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Ⅰコリント13章は「愛の章」とも呼ばれています。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

、、、こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

この章を読んでいつも思い出す人がいます。ロバート・チャップマン(Robert Chapman,1803-1902)です。

チャップマンは19世紀のイギリスに生きた牧師であり、その無私の愛に貫かれた人生は、ジョージ・ミュラー、ハドソン・テーラー、チャールズ・スポルジョンといった同時代の信仰者たちに大いなる感化を及ぼしました。

スポルジョンは彼のことを「自分が知る限りもっとも聖なる人物」と評しています。

この謙遜な神の人の生涯からは、どの側面からも、かぐわしいキリストの香りが漂ってきます。

それでは、ご一緒にチャップマンの生い立ちからみていくことにしましょう。

生い立ち

ロバート・チャップマンは、1803年4月1日、デンマークで貿易を営む裕福なイギリス商人の家に生まれました。

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彼はその後ヨークシャーの寄宿学校に行き、法律を学びました。そして5年間の見習い期間を経て、1823年弁護士となりました。

劇的な回心

23歳になったチャップマンがジョン・ストリート教会の前を歩いていると、長老の一人が彼を呼びとめ、中に入るよう招きました。

中に入ると、ジェームス・H・エヴァンズという非国教会派の伝道者が熱心に語っていました。エヴァンスの語る御言葉は若いチャップマンの心に強く語りかけ、彼は劇的な回心へと導かれたのです。

すべてをキリストに

キリストにあって新生したチャップマンの変化には目まぐるしいものがありました。

幼児洗礼しか受けていなかった彼はエヴァンズに洗礼を志願し、すぐさまバプテスマを受け、ジョン・ストリート教会のメンバーになりました。

またそれ以前、有能な若手弁護士として社交界にも出入りしていましたが、回心後、彼はそういった世界から離れ、貧民街に行って、貧しい人々に熱心に奉仕するようになりました。

彼のこういった変化は、親戚や友人の反感を買い、時を経ると共に、彼は数多くの友人を失いました。

しかし貧しい人々に奉仕を続ける彼の姿は、いとこの夫であり同僚の弁護士でもあったパグスリーの心に回心をもたらし、その結果、パグスリーも貧民街で奉仕するようになりました。

社会の出世階段を下りて

こうしてキリストとの関係が深まっていくにつれ、チャップマンは弁護士としての自分の仕事とキリストの教えとの間にいくつかの葛藤を覚えるようになっていきました。

例えば、ある時彼は、原告と被告が共にクリスチャンであることを知りました。

「これは明らかに1コリント6章の御言葉に反している。クリスチャンがお互いに訴え合うことは御心ではないのだ。はたして私はこういう裁判に関わっていいのだろうか。」彼の葛藤は深まっていきました。

1832年、チャップマンが29歳の時ですが、彼は自分がみことばの奉仕に専念するよう神の召しを受けていることを確信するようになりました。

折しもバーンズタプル地区から牧師としての招きを受けた彼は、持ち物をすべて売り払い、下層民の住むバーンズタブルに移り住みました。

こうしてニュー・ビルディング通りの6番地は、その後70年に渡って、バーンズタブルのオアシスとなり、人生に疲れし旅人たちの憩いの場となりました。

彼のアパートは「どんなクリスチャンでも、どんなに貧しい人でも、気後れすることなく入ってくることのできる」きわめて簡素な住まいでした。

チャップマンは常々こう言っていました。

「招待されてうちにいらっしゃった方、あなたを歓迎します。そして招待されずにいらっしゃった方、あなたを二重に歓迎いたします。」

こうしてありとあらゆる人がチャップマンを慕って、ニュー・ビルディング6番地にやって来るようになりました。

また、チャップマンの住まいは、ハドソン・テーラー(中国)、アンソニー・グローブズ(イラク・インド)といった現役の宣教師たちが一時帰国して、ほっと息をつくことのできる癒しの場ともなりました。

彼の遣わされた教会は厳格なバプテスト教会でしたが、この教会からの招きに応じるにあたり、チャップマンはただ一つの条件を挙げました。

それは、「聖書に記されていることで私が見い出したすべての真理を、はばかることなく自由に教えることを承認してください」ということでした。

また、ここの教会員は、「浸礼以外のバプテスマを受けた人と共にパン裂きにあずかるべきではない」という立場に立っていました。そしてこれはチャップマンとは異なる見解でした。

しかし彼は自分の内的確信を性急に教会員に押しつけることはせず、御言葉からその問題について忍耐深く教え、むしろすべての教会員が一つ心となれるよう労しました。

また分派を起こした一部の人々は、チャップマンをはじめとする教会員が礼拝堂を使わないよう、ある意味不当な要求をしてきました。

それに対しても、彼は争うことをせず、会堂を分派を起こした者たちに明け渡しました。

「上着を求める人には与えるのです。」と彼は文字通り、山上の垂訓を生きていたのです。

チャップマンの人格

ここで彼の人となりを表すエピソードをご紹介しましょう。

チャップマンは陰口・中傷というものを何よりも避けていました。

もし誰かが彼に第三者の悪口を言おうものなら、彼はすぐさま、「その兄弟の元へ一刻も早く行って、そのことを直接彼に言いましょう。」と答えました。

そうするとたいがいの人は恥じ入って、口をつぐんでしまうのが常でした。

ある時、一人の姉妹がチャップマンの元に来てこう言いました。

「先生。○○姉妹が私にこんなことをしたのです。」

チャップマンはじっと彼女の話に耳を傾け、彼女の訴えがひととおり終わると尋ねました。

「おっしゃりたいことはそれだけですか?」

「いえ。実はもう一つあって。」

「では、それも全部お話ください。」

こうして話が終わると、チャップマンは言いました。「ちょっと失礼します。」

そして部屋を出て行きました。

そうしてコートを着て再び部屋に入ってきました。そして聖書を片手に彼は言いました。「私はこれから出かけます。」

「でも、先生。私、先生に相談をしにうかがったんですけど!」

「ええ、アドヴァイスしますとも。」彼は答えました。

「これからあなたは私と一緒にその姉妹の所に行くんですよ。私はうわべで判断せず、いつも両方の言い分を聞くことにしているんです。」

彼女はしぶっていましたが、チャップマンに説得され一緒に行くことにしました。

こうしてその女性の家を訪れると、すばらしい変化が生じたのです。

文句を言っていた姉妹は聖霊により、自らのクリスチャンらしくない言動を示され、くずおれるように悔い改めたのです。

こうして二人の姉妹の間に和解が生じました。

また別のエピソードですが、ある兄弟が、あまり冴えない説教を聞いた後、隣りに座っていたチャップマンにこう語りかけました。

「大した説教じゃありませんでしたね。ねっ、そうじゃありませんでしたか?」

「じゃあ、そのことをぜひ説教者に直接言いに行きましょう。」とチャップマンは立ち上がり、すぐにも説教者の所に行かんばかりの様子でした。

しかし全く茫然となった批判者の姿をみた彼は、説教者の陰でこのような否定的なコメントをすることの害毒について、この人に指摘しました。

My aim is to live Christ

愛と赦し

チャップマンはどの教団からも給料を受け取ることを拒否し、すべての必要が満たされることをただひたすら主に委ねていました。

ここでチャップマンの愛と赦しを力強く物語るもう一つのエピソードをご紹介したいと思います。

ある時、いとこのヘンリー大佐が、「ロバートはこんな界隈で何をしているんだろう?」と好奇心にかられ、彼の元にやって来ました。

いろんな泊り客がいる大世帯なのに、食糧室をのぞくと、ほとんど何も食べ物がありません。

ヘンリー大佐は、「ぜひ食料品の差し入れをさせてくれ。」とチャップマンに申し出ました。

それを聞いたチャップマンは喜んでその申し出を受けましたが、その際、「必ず○○食料品店に行って、買い出しをしておくれ。」と大佐に念を押しました。

こうして大佐は○○食料品店に向かったのですが、そこの主人は、届け先が「ロバート・チャップマン」となっているのを見ると、顔色を変え、「お客様。おそらく届け先をお間違えになっていると思いますが、、、」と言いました。

「いや。確かにここだ。というのも、いとこがわざわざここに来て買うように僕に念を押していたから。」

それを聞いた店主の目からは涙があふれ始めました。

「あの方がそういうことをする人だって聞いたことはありましたけど、まさか本当だとは思っていませんでした。

実はこの前の土曜日、野外伝道集会の席で、私はチャップマン氏の顔に唾を吐きかけたばかりなのです!」

何年にも渡り、チャップマンに嫌がらせをし続けてきたこの男はこうして完全にくずおれました。

そしてすぐさまニュー・ビルディング6番地に行くと、泣きながらチャップマンの前にひざまずき許しを乞いました。

そしてその日、彼はキリストを救い主として受け入れたのです。

チャップマンの霊的生活

チャップマンは生涯を独身で通し、きわめて規則正しい生活を送りました。

彼は朝3時半か4時に起床し、しばらく周囲を散歩し、冷水でシャワーを浴びた後、デボーションの時を持ちました。

御言葉を読んだ後には、何時間もの間、彼は近くにいる人々、遠くにいる人々のためにとりなしの祈りを捧げました。こうして彼のデボーションと祈りの時は午前中いっぱい続くこともありました。

ハドソン・テーラーが七年ぶりにイギリスに一時帰国した際、チャップマンは彼にこう言いました。

「私はこの七年間、毎日、あなたの元を訪れていましたよ。」

中国奥地宣教団(China Inland Mission)のあの力強い働きの背後には、このしもべの誠実な祈りがあったのです。

またジョージ・ミュラーの記録によると、チャップマンは、毎週土曜日を神様だけと共に過ごす日と聖別していました。

この日だけはすべての面会を謝絶し、昼食もとらず、彼は一人、神の前に座っていました。

彼は小さな部屋にこもり、台の上に広げた聖書を置き、ろくろで陶器を作っていきました。ろくろを回すという行為は彼にとって精神を集中する助けとなっていたようです。

そして主に示されることがあると、彼はその場にひざまずき祈りました。

プリマス・ブラザレンの悲しい分裂に直面して

1840年代に入ると、神の御言葉を愛するしもべたちの間に悲しい分裂が生じました。

次第にセクト主義の傾向を強めていったJ・N・ダービーおよび彼のグループは、チャップマンやジョージ・ミュラーの教会との交わりを拒絶し、やがて、こういったダービーの群れは、「エクスクルースィブ(閉鎖的)・ブラザレン」と呼ばれるようになっていきました。

そして「エクスクルースィブ」と「オープン」ブラザレンの亀裂は年を追うごとに深くなっていきました。

しかしそんな最中にあっても、ロバート・チャップマンは、自分たちとの交わりを断った教会を「エクスクルースィブ」という否定的な名前で呼ぶことを避け、「いとしい、最愛の兄弟たち」と呼び続けました。

さらに、彼らのことを「彼らの良心が私との交わりを拒絶し、私を遠ざけた兄弟たち」と表現しています。

私は彼のこういった姿勢に心底感動しました。

実は、ロバート・チャップマンの伝記をブログに書こうと思った一番の動機も、彼のこの言葉によるところが大でした。

自分を拒絶し、同胞クリスチャンとしての交わりをかたくなに拒むグループの人々に対するこの愛、そしてこのこまやかな配慮。

「それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」ヨハネ17:21

チャップマンは、こう祈られたイエス様の心を真に理解していたしもべだったと思います。

そしてチャンプマンと同様、このような心を抱くクリスチャンは、たとえ多少、互いに意見や解釈の相違があったとしても、教団教派を超えて、熱く愛し合うことができると思うのです。

おわりに

ロバート・チャップマンは100歳で召されるまで、絶え間なく奉仕し、祈り、神の召命に生きました。

また彼は当時、禁教下にあったスペイン宣教にも重荷があり、三時期に渡り、スペインの地で福音の種を蒔きました。

彼は栄光はすべてイエス様に帰せられるべきとの信念から、あらゆる自己宣伝の場を避け続け、できるだけ隠れた所にいるよう努めていました。

しかし彼の愛と無私の奉仕は、多くの人々の人生に深甚な影響を及ぼし、その名声は世界中にひろがっていきました。

そのことを裏付ける一つのエピソードがあります。

ある海外からのエアメールがイギリスの郵便局に届きました。宛名のところにはただ、

英国 
愛の大学 
R・C・チャップマン様


とだけ書き記されていたにも関わらず、この手紙はちゃんと受け取り主の元に届いたのです!

