risu 3

はじめに

私は以前、祈りのベールについて自分自身の証し(ココ)や、その他の特集記事を書いたことがありました(ココココ)。はじめに申し上げておきますが、私はカトリック教徒ではなく、聖書信仰のクリスチャンです。

現在、世界各地で(特に福音主義のクリスチャン女性の間で)、1コリント11章のみことばに従い、以前のように祈りのベールをつける動き(回復運動)が起こっています。

しかし動きといっても、集団で大挙をなすタイプのムーブメントではありません。むしろ、あちらで一輪の花が咲き、こちらでも一輪の花が、、、といった風に、聖書を読み、祈る姉妹たち一人一人の魂に主が働きかけてくださっているのです。

ですから祈りのベールをつけるよう導かれた姉妹は、通常、教会でたった一人、かぶり物をつけて礼拝に参加し、信仰生活を送っている場合が多いのです。

さらに特筆すべきことは、ベールをつける決心をした姉妹の多くが、年配女性というよりもむしろ、あなたや私のような20代~30代の若い女性だという点にあります。

こういう女性たちは、自らの弱さや羞恥心と闘いつつも、この世の潮流に抗し、聖書の価値観に従って生きようとしています。

今日みなさんとお分かち合いしようと思っているのは、そういった姉妹たちの証しです。最初にとりあげるのは、アッシュリー姉妹(22歳)のライフストーリーです。彼女は若さ溢れるニューヨーカーであり、アフリカ系アメリカ人です。

またその後、ロシア出身でカナダ在住のイリナ姉妹(25歳)の証しをとりあげます。

イリナさんは、生まれつき身体障害があり、それゆえに、子どもの時からずっとひどいいじめを受けてきました。しかし彼女は「そういったいじめ体験が、私を真理探究に向かわせました」と語っています。彼女の話にもどうぞ耳を傾けてください。

また、この記事の最後には、Head Covering Movementの創始者ジェレミー・ガーディナー兄弟からの励ましのメッセージ(『あなたは独りで立ちますか?-祈りのベールをつける最初の人になろう!』)を載せました。

ジェレミー兄自身、カナダ人の若者です。ユーモアを交えながら、彼は心に染みる感動的なエッセーを私たち姉妹のために書いてくださいました。

私は彼のこのエッセーを、「祈りのベールをつけたいけど、その勇気がない。神様、助けて!」と祈っている真摯なあなたに特に読んでいただきたいです。

あなたはひとりじゃない。あなたのことを理解し、熱く応援してくれている人がいるということを実感できると思います。そして100倍勇気づけられると思います。

愛する日本の姉妹のみなさん、応援しています!

☆☆

head-covering-testimonies.jpg

アッシュリー・ブラウン姉妹の証し
(出典:http://www.headcoveringmovement.com/testimonies/covering-testimony-ashley-brown 翻訳許可をいただいた上で2014年11月翻訳いたしました。)

年齢:22歳
所:米国ニューヨーク州ロングアイランド
祈りのベールをつけ始めた時期:2013年9月

Ashley-Brown-Testimony.jpg

1)読者のみなさんに、自己紹介してください。

私は22歳で、ニューヨークのブルックリン生まれ、ロングアイランド育ちです。

私の趣味は、作曲、ピアノ奏楽、バスケ、それに楽しいこと何でも好きです。私はオープンで社交的な性格です。地元に住んでいる人をみんな知っているというタイプの娘ですが、本当の友だちといえるのは数人です。

私はイエス様が大好きで、主を喜ばせたい、主に仕えたいというのが自分の唯一の願いです。

私の家族はすてきな人たちです!うちはホームスクーリング家庭です。母は賢い人で、主に熱心に仕えています。私の継父は現在うちの教会の賛美リ―ダ―をしています。父はやさしくて、穏やかで、心のひろい人です。私は7人兄弟の真ん中ですが、兄弟仲がすごくいいです。

私は常に宣教に対する情熱がありました。そして今年から中国宣教に関わり始めています。でも何か特別なことをしているわけじゃありません。行く先々で御言葉を分かち合い、世の中のものから聖別された者として、自分の信仰についてお証ししているだけです。

にもかかわらず、神様は働いてくださり、私を変えてくださっています。そのことを主に感謝しています。

2)あなたはどこの教会に通っていますか?教えてください。

私はロングアイランドにある教会(non-denominational)に通っています。うちの教会はかなり大きいです。メンバーは500-600名以上います。やさしく、協力的な人ばかりです。

また私はヴォディー・バウハム師、ポール・ウォッシャー師、ビル・ゴサード師の説教が好きです。

3)どのような経緯で、祈りのベールをつけるようになったのですか?

