がもしや中東ミッションに召されているのではないかということを知り、非常に恐れつつも、すぐさまアラビア文字の習得に取り掛かりました。

またちょうどその時、その学校には、エジプト人ミッショナリーの家族が滞在していました。

そこで私は、暇そうにうろうろしていた、そこの家の小さな男の子を捕まえ(笑)、その子から文字のネイティブ発音を学びました。

その後、ギリシャに遣わされたのですが、派遣先の教会では多くの方々がアラビア文字で書かれた聖書を使っておられました。

私はてっきりそれがアラビア語なのかと思ったのですが、訊いてみると、「いいえ、私たちはファルスィー語話者です」ときっぱり否定されました。

調べてみると、ファルスィー(Farsi)というのはペルシャ語のことだということが分かりました。

「ああ、アラビア語とペルシャ語っていうのは同じアラビア文字を使っているけど、やっぱり違う言語なんだ」とそこで初めて知ったのです。

(本当に私の中東理解というのはこの程度しかなかったのです!それでもなんとかなる、ということをみなさまに分かっていただけたらと思います。



アラビア語からペルシャ語に切り替える



こうして現地の言語ニーズに気づいた私は、アラビア語学習から今度はファルスィー語(ペルシャ語)にすばやく切り替えました。

私にとって幸いだったのは、アラビア語経由でペルシャ語に入ったので、両者のおおまかな違いや類似点を見い出すことができたことでした。

次につづく記事で、そういった点をみなさんとご一緒にみていけたらと思います。




おまけ


アラビア語とペルシャ語のひびきを味わってみよう!




↓これはアラビア語での「主の祈り」です。






↓こちらは、ペルシャ語での「主の祈り」です。






それから、下はPaul Wilbur作曲 For Your Name Is Holy のアラビア語バージョンおよびペルシャ語バージョンです。



① アラビア語版





② ペルシャ語版







みなさん、どうですか?

耳で聞いて、どんな印象を受けましたか。それぞれどんな響きがあるでしょう。

発音はむずかしそうですか。それとも、「案外スムーズになじめそう」って思われましたか。

みなさんの自由なご感想、お待ちしています。


もしも私たちの内に人々に対する十分な愛といつくしみの心があるのなら、――たといどんなに深い井戸の中に彼らがいようとも――私たちはなんらかの形で、彼らに話しかけ、対話する道を見い出すものである。

Frances A Schaeffer, The God Who Is There




ドイツの難民施設内で行なわれていた子ども集会に参加した時のことです。

8-9才くらいのアフガン人とみえる痩せた男の子が、眉間にしわを寄せ、思いつめたような表情で私の所にやって来、こう言い放ちました。

「ここにいる人たち(=クリスチャンの奉仕者たち)は皆、カーファルだから気を付けなきゃいけないってお母さんが言ってた。」

☆☆

カーファル(كفّار kuffār)というのはアラビア語で「未信者(非イスラム教徒)」を指す語です。

そして普通、ムスリムの人々が「○○は、カーファルだ」という時、そこには「背教者、不浄人、神の道を捨てた冒涜者」などの意が込められており、必ずマイナスの意味を伴っています。

つまり、これは一種の蔑視語であり、差別用語なのです。


しかしこの子の挑戦的で「失礼な」語調の奥には、あきらかに不安ととまどいの気持ちが見え隠れしていました。

イスラム教国のイスラム家庭で生まれ育ち、難民としてヨーロッパにやって来た一人の男の子。

これまで慣れ親しんできた環境を突然離れることになり、この子なりに「世界観の揺れ」のようなものを漠然と感じているんだろうなあ、かわいそうにいろいろ不安なんだろうなあ、となんだか不憫さと愛しさの入り混じったような気持ちになりました。


「ああ、そうなんだ。お母さんが、『あの人たちはカーファルだから気を付けなくちゃいけないって言ってるんだね。』」

「うん。」

「お名前は何ていうの?」

「モハンマド。」

「ねえ、モハンマド君、カーファルってさ、神さまの道を捨てた人のことだよね?」

「うん。」

「そして、神さまの道を捨てた人っていうのは、神さまが嫌いな人だよね?」

「うん。」


「でも、ほら、見て。あそこにいるお姉ちゃんたち(=奉仕者たち)はさ、『神さま大好き』っていつも歌ってるよね?そして毎週、ここに来て、神さまのお話をしてる。

モハンマド君、どう思う?神さまが大好きなお姉ちゃんたちは、ほんとうに『カーファル』なのかな?そのことを一緒に考えてみない?」


(モハンマド君、黙ってじっと考えている。)