「人に知られないようでも、よく知られ、、、」(Ⅱコリント6:9)

私は時を超えて、このような主のしもべに出会うことができたことを神様に感謝しています。

そして、彼の生涯を記事にすることができたことを感謝しています。

彼の生き方と信仰が私に大きな感銘を与えたように、この記事を読んでくださった兄弟姉妹にとっても恵みを与えるものとなりますように。アーメン。

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前回のホンジュラス便りの後半の方で、私はカルメンさんという貧しい未亡人の女性の記事をとりあげました。覚えていらっしゃるでしょうか?(ココ)

「その後、カルメンさんと12歳の息子さんは、いったいどうしているのだろう?」と気になっていらっしゃる方がきっといると思います。

私もすごく気になっていました。それで今回、カルメンさんの話の続きを掲載することにしました。

また、「ロケット・ストーブ」という発明品のことについても、後半の部分でご紹介します。

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他の発展途上国でも、このストーブは応用できるのではないかと思います。環境にもやさしいストーブです。

(Honduras Newsletter, May, 2014 written by David Bercot)

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二月号で、私はカルメンさんという非常に貧しい未亡人および彼女の息子のオマール君について触れました。

カルメンは47歳ですが、ひどい関節炎リューマチのため、働くことができません。そのため、息子のオマ―ル(現在13才)が二つの仕事をかけもちしながら、生計を支えています。

彼らは、シグアテペケの元村長であった方が自分の敷地内に建ててくださったブリキ板の小さな小屋に住んでいます。

二月の時点では、二人は汚い床の上にボックススプリングを置いて、その上に寝ていました。小屋の中には家具はいっさいありませんでした。

2月号で、私はシグアテペケ内外に住む非常に貧しい人々のことについても書きました。

そして読者の方々に向けて、「こういった方々の住居環境を改善することができるよう、またカルメンさんのためにベッドやその他の物品を購入することができるよう助けてくださいませんか」とお願いしました。

その後、私たちは読者の方々からとても寛大な応答をいただきました。ですから、今回、私たちがカルメンさんやその他の人々のために今、どのようなことをしているのかについて追記を書こうと思ったのです。

二月のニュースレターを出してすぐ後、ルイス兄(ホンジュラスにおける私たちの主任ディレクター)はカルメンと息子のためにベッド、マットレス、布団カバーを購入しました。

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彼はまたトルティーヤ圧搾機等を購入しました。この圧搾機のおかげで、リューマチのある手でもトルティーヤを作ることができるようになりました。

私たちが彼女を訪問した際、すでにカルメンさんにロケット・ストーブは提供していましたので、彼女はトルティーヤを焼くこともできるわけです。

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またルイス兄は検査のためカルメンを病院に連れて行きました。そこで判明したのは、彼女は関節炎リューマチだけでなく、体内の寄生虫によっても苦しんでいたということでした。現在、彼女はそのための治療を受けています。

はじめてベッドの上で寝た後、カルメンはルイス兄にこう言いました。「こんなにぐっすり眠れたのは何年ぶりでしょう!オマールと私がボックススプリングの上で寝ていた時には、息子は寝ている間に(気づかずに)私のあばら骨を蹴っていたのです。」

また新しいトルティーヤ圧搾機とロケット・ストーブをも彼女は気に入っています。これでオマールと彼女は毎日、トルティーヤを食べることができるようになったのです。

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ルイス兄はまたオマールを学校に復学させる手伝いもしました。それで現在、オマールは学校に通っています。学校に通うため、彼は二つの仕事のうち、一つをやめました。

ルイス兄は定期的に学校の先生方とも連絡をとっていますが、オマールはよく勉強しているそうです。

しかし、オマールは最近、職を失い、無職となりました。そのため、現在、三人の方々が定期的にカルメン母子に食事を持っていっています。

その三人とは、1)ルイス兄の妻エテリア、2)元村長の奥さん、3)カルメンの元雇用主、です。

住居について

住居についてですが、私たちは予期せぬ障害に出くわしました。

二月号で触れたあの貧しい家族はいずれも、誰かの土地に不法もしくは暗黙の了解のもとに住んでいるということが判明したのです。

ですから、彼らのために家を建てるなら、まずはどこかに土地を探さなければならなくなりました。

もしそうせず、現在彼らが住んでいる場所に建てるなら、そういった家は地主の所有物ということになり、またいつ立ち退き命令が出されるか分からない状態にあるからです。

感謝なことに、ある兄弟が土地を少し提供してくださり、それによって、一家族を助けることができそうです。ですから、このプロジェクトは現在、少しずつ進んでいます。

ルイス兄はまた、地元の二つの教会にも協力を呼び掛けており、これも大きな助けとなっています。彼は、同じ土地にカルメン母子のための家も建てることができるのではないかと考えています。

他の貧しい家族のための土地を購入することができるようどうぞお祈りください。また、オマール君が放課後、働くことができるパートの仕事が与えられるようお祈りください。

2014年5月 デヴィッド・ベルソー

The Society of the Good Shepherd, P. O. Box 122, Amberson, PA 17210 • (717) 349-7033

(Honduras Newsletter, April, 2014)

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昨年の9月、ロケットストーブという素朴な発明品のことを読者のみなさんにご紹介しました。「シンプルな」ストーブと言いましたが、実はこれでなかなか手の込んだ秀作なのです。

このストーブは1984年、ラリー・ウィニアルスキー博士の考案により、発展途上国の貧民を助ける目的で開発されました。
これは煙や有害な排気をかなり抑える一方、燃料の効率は劇的に上がるというすぐれ物です。

また土製のストーブと比べると、ニ分の一から三分のニという少ない燃料だけで済み、燃料費を抑えることができるのです。

これにあわせ、ロータリー・インターナショナルがホンジュラスのコパン市にて小さな工場を開設しました。

そこで売られているロケットストーブは一個たったの50ドルです。

読者の方々の寛大な助けにより、現在、私たちはこれらのストーブを購入し、貧しい人々に提供することができています。

今年の1月、妻のデボラと私がホンジュラスにいた時、私たちはこの工場を訪れました。

この工場自体はかなり質素で、ストーブの大部分は手製でした。このストーブの外側は鋼鉄で補強されているコンクリートでできており、内側は火山灰で作られていました。――この火山灰は断熱材の役割を果たしており、熱損失を防ぐのです。

このストーブを積んだトラック一台はすでにシグアテペケ市に運搬されており(このために献金をささげてくださった方々、ありがとうございました。)、私たちはコパン市にいる間にトラックもう一台分のストーブを注文しました。

シグアテペケ市に戻ると、私たちは前のトラック積荷から数個のストーブを人々に届け、また昨年の秋にストーブを受け取った人々の元を訪問することができました。

またこのロケットストーブ・ミニストリーがどのように現地で運営されているかということに関してもさらに知ることができました。

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現地では、ルイス・ヴェガ兄弟と牧師仲間のレニン兄弟が、このミニストリーを担当しており、受け取り主を選択しています。

まずは、貧困に苦しんでいる誠実な兄弟姉妹の元にこれらの物品が届けられるよう配慮されています。そうして後、個々の人々の状況に応じて、すべての人々を対象にストーブが届けられています。

ルイス兄とレニン兄は、この配布作業は思ったほど簡単ではないと言っていました。まず、二人は、ストーブを実際に使ってみせ、その利点を説明しなければなりません。

そして「このストーブには、いわゆるならし運転期間が少々必要です。ですから最初の数回は、今まで使っていた土製ストーブのようにはうまく料理できないかもしれませんよ。」ということも説明してあげる必要があるのです。

というのも、この部分を理解しないなら、人々はすぐに新型ストーブを脇にうちやってしまうからです。

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私たちはこのストーブ一台に対し、一応5ドルという値段をつけています。――この値段は数カ月かかって人々が支払える程度の額です。これ自体は、ルイス兄とレニン兄がこの村を訪れるための往復賃にも満たない額です。

でも何かのためにお金を払うという行為を通じて、人々はその物をもっと大切に取り扱うということに私たちは気づきました。

またルイス兄たちは、人々に対し、「支払いのお金を取りに戻ってきた際、もしそのストーブが使われないままうちおかれているのが分かったら、私たちはそれを回収し、(それを本当に必要としている)他の誰かに提供することにします。」と説明しているそうです。

「これだけ性能のあるロケットストーブなのだから、使われないままうちおかれることなどある訳がない」と思う方がいらっしゃるかもしれません。

しかし、ホンジュラスの田舎に住む貧民は、従来の習慣に固執する傾向が強いのです。

彼らは何世紀も前に先祖が料理していたのと全く同じようなやり方を続けています。

そしてこういった旧式の土製ストーブの使用により、どれだけ有害な煙を肺に吸い込んでいるかという事についてはあまり自覚がない――それが現状です。

またロケットストーブは木材使用を抑えていますから環境保全にもすぐれているのですが、そういったことに関する認識もほとんどありません。ですからこれは一回説明してそれで終わり、という種類のプログラムではありません。

その後も継続的に訪問することが必要です。うれしいことに、受け取った方々のほとんどは、ロケットストーブの利点をすぐに理解し、古い土製ストーブの代わりに使いはじめています。

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ロケットストーブ・ミニストリーの主たる目的は、貧しい人々を具体的な方法で――つまり、(燃料費を抑えることで)彼らの経済生活を助け、また健康保持につとめることを通して――助けることにあります。