話は中国への長期宣教旅行に行っていた時にさかのぼります。

その当時、数カ月に渡って、神様は私に慎み深い服装をするよう内的示しを与えてくださっていました。でも、慎み深い服装といってもいったい何から始めていいものやらさっぱり分かりませんでした。というのも母教会の人々、学校のともだち、家族みな同じようなファッションをしていたからです。

でも神様はある時点でついに私の服装を決定的に変えてくださったのです。そしてそれは絶妙のタイミングでした。

というのも、私の宣教フィールドは、中国人を除けば、その他は大部分イスラム教徒だったからです。効果的な宣教をする上で、この慎み深い服装というのは大きな役割を果たすと私は思います。

それはともかくとして、聖霊が私にその事をはじめて示してくださった時、私は服装を完全に変えるまで部屋を出ることができませんでした。

私に示された慎み深い服装とは、ロングスカート、それに胸の部分を覆うスカーフでした。そういうスカーフをすることで、体のラインが隠れ、変な注目を避けることができるのです。

でも最初私はおびえていました。なぜって他の人と違っているのが怖かったからです。でも聖霊は私がこれ以外の着方をするのを許しませんでした。

神様に対するこの服従は、正しい決断をする上での一つの大きなステップでした。またこの事を通してさらに自分自身を余すところなく主に明け渡す覚悟ができました。そして自分の育ってきた異教文化からさらに聖別される覚悟もできました。

そんなある日のことです。御言葉を黙想し、深い祈りのうちにあった時、私は1コリント11章の言葉に行き当たりました。

実は以前にもその箇所にぶち当たったことがあり、教会の長老のところに質問に行ったことがありました。すると長老は「この箇所は今日の私たちには適用されない」とおっしゃいました。

私は当時まだ子どもだったのですが、その説明になにか納得いかないものを感じました。とはいえ、私は長老の言葉の影響を受け、それ以上は考えないことにしました。

でも今回その箇所を読んだ時、私はそこを素通りすることができませんでした。なんだか頭がおかしくなりそうでした。だって聖書はここで明らかに二種類のかぶり物のことを言っているではありませんか。

一つは祈りおよび預言する際のかぶり物、そしてもちろん後半の箇所で神様は、私たち姉妹に男性のように髪を短く切ってはいけないことをおっしゃっています。

私は家族や親しい友人たちにメールを出し、これに関して意見をきいてみました。

祈る時にかぶり物を着けないのは、髪をそっているのと同じくらい恥ずべきことだと神様はおっしゃっています。髪をそるというのは、当時、不名誉の象徴でした。つまり、これは深刻な問題なのです!

もちろん私のクリスチャンの友人たちは、この聖書箇所をどうにか解釈した上で、「だから結局ここの御言葉に従う必要はない」ということを正当化すべく、いろいろ答えを持っていました。

それで私は考えついたのです、、、いっそのこと神様に祈って、直接主に訊いてみたらどうだろうと。この時点で私はすでに聖霊に示されていたので、かぶり物をつけ始めていました。

私は祈り神様に訊きました。「主よ。本当にこれをつけなければならないのでしょうか?」すると御霊は「もしわたしがあなたにそう示したなら、あなたはそれに従いますか」と私に示してくださいました。

それ以後、私は自分のすべきことが分かりました。たくさんのクリスチャンが変な目で私をみるようになりました。

中には私がイスラム教か何かに改宗したのかと思った人もいる位です。私のことを物笑いの種にし、あざ笑う人たちもいましたが、私は神様がおっしゃってくださったことについて確信がありましたので、揺らぎませんでした。

なぜ自分の頭を覆うのかということについても神様はその理由を明かしてくださいました。それは単に外面的なもの、ないしは慎み深さといった理由だけでなく、私が神様の権威の下にあること、そして結婚後には夫の権威の下にも置かれるということを私に気づかせる目的もあったのです。

そして自分は未来の夫に対して従順である必要があるばかりでなく、神様に「こうしなさい」と言われること全てに対して従順である必要があること――これについても私に気づきを与えてくださいました。

4)ベールをつけて初めて日曜礼拝に参加した時、どんな気持ちでしたか?

中国で通っていたインターナショナル・チャーチの礼拝に、はじめてかぶり物をつけて現れた時、教会の人は私のことをいぶかしげに見ていました。

でも毎週毎週、かぶり物をつけて教会にやって来る私を見るにつれ、これは単なる奇習ではなく、もっと深い何かであることに彼らは気づき始めたようです。

多くの人が私のところにやって来て、なぜかぶり物をしているのかと訊いてきました。そしてそれに対し私は理由を説明しました。

しばらくすると、教会の姉妹の多くが私の感化を受けはじめました。彼女たちはまだ実際にかぶり物をつけるところまではいっていませんが、「もしかしたら、これが神様が願っていらっしゃることかもしれない」と心を開き始めています。

その教会はインターナショナルでしたので、かぶり物の習慣を今も守っている文化圏の姉妹たちもいました。たとえば、インド人姉妹は全員、頭にかぶり物をしていました。彼女たちはパウロの書いたあの聖書箇所を非常に真剣に遵守していたのです。ガーナのある地域から来た姉妹たちも祈りのベールをつけていました。

休暇でアメリカに一時帰国した時、母教会に行くのが最初かなりこわかったです。もしベールをつけずに教会に行くのなら、私は内心苦しむだろう。それに魂の内の何かがそれはいけないと私に言っていました。

かといってもしかぶり物をするなら、いろんな人の注目を浴びることになる、、、だって、、こ、ここはアメリカなんですもの!!