モ:(しばらく考えた後で)「でも、やっぱり、お姉ちゃんたちはさー、モサルムーン(muslimūn (مسلمون):ムスリム)じゃないんでしょ?」

私:「モハンマド君、『モサルムーン』ってどういう意味か知ってる?」


(モハンマド君、首を横に振る。)


私:「えーとね、モサルムーンっていうのはね、アラビア語で、『神様に従う人』っていう意味なんだよ。

それで、私はモハンマド君に、ひとつ訊きたいことがあるんだ。

ここにいるお姉ちゃんたち皆、心から神様を愛して、そしてモハンマド君たちを愛している。

それはね、お姉ちゃんたちが、神様に従いたいって思ってるからなんだよ。

その一方で、口先だけ、『僕たちはモサルムーンだ』って言いながら、いつも嘘ばかりついて、家ではお母さんや子ども達を殴ったり叩いたり、他の男の人たちとけんかばかりしている人たちもいるよね?

それじゃあ、どうだろう?

神さまの目に、どっちが本当の「モサルムーン」なんだろうか?

そこらへんのことも、モハンマド君、よーく考えてみて。」


おわりに


イエスさまは、天から来られ、天のすべての奥義に通じておられる方でした。

私にとって感動的なのは、そうであるにも関わらず、イエスさまは、むずかしい抽象用語ではなく、「種」とか「鳥」とか「パン種」とか「野花」とか、私たちに分かることばで真理を語ってくださったことです。

異文化・異宗教の人々の間に入って行き、福音を伝えるよう召されている私たちも、やはりイエスさまのこの心をもち、彼らの世界観やメンタリティーを理解しようと努めつつ、彼らに分かることばでイエスさまの愛を伝えたいと願います。

それは困難な道です。

しかし、真実に人を愛する「愛」は、海を越え、山を越え、険しい渓谷を越え、相手の心に通じる「道」を見い出そうと、今日も、血にそまった御手をさしのべておられると思います。

どうか私たち一人一人がその愛を運ぶ、小さな器となりますように。





付録です


今、アフガン人難民の子どもたちの間で、とっても人気のある賛美の歌を一つご紹介します。

なぜ彼らがこれほどこの賛美を好きなのか理由はよく分かりませんが、ムスリムの子であろうと、クリスチャンの子であろうと、とにかくみんな、この賛美が大好きです!

そして何百人という子どもたちが、すでにこの賛美を丸ごと覚えているんです!







عیسی منجی من
(♫イッサー、モンジエ マン=「イエス、私の救い主」)



.イッサー モンジエ マン
シャバーネ ニークイェ マン
ハフェゼ ジャーネ マン
トイ ガムハーレー マン (X2)

イエス 私の救い主
私の良い羊飼い
私の魂の守り主
私の悲しみを背負ってくださる方。



*トイ ヤーヴァレー マン
ト マダット カーレ マン
トイ アン サフレイェ オストヴァーレ マン (X2)


あなたは 私を支えてくださる方。
私の助け主。
私の堅い岩であられる方。




.トー フルーゲ ジャハーン
アーボ ハヤ―テ ザマーン
トー アザーリ ハスティー
アバディー ジャーヴェダーン (X2)

あなたは世界の光。
私たちの生ける水、そしていのち。
[創造の]初めからおられる方
あなたは永遠のお方。




楽譜です↓
IMG_0001_20160801012533884.jpg





3263777_orig20160621.jpg


昨日、難民施設にいる求道者の家族を訪問しました。

カスピ海近くに住むトルコ系アゼリ族の一家です。

(*民族学的には、Iranian Azeris, Iranian Turks, Azeri Turks, Azerbaijani Turks等の名称で呼ばれています。)


Iran_main_languages20160621.png
この地図の水色の部分がアゼリ族の住む領域です。アゼリ族は、一言でいうと、中東版「関西お笑い系の人々」です。ぼけと突っ込みというスタンスもちゃんと存在しています!他の民族も、アゼリ族に関するおもしろいジョークをたくさん作っています。でもそれを聞いて本人たちも一緒になって笑っているので、特に気にしてはいないようです。とにかく愉快で、おもしろい人たちがこの地域には結集しています。


中に入ると、四畳ほどの薄暗い小さなプレハブに、絨毯代りの厚布が敷かれてありました。「アッサラーム・アレイクム」(=アラビア語で「こんにちは。」の意)とあいさつを交わしながら、そこの床に円座になって座りました。

アフガン族もそうですが、アゼリ族もまた、絨毯の上で円座になってチャイを飲み、食事時にはその場に清潔なシート(sofreh)をひいて、食事を共にするという旧来の慣習を今も保持している家庭が多いです。