しかしストーブがどこで使われるかにかかわらず、実際には、これらはイエス様のもとにいくのです。

「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです」(マタイ25:35-36)。

そうではあっても、ストーブは未信者の方々に福音を宣べ伝える窓をも開いているのです。

もちろん、「このストーブを受け取りたいならキリスト教を信じろ」というような押しつけがましい策略は私たちの内に全くありません。

私たちはそういったやり方で「お米クリスチャン(rice Christian)」を作り出すことには何ら関心を持っていません。

ルイス兄とレニン兄がまだイエス様を信じていない方々に福音を宣べ伝えているのは、そういう動機からなされているのではないのです。

二人は人々に「このストーブを提供してくださっているのはクリスチャンなんです。こういったクリスチャンの方々がただただあなた方を愛しているがゆえに、そういった援助をしてくださっているのです。」と説明しています。

その結果、私たちは、ロケットストーブよりももっと価値のある何かについて貧しい人々と分かち合う恵みに与っているのです。――そうです、これを通して何人かの人々は実際に永遠のいのちに入っていっているのです。

このロケットストーブ・ミニストリーを支援してくださっているさまざまな読者のみなさんに対し、この場をかりてお礼申し上げます。神様の祝福がありますように。デイヴィッド

The Society of the Good Shepherd, P. O. Box 122, Amberson, PA 17210 • (717) 349-7033

わたしたちは、大きなことはできません。
ただ、小さなことを 大きな愛でするだけです。
 マザー・テレサ


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苦しい時

物事が 思い通りにいかないとき


これでもか これでもかと 

落胆させるようなことが起こるとき



失望、憤り、否定的な思いが

私の中で

風船のように どんどんふくらんでいく



そんなときは

主の部屋への 1メートルが 

はてしなく遠く 感じる



やっとの思いで 部屋にたどりつく 

戸を閉め 鍵をかけ 雨戸をしめる


外界のすべての騒音を 

シャットアウトする


そして 

嵐がすぎるまで じっと待つ

うずくまり そのままで じっと待つ


そうすると

だんだん 落ち着いてくる



部屋の中は あたたかく ここちよい

暖炉のたきぎも 

陽気にパチパチいっている


ここにいると すべてが大丈夫に思えてくる


すべてが 御手のうちに 

やさしく包まれていることを感じる



人知を超えた神の平安 ここにあり

キリストの平安 ここにあり






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(Kyle Pope, Is God Male? 多くの聖書教材やトラクトを無償で提供してくださっているカイル師に心から感謝します。)

新聞『カンザス・シティ・スター』はある特集欄で、某教派の牧師およびユダヤ教のラビに対し、次のような問いを出していました。

「私たちは神のことを〈彼〉と呼ぶべきか、〈彼女〉と呼ぶべきか、それとも〈それ〉と呼ぶべきか?」

二人の聖職者はそれぞれ異なった角度からこの問いに接近していたものの、両者ともほぼ同じ結論に達していました。

曰く、どういう代名詞を「選ぶ」かはそう重要ではない。なぜなら、聖書は神の属性を表すのに、女性メタファーも男性メタファーも用いているから、と。

私はそこになおざりにされている、いくつかの根本的な問題が反映されているように思いました。

1. 人間のジェンダー

神は人や動物を創造された際、彼らを「男と女(動物の場合は雄と雌)」にお造りになりました(創1:27、5:2、6:19)。

こういった区別は地上の生殖に不可欠なものです。

何をもって男性であるか女性であるか(動物の場合、雄か雌か)を決定するかといえば、それは生理学、化学、解剖学の領域でなされています。

ほとんどの場合、もしある被造物が雄性器官およびXとYの染色体を持っていれば、それは男(雄)です。逆に、雌性器官および二つのX染色体を持っていれば、それは女(雌)です。

聖書は、神が生殖するとか、配偶者がいるとか、性差のある生殖器官ないし染色体を有しておられるなどとは教えていません。神は霊です(ヨハネ4:24)。

にもかかわらず、神のことを言及する際、聖書は実際に、男性名詞および代名詞を用いています。

しかし、「御父」と「御子」としての神とイエスの描写が、人間の生殖的関係とはなにかしら違ったものを反映しているのと同様、(神にかかわる)ジェンダー描写は、地上的なジェンダー概念とは違った意味合いにおいて理解されなければなりません。

2.聖書のことを表すのには聖書の名前を

奇妙なのは、上述の二人とも、この問題を、人間の選択にかかわる事項として取り扱っていたことです。

「自分自身の礼拝様式、教理、振る舞いを自在に選ぶことができる」と思い込んでいるこの世は、自分の都合のいいような神像を選ぶことができるとも思っているのです。

でも本当に大事なのは、神がご自身のことを何と言及されているかということです。

創1:27は、地上におけるジェンダーに関することが言及されている最初の箇所です。

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された(創1:27)。」

この聖句は幾つかの点において重要です。

まず、「神」はヘブル語elohimからの訳です。他の多くの言語と同様、ヘブル語にも男性名詞、女性名詞の区別があります。そしてこのelohimは、男性名詞です。

また二番目に、「創造された」という動詞に留意する必要があります。

英語と違い、ヘブル語の動詞は、人称(私、あなた、彼/彼女/それ)だけでなく、ジェンダーをも表し伝えるのです。

この箇所で「創造された」と訳されているヘブル語yivrahは、男性単数形であり、文字通り、「彼は創造された」という意味です。

最後に、「ご自身のかたちに」という語句をみてみます。

ヘブル語では、「ご自身の(“His”)」という代名詞は、かたち(“image”)という名詞の後ろにつく接尾辞として表されます。そしてここでの場合、その代名詞は、三人称男性形です。

もし私たちが、神がご自分のことを指しておられる通りに、神のことをお呼びするのなら、私たちは男性形でもってお呼びしなければなりません。

それ以外の試みは、「選択」云々の問題ではなく、改変行為となります。

3. 聖書的区別

男性も女性も神のかたちに創造されました(創1:27)。

また、それと同時に、ある意味において、男女に付随する、この似姿(ないしは反映された栄光)の性質という点で、両者には差異があるということも聖書ははっきり教えています。

1コリント人への手紙の中で、パウロはそういった問題に言及せざるをえませんでした。

コリントにいた女性たちの中には、男性の権威に従うしるしとして当時、広範囲に行なわれていたかぶり物の慣習を拒絶していたようなのです。

こういった状況を是正するため、パウロは創造そのものに言及しています。そして使徒パウロは聖霊を通して次のように書きました。

「男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。

なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです」(Ⅰコリント11:7-9)。

この箇所でパウロは、創造の順序(すなわち男が最初に造られた)それから、創造の手段(すなわち男のあばら骨から女は造られた)に言及しています。

そして男女の間では、神の似姿および栄光という点で違いがあることを言っているのです。この文脈では、男は神の栄光であり、女は男の栄光であるとされています。

これは女性の価値をおとしめるものでは決してありません。これはあくまで順序、関係、そして権威に関することにすぎないのです。

とは言っても、聖書の箇所をないがしろにしないならば、そこに無視することのできないある差異があることをこの箇所は明示しているのです。

4 現代のジェンダー戦争

女が男のように振る舞い、男が女のように振る舞うよう仕向けようとしているこの世代が、現在、世界を疫病のごとく席巻しているジェンダー戦争に、神をも巻き込もうとしているのは想像に難くありません。

一連の問題提起は、はたして神様の特性をもっと正しく知りたいという願いからきているのでしょうか。

それとも、フェミニズムに対する政治的公正(politically correct)に遠慮した結果、なされているものなのでしょうか。

でも結局のところ、多くの人は、創造について、男女の役割について、両性における神のお取り扱いについて聖書が教えていることに、不愉快さを覚えている、それが現状ではないでしょうか。私にはそんな気がします。

聖書が神のことを男性形で言及しているのだとしたら、それは女性を侮辱することになるのでしょうか。もちろん、そんなことはありません!

神様は両性をお造りになられた創造主であられます。

もし、男が最初に造られて、女が男から造られたのだとしたら、それは「神様は、男性を愛するようには、女性のことを愛しておられない」ということになるのでしょうか。もちろん、否です!

イエス様は男性のためにも、女性のためにも死んでくださいました。

権威と責任という点で、神様が、男女間に異なる役割をお与えになったということ、それは「神さまが女性を虐待している」ことになるのでしょうか。もちろん、そんなことありません!

男性に子を産む能力が与えられていないこと(創3:16)が男性に対する虐待でないのと同じく、女性に、家のかしらとなる役割が与えられていない(エペソ5:22、23)のは女性に対する虐待ではないのです。

(出典:Ancient Road Publications™ http://ancientroadpublications.com)




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何日か前、A国の方が20カ月ぶりに難民収容所から釈放され、私たちはお祝いを兼ねてこの方(K兄)を夕食に招きました。

K兄は収容所にいる間にイエス様を救い主として信じました。

彼は中東の某宗教都市でムッラー(聖職者)になるべく、イスラム神学を学んでいた方です。

「私はこの道をずっとひた走ってきました。でも自分の求めていた平安を得ることができませんでした。今、イエス様を信じ、私の人生は変えられ、心に平安が与えられています。」とK兄は証してくださいました。

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(↑この十字架は、K兄が収容所の中で石を彫って作ったものです。そして釈放後、私たちにプレゼントしてくれました。)

☆☆

このように今、中東の人々の間で驚くべきことが起こっています。

10年前と比べても、そこには大きな変化があり、私たちは日々それを目の当たりにしています。

今まで閉ざされていた国の人々の心が福音に対して大きく開かれ始めているのです。

この世のメディア等を通し、私たちは「中東は恐ろしい」と日々恐怖心をあおられています。

そういったニュースには確かに事実を反映したものも多いです。

しかし完全な愛が恐れを締め出す(Ⅰヨハネ4:18)一方、サタンの策略は私たちを恐怖で身動きがとれない状態にしておくことです。

そしてサタンは、中東の人々が福音の真理に目覚め始めているというこの事実を隠ぺいしようと必死なのです。

でも実際、今中東に、これまで前例のなかったような規模での「大収穫」の時がまさに到来しようとしています。

いや、正確にいうと、それはもう始まっています。

ここアテネだけでも毎月、何十人という単位で中東難民が救われています。

また中東の某国に向けて、キリスト教衛星番組を発信しているキプロス在住の方が言っていましたが、毎週、相当数の求道者が、そのテレビ局に電話をかけてくるそうです。

また先月、北アフリカの伝道者がアテネにいらして、次のようにお話してくださいました。

「昨今の原理主義政権に失望したアラブ系若者たちの間に、二極分化が起こっています。一つは無神論への傾斜。そしてもう一つは、真理に対する飢え渇きと福音に対する真剣な求道です。」