ベールをつけ始めた時、私は一種「中東風(といっていいと思いますが)」にかぶり物をつけるよう導かれました。ですから、それは隠そうにも隠せない代物だったのです。

それだけじゃありません。私は賛美チームのメンバーでしたので、なんと「ステージの上で」ピアノを奏楽しなくちゃならなかったのです!

とにもかくにも私は礼拝に行きました、、、でも予想に反しておそれていたようなことは起きませんでした。それどころか逆に、人々は私の身なりを誉めてくれ、「いいね」と言ってくれたのです。

誰しも心の奥底では、慎み深く身を包み、スカーフをつけることには、ある種の尊敬が込められており好ましいことだと感じているのだと私は思います。

5)人の目がこわくてかぶり物をつけることができずにいる女性たちに何かアドヴァイスがありますか?

とにかくやってみてください。もし神様があなたを導いておられ、聖霊によって示されているのなら、おそれずに、とにかくやってみてください。

イエス様は、私たちが主のためにいのちを失う時はじめて、それを見い出すだろうとおっしゃっています。また日々自分を否む必要性をイエス様はおっしゃっています。さらに自分に死なない限り、実を結ぶことはできないことを主はおっしゃっています。

また主に従っていくことは、父や母や家族を否むことでもあるとイエス様は言われます。これは大きな信仰のステップであり、これを通して神様と私たちの関係は今までよりもずっと親密かつ個人的なものになります。

かぶり物というこの小さい事に関して主に従うことができるなら、今後さらに大きな事に対しても従うことができるようになるでしょう。

従えば従うほど、キリストにある私たちの人生はより良いものへと変えられていきます。これ(祈りのベール)を従順の象徴としようではありませんか。そして主を信頼していきましょう。

6)あなたはどんなかぶり物をしていますか?どこで購入していますか?

私はスカーフを使っていて、いわゆる「中東風」にかぶっています。つまりスカーフで頭部分と胸の当たりを覆っているのです。私はそれを小物屋さんやスカーフのお店で買っています。

アフリカン・スタイルの帽子やヘッドバンド、頭に巻くスカーフなど他のかぶり方もありますが、そういうファッションでは(アフリカ系アメリカ人である私の場合)かぶり物の真の意味があまりはっきりしないのです。

とにかく聖霊によって私は中東風のかぶり方をするよう示されているので、それにただ素直に従っています。

そして私はそこから大きな喜びを得ています。神様を以前よりももっと近くに感じます。またかぶり物は私たちが神様と男性の権威の下にあることを象徴し、思い出させてくれます。

私は父に従順に従い、父を敬う必要があり、結婚後には夫を敬愛し、従う必要があります。

かぶり物をつけたことで、従順という行為に対する私の態度が変えられました。そして天のお父さまにとって聖なる宮でありたい、生けるささげ物となりたいとますます願うようになりました。

ありがとうございました。

☆☆
head-covering-testimonies.jpg

イリナ・グラツコヴァ姉妹の証し

(出典:http://www.headcoveringmovement.com/testimonies/covering-testimony-irina-glazkova#more-4318 翻訳許可をいただいた上で、2014年11月翻訳しました。)

年齢:25歳
所:カナダ、NL州セイント・ジョンズ
祈りのベールをつけ始めた時期:2010年10月

1)読者のみなさんに少し自己紹介してください。

こんにちは。私の名前はイリナ・グラツコヴァで私は独身のクリスチャン女性です。私はロシアから来ました。カナダには2007年9月より在住しています。それ以前には交換留学生として11カ月米国に住んでいました。

私は多くの思想探究の旅を続けた末、12歳の時、主イエス様を救い主として心に受け入れました。

私は生まれつき身体に障害があり、これまで7回手術を受けてきました。自分が身体障害者だということで、子ども時代から10代にかけ、私は深刻ないじめに遭ってきました。

Irina-Glazkova.jpg

私が生まれた時、病棟の医者たちは母に、「この子を病院に置いていかれたらどうですか。ひどく病弱ですし、それに身体的にいくつもの欠陥があります」と説得しました。

悲しいことに、これはロシアおよび旧ソ連諸国では普通に行なわれていることなのです。

でも母はそれを拒みました。そして母は多くの犠牲を払って私を育ててくれました。私の最大の夢は、自分の家族が救いに導かれることです。

深刻ないじめに遭ってきたと書きましたが、このいじめの体験は、私を真理探究に向かわせました。この世に正義が存在しないということが私にはどうしても受け入れられませんでした。