地べたで食事をするというのはなかなか楽しいです。さながら、家の中で秋の大運動会が繰り広げられているような――そんなウキウキ感があって私は好きです。


An-Iranian-Family-Eating-a-Meal20160621.jpg
こんな感じで食事をいただきます。楽しそうですよね!source


私の主人が聖書のメッセージを語り始めると、他のプレハブにいた別のアゼリ族一家もやって来て、小さな部屋は大人や子どもで足の踏み場もないほどぎゅうぎゅう詰めになりました。

その間も、奥さんは、チャイを温め、お茶菓子を出し、果物の皮をむき、それを小さく刻んでは無理にでも私に食べさせようとし(笑)、本当にホットなもてなしぶりです。

☆☆

本質が日常の中に生きている世界


その日は、ある奥さんが「一体この世のどこに神の義があるのですか?」という問いかけをしたことから、例によって皆、熱くなり、わいわいがやがや、「イスラム教的にはーーだと思う」とか「キリスト教の聖典にはどう書いてあるですか?」など、とにかくエキサイティングな分かち合いの時となりました。

例えば、私たち日本人クリスチャンが、「義(righteousness)」という言葉に触れるのは、聖書や信仰書を読む時か、主日礼拝で説教を聞く時くらいしかないのが現状ではないかと思います。

その他、「主権」「意志」「律法」「罪」といった概念も、神学的には議論されても、お茶の間ではまず聞かれない抽象的な語ではないかと思います。

例えば、私が山田さんの家に招かれたとします。畳に腰を下ろし、虎屋の羊羹(ようかん)をいただき、緑茶を一口すすった私は、おもむろに彼女にこう言いました。

「やっぱり虎屋のお茶菓子はおいしいですね。ところで、山田さん、『神の主権と人間の自由意志』について、山田さんは普段、どのようにお考えですか?」

山田さんが未信者の方ならこの時点でもう度肝を抜かれ、言葉を失っておられると思います。しかし仮に山田さんがクリスチャンだったとしても、やはり、いきなりこういう話題を振られては、とまどってしまうのが普通ではないかと思います。

しかし、ここミドル・イースト・ワールドは、こういった「普通でないこと」が「普通」で「日常的なもの」としてすんなり受け入れられている実に不思議な世界なんです!

ですから、例えば、ファーテマさんというムスリマの女性の家に私が招かれたとします。


Baklava-Baghlava-420160621persianmamacom.jpg
チャイとバクラヴァ

絨毯の上に腰を下ろし、バクラヴァ(بقلاوة 〔baqlāwa〕)をいただき、チャイを一口すすった私は、おもむろに彼女にこう言いました。

「おもてなしありがとうございます。ところで、ファーテマさん、『神の主権と人間の自由意志』について、ファーテマさんは普段、どのようにお考えですか?」

そうすると、ファーテマさんは大きな目を天井に向け、しばらく考えてから、話し始めます。「そうですねぇー、私の中では、、、、」

☆☆

実際、昨日、私はアゼリ族のみなさんに、「今、私は、『神の主権と人間の自由意志』についていろいろ考えているんです。このテーマをめぐっては、クリスチャンの間でも1000年以上に渡り議論がなされています」というような事を正直にお話しました。

すると、皆、このテーマにかなりの関心を示し、それについて考え、話したがっていました。

つまり、彼らにとって、こういった話題は、「抽象的な神学議論」では全くなく、むしろ「お茶の間のホットな会話」なのです!

特に、私たちのような外国人の宣教者が何かをシェアすると、皆、目を輝かせ、「この外国人は一体何を言い出すんだろう?」といった純粋な好奇心をもって話に聞き入ります。


エール


そこで私は、今後、このフィールドで働くよう主の召しを受けている兄弟姉妹に励ましの一言とエールを送ります。

「このフィールドは困難も多いですが、それに勝る感動といのちの躍動があります。

あなたの人生に新たな世界が注入されます。

ですから迷わずにその召しに従い、起き立ってください。

神様はあなたと共におられます!」



関連記事:

kurdishchildren20160621.jpg

中東の人々を熱く愛していくために






愛する兄弟姉妹のみなさん、お久しぶりです。

最後に投稿したのは春の時期でしたのに、今はもう辺り一面、緑の輝きにあふれる初夏の季節となりました。その間、いかがお過ごしでしたか?お変わりはありませんか。

さて、私たちは、ギリシャで信仰を持ち、その後、北ヨーロッパ各地に散っていった兄弟姉妹ひとりひとりの元を訪ね、キャラバン隊のように何千キロと廻りめぐりながら、村々、町々を移動していました。