そうです。文字通り、畑は色づいて、刈り入れるばかりになっているのです。

そして目下、緊急に求められているのが、こういった畑で収穫をする働き人です。

赤ちゃんがどんどん産み落とされているのに、お乳を飲ませ、おしめを替えてあげる人があまりに少ないのです。

働き人は懸命に世話をしていますが、求道者や新生児の数が多すぎて、とても全員に手が回らない――これが現状です。

つまり、まったくうれしい悲鳴をあげたくなるような状況なのです。

☆☆

さらに、中東宣教の舞台は、グローバル化しています。

先週、若いアメリカ人宣教師カップルに会いました。このカップルは中東宣教のため移民のあふれるドイツのB市に今年2月遣わされてきました。

現在二人は、ペルシャ語とドイツ語を同時進行で学んでいます。

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それだけではありません。たとえば、現在のスウェーデンを考えてみてください。

統計によれば、今この国は、人口の16%が移民だそうです。そしてその多くは中東・アフリカ系の人々です。

私は思います。今ここにアラビア語を習得した主のしもべが遣わされるなら、きっとすばらしい主のみ業が起こるでしょうと。

またこういう情熱に満ちた宣教師の存在は、死にかけているスウェーデンの教会にとっても大きな励ましになると思います。

そして同様のことが、フランス、ノルウェー、オランダ、イギリス、ブルガリアといった国についても言えると思います。

Syrian refugees in Bulgaria
(↑シリア難民:ブルガリア)

苦しみ滅びゆくたましいへの情熱

今日、伝道の熱意のあるR兄が、Who cares?(=誰が気にとめるのだろうか?)というYoutubeを私にみせてくれました。

これはかの有名な救世軍の創始者ウィリアム・ブース(1829-1912・イギリス)が見た幻を基に製作されたミニドラマですが、すばらしい内容のメッセージでした。

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(↑ウィリアム・ブースは妻キャサリンと共に、貧民窟に移り住み、彼らの魂の救いのために生涯を捧げた19世紀のキリスト者です。彼は廃娼運動や禁酒運動にも力を注ぎました。)

幸いなことに、エターナル・ライフ・ミニストリーズという福音宣教団体が、このメッセージの内容を日本語でホームページに掲載してくださっており、さらに転載許可も出してくださっているのを知りました。感謝です。

以下、そのストーリーを転載します。(Copyright c. エターナル・ライフ・ミニストリーズ
http://www.eternal-lm.com《天国と地獄の情報》 http://www.tengokujigoku.info)


誰が気にとめるだろうか?(Who Cares?)ウィリアム・ブース 著

大海原の中の巨大な岩

暗い嵐の大海原が見えました。

その上に、黒い雲が重く掛かっていました。

それらの雲の間から、時折、明るい稲光がひらめき、大きな雷の音がとどろき、風がうめくように吹き、波が生じて泡を立てていました。

その大海原の中に、無数のかわいそうな人々が見え、水の中に入っては浮かび上がり、叫んだり、悲鳴を上げたり、呪いのことばを吐いたり、もがいたり、おぼれたりしていました。

彼らは水から上って来ても、再び金切り声を上げていました。

そして、沈んでから、もう上って来ない人たちもいました。

この暗くて怒れる大海原の中から、一つの巨大な岩が立ち上るのが見えました。

その岩は、その嵐の海の上に掛かっている黒雲の上にまで高くそびえ立ちました。

この大きな岩のふもとの周囲のいたるところに、広大なプラットホーム(檀)が見えました。

もがいたり、おぼれたりしていた、あのかわいそうで哀れな大ぜいの人が、その怒れる大海原からこの檀の上へ続々とよじ登ろうとしているのが見え、私はうれしくなりました。

また、その檀の上ですでに助かっている少数の人々が、まだその怒れる海の中にいるかわいそうな人たちを助けて、安全な場所に引き上げようとしているのが見えました。

私がもっとよく見ると、救出された大ぜいの人々が、はしご、ロープ、ポートやさまざまな手段で、もがいているそのかわいそうな人々を海の中から救い出そうと熱心に働いているのがわかりました。

「滅びようとしている人たちを救う」という情熱をもって、結果を気にすることなく、実際に海の中に飛び込んだ人たちも、あちらこちらにいました。

よく見ると、その檀には、さまざまな人々が入り交じっているのがわかりました。

つまり、彼らはさまざまな階層に分けられており、それぞれ異なる娯楽や職業に専心していました。

しかし、海から人々を救う働きをしているのは、彼らのうちのほんの少数の人だけのようでした。

忘却と無関心

ところで、私が最も当惑したのは、彼らはみな何らかの時にその大海原から救出されていたのに、ほとんどすべての人がそのことを全く忘れてしまっているように見えたことです。

どういうわけか、あの暗闇と危険についての記憶は、もはや彼らを少しも悩ませてはいないようでした。

そして、私にとってそれと同じくらいに不思議であり当惑したのは、この人たちが、彼らのまさに目の前でもがき、おぼれている、あの滅びようとしているかわいそうな人々のことを、何も気に掛けてなく、必死に努力するような何の心遣いもしていないようであったことでした。

彼らの多くは、彼ら自身の夫や妻たちであり、兄弟や姉妹たちであり、彼ら自身の子どもたちでもありました。

今やこの驚くべき無関心は、無知や知識の欠如の結果ではあり得ませんでした。

なぜなら、彼らはまさにそこにいて、その光景をすべて見ており、そのことを話題にしたことさえあったからです。

おぼれつつあるそのかわいそうな人々の恐ろしい状態を説明する講義や説教を、いつも聞いていた人々も多くいました。

この檀にいた人々は、さまざまな仕事や娯楽に没頭していました。

利益を得て蓄えをしようと、商売やビジネスに昼も夜も専念している人たちもいました。

その岩の側面の場所で花を育てている人々、絵を書いている人々、音楽を演奏している人々、あるいは、さまざまなスタイルの服を着て、称賛されるべく歩いている人々など、彼らはそうして楽しんで自分たちの時間を過ごしていました。

飲食ばかりしている人たちもおり、すでに救出された人々のことで論争に熱中している人たちもいました。

しかし、私が最も驚いたのは、神が呼びかけられた壇上の人々のことでした。

彼らはキリストの御声を聞いており、自分はそれに従うべきだと感じていました(少なくとも彼らは、自分は従っていると主張していました)。

彼らはキリストをとても愛していると告白していました。

彼らは、キリストが始められたその働きについて彼に心から共鳴していました。

彼らはキリストを礼拝していました。その働きをしますと公言した人々もいました。

私が最も驚いたのは、そういう彼らが、自分たちの商売や職業、自分たちのお金の貯蓄や娯楽、自分たちの家族やグループ、自分たちの宗教や、そのことについての論争、自分たちが本土(天国)に行くための準備などに、あまりにも熱中していて、キリストから彼らに届いた叫びには耳を傾けなかったことでした。

どういうわけか、彼らはそれを聞いても、それに注意を払わなかったのです。彼らは気に掛けなかったのです。

こうして、彼らの真ん前にいる大ぜいの人々は、暗闇の中でもがき続け、悲鳴を上げ続け、おぼれ続けていました。

キリストからの呼びかけ・人々からの叫び

それから私は、この不思議な幻の中でこれより前に起こったどんなことより、はるかに奇妙なことを見ました。

キリストは、壇上の人々のうちのある人たちに呼びかけておられ、彼らが来て、その滅びようとしている人々を救うという彼の困難な仕事の手助けをすることを願っておられました。

ところが、彼らはいつも、キリストが自分たちのところに来てくださるようにと祈って叫んでいたのです!

ある人たちは、キリストに自分たちのところに来てもらって、その方の時間と力を、自分たちをもっと幸せにすることに費やしてもらうことを願っていました。

ある人たちは、彼に来てもらって、その方が自分たちに書き送ってくださった手紙の真理に関して、自分たちが抱いているさまざまな疑問や疑念を取り除いてもらうことを願っていました。

ある人たちは、彼に来てもらって、自分たちがその岩の上でもっと安心を感じさせてもらうことを願っていました。

つまり、自分がその大海原に二度と滑り落ちることはないと確信するようになるまで安心させてもらうことをです。

ほかの大ぜいの人々は、いつか自分がその岩を離れて確実に本土(天国)に行くようになることを自分に確信させてもらうことを願っていました。

というのも、実際、不注意な歩みをして再びあの嵐の海の中に落ちてしまった人たちもいたからです。

こうして、この人々はその岩のできるだけ高い場所に上って会合し、本土のほうを見つめて(キリストはそこにおられる、と彼らは思っていました)、こう叫んでいました。

「私たちのところに来てください! 来て、私たちを助けてください!」

ところが、その間ずっと、キリストは(彼の御霊によって)、あの怒れる海の深みの中でもがいて、おぼれているかわいそうな人々の中に下っておられ、彼らにご自分の両腕をかけて海から彼らを引き出そうとしておられました。

そしてキリストは上を見上げて岩の上にいる人たちをご覧になり、ご自分の声をからして彼らに叫ばれ、こう呼びかけておられました。

 「私のところに来なさい! 来て、私の手助けをしなさい!」

彼は強く願っておられましたが、無駄でした。

解き明かし

その時、私はすべてが理解できました。とても明解でした。

その海は、人生という大海原であり、現実の、本当の人間存在という海でした。

あの稲光は、神の御座から来る真理のきらめきでした。

あの雷は、遠くでこだまする神の御怒りでした。

あの嵐の海の中で悲鳴を上げ、もがき、苦悩している人々の群れは、何百万人もの、かわいそうな罪人たちでした。

ああ、それは何と暗い海だったことでしょう!

また、そこには何と大ぜいの裕福な人や貧しい人、無知な人や教育を受けた人たちがいたことでしょう。

人々は、それぞれの環境や状況の点では、みなちがっていましたが、一つの点では共通していました。

すなわち、神の御前で、みな罪人であることです。

みな、何らかの不義に捕らえられ、また、それにしがみつき、何らかの偶像に夢中になっており、何らかの悪魔的情欲の奴隷であり、悪魔に支配されていたことです!

「みなが共通しているのは一つの点だけですか?」

いいえ、みな二つの点で共通しています。

彼らが邪悪であるという点で同じであるだけでなく、救い出されなければ、下へ、下へ、下へと沈んで、沈んで行き、同じ恐ろしい滅びに至るのです。

あの巨大な避難所としての岩は、カルバリを表していました。すなわち、イエス様が彼らのために死なれた場所です。

そして、その岩の上にいる人々は、救い出された人々でした。

彼らが自分のエネルギーや賜物や時間を使ったその使い方は、「私は罪と地獄から救われて主なるイエス・キリストに付き従っている者です」と公言する人々のさまざまな職業や娯楽を表していました。

あの一握りの、きっぱりと決意していた人々、すなわち、自分の命を犠牲にしてでも、滅びようとしている人たちを救おうとしていた人々は、イエス様の十字架の真の戦士たちでした。

あの怒れる海のただ中から彼らに呼びかけておられた方は、神の御子でした。

すなわち、「きのうも、きょうも、いつまでも同じ」方です。

彼は、私たちの周りにいる、あの死にゆく大群衆を、この恐ろしい滅びから救うために奮闘し、とりなしておられるのです。

そして、その方の御声は、生活のざわめきの上から聞こえており、救われた人々に対し、「来なさい、世の人々を救うのを手伝いなさい!」と呼びかけておられるのです。

キリストは、あなたに呼びかけておられる!