私は母と連れだってロシア正教会に通っていました。でも、聖人に祈ったり、イコン等の前にひざまずいたりすることに葛藤を覚えていました。

交換留学生として米国に滞在していた時、私はバプテスト教会の牧師家庭にホームステイしていました。そしてそこで私の信仰は成長し始めたのです。その時、私は17歳でした。

米国滞在後、カナダの大学に進学することを私は考え始めていました。ちょうどその頃、息子さんの卒業式に出席するため、現在私が通っている教会(フェイス・バイブル・チャペル)から一人の婦人が米国にやって来られました。

さらにニューファウンド記念大学から入学許可および奨学金をいただくことができました。

こうして主は私をここニューファウンドランドに導いてくださったのです。私はハイキングや散策、小物作り、読むこと、書くこと、歌うことが好きです。いろいろな形の雲をみるのも好きです。

2)あなたはどこの教会に通っていますか。あなたの教会のことを少しお話ください。

私はnon-denominationalのフェイス・バイブル・チャペルに通っています。教会の規模は小さいです。

以前、米国ミシガン州のローズビルにあるコーナーストーン教会を訪問したことがありますが、会員数約3000人という巨大さに驚きました。私の教会は世界各地に宣教師を送り出しており、またさまざまなミニストリーに協力しています。

私たちは礼拝の前と後に共に賛美を歌います。私は牧師先生の説教が好きです。それは人の心の琴線に触れ、また具体的な生活に適用することのできるすばらしいメッセージです。

また平日にはたくさんの聖書勉強会が開かれ、毎週金曜日の朝7時には祈り会および朝食会があります。

3)どういう経緯で祈りのベールをつけるよう導かれたのですか?

私はロシアで生まれ、17歳までロシアに住んでいました。そして時折私たち家族はロシア正教会に通っていました。

そこでは既婚女性は頭巾で頭を覆うことが義務付けられていました。また、5歳以上の女の子もかぶり物をつけるべきだと言っている神父さんも大勢いらっしゃいました。

2006年、前に述べたように私は交換留学生として米国に来ました。そこで聞いたのが、「かぶり物というのは文化的な習慣だった」という説明でした。それで私はかぶり物についてそれ以上考えなくなりました。

そして2007年、カナダに来た私は現在の教会に通い始めました。教会に行った最初の日、数人の女性が礼拝中、レースのベールをつけているのに気づきました。

牧師先生や長老が私にベールをつけるよう言ってこられるかもしれないと思って念のため、私はかばんの中にスカーフを入れていました。でも誰もそうするよう言ってきませんでした。

後で人に訊くと、レースのベールをつけている女性たちは、夫に対する従順のしるしとしてかぶり物をしているのだと説明してくれました。

それで、しばらく私はそのテーマについて何も考えないようにしていましたが、依然としてそれは心から離れませんでした。その後、私はかぶり物に関する記事や論文をたくさん読み、多くのビデオも観ました。

そして1コリントの手紙を何度も何度も読み、祈った後、私はかぶり物をつける決心をしました。

創造の秩序、権威、「御使いがみている」というのは万人に当てはまることです。それに使徒パウロは髪の長さについて言及する前に、かぶり物について語っているのです。

女性の髪の長さは礼拝中もしくは祈りの間、変わるものではありません。ですから、特にこういった礼拝や祈りの時、女性は頭にかぶり物というしるしが必要であるとパウロは言っているのです。

私はそのことについて長老に相談に行きました。すると長老は、「もし神様があなたをそのように導いておられるのなら、あなたはかぶり物をつけるべきです」とおっしゃいました。

祈りのベールをつけ始めた後、私は自分のうちに大きな喜びを感じ始めました。現在私は、礼拝、聖書の学び会、(他の方々と一緒に祈っている時であれ、個人的に祈っている時であれ)祈りの時に、ベールをつけています。

4)祈りのベールをつけていて最もすばらしいと感じる時、また逆に最も大変に思う時はどんな時ですか。

ベールをつけ始めてから私は今までよりもずっと神様を近くに感じるようになりました。

また礼拝の時、祈っている時、御言葉を読んでいる時、以前に比べて気が散漫になることが少なくなりました。また主に近づく上で前よりもずっと謙遜な心そして大胆さをいただくようになりました。