良い地に蒔かれ、今や60倍、100倍の実を結んでいる友、病や家庭問題に苦しむ友、この世の誘惑にひきずられそうになっている友、懸命に試練を乗り越えようとしている友、プロテスタント教会のさまざまな教えに混乱している友、モスレムの隣人たちに昼となく夜となく福音を伝えている友など、、

さまざまな人生の局面に置かれている兄弟姉妹と再会できたことは、私にとって何よりの喜びでした。


ベルギーでの出会い


ベルギーやドイツなど、各地で真実に主を愛し仕えているすばらしい信仰者たちとの出会いも主は私たちに与えてくださいました。

ブリュッセルのカトリック大聖堂。こういったいのちのない魂の抜け殻のような「建物」の前で多くの観光客が記念写真を撮っていました。がっくりとうちひしがれ、私は広場の真ん中で祈りました。

「おお主よ、あなたはどこにおられますか?背教が進み、急速にイスラム化しつつあるこの地において、どうか生けるあなたの教会を見させてください。」

すると、その日のうちに、主は、燃えるような純粋な信仰を持つ一人の若いベルギー人姉妹の元に私たちを導いてくださったのです。そして彼女を激励するよう主は私たちの口に言葉を与えてくださいました。


主を愛するクルド人の少女との出会い


またあるクルド人の難民家庭で、小学校5年生の女の子に出会いました。

その子は同世代のどの子とも「違ったスピリット」を宿しており――霊的に決して健全とは言えない家庭環境の中で――こども用聖書を一心に読み、イエス様のことや聖書のことについても私に多くの質問をしてきました。そして疑問点や感想などを自作のバイブル・ノートにたんねんに記録していました。


アフガン人の兄弟姉妹


また、ある難民キャンプでは、迫害のためにカブールから逃げてきたアフガン人の家族と共に賛美をし、救いの証をきき、互いに祈り合う時を持つ恵みにあずかりました。

彼らはイエス様を信じた時以来、家族・親戚から絶縁され、難民キャンプ内でも同国人たちから村八分にされ、不浄人扱いされていました。読み書きのほとんどできない彼らのシンプルで一途な信仰に私は感動しました。

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(ルカ18:17)というイエスさまの御言葉がまことに真であることを改めて思い知らされました。


無神論者Fさんとの対話


R兄の難民施設を訪れた時、そこに一人の若い大学研究者(亡命者)がいて、私たちとの対話を求めてこられました。

この人(Fさん)は、大学でイスラム神学を専攻し(B.A)、博士課程では西洋哲学を修め、その後、つい最近まで母国の大学でハイデッガーやフッサールの現象学を教えていたそうです。

しかし、院生時代にイスラム教を棄教し、無神論者になり、それを公言し始めたことから大学のイスラム当局ににらまれるところとなり、ついに身の危険が迫り、職も地位も何もかも捨てて亡命してきたそうです。

(実際、何千何万というFさんのような、いわゆる「自由思想家」が投獄され、ひどい拷問を受けた末に処刑されてきました。神政政治のなされているこの国で「神はいない」と意見を表明することは重大な犯罪行為とされているからです。)

ですから、この国で無神論者として生きることは、一般の日本人が「えーと、うちは無宗教ですから、、」と言うのとは意味も深刻さも全く違います。こういう人たちは、まさに命がけで「神はいない」という「信仰」を表明し、そこに彼らなりの論理の一貫性と真理を見いだそうとしているのです。

Fさんはまた、アウグスティヌスやトマス・アクィナスの「正義の戦争論」(Just war theory)からブッシュ政権を支持していた福音右派の神学に至るまで熟知しておられ、「そのようなキリスト教神学をバックボーンとしているあなたがたが、『イスラム教は暴力の宗教だ』と批判するのはお門違いではありませんか?

キリスト教の歴史を見てください。まさしく血と暴力に染まった歴史ではありませんか。しかしこう私が言うと、クリスチャンたちは『いや、十字軍を起こした人たちなどは真のクリスチャンではないのです』と反論します。

一方、イスラム教徒たちも、過激派のテロ行為のことなどを批判されると、『いや、あの人たちは真のムスリムではないのです。』と反論してきます。結局のところ、どちらも五十歩百歩です。」

私たちはこの点における彼のキリスト教批判を正しいと認めつつ、これまで歴史の表舞台にこそ登場してこなかったけれども、イエス様の山上の垂訓に文字通り従おうとしてきた一群のキリスト者の群れが、この2000年余り、常に存在してきたもう一つの史実について彼に例証することができました。