キリストにある愛するみなさん、あなたは、あの海から救出されています。

あなたは今、あの岩の上にいるのです。

キリストは、あの暗い海の中におられて、「来て、私の手助けをしなさい!」とあなたに呼びかけておられるのです。

あなたは行きますか?

あなた自身に目を向けてください。

滅びようとしている大群衆で満ちた、大波を立てているあの海は、あなたが今立っている所にまで波を押し寄せているのです。

さて、この幻とは別に、私は一つの事実をお話しします。

それは聖書と同じくリアルであり、十字架に掛かられたキリストと同じくリアルであり、裁きの日と同じくリアルであり、また、その後に続く天国と地獄と同じくリアルな事実です。

しっかり見てください! 

外見に惑わされないでください。

人間も物事も、本当は、目に見える姿とはちがうものなのです。
 
あの岩の上にいない人々は、みな、あの海の中にいるのです! 

あの大きな白い御座の視点から彼らを見てください、みなさんは何という光景を目にすることでしょう!

神の御子であられるイエス・キリストは、彼の御霊を通して、この死のうとしている群衆のただ中で、彼らを救おうと奮闘しておられるのです。

そして彼は、あなたに、その海の中に飛び込むようにとあなたに呼びかけておられるのです。

すなわち、ただちに彼のかたわらに行って、彼の聖なる闘いの手助けをするように、と呼びかけておられるのです。

あなたは飛び込みますか? 

あなたは彼の足下に行き、彼の御思いのままにあなた自身を完全に献げますか?

あなたは、これから何をしますか?

ある時、一人の若いクリスチャンが私のところに来て、こう言いました。

彼女は、しばらくの間は、自分の仕事も、祈りも、お金も、主に献げていましたが、今度は自分の命を主に献げたいと思うようになりました。

彼女はあの戦いにすぐに入って行きたかったのです。

つまり、彼女はあの海で主の手助けをしに行きたかったのです。

ちょうど、あの岸にいる一人の男性が、海の中でもがいている人を見て、自分の上着を脱ぎ、助け出そうと飛び込むのと同じように、あなたも、そうしてはいかがでしょうか?
 
あなたは、滅びようとしているあのかわいそうなたましいたちのことを考えたり、賛美して祈ったりしながら、まだあの岸の上でぐすぐずしています。

あなたは、あなたの恥を捨て、あなたのプライドを捨て、ほかの人たちの意見のことでの思いわずらいを捨て、安楽さへのあなたの愛着を捨て、とても長い間あなたを引き留めてきた利己心をすべて捨て、そして、死にゆくこの大ぜいの男女の救出へと駆けつけるでしょうか?

あの大きな波を立てている海は暗くて危険であるように見えますか?

もちろん、そうです。そこに飛び込むことが、あなたにとっても、それを行っているすべての人と同様に、困難と冷笑と苦しみを意味することには、何の疑念もありません。

あなたにとって、それは、それ以上のものを意味するかもしれません。それは死を意味するかもしれません。

しかし、あの海からあなたを手招きしておられる方は、それが何を意味することになるか、ご存知です。

そして、それをご存知でありながら、彼はそれでもなお、あなたに呼びかけておられ、あなたに来なさいと命じておられるのです。

あなたはそれをしなければなりません! 

あなたは、それをしないでおくことはできません。

あなたはすでに十分長い間、キリスト教を享受してきました。

あなたは、すでにこれまで数々の楽しいことを経験し、楽しい歌、楽しい集会などを経験してきました。

人間としてのたくさんの幸せも、手をたたいたり、叫んで賛美したりすることも、たくさんありました。地上の天国もたくさんありました。

今度は、神のもとに行って、彼に告げてください、

「私は、そういうすべてのものに私の背を向けるまでに準備ができています。

これから私は、自分に残された日々を、あの滅びようとしている大ぜいの人々のただ中で闘うことに、喜んで費やすことにします、どんな犠牲を払ってでも、そうします」と。

あなたはそれをしなければなりません。

今やあなたの思いの上に、あの光が差し込んでいるはずです。

また、今やあなたの耳に、あの呼びかけ(召し)が鳴り響いているはずです。

また、今やあなたの目の前には、手招きしておられるあの御手があるはずです。

あなたには他の選択の余地は何もありません。

滅びようとしているあの群衆の中へ降りて行くことは、あなたの義務なのです。

今からは、あなたの幸せは、彼らの悲惨さに共感することの中にあり、

あなたの安らぎは、彼らの痛みに共感することの中にあり、

あなたの冠は、彼らが自分の十字架を負うのを助けてあげることの中にあり、

あなたの天国は、行って、地獄が開けている口から彼らを救出することの中にあるのです。

あなたはこれから何をしますか?


10 Aug

(祈り)
収穫の主であられるイエス様。私は今日、このメッセージを読んで主の召しをさらに深く自覚した方のためにお祈りします。

主よ、どうかこの方に内的確信を与えてください。

そしてこの世のもろもろのしがらみを振り切り、あなたの御国の働きにすべてを注ぎ込むことができるよう勇気と力を与えてください。

そして死にゆく民への愛と宣教のビジョンでこの方を満たしてください。

この方の献身を通して、今後、多くの魂が死と滅びから救い出されますように。

そしてこの方の生き方に感化を受け、多くの若いクリスチャンが福音を携え、世界各地に飛び立っていきますように。

この方の生涯を通して、あなたの栄光がこの暗き世に輝きますように。

イエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。

(↓ウィリアム・ブースの見た幻 Who cares?








Ten Thousand Muslims Meet Christ, Iranian Christians International, Inc. Colorado Springs, 2006)

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私の父はスンニ派のイスラム教徒であり、クルド系のリーダーでした。一方、私の母はシ―ア派ムスリムで、王族カジャール家の血筋を引く娘でした。

私が4歳の時、父は政府によって処刑されました。

答えを求めて

7歳の頃、私は神様について、そして創造について問い始めました。

私は母に、「ねえ、どうして私はこの地上にいるの?」とか「天と地はどうやって造られたの?」などと尋ねていました。

それに対し母はこう答えてくれたものでした。

「お前が大きくなったら、どうやってお前がこの世に生まれてきたのか説明してあげるからね。でも天地の創造に関していうならね、目に見えない神様が天も地も造ってくださったんだよ。」

私の母はテヘランにあるカトリック系の名門校を卒業していました。すばらしい母でした。彼女はイスラム教の掟に従って生きようと努めていました。

こういう母に倣い、やがて私も良きイスラム教徒になろうと願い始めました。

12歳になると私はイスラム式の祈りと断食を遵守するようになりました。私は目に見えない神様の臨在を心から感じました。

そんな私に「神様に近づき天国に入るためには、、」と母は次のように教えてくれました。

1) 儀式的祈りと断食を守り行なうこと

2) 他の人の不幸を願わないこと

3) 盗まないこと

4) この宗教の創始者Mを神の使徒と信じ、14名の無罪性を信じること(14名とは、12人のイマーム、創始者Mそして彼の娘ファーテマのこと)

5) 貧しい人に施しをすること

6) イスラム教徒にとって最も聖なる都市メッカに巡礼に行くこと


私は天国に行きたかったので注意深く母のアドヴァイスに従いました。定期的にコーランも読みました。

16歳になった時、私は夫になるべき男性に出会いました。彼は非常に裕福な人でした。

結婚後すぐに、私は夫に頼みました。「私にコーランの手ほどきをしてくれるムッラー〔イスラム教聖職者〕を個人教授に雇ってくれるかしら?」

こうして毎週木曜の2時間、私はムッラーの指導下、聖典の学びをしました。その後10年間、私はこの学びを続けました。

27歳になる頃までに、夫と私は5人の子どもに恵まれました。

それにもかかわらず、私は個人的に神様を知っていないように感じており、また(あまり意味のないように思える)宗教ルールや儀式を守ることは私の心のニーズを満たしませんでした。

例えば、聖典によれば、毎日家で働いている召使たちの前で私はイスラム式ベール着用することが義務付けられていました。でも実際、この要求は実際的でなくベールは何かと邪魔になりました。

召使たちとの接触は避けられず、この不便さに私はかなりイライラしてしまっていました。このルールは無意味に思えました。

その時私はふとこう思いました。「そうだ。メッカ巡礼に行くなら、自分の求めている平安が得られるんじゃないかしら。」

このメッカ巡礼というのはイスラム教徒にとって最も大切な宗教行為であり、この巡礼を志願する人は高い費用を払わなければなりませんでした。

私がメッカ巡礼のことを夫に相談すると、彼はかなり驚いていましたが、同意してくれました。

彼はコム市の有名なアヤトッラー(イスラム教における枢機卿的存在)に連絡を取ってくれ、すぐに私のパスポート、巡礼用の服等が手配されました。

私は巡礼団の中で最年少の女性でした。私は巡礼に行けるというこの喜びをおさえることができませんでした。

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(↑メッカ:サウジアラビア)

メッカに着くと、私はあらゆる遺跡をみてまわりました。そして自分の罪および今は亡き両親や祖父母の罪のために、羊を屠りました。

そうです、私は死者をも天国に行くお手伝いができると信じていたのです!こうして私は帰路につきました。

まことの道をみつけて

帰りの飛行機の中、私は今回の巡礼にきわめて満喫感を覚えていました。

飛行機がテヘランに着く30分前、私は化粧室に行き、公式的なイスラム式ベールをぬぎ、服を着替えました。そしてスカーフを頭にかぶり、マントー(くるぶし丈のローブ)を着ました。

このマントーというのは公式な服よりも着心地が良く、イランでは社会的にも認められている服です。

私が座席に戻ると、巡礼団長であったムッラー(聖職者)がつかつかと私の方に歩み寄り、だしぬけにこう言いました。

「何てことをしてくれたのか、ハジエ(=女性巡礼者)?なんでスカーフとマントーを着ているんだ?