それに女性にはかぶり物をつけることが求められているということを知った私は、今まで以上に特別なアイデンティティを感じるようになりました。

考えてもみてください。自分たちの着こなしによっても私たちは救い主イエス様にお仕えすることができるんです!――これって本当にすばらしいことじゃないでしょうか。

それに、前よりももっと聖書やお説教の内容が理解できるようになりました。また「どうしてベールをつけているのですか」と尋ねてこられる方もいらっしゃいますので、信仰を分かち合うすばらしい機会も与えられています。

一方、つらいこともあります。私は聖歌隊の一員として他教会を訪問することがあるのですが、そういった教会では祈りのベールをつけている姉妹はおらず、「律法主義者だ」とレッテルを貼られたり、裁かれているように感じることもあります。

数年前、ある女性のお世話をしていたことがありますが、その方は私に、「かぶり物というのは抑圧的です。そして、かぶり物をつけるという行為によってあなたはキリストの払ってくださった犠牲をないがしろにしているんですよ」と言われました。

5)人の目が気になり、そういった恐れから祈りのベールをつけることができずにいる女性たちに何かアドヴァイスがありますか。

恐れというのは私たちを麻痺させ、私たちが信仰のために立ち上がることを不可能にしてしまう場合があります。

また恐れから、多くの人々は問題を自分流にとらえはじめ、それによって神様のご計画を台無しにしてしまうこともあります。

恐れにつかれたアブラハムは妻を他の人にやってしまいました。ペテロは三回イエス様を否みました。そしてアダムとエバは神様から隠れようとしました。

イエス様は「わたしに信頼しなさい」と私たちにおっしゃいました。そして「恐れてはならない」とおっしゃいました。クリスチャンとして私たちは人ではなく神をおそれるべきです。

また祈りには力があることを覚えてください。私たちはイエスにあって勝利者なのです。そして神様は私たちの力の源です。

それに、かぶり物にはいろんな選択肢があります。例えば、スカーフだけでなく帽子もれっきとしたかぶり物です。あなたの文化圏で帽子の方がより受け入れられているのでしたら、帽子をかぶってみたらどうでしょうか。聖書は特別な布地や色、スタイルなどを特定してはいません。

6)あなたはどんなかぶり物を使っていますか。どこで購入していますか。

私はいろんな種類のかぶり物を使っていますが、通常、四角形のスカーフを二つに折り、あごの下で結ぶ(つまり、伝統的なロシア・ベラルーシ・ウクライナ式のかぶり方)か、もしくはバンダナ式に結んでいます。

時々、パシュミナ・ショ―ルや長方形のスカーフをヒジャーブ風に覆うこともあります。ヒジャーブ風と言いましたが、でも髪の毛は全部隠れているわけではありません。また夏場には帽子をかぶります。

聖書の学び会の時など、単にセーターのフードをかぶる時もあります。またGarlands of Graceというオンラインのお店も友だちに紹介してもらいました。友人がクリスマスや誕生日にベールをプレゼントしてくれることもあります。

ですから現在、私のかぶり物は10個以上あると思います。そしてその日の服装にかぶり物がフィットするよう気をつけてもいます。

ありがとうございました。

☆☆
will-you-stand-alone.jpg

あなたは独りで立ちますか?――祈りのベールを着ける最初の人になろう!(Will You Stand Alone?: A Call to Be the First to Cover by Jeremy Gardiner)

独りで立つのは大変なことです。本当に大変なことです。

自分の性分に合わないことをし、また他の人と違っているというのはしんどいことです。寄らば大樹の陰ということわざの如く、大多数の中にいれば安全です。

ジロジロ見られたり、さげすまれたり、笑われたり、仲間外れにされたりしたい人なんて誰もいません。おかしな変わり者と思われたい人なんて誰もいません。

「祈りのベールをつけるのは今日にも適用されるべき聖書の掟だ」ということを確信するにいたった多くの女性にとって、これを独りで実践しなくちゃならない――それが、一番こわい部分でしょう。

ひとりぼっちのダンサー

数年前、TEDのトークショーを観ていたのですが、どのようにしてあるモ―ブメント(運動)が始まるのかについて説明していました。

スピーカーがビデオをみせてくれたのですが、それを観ると、一人の若い男が外で独り踊っていました。

彼の周辺の人々はといえば、皆、ゆったりくつろいでおり、日光浴をしていました。そんな中、この男はばかみたいに独りでがんがん踊っていたのです。

「このひとりぼっちのダンサー、この人がリーダーなんです」とスピーカーは言いました。

その後、もう一人の男がダンスに加わり、二人して踊り始めました。こうしてさらにもう一人が加わり、さらにもう一人と参加者が増えていきました。

そうするうちに、一群の人々がいっしょになって踊り始めました。

「さらに大勢の人が加わるにつれ、それはもはやリスキーなものではなくなるのです。目立つわけでもないし、笑い者にされる心配もありません」とスピーカーは続けました。

他の人も大勢やっているので、群衆は安心して踊れるのです。つまり彼らは多数派なのです。

しかし、これは最初のあの勇敢な男なしには生じえませんでした。誰かが立ち上がり、始める必要があるのです。そうしてその人が始めることにより、他の人はそれに続きやすくなるのです。