こうして私たちは夜を徹して話し合いを続けました。この人は、無神論者を公言しながら、その実、まことに真摯なる真理の探究者であり、求道者でした。

彼の言葉からは「神よ、もしあなたが存在するなら、それを私に示してください」という魂の切なるうめきが痛いほど感じられました。Fさんとの真剣な対話を通して私が教えられたのは、クリスチャンを自称しながら、実際には神がいないかのように振る舞い偽善の内に生きることは、場合によっては無神論者以上に罪深いあり方なのかもしれない、ということでした。

「スーフィーたちの中には、イエス・キリストを髣髴させるような人物が実際にいました。しかし私はこれまで本物のキリスト教徒に出会ったことはありません。」という彼の言葉も私の心を刺しました。

内在するキリストの光が自分の不信仰や悔い改めていない罪によって未だに塞がれていることが示されたからです。主よ、どうか光の中を歩ませてください。


神の国はここにある


ある時には梯子を上って屋根裏部屋に寝たり、小さな一部屋に難民家族とぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝をしたりしました。

それぞれが皆個室とパソコンを持ち、快適ではあっても心がばらばらになりがちな現代社会にあって、こういう風に私たちを迎えてくれる貧しい兄弟姉妹たちのもてなし(hospitality)と愛は、私にとって何よりの精神の滋養、心の糧となりました。

貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから(ルカ6:20)。



現代は効率と実用主義万能の時代です。

各種ミニストリ―もせわしく活動に従事し、洗礼者数をアップさせるべくさまざまな方法論が導入されています。

一方、難民の側でも、「バハーイー教徒の会員証をゲットする方が難民認定されやすいのか、それともキリスト教会のパステスマ証明書をゲットする方が申請には有利に働くのだろうか?」といった、耳を塞ぎたくなるような打算的な会話もしばし聞こえてきます。


そうです、主イエス。
私たちが唯一恐れなければならないのは、この世です。


もし私の感覚が外側の事がらにかき立てられるのなら、

わが霊は、すぐに
痛んでしまいます。


今、私はあなたの元に戻ります。
わが小さな庵の中に。


そうすれば、全き静寂の内に、
私は汝の平安を味わうでしょう。


G.Tersteegen, In Jesus alone will you find peace
私訳



テロの脅威も、爆発的な洗礼者「数」の上昇も、「センセーショナル」な宣教レポートも、いずれも外側に属することがらです。それらは表面にしばらく現われては消えていくさざ波に過ぎません。

それらは私たちを必要以上におびえさせたり、また逆に私たちの肉を有頂天にさせたりしますが、いずれも一時的なものです。

本質的なものは内にあり、キリストの「内」にあることを常に覚えていたいです。

あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます(詩145:13)。



やがて「木、草、わら」(1コリ3:12)が火によって焼かれる日が来ることを聖書は明らかにしています。どうか真実なものだけが残りますように。

主の教会を汚すいっさいの不純物やまがいものが聖なる主の御力によって淘汰されていきますように。重苦しく厚い雲を突きぬけ、輝かしい主の栄光の一条の光を私たちが垣間見ることができますように。

主よ、あなたの御顔を私は慕い求めます(詩27:8b)。




わたしが求めているのはただあなただけです。
あなたは今日、ひどく辱められています。

おお主よ、あなたの御傍にとどまり続ける者とされたいです。

苦しみの中にあってもあなたに忠実であることを通し、
あなたに対するわが愛を証しさせてください。アーメン。


-M.Martyria
私訳





afghanistanpoppies.jpg
アフガニスタン

私に対するあなたのこの崇高な愛を、いかなる言葉で表現し得ましょうか?――このあわれな物乞いを受け入れ、あなたの子としてくださったとは。

私はさまよい、孤独でした。どこに向かっていけばいいのかも分からず、力尽き果てていました。

そんな私をあなたは呼んでくださり、あなたと一つにしてくださったのです。



これは、イエス様に出会ったあるアフガン人の方の証しです。この兄弟の告白は続きます。

罪ほろぼしのために力の限り、海洋に向かい泣き叫んだとしても、
持てる物すべてを貧しい人に与えたとしても、
それでも、罪という病からの救いはありませんでした。

この癒しにはただ一つの方法しかありませんでした。そうです、キリストの血潮です。



ああ、あなたはゴルゴタの丘で十字架にかかり、ご自身の愛を証してくださいました。

美しい救い主、今私はあなたに何ができるのでしょうか。あなたがお望みになるもの以外、どんな捧げ物も携えていきません。

イエス、私はわが心をあなたに捧げます。余すところなく全てを捧げます。

با چه زبان



やがてこの信仰告白は賛美となって、この世に向かって証されることになりました。





永い永い間、福音の門が閉ざされていた地域の人々の心に、今、主が大きな憐れみと愛と力をもって働いておられます。


bible20distribution-20landscape20160313.jpg


アフガニスタン国内はもちろんのこと、インドやパキスタン、イランにいるアフガン難民、ヨーロッパに散在する難民の間でも、日々魂がキリストの元に立ち返っています。

次にご紹介する賛美「聖なる、聖なる、聖なる(Ghodous, ghodous, ghodous)」を、ギターを弾きながら歌っているのも、あるアフガン人の兄弟です。下に歌詞の意味と読み方を書き出します。