あんたのスカーフの下から髪の毛がのぞいているのが分からんのか?この違反行為によりお前さんは真っ逆さまに地獄に落ちるんだ。それが分からんのか!」

私は自分の耳を疑いました。

そして驚愕した私は、彼をまじまじと見つめながらこう言いました。「一体どういうことですか?神様というのは私たちの心の中におられるんじゃありませんか?」

ムッラーは言いました。

「違う!聖典によれば、人はヘジャーブ(イスラムの服装規約)およびシャリーア(イスラム法)を遵守することによって神に近づくのであって、心の願い云々によるのではないのだ。人の心を巣食っているのはサタンであって、神ではないのだ!」

この会話は私に絶望感をもたらしました。私は神様に言いました。

「神様、いつもあなたに近づこうとするたびに、私は逆にあなたから引き離されるように感じます。ああどうか、あなたに近づく道を私に示してください。」

その後、私はイランを離れ、海外に移住することを考え始めました。私はそのことを夫に相談しました。

最初夫はしぶっていましたが、ついに折れてくれました。こうして1977年、夫と私と子どもたちとは米国に発ちました。

米国に住み始めてしばらくして後、私はアルメニア系のクリスチャン女性と知り合いになり、「教会に行ってみたい」と彼女に打ち明けました。

こうして次の週の日曜日、私は彼女と共に教会に行きました。そしてそこの牧師先生に「ペルシャ語のインジール(新約聖書)を読みたいです」とお願いしました。

すると先生はさっそく翌日、ペルシャ語新約聖書をくださり、「マタイの福音書から読み始めてみてください」と指導してくださいました。

私は先生のおっしゃった通り、マタイ伝から読み始めました。

そして新約を全巻読み終わった時、私は自分がついに生けるまことの永遠なる神様をみつけたことを内に感じました。

私はイスラム教の学課で学んでいた神性とはとても異なる神様を見い出しました。新約聖書の神は愛に溢れた神様でした。

そしてこの神様はイエス・キリストというかたちをとって地上に来てくださり、私たち一人一人の罪の代価を払うため自ら犠牲となってくださいました。そしてイエス・キリストはその後死者のうちより蘇りました。

このようにして、主に信頼する全ての人のためにイエス様は死に打ち勝ってくださったのです。

そして天に至る門を信者のために開いてくださり、さらに地上においても神様と個人的につながる道を開いてくださったのです。

イエス様を通して、至高にして聖なる神様は、近づきやすく身近にいて私をも迎えてくださる神様となったのです。

そしてこの神様は聖霊によって私を変え、私の心を清めてくださるのです。

こうしたものは、私が自ら獲得したものではなく、自分の善行によって得たものでもなく、主の義と愛ゆえに与えられたものです。

聖書にもそのことが明確に書かれています。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ2:8-10


イエス様を通し、他の誰とも何とも違い、神が一なる方であるいう、その意味を学びました。

私はまた唯一にしてまことの神様のご人格のもつ独自性を知りました。そして私に対する天の御父の愛を直に感じました。

主が個人的に私とつながってくださったので、私は今主と親しく交わることができるのです!主にあって私は信頼することができます。主を通して私は変えられた人となったのです!

試練

悲しいことに、米国に来て二年もしないうちに、イランの政府は変わってしまいました。革命勃発後、イランにある私たちの家は没収されてしまいました。

さらに悲惨なことに、イランにいる家族・親戚の何人かは処刑されてしまいました。そして主人にもイランへの帰国命令が出されました。

イランに入国するや主人はただちに身柄を拘束され、投獄されました。刑務所内でのひどい暴行により、夫は歯を何本か失い、足も折られました。

主人を案じつつ、米国で一人、五人の子供を育てることは私にとって試練でした。とても孤独でした。もうどうしていいか分かりませんでした。

私はすべての悩み・憂いを主イエス・キリストに委ねました。

私たちの家族にふりかかった災難をみて、ムスリムの友人や親せきは「あなたがイスラム教を捨て、キリスト教に走ったからこんなことが起こったんだ」と言いました。

でも私は自分が正しい道を選んだこと、そしてイエス・キリストを通して神様とまことの関係を持つようになったことについての内的確信がありました。

ささいな出来事も含めて、私の人生における全ての事は神様の善き御手のうちにあり、神様は私に善きものしか賜らないということを私は信じていました。

私はひたすら祈り、神様に感謝をささげ続けました。

最終的に、イランにある私たちの全財産は没収されました。しかし神はほむべきかな。夫は釈放され、私たちの元に戻ってきたのです。

そして再び皆で一緒に米国生活を始めました。夫と私は、子どもたちが学業を終えるまで共働きしました。そうして後二人の娘はそれぞれ結婚しました。

こうしてふつうの日常が繰り返されると思っていた矢先、さらなる試練が襲いました。

主人が心臓発作に襲われ、48歳という若さで召天したのです。私は再び一人ぼっちになってしまいました。

信仰による満たし

しかし私は信仰を持ち続けました。そしてこの信仰が私を支えました。

神様の恵みと主イエス・キリストへの信仰を通して、私と子どもたちは次第にこの苦難を乗り越えていきました。そして神様は聖霊により私たちを支えてくださいました。

また日常が戻ってきました。

やがて子どもたちはそれぞれ自立し、私は今、7人のかわいい孫たちに恵まれています。

今振り返ってみると、つらかった時期に、いかに神様が私たち家族を守ってくださっていたかがはっきりと分かります。

神様は私たちにまことの平安と喜びを与えてくださいました。救いは私は最大の宝であり、この計り知れない富は神の賜物です。

私はこの証しをインジール(新約聖書)の御言葉をもって終えることにします。

この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使4:12

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25

(↓♪大いなる方に、のペルシャ語賛美です)






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宣教師としてギリシアに来たばかりのある日、私は、某国出身の宣教師の教会を訪れ、彼の奥さんとお話する時間をいただきました。

「もう15年近くギリシアにいらっしゃるんですよね。これまでどのように過ごしてこられましたか?」と新米の私は、この先輩に質問してみました。

するとこの宣教師の奥さまは、こう言われました。

「ええ、実に苦しい年月でした。あまりに苦しすぎて、どんな風に過ごしてきたのか正直分かりません。時には下着を買うお金さえありませんでした。」

そして私を見つめ、「この歳月の間に、私が流した涙を量るなら、この建物いっぱいに溢れるでしょう。」と付け加えられました。

これを聞いた私は茫然となりました。

そして6階建ての建物が、彼女の涙で洪水のようになっている状態がなまなましく脳裏に描き出されるや、私自身、悲しみでいっぱいになってしまいました。

〈それにしても、下着を買うお金がないとは、なんときびしい状況だろう。宣教師生活とはこれほどまでに困窮したものなのか。私はこんな状態に耐えていくことができるのだろうか。〉

彼女への同情心と共に、将来への不安や心配が私の心を黒雲のように覆い始めました。

☆☆

さて、その後、10年余りが経ちました。

これまでのことを振り返ってみた時、確かにこの先輩婦人のいう経済的苦しさを私もそれなりに味わってきたこと――それは否定しません。

でも、私はそれをもひっくるめて、「楽しかった」と証することができます。

そこにはたくさんの気づきがあり、発見があり、冒険がありました。

これから私がお証しするのは、「聖書的な経済原則」とか、「宣教師のための経済生活講座」とか、そんなものでは全くありません。

ただ、私がギリシアの片隅でこれまで経験してきたこと、そして、そこから自分なりに学んできたことをお分かち合いするだけです。

神さまは、百人いれば、百通りの方法で、私たちにご自身の原則を教えてくださる方だと思います。

また、お金の証しは、私たちの実生活に密着したものなので、これから宣教師として未知の世界に踏み出そうとしていらっしゃる方々にとっても何らかの力添えになるなら幸いです。

☆☆

まずこの10年間、経済生活という面で、私の支えとなった聖句はこれでした。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)。

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道を知っており、豊かさの中にいる道を知っています。

また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:11-13)。


私は、経済サポートもろくにないまま、主に示されるままに、ギリシアに来ましたので、私の宣教師ライフは常に「未知の未来に向かっての信仰の奮闘」という感じでした。

☆☆

はじめにことわっておきますが、私は高度経済成長期の日本に生まれ、愛情深い両親の庇護のもと何不自由のない生活を送ってきた、いわゆる「温室育ち」の娘です。

ですから、貧に処する道というのは、もともと私に備わっていたものではなく、クリスチャンになってから私が後天的に体得していったものです。

冷蔵庫のない生活

アテネ市内の新しいアパートに移った時のことですが、その頃、私の経済状態はきびしく、冷蔵庫を買うお金がありませんでした。

それでその後、半年ほど冷蔵庫なしで生活をしたのですが、これがなかなか得がたい経験でした。

まず「冷蔵庫は生活必需品であって、これがなければ人間生活は成り立たない」という私の固定観念が打ち破られました。

思えば、『赤毛のアン』の時代も、冷蔵庫はなく、人々は地下の貯蔵室に食べ物を保存していました。そしてそれなりにみんな明るく楽しく生きていたのです。

それに最近では、さまざまな種類の缶詰も発売されており、野采・果物などに関しても、こまめにスーパーに行きさえすれば、特に生活に支障はないことも発見しました。

つまり、冷蔵庫というのはあればもちろん便利だけれども、なかったらなかったでそれなりにちゃんと生活は成り立つということに気づいたのです。

また洗濯機についても同じことがいえました。

私はこちらに来て、3年余り、バケツに水を溜めてゴシゴシ手洗いしました。もちろん日本では服を手洗いしたことはありませんでした。

地中海のあたたかい日差しを背に浴びながら、裏庭にしゃがみこんで無心に服を洗っていると、なにかこう内側に生命力がみなぎるのを感じました。

現在、私の住まいには冷蔵庫も洗濯機もあり、ありがたくそれらを使用していますが、また何かの事情でそれらを売却しなければならなくなったとしても、それはそれでOKです。

以前のように、こまめにスーパーに足を運び、またバケツに水を溜めればいいだけの話です。

それで分かったのですが、「何かがあったらあったでいいけど、なくてもOK」というのを知るのは一種の解放だということです。

そして神様は私にこの解放感、この自由を味わわせたいがために、私を時々、経済的貧の道に導かれるのだと思いました。

プライドがくだかれて

また、「受けるにも、与えるにも自由になってほしい」と、神様は私を経済的貧の道に導かれました。

私はそれまで貧しい人に施しや献金をしたことはありましたが、人から施しをされたことはありませんでした。

でも人からの経済的・物質的援助をぜひとも必要とする状況に導かれて気づいたのは、私には隠れたプライドがある、ということでした。

「人から施し物を受けるほど私はおちぶれていない」というプライドが、祝福の道を妨げていることに気づいたのです。

「新品ではないけど、あの姉妹にサイズの合わない自分の服をあげたい。でも、そんなことをしたら、彼女は気を悪くするかな?」と人に感じさせるもの――その隠れたプライド――が砕かれるまで、神様は私を砕き続けました。