最初の人となって

なぜ女性たちが祈りのベールを着け始めたか(あるいはやめたか)という証しを聞きながら気づいたことがあります。それは、多くの場合、彼女たちの通う教会で他の人がどのようにしているかということに関連しているのです。

デスィリー・ハウサム姉妹は、「友人が、帽子をかぶって礼拝に参加はじめたこと」がきっかけとなったと証ししています。

このような友人の姿を見たデスィリー姉妹とご主人は、かぶり物について再び聖書を学び始め、やがて自分たちにも確信が与えられると、彼女は祈りのベールを着け始めたのです。

同じように、ダニカ・チャーチル姉妹は、「ある家族がうちの教会に通いはじめたのですが、彼女たちはかぶり物をかぶって教会にやって来ました。ちなみに当時、うちの教会でかぶり物をつけている人は誰もいませんでした」と証しの中に書いています。

その家族は独りで立たなければならなかったのですが、結局それがダニカ姉とご主人に感銘を与え、この御夫妻は自分たちで御言葉を探究し始めたのです。

現在、その教会では、チャーチル夫妻だけでなく、牧師夫妻を含めた多くの兄弟姉妹にも確信が与えられ、姉妹たちが祈りのベールをつけています。

「祈りのベールは今日も適用されるべき聖書の掟だ」という確信をするにいたった女性たちは教会の中にたくさんいます。しかし、彼女たちは独りで立つことをおそれています。

このサイトに寄稿してくださったある女性は、自身のかかえているジレンマを次のように表現しています。

「かぶり物をつけて祈っている姉妹を地元で見つけるのは至難の業です。もし自分の住んでいる地域にそういう誰かがいたら、そして一緒に祈りのベールをつけ始めることができたら、私はもっと容易に実践できていただろうと思います。

ベールをつける必要があるのは分かっています。でも私はやらないと思います。それを実践すると考えただけでも神経が疲れます。そうすることが望まれているのは分かっている。

でも依然としてやりたくないと思っている自分がいるんです。――そうする必要があると知っているにもかかわらず。」

人目が怖くて御言葉に従えない――とはいっても、それでこの掟に従わないことが正当化されるわけではありません。でも、私は彼女たちに同情したいと思います。

彼女が独りで立つ必要がなかったのなら、どんなにかよかったでしょう。ある人がその行ないにより模範を示すことによって、他の人が勇気付けられ、後に続くことができるのです。

アリス姉のようになろう

もしあなたの教会にかぶり物をつけている人が誰もいないのでしたら、どうかアリス姉のようになってください。

彼女は「かぶり物に関する確信を何年も前に与えられていたにもかかわらず、プライドと見栄のため(目立ちたくない、人目が気になる、、)良心の声を打ち消していました」とこのサイトの寄稿文の中で言っています。

アリスは独りで立ちたくなかったのです。

しかし彼女曰く、悲しいことに「その後4年に渡って、私は霊的に葛藤しつづけました。というのも、自分の心に真っ正面から向き合った時、このベールの問題を再び見出しつつも、ああ、これについてはこれ以上考えたくないと考える自分がいたからです。」

なにかをすべきと分かっていながらそれをしないのは罪です(ヤコブ4:17)。アリス姉が証言しているように、悔い改められないままの罪は、私たちの霊的成長を大きく阻みます。

彼女はこう続けてこう言っています。

「今まで公の礼拝でベールをつけたことはありませんが、今週の日曜日から始めようと思っています。そのことで人に注目されるんじゃないかと思うと怖さに心がふるえますが、神様に対する従順というのが、他の何にまさって大切だということを今理解しています。ですから、私はこのステップを踏む決心をしました。」

独りで立つ人は、リーダーであるだけでなく、しもべでもあります。

彼女たちは、こういった大変なことを仲間の姉妹たちのためにやることによって、同胞姉妹たちに仕えているのです。

彼女たちはあざけりに耐え、「私自身は〈変な人〉と思われてもいい。もしそれによって、仲間の姉妹たちが白眼視されずにすむなら」と覚悟を決めているのです。

そうして彼女は従順を通し、他の女性たちが後に続きやすいようにしてあげているのです。

それだけでなく、デスィリー姉とダニカ姉が証ししているように、そういった姉妹の従順の行為により、他の人々もかぶり物の真実について自ら聖書を探究するよう導かれているのです。

それで私はあなたにお尋ねします。あなたは独りで立ちますか?