Ghodous, ghodous, ghodous,
聖なる、聖なる、聖なる
Khodavand Khodaie ghadere motlagh
全能の主なる神
Ke budo hasto mi-ayad
常にいまし、昔いまし、後に来られる方
Bovad por az jalalat asemano zamin
あなたの栄光は天にも地にも満ちています。

Sezavar, sezavar, sezavar
あなたは賛美を受けるにふさわしい方(=worthy, worthy, worthy)
Sezavar ey barehe Khoda
神の小羊として崇められるにふさわしい方。
Ke khune Khod feda kardy az hameh ghomhay jahan mardom kharidy.
そして流されたご自身の血潮により、あらゆる民を買い取ってくださいました。

Sezavare barekat, sezavare hormat, sezavare jalal, sezavare ghodrat
Sezavare parastesh, sezavare setayesh, sezavare hamdo tamjid, sezavare shokr gozari
あなたは、祝福、尊厳、栄光、権勢、
賛美、崇拝、讃仰、拝跪、感謝を受けるにふさわしい方です。


Sezavare tamame delam, sezavare tamae janam, sezavare tamame fekram, sezavare tamame ghodratam
あなたは 心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、
賛美するにまことにふさわしい方です。



信仰を持った多くのアフガン人兄弟姉妹は、肉親に見放され、勘当され、親しい人々からの拒絶を受けながらも、一生懸命、イエス様にすがりつつ生きています。

この人たちには家族が必要です。

彼らを兄の心で、姉の心で、父・母の心で受け止め、愛し、いつくしむ、キリストにある霊の家族が必要です。彼らの食べ物を共に食べ、彼らのいる世界に住み、彼らと共に呼吸をし、苦楽を共にし、共に生きる家族が必要です。


afghanrefugees20160313.png
source


行動を伴った本気の愛には国境も言語の壁もありません。

御霊による愛は相手の魂を貫き、言語を超えるキリストの愛の真実を相手に語り証しします。

どうかこの地域の人々のために、そして新しくキリストにある家族とされた魂のために執り成し祈る方々が起こされていきますように。

主よ、あなたの愛に満たされ、彼らの間に飛び込んでいく勇敢な若い宣教者たちをどうか日本の地からも起こしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。




その1)からのつづきです。

camino-frances-3-day4-300x22520160304.jpg


ベン:人には生ける神との出会い(encounter with God)が絶対に必要だということを私は知りました。

それは私たちクリスチャンにとっても同様です。実際、毎週教会に通ったり、奉仕したり、聖書を読んでいたりしても、生ける神と出会っていないことがしばしあるのです。

イエス・キリストを心から信じ、聖霊によるバプテスマを受けた後、主はさまざまな形で私に語ってくださるようになりました。

そこで私は霊的日誌(Journal)をつけ始め、その時々に主が示してくださったこと、啓示、幻、預言などを綿密に記録していきました。時には夜中にそのような示しが与えられることもありましたので、日誌は枕元にも置いていました。


二つの問い


話は少し遡りますが、救われて最初の年、私は二つのことを主に問いました。

1.私は何のためにこの地上に生きているのか
仕事をして、家庭を築いて、車を購入して、、それだけが人生の目的なのでしょうか。

2.私のつき従っている神であるあなたが、本物の神であるということをどうか示してください。



私はこの二つの問いをもって毎日、毎日、主に祈り求めました。すると、ある日、主は私に「pastor」という一言をくださいました。

Pastor?パスタ―といえば、牧師のことではないでしょうか?しかしどう考えても自分には牧師としての適性がないように思われました。

そこで私は自分の教会の牧師さんにそのことを相談しに行きました。すると牧師は、祈った後、私をセル・グループのリーダーに置いてくださいました。しかし、やはり、自分の中で霊的にしっくりいかない部分があるのを感じました。





こうして歳月が流れていきました。私はなおも祈り続けていました。するとある晩、私は幻を見ました。

目の前に、大きな木製の門が立っていました。すると、そのゲートが開き、外から大勢のバックパッカーの若者たちがこちらになだれ込んできました。見ると、皆、泣いていました。そして泣きながらこちらに向かってくるのです。気がつくと、私も彼らと共に泣いていました。