そしてプライドが打ち砕かれると共に、どっと私の人生に祝福が入ってきました。

いろんな人が、100%の善意から、私にいろんな物を持ってきてくれるようになりました。

中古のお皿、古着、テーブル、ランプなどなど、、、私はそれら一つ一つをありがたく受け取りました。

そして自分がすでに持っている物は、自分よりももっと貧しい人々へ施していきました。

でもここで注意しなければならないことは、私たちは人に「あわれっぽく」見せる必要はないということです。

また媚びるような態度を取ってはならないということです。

私たちはたとえ物質的に貧しい時期があったとしても、依然として王の王であるイエス様の弟子であり、選ばれた種族です(Ⅰペテロ2:9)。

見栄をはったり、やせ我慢することは間違っているけれども、だからといって貧しさに心いじけるのも御心ではないと思います。

だからどんな状況にあったとしても、私たちはまっすぐ前を向き、堂々と生きてゆくことができるのです。

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シンプルライフへの道

また神様が私を経済的貧の道に導かれた三番目の理由は、「自己矛盾のない生き方」を追求させるためだったと思います。

先日、ある宣教団体で通訳者として雇われている難民の女性(40代)が、私にこう言いました。

「ちょっと聞いてください。私は週に三回フルで働いて、月給は300ユーロです。夫は無職で、私には二人の子どもがいます。

一方、同じ団体の宣教師の月給は独身の人でも月2000ユーロ以上です。

もちろん、私だって神様のために奉仕しているのですから、お金のことで文句を言いたくありません。

でも、この差はいったい何なのでしょうか。同じような奉仕をしていて、なぜこれほど月給に差があるのでしょうか?」

彼女の問いはもっともだと思います。残念ながら、南北問題・経済の不均衡は、キリスト教界にもびっしり根を張っているのです。

現在、ギリシアでは多くの人が失職中であり、たとえ職があっても、月給は安いです。

店の一般従業員が月に800~1000ユーロ、国立大学の教授でも月給1800ユーロといったところでしょうか。

ですから月給2000ユーロ以上というのは、ここギリシアでは破格の給料なのです。

でも先進国の生活水準を維持しようと思えば、2000ユーロというのは必要不可欠な額だということになります。

以前、こうした不公平さを何とかしようと、ある宣教団体は、英語の達者な難民の某兄弟を牧師として昇格させ、宣教師と同じ額の給料をあげ始めました。

しかしこの決定は、「教会の働き人になる=お金持ちになる」というメッセージを難民に発する結果となり、この牧師職をねらって、みにくい争奪戦まで起きてしまいました。

ですから、この問題に正面から向き合うなら、結局、「私たち宣教師が現地でどのような経済生活を送るのか」というところに焦点がしぼられてくると思います。

そしてそこから私が導きだした結論は、「私なりに最大限、簡素な生活を送ろう。シンプルライフに努めよう。」ということでした。

宣教師と現地人との間における経済的格差の克服という点で、私に大きな感化を与えたのは、18世紀のモラヴィア兄弟団の宣教師たちの生き方でした。

彼らは経済面を含めて、現地人と溶け合い、質素な生活を心がけていました。

私が郊外の大学街から難民街(外国人街)に移り住んだのも、こういった点で自己矛盾なく生きていきたいと思ったからです。

おわりに

宣教師というのは、聖なる乞食のようであり、貧しい貴族のようでもあります。

私には蓄えも何もありませんが、主はこれまで誠実に私の必要を満たしてくださいました。

そして私の隠れたプライドを砕くことで、新しい祝福の道を開いてくださいました。

経済的な貧の道を行く中でつらかったことの一つは、本を買うお金がないということでした。私のように本好きな人は、このつらさを分かってくださると思います。

しかし、この点でも主は私に驚くべき恵みを与えてくださいました。

誰にもそのことを打ち明けたことはなかったのに、日本やアメリカの兄弟姉妹が良書を無償で郵送してくれるようになったのです!

またいろいろな人から施し物をいただいたり、私の方から誰かに施しをする中で、私は自分が実に満ち足りていることに気づきました。

そして愛され、愛しながら、そのただ中にイエス様がおられることを実感するようになっていきました。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)。

アーメン。

この証しを読んでくださって、ありがとうございました。







Passion for the soul

みなさん、こんにちは。このブログを訪問してくださり、また、記事やエッセーを読んでくださりありがとうございます。

私は、普段ほとんど日本の方にお会いする機会がありません。

でも、このブログを読んでくださっている日本の兄弟姉妹の方々とこのような形でつながることができ、うれしいです。

さて、最近の私の祈りは、「主よ、魂に対する情熱を与えてください」です。福音書を読むと、神様がどんなに人間を愛しておられ、失われた魂が牧者の元へ立ちかえることを望んでいらっしゃるかということに気づかされます。

もっともっと周りにいる魂のために、彼らの救いのために祈っていきたいです。

形だけの祈りではなく、本当に自分の全存在をかけて、とりなし祈っていきたいです。ほんの少しでもいいからデイヴッド・ブレイナードのような力強い祈りができるようになりたいです。

☆☆

先日、ある難民施設を訪問しました。イスに座っていると、P国出身の女性(3人お子さんがいらっしゃいました)が話しかけてこられました。

私がクリスチャンだと分かると、「私はキリスト教をはじめ、すべての宗教を信じているんですよ。」とその方は言い、熱心にご自身の宗教について語り始めました。

それによると、彼女は自分の国の宗教の狂信性にほとほと失望していたそうです。

そんな最中、同じP国出身の某「聖者」に出会い、この「聖者」こそが約束されたメシアであることを知ったそうです。

今、この「聖者」はもう地上にいないそうですが、今もエネルギーや瞑想を通して、このメシアとコミュニケーションを取っているというのです。そしてこの宗教は今、全世界に拡がっていると。

「あなたはキリストも信じているとおっしゃいましたが、では、その『聖者』とキリストとでは、どちらがより偉大なのですか?」と私は質問しました。

彼女は、「はい。『聖者』がより力強く、より偉大な方です。イエスはGodですが、『聖者』はGrand Godなのです。」と答えました。

話を聞いて私が理解したところでは、彼女は中東産のニューエイジに深く関与しており、このニューエイジは、グル崇拝、心霊主義(スピリチュアリズム)、スーフィズム(イスラム神秘主義)、占星術、解脱の教理などの混ぜ合わさったもののようでした。

権威づけのためか、クリスチャン用語も要所要所で使われていました。

またこの『聖者』の語録集の本タイトルは、Holy Scripture(=聖書)と印字されており、さらに、私たちの使っている聖書の中の神表記と同じように、『聖者』を指す人称代名詞はことごとくHimと大文字で書かれていました。

つまり完全にこの『聖者』は、神として祭り上げられていたのです。

彼女はこの宗教に入信したため、夫から離縁され、今、3人の子どもを抱え、アテネで大変苦しい生活を送っていることもうかがいました。

きれいな葉っぱ


私は、目の前にいるこの女性に対する憐れみの思いでいっぱいになりました。

ニューエイジの罠に陥ってしまい、それがクモの糸のように彼女の魂にからみつき、彼女の霊を縛っていることに何ともいえない悲しみを覚えました。

☆☆

一般に、ニューエイジの霊にとりつかれた方にみられる特徴の一つは、非論理性(霊性と理性の乖離)ではないかと思います。

彼女は、私に『聖者』の顔写真および月の写真を見せ、

「ほら、これを見てください。月のこの部分に『聖者』の御顔がはっきり表れているでしょう?現在、この方の御顔は月や火星や太陽の表面や、カーバ神殿の黒石にまぎれもなくはっきりと表れているんです。NASAの写真もそれを証明しています。」

と説明しました。

私もその月の写真を見ましたが、どう見ても、ただのクレーターの写真にしかみえませんでした。

私たち日本人は、幼い時から、「ほら。お月さまを見てごらん。うさぎさんがお餅をついているでしょ。」と言われて育ちます。

それは子ども心に楽しい夢を与えるものです。でも、大人になった人がそういう〈お話〉の上に自分の生きる基盤を築いていくなら、それは悲劇です。

どうして彼女のような知的な女性が、こういう非ロジカルでナンセンスなことを受け入れ信じ込んでしまっているのか、それが私にはショックでした。

こうしてナンセンスな世界に入り込んでしまった人は、正常な判断能力を失い、その結果、マインドコントロールを受けるようになります。

そしてそういう状態に陥った人の精神世界は、さまざまな形で悪霊の支配を受けるようになります。

また、彼女との会話を通して教えられたのは、「言葉の定義に注意しなさい」ということでした。

彼女に限らず、一般にニューエイジの本には、「イエス」「キリスト」「救い主」等、一見、キリスト教を思わせるような用語がたくさん使われています。

でも、よくよく調べてみると、彼らのいう「イエス」と私たちの「イエス」は違うのです。同じ言葉ですが、その中に含まれている意味や実体はまったく異なっているのです。

例えば、この宗教グループのメンバーは、月に向かって、「イエス、イエス、イエス」と3回唱えるしきたりになっています。

彼らが拝んでいるのは、聖書の中の「イエス・キリスト」ではなく、自分たちがこしらえたグル(guru)の一人にすぎないのです。

ネモフィラ

『ニューエイジの罠』の著者、水草修治先生は、ニューエイジと聖書的キリスト教の相違を次のように説明しておられます。

1)ニューエイジ=「人間中心」
キリスト教=「神中心」

2)キリスト教が神の栄光をあらわすことを目的としているのに対し、ニューエイジにおいては、人間が自己実現することが究極の目的である。(ウィキペディア〈ニューエイジ〉項より)

また尾形守師は、宗教的包括主義、宗教多元主義、リベラル神学と、ニューエイジとの関わりについて言及しておられます。(『ニューエイジム―ブメントの危険』)

日本でも「癒し」や「健康」ブームの波に乗って、ニューエイジは人々の精神生活に少なからぬ影響を及ぼし始めているのではないでしょうか。どうでしょうか。

☆☆

彼女とひとしきりお話した後、私は彼女の子どもたちと折り紙を作って遊びました。子どもたちは大喜びでした。

その日以来、私は毎日、彼女の救いのために祈っています。

これは霊的な戦いでもあるので、ぜひ祈りの応援が必要です。

このブログを読んでくださったみなさん、もしできましたら、私と心を合わせて、この方がニューエイジの霊から解放され、本当の救い主イエス・キリストに出会うことができるよう祈ってください。ありがとうございます。


ああ、魂を想う熱烈な情熱を、

ああ、飢え渇いている者に対するあわれみを!

死に至るまで愛し抜く その愛を、

燃え上がるその炎を!

勝利するまで祈り切る、その純粋な祈りの力、

―失われた魂のために注ぎ出すその力を!

征服者の名による 勝利に満ちた祈り、

ああ、ペンテコステよ!