教会の中で最初にベールをつける女性になることによって、同胞の姉妹たちに仕えたい、そう思いますか。

もしそういう思いがあるなら、あなたは例のダンサーのようになるでしょう。そうしてやがてあなたを見倣い、人々があなたの周りに群がってくることでしょう。

(出典:http://www.headcoveringmovement.com/articles/will-you-stand-alone-a-call-to-be-the-first-to-cover)


imagesCA4BD6RF.jpg








スポンサーサイト

church and the cross

私は今年の九月、「愛のレター箱がもたらす喜び」という記事を書きました。そしてその中で、うちの教会が実施しているたのしい年末行事について紹介しました。(ココ

私も今、毎日せっせと教会のみんなに手紙を書いています。

今年、私は何人かの牧師先生および奥さまと身近に接する機会を持ちました。そしてそこで目の当たりにしたのが、先生方の人目に隠れし労苦でした。

牧師先生は、私たち一人一人をオオカミや敵の攻撃から守ってくださる魂の牧者です。

また牧会の働きというのは、責任重大であり、多くの先生方は、まさしくいのちをすり減らさんばかりにこの道に献身していらっしゃいます。

そして多くの場合、牧師先生および奥さまの苦労、忍耐、そして涙は、人々の目に隠されています。

神様だけがこういったしもべたちの払ってきた犠牲をすべてご存知だと思います。そして後の日に必ず、「よくやった。良い忠実なしもべ」と彼らをねぎらい、報いを与えてくださることでしょう。

しかし私たちはこの地上においても、こういった尊い主のしもべになにがしかの〈喜び〉を提供することができると思います。

それは、牧師先生がとりつぐ主の言葉がむなしくしぼむのではなく、それを聞く私たちのうちで実を結ぶことによってです。そして先生のメッセージに対して積極的に応答することによってです。

私は数年前、ある説教メッセージを聞いて、自分が学んだこと・恵まれたことなどをその説教者にお伝えしにいったことがありました。

するとその先生は、「毎週、説教しても、あまり反応がないように感じて少し落ち込むこともありました。でもこうやって応答してくれる人がいるとすごく励まされます」とおっしゃいました。

その時、「ああ、こんなに信仰心の篤い先生でも、やっぱり励まされたらうれしいんだ。みんな励ましを必要としているんだなあ」ということに気づきました。

愛する兄弟姉妹のみなさん。どんなに小さいことでもいい、先生のメッセージを通して恵まれたことや、生活の中の肯定的な変化、与えられた希望などありましたら、それを先生に伝えてみてください。

あるいは感謝のお手紙などを書いてみてください。先生はきっととっても喜んでくださると思います。

さざんかの花

また、愛するみなさん。牧会の働きを陰で支えていらっしゃる奥さまをご一緒に激励しましょう。

長年の心労により、働きの途中でダウンしてしまった奥さまを私は何人も知っています。

牧師家庭というのは常に、サタンの攻撃の矢面に立たされているのです。ですから普通の家庭以上に祈りと励ましが必要です。

どうか彼女を悪意あるゴシップから守ってあげてください。いつも彼女の味方になってあげてください。そして彼女の忠実な友となり、姉となり、母となってあげてください。

☆☆
神の息吹を受けた愛にはダイナミックな力と創造性(creativity)があります。それは常に新しい力でもって相手のもっとも必要としている部分を満たそうとします。

そしてそれは決して型にはまることなく、押しつけがましくもなく、相手に新鮮な喜びをもたらします。

またそれは無から有を生み出す神の御力を受け、今まで存在もせず、想像だにしなかった〈なにものか〉をこの世に生み出していきます。

牧師先生および奥さんを愛する私たちの愛もまたそのようなものであると思います。

今年そういった創造性に富む御霊の息吹をぞんぶんに受け、私たちも力の限り、先生方を力づけまたお喜ばせしていこうではありませんか!





Thankgiving table

この前の日曜日、私たちの愛するH兄(A国出身)がイエス様に人生を捧げ、バプテスマを受けました。

この青年は、難民収容所にいた時、同じセルメイトであったクリスチャンの兄弟および差し入れに来てくれていた教会の兄弟たちの愛に感激し、釈放後、教会にやってきました。

それから約二年という月日が経ちましたが、その間に、彼はイエス様を救い主として受け入れ、そしてついに洗礼を受け、信仰を公にする決心をするに至ったのです。

私は彼がはじめて祈った日のことを今でも鮮明に覚えています。前置きも形式も何もなく、単純素朴な彼の祈りはこのように始まりました。

「ぼくはこれまで悪い友だちとばかり一緒にいて、はっきり言って悪い人だったと思います。でも今、いい人たちと一緒にいるようになって、ぼくはうれしいです。アーメン。」

おさな子のようなこの祈りを聞いて私は涙を抑えることができませんでした。

私の夫は、H君をわが子のようにかわいがっていて、週の半分はH君はわが家でごはんを食べ、うちの家族の一員となっています。

先週、夫とH君は、神の国について語り合っていました。

A国ではここ30年余り、部族間の内戦が絶えず、特に彼の出身部族であるH族はその他の民族(P族,U族、T族)によって大勢殺されてきました。

夫が「神の国の市民であるというキリストにある新しいアイデンティティは、あらゆる部族主義、国粋主義を凌ぐものなんだよ。」ということを説明し、また敵を赦すことの大切さを説明すると、H君は、こんなことを分かち合ってくれました。