若者たちを家に招く


それからしばらくしたある日の主日、私は教会の中でバックパッカーの若者たちに出会いました。彼らはクリスチャンの友人に誘われて、教会に来てみたのだそうです。

彼らを見た時、私の心は激しく動かされました。そしてすぐにその子たちを自分の家に招くことにしました。

最初の週、6名の若者が家にやって来ました。そして次週には10名やって来ました。そして12名、15名、20名と、、どんどん若者たちがやって来るようになり、わが家には収まり切れなくなりました。そこで牧師に相談し、教会の一室を借りて、そこに集うようになりました。


傷つき、さまよう若者たち


budget-backpacker-smallchinamikecom.jpg
バックパッカー、source


円座になって、彼らバックパッカーの子たちの話に耳を傾けていて、私は彼らの心の痛み、傷に深く心を刺されるようになりました。

台湾、香港、日本、韓国などからのアジア人の若者たちがほとんどですが、彼らは親の離婚、家庭問題、うつ、孤独、無目的、虚無など、多くの苦しみを抱えながら旅している子たちでした。

彼らの多くは四年制大学を卒業した後、エンジニアや専門職などの職業につきながらも、自分を見失っている状態にありました。

「何のために生きているのか?」
「どこに向かって生きていけばいいのか?」



we_are_all_alone____by_burcindrummer_large.jpg
source



そんな問いを胸に、そして、あてもなく、彼らはオーストラリアの大地を転々と旅しています。


牧する者


この7ー8年の間に、私は一万人以上のバックパッカーの若者たちと邂逅してきました。出会いと別れ、出会いと別れ、、その繰り返しです。

そして多くの若者たちがイエス・キリストに出会うのを目撃してきました。

特に近年、台湾、香港の若者たちの心が主に大きく開かれているのを感じます。「旅びと」という特殊な状況が、彼らの心をより外に向かって開かせているのかもしれません。

彼らの多くは自分のもろさやbrokennessを包み隠さず語り、涙を流します。そしてそんな砕かれた魂に、主はやさしく触れてくださるのです。

彼らと別れる時、私は涙を流しません。それである子たちは、私が彼らを愛していないのだと勘違いします。

そんな時、私は彼らに言います。

「あなたに対する私の愛は、神様から与えられたもの。だからこれは単なる感情じゃないんだ。私は今、あなたを祈りの内に主の御手に委ねる。そしてこの先、あなたがどこに行っても主があなたの魂を導いてくださるよう、こうしてあなたを送り出そうとしているんだよ」と。

そして私は気づいたのです。――主のおっしゃったあの「Pastor」という語の意味を。パスタ―というのは、教会の牧師のことも指しますが、元々の意味は、牧場を牧する「牧者 shepherd」のことです。

ああ、私は外にいるバックパッカーという若者たちを牧者の心で愛し、彼らをイエス・キリストの御元に連れてくるという意味でのpastorの召命を受けていたんだ、とそのことに気づかされたのです。

またこの羊たちは、私の羊ではありません。イエス様はペテロに、「わたしの羊を牧しなさい」(ヨハネ21:16b)とおっしゃいましたが、「あなたの羊を牧しなさい」とは言われませんでした。

ですから私は自由です。教会の出席人数に一喜一憂する必要もありません。

私は種まきをしたバックパッカーのその後のことをほとんど知りません。そのことも感謝です。なぜなら、それは私が自分の手に握る領域ではないからです。


私:日本の兄弟姉妹のみなさんに応援メッセージがあったらどうぞ。


:多くのクリスチャンの方々が「最近、主に対して心が冷えている。説教を聞いても、賛美をしても、なにか心が燃え立たない。この霊的倦怠をどうにかしたい」と言ってこられます。

そんな時、私は彼らを激励し、言います。「あなたは今、他の誰かに霊的糧を分かち合っていますか?」と。

私たちは受けた恵みを流さないでいると、次第に肥満化したクリスチャン(fat Christian)になっていきます。

説教やメッセージを聞いたままにしていてはならず、それらを他の誰かと積極的に分かち合っていくことがとても大切だと思います。霊の燃え立ちも、その積極的な分かち合いの中で再熱していくと信じます。

ありがとうございました。


オーストラリアにいる日本人バックパッカーのみなさんへ。

パース市にいるベンさんに会いに行こう!

packpackerinperth20160304.png
バックパッカーのみんなと公園でピクニック (後列左から二番目がベンさんです!)