エミー・カーマイケルの祈り(私訳)







Green park 2


私たちがどこかの宣教地に遣わされると、そこにはいくつかの文化が存在することに気づきます。

まずは1)現地の人々の文化です。そして次には、2)宣教師コミュニティの文化があります。そして最後に、3)自分の生まれ育った文化があります。

私の場合だと、1)は、難民コミュニティーの中東文化、および地元のヨーロッパ地中海文化、2)は(圧倒的多数が北米出身の宣教師なので)アメリカ・カナダ文化、そして3)は、日本文化です。

私は宣教師としてこういった多様な人々に接し共に働く中で、この文化理解が、福音促進(あるいは妨害)に少なからぬ影響を及ぼしていることに気づきました。

今回は、男女間のマナーという点で私が学んできたことをお分かち合いしようと思います。

☆☆

私はギリシアに来た当初、比較的カジュアルに難民に接していました。しかし、いくつか失敗をしでかしてしまい悔い改める中で、自分のアプローチ方法に問題があることを示されました。

またハドソン・テーラーやエミー・カーマイケルといった、現地の人々に大きな霊的インパクトを与えた宣教師たちの回想記や伝記を熟読しました。

そうする中で分かったのが、現地の人々の文化を学び、その文化の枠組みの中で共に生き、福音を語る時に、そのメッセージはもっとも深く人々の心に伝わるということでした。

男女間のマナーという点でいえば、中東文化は、欧米文化に比べ、もっとフォーマルかつ線引きがきっちりなされています。

何年か前、私は次のような光景を目撃しました。

中東出身の男性(既婚者/求道者)が病院の中で、北米出身のある女性宣教師(独身)にばったり出会いました。

この宣教師は、「Hi,~~,how are you?」とこの男性をファーストネームで呼びながらハグし、ギリシア式に、彼の両頬にキスをしました。

私はこの瞬間、この男性の顔がひきつるのをまざまざと見てしまいました。

そして実際、この宣教師が去った後、この方は、仲間の男性にとまどいの気持ちを打ち明けていました。

また、言葉遣いにおいても、中東文化は、日本文化と似ていて、家族や同性の友人以外の人が、誰かを呼び捨てにすることはほとんどないことにも気づきました。

それ以降、私は、親しい同性の友人を除き、人々を呼ぶ際、「Agha(=氏/男性)」,「Khanom(=さん/婦人)」, 「Baradar(=兄/クリスチャン)」, 「Khahar(=姉/クリスチャン)」と必ず敬称をつけて呼ぶことにしました。

また、60代以降の男性に対しては、さらに尊敬の念を込めて、(ファーストネームではなく)「苗字+氏」とお呼びすることがよりふさわしいことにも気づき、それを実行しました。

またインド・ヨーロッパ諸語では、「あなた」と呼ぶ際、単数形と複数形がありますが、この複数形は、たとえ話しかけている相手が一人であっても、これを用いることで尊敬の意を表すことができます。つまり敬語表現になるのです。

それで、私は、子どもたちに話す時以外は、すべて複数形の敬語表現で周りの人々に話すようにしました。

また、この文化の中で望ましいとされている男女間の健全な距離をしっかり保つよう、細心の注意を払うようにしました。

そうすると、周りの人々の私に対する接し方が変わってきました。特に男性の方々においてその変化には著しいものがありました。

例えば、最初の頃、男性の方々は、教会で会うと、「Hi!」と言いながら、私に手を差し出し握手してきました。

しかし、私が彼らの文化から学び、その規範を尊重しはじめると、次第に握手を求めてくる人はいなくなりました。

その代わりに、彼らは自らの胸に手を当てつつ、深々とおじぎをするようになっていったのです。

(ちなみに、胸に手を当て、おじぎをするという仕草には、「あなたを非常に尊敬しております」という厳粛な意味が込められています。)

男性の中には、中世の騎士を思わせるほどに礼儀正しく、こちらが恐縮するほど丁重に接してくださる方も少なくありません。特にクリスチャンの男性はそうです。

また、たとえ厳格なイスラム教徒のご主人であっても、私が彼の奥さんや子どもたちと接触することを許可してくれるようになりました。

なかには、「妻は家でひとりぼっちです。どうか時々、うちにいらして、彼女の話し相手になってあげてください。」と頼んでこられる方もでてきました。

ああでも当初、私の取っていた言動・服装・マナーは、かえすがえすも、まことに恥ずべきものでした。

私はあまりにも無神経でした。これに関して私はまったく言い訳の言葉をもちません。

その時は愚かにも全く自覚していませんでしたが、今、私は自分の罪を悔いています。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。

それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。詩篇51:3,4


祈り)
主よ、男女間のマナーという点で、かつて私は愚かな間違いを犯し、あなたの聖い御名に傷をつけるような言動をとっていたことを告白します。

私は本当に自分の罪を悔いています。異文化の人々に福音を伝える上での配慮にも欠けていました。

今、私がここで奉仕することが許されているのは、ただあなたの大いなる赦しと憐れみがあったからこそです。どうか私を赦してください。

☆☆

さまざまな国から、毎年、短期宣教チームがアテネにやって来ます。彼ら若者の情熱と信仰はすばらしいです。

しかし、私はかつての自分に対する批判を込めて言いますが、一部のクリスチャンのモラルの低さ、異文化に対する理解のなさ、そして男女間の節度のなさは、こちらにいる難民の人々のひんしゅくを買っています。

多くのまじめな求道者が、「○○宣教チームのあの人たちは、あんなことをしていますが、クリスチャンとはこういう(性的・倫理的に)だらしのない人々なのですか?」と私たちに問いかけます。

そしてこういう軽率な振る舞いは、「あわよくば、外国人クリスチャンの女性に交際を申し込んで、配偶者ビザをゲットして、先進国に移民したい」というような、いやしい下心を持った男性たちを多く教会に誘引することにもなります。

私たちクリスチャンのルーズな言動によって、真摯な求道者が教会から離れていくなら、それは災いです。

主よ、どうか赦してください。教会を聖め、そして私たちを聖めてください。

☆☆

最高の文化をめざして

最初に私は、自分のまわりに3つの文化があると書きました(現地の文化、宣教師コミュニティーの文化、日本文化)。

でも実は4番目の文化があるのです。――それはキリストの文化です。

キリストの文化は、前の3つの文化を凌ぐ最高の文化です。

それぞれ地上の文化には、キリストの文化の美しさをほのかに映し出している部分もありますが、いずれにしても完全からはほど遠いといえます。

キリストの文化は、聖さ、天的な輝きに満ちた文化であり、そこには退廃の影もありません。

今回、中東文化圏における男女間のマナーについて書きましたが、彼らに福音を伝える上でつまずきとなるようなものは何であっても避けるべきだと思います。

そして、私たちの倫理基準(の低さ)によって、彼らが天の門から遠ざかることのないよう、十分に気をつける必要があると思います。

しかし、「相手につまずきを与えない」というのは、あくまで消極的な取り組みだといえます。

私たちは、そこからさらに一歩進んで、聖さにおいても、正直さにおいても、日常の言動においても、私たちの愛するイエス様のすばらしさを反映していく器として整えられていくよう積極的に求めていくべきだと思います。

私たちがそれぞれ置かれた場において、こういったキリストの文化―神の国―を日々築いていくことができますように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。




Honduras pictures

以前私は、南米ホンジュラスの貧民を懸命に助けている老夫婦のことを記事に書きました(ココ)。

日本には善意と愛にあふれる兄弟姉妹がたくさんいらっしゃいます。

こういう方々は、隣人の苦しみを見過ごしにすることができず、彼らのために具体的にどんなことができるのだろうと日々祈り、考えておられます。

そのような兄弟姉妹に向けて、今回、ホンジュラス便りをご紹介できることを私はとてもうれしく思っています。

私自身、このような形で、貧困にあえぐ私たちの隣人に関わることができることを神様に感謝しています。

それでは、ニコとロスィータの話に耳を傾けてください。

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。マタイ25:40


今年2月のニュースレターの中で、スィグアテペケ(Siguatepeque)近郊に住む人々の悲惨な状況について触れました。

その後、読者の方々の何人かが、寛大にも彼らのために献金を捧げてくださり、その献金によって第一番目の家が建ちました。

ニコ・ザヴァラと奥さんのロスィータは、8週間ほど前、その家に移り住みました。

その後、私はニコとロスィータのこれまで辿ってきた人生についてもっとうかがうことができました。その話は悲しくも、感動に満ちたものです。

ニコは80歳で、妻のロスィ―タは身体障害者です。二人ともほとんど教育を受けることができませんでした。

二人は、サトウキビ・ジュースを屋台で売ることによって生計を立てています。

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彼はサトウキビの一部を自分で育て、残りは業者から仕入れています。バザールの日には、彼は市場まで手押し車を押して行き、それから絞り器を使ってジュースを絞り始めます。

以前、ニコとロスィータは、非常に重い木製の手押し車を使っていました。

その重い手押し車をうまく押すことができずに道端で苦しんでいたニコを見た、ルイス・ヴェガ兄弟は、「一緒に押していきましょう。」と助けを申し出ました。

このようにしてルイス兄弟は、ニコおよびロスィ―タと知り合い、さらに、二人が真摯なクリスチャンであることを知りました。

その後、ルイスをはじめとするクリスチャンの兄弟たちが、持ち運びがより容易な、金属製の手押し車を作ってあげました。

3年ほど前、スィグアテペケのビジネスマンであるオスカー・ペレツさんが、ニコが市場に手押し車を押していく姿を見、「バザールのない日には、ここに無料で手押し車を置いてもいいですよ。」と近くにある場所を提供してあげました。

さらに、ニコとロスィ―タがホームレスであることを知ったオスカーさんは、自分の敷地内にある掘立小屋に住んでもいいと申し出ました。

この小さな小屋には、電気も水も、トイレもありませんでしたが、――もちろん路上生活よりはましでした。

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それでニコとロスィ―タは小屋に移り住み、ニコは敷地内でサトウキビを栽培し始めました。

しかし今から一年ほど前、隣人の一人が、「ホームレスが近くに住むのはイヤだ」と苦情を言い始めました。

そしてこの隣人はあの手この手でニコとロスィ―タを立ち退かせようと働き始めました。

ここ以外に行き場のないニコとロスィ―タは、この嫌がらせにただただ耐えていました。

小屋に水道がないため、二人は毎日、500mほど離れたところにある貯水タンクに水を汲みに行かなければならなかったのですが、ある朝、そのタンクに死んだ犬が放り込まれているのをニコは発見しました。

これを見た時、ニコは「もうだめだ」と思いました。そして再び路上生活に戻ることを考えました。

しかし、ルイス兄弟は、読者の方々がこの目的のために献金してくださっていたその資金を用いて、その時すでに彼らのために新しい家を建て始めていました。

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それから数日以内に、ルイス兄は家を完成させ、ニコとロスィ―タの引っ越しを手伝いました。

彼らの新しい家は、スィグアテペケから数キロ離れた美しい山間部にあります。その家には電気、水道、屋内トイレ、浄化槽があります。

さらに、広い敷地を利用して、ニコは現在、サトウキビ、さや豆、キャッサバ、トウモロコシなどを栽培しはじめています。

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ここに移り住んでから一週間後、ニコは前に住んでいた小屋の近くに栽培していたサトウキビを収穫するため、そこに向かいました。

しかし悲しいことに、誰かがサトウキビをすべて切り落とし、燃やしてしまっていました。ニコは全収穫を失ってしまったのです。

しかしニコとロスィ―タは、「主のみこころなら、これからはこのような状況に陥ることはない」と、そのことを覚え感謝しています。

そして二人は、新しい家を提供してくださった方々、さまざまな形で彼らを助けてくださった全ての方々に感謝しています。   
2014年9月 デイヴィッド・ベルソー

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わたしたちは、大きなことはできません。
ただ、小さなことを 大きな愛でするだけです。
 マザー・テレサ


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