Kingdom Light Perth教会

日曜日午前9:30 (北京語・広東語バイリンガル礼拝)
場所:1 Hillview Place BENTLEY1, Perth

日曜日午前11:00(英語礼拝)
場所:29 Darnell Avenue MT PLEASANT, Perth

ベンさんのフェイスブック:benchan17@gmail.com




私:ベン兄、こんにちは。日本の読者のみなさんに、自己紹介してくださいますか。


:こんにちは。ベン・チャン(46)と申します。オーストラリアのパース市在住のクリスチャンです。妻ジェイスとの間に二人の息子(14才、10才)がいます。

私はマレーシアのセレンバム市の華僑家庭で生まれました。私の生まれ育った場所は、福建語、広東語の他にも、北京語、客家語など多くの言葉が日常的に話されている多言語・多文化地域でした。


Chinatown-Kuching20160304.jpg
マレーシアのチャイナ・タウン


12才の時、一家でオーストラリアに移民しました。現在、仕事をしながら、Kingdom Light Perthという教会で奉仕しています。


私:ベン兄は、仏教徒の家で育ったと聞いています。どのような経緯でイエス様を信じるようになったのか、救いの証しをお聞かせください。


:私はオーストラリアで青春時代を過ごしながら、お酒、たばこ、ドラッグなどを覚えていきました。髪も長髪で、ヒッピーさながらの生活をしていました。

約10年ほど前になりますが、ある日、私は職場の同僚の家に夕食に招かれました。彼はクリスチャンでした。私はキリスト教についての知識はほとんどなかったのですが、その家には、人をリラックスさせ、平安な気持ちにさせるような何かがあるのを感じました。

当時、私は子育てのことで悩んでいました。私は自分の父親から愛されていると感じることなく育ってきましたので、幼い息子たちには、それとは別の接し方で子育てをしていきたいと思っていました。しかし実際、どうしていいのか分かりませんでした。また妻との間にも問題を抱えていました。


同僚の証しをきく


同僚の家には19才になる息子さんがいましたが、本当にすばらしい息子さんでした。私はそれに感動し、本来すべきビジネス・トークなどそっちのけで、「どのようにしたら、こんな立派な息子さんを育てることができたのですか?」と同僚に尋ねたのです。

すると、同僚は彼の信じているイエス・キリストについて語ってくれました。その後、三時間余りに渡り、私は次から次にキリスト教のことについて、彼に質問をしました。

帰り際、同僚は私のために祈ってくれ、こう言いました。「ベン、これからは何か心に問題があったら、イエス・キリストに祈ったらいいよ。」


仕事上のトラブルとはじめての祈り


それからしばらくしたある晩、私はある仕事上のトラブルのことで、寝付けず、苦悶していました。ついに起き出し、リビングに行くと、「気休めにテレビでも観ようか」と思いました。

しかしその時、同僚の言葉がふいに思い出されたのです。私はキリスト教徒のように跪き、手を組み合わせ、「私は同僚から、あなたに祈ればいいと聞きました。あなたが本当に実在するのなら、私の抱えているこの問題の解決策を教えてください」と祈りました。

そしてまたベッドに戻り、目を閉じました。

するといきなり、最初の問題の解決策が頭をよぎったのです。そして、二つ目、三つ目と、立て続けに解決策が与えられ、私は驚いて声を上げました。すると妻が起きて、「どうしたの?何があったの?」と訊いてきました。私は「うん、朝起きたら、話すよ」と言いました。


なぜか涙が出る


朝起きると、妻がテレビを観ていました。シンガポールからの衛星放送で、その時ちょうど、キリスト教の牧師がメッセージをしていました。

私はその人の語る言葉に耳を傾けました。すると、ブラウン管の向こうから何かが自分の中に入ってきて(そういう表現しかできません。)、気がつくと、私は泣いていました。妻は、涙を流している私に驚いていました。

「僕は教会に行ってみたい。」私は妻にそう話しました。

私はここでうつ病のことについて話したいと思います。当時、私はうつ病を患っていました。しかし今思うと、主はうつ病という病を通して、私の心を神の動きに対しsensitive(敏感)にしてくださっていたと思います。また、さまざまなトラブルや挫折を通して、私のプライドも砕かれつつありました。


魂(soul)と霊(spirit)の確執


しかし私の魂の力はまだまだ強く、地についていました。教会に通い始めてしばらくして、教会の方に導かれ、「イエス・キリストを心に招き入れる祈り」というのをしたのですが、祈った後、私の魂は「ああ、こんな祈りなどしなければよかった」と言っていました。

そして、教会からの帰り、車の中で妻に、「キリストを受け入れる祈りなんかしてしまった。ああ、後悔してる。」ともらしました。

しかし御霊は私のかたくなな魂とプライドを打ち砕きつづけ、それと共に私の霊はキリストに対してさらに開かれていきました。


(その2)につづきます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。