「今まで、僕にこういう教えをしてくれる人は誰もいなかった。僕は物心つく頃から、『相手にやられたら、やり返せ、復讐しろ』と教えられ育ってきた。

だから、正直いって、他の部族のことを赦すのは今もすごくむずかしい。でも僕は赦すことのできる人間になりたい。だから、これからもっともっとイエス様の御言葉を読んで成長していきたい」と。

そのH君がこの前の日曜日、バプテスマを受けたのです。

その日の朝、私はH君のためにとりなしの祈りをしていましたが、その時、主は私の心を希望で満たしてくださいました。

その希望とは、今後、主がH君を用いて、何百という同胞の心に光を照らされるというものでした。

そしてやがて彼が自分の部族だけでなく、他の部族をも愛し、和解の手をさしのべていく平和のかけ橋として用いられていくというものでした。

そして夫と私は、H君にイザヤ書の次の言葉をプレゼントしました。

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる」(イザヤ60:1-2)。


H君の前途は決して容易なものではないでしょう。それは本人も十分承知の上での洗礼式でした。

そしてそのバプテスマは天国の到来を予感させるような感動に満ちたものでした。

会堂いっぱいに賛美の声が鳴り響き、涙と喜びのうちに、H君は新しくされました。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Ⅱコリント5:17

☆☆

人がキリストにあって新しく生まれ変わる、そして神の国の民とされるーこれほどすばらしいことがこの世にあるでしょうか?

H族も、P族もない。日本人も、アメリカ人も、中国人もない。内紛も、憎悪もない。部族対立や偏狭な民族主義もない。

私たちはキリストにあって一つの家族とされるのです。

現に今、H君と、P族出身のK兄は、民族対立の壁を越え、主にある兄弟としてお互いに愛し合っています。

「あなたは昔、各地を旅行していたではありませんか?なぜ今、こんな狭い界隈にじーっとしているのですか?つまらなくないですか」と私は人に訊かれる時があります。

そんな時私は答えます。

「ええ。信仰を持つ前、私は外の世界に自分の求めている何かがあると思い、しきりに旅をしていました。

でも、今、私は本当の宝を見つけました。それは他ならぬあなたです。

聖霊の宮とされたあなたは、どんな観光名所よりも見ごたえがあり、どんな壮大な自然公園よりも美しいことに気づきました」と。

コロサイ1章には、Christ in you, the hope of gloryと書いてあります。あなたのうちにおられるキリスト、栄光の望みです。Christ with youとは書いておらず、Christ in youとあります。

この奥義はあまりにもすばらしすぎて、私はそれを消化することができません。ただ手をあげて私たちの花婿イエス・キリストを賛美するのみです。

私たちは皆、聖化の過程にあるので、キリストの天的な美しさを完全な形では反映できていないかもしれません。

でも、信じる者のうちにキリストの御霊が宿っていることは確かなことです。

今、私にとって最大の喜びは、これまで何百年もの間、福音に対して閉ざされていたA国の人々の心に神の国が訪れていることです。そしてキリストの美しさ、リアリティーが、彼らを通しても今やこの世に現れてきていることです。

御国が来ますように!アーメン。


(↓賛美歌 Like a River, Glorious. Frances R. Havergal, 1874, sung by Smucker Family)







Child drawing
(↑6才のVちゃん〔I国からの難民のこども〕が私にプレゼントしてくれた絵です。

こんにちは。このブログを訪問してくださりありがとうございます。

このレターを書こうかどうか迷ったのですが、今日思い切って書くことにしました。というのも、私のブログに反論コメントを書いていらっしゃる方々にやはり自分なりに誠意をもって応答しようと思ったからです。

ご存知のように私は聖書を誤りのない神の言葉と信じています。しかし、そう信じていない方々がいらっしゃることも承知しています。

そういう方々にとっては、私の聖書理解やそこから導き出されるもろもろの考えが我慢ならないものに思えるかもしれません。それも理解できます。

しかし私はあなたに一つ申し上げたいことがあります。どうか聞いてください。

それは、私にとっては、あなたの意見以上に、〈あなた〉という人間が大切だということです。

私はあなたという人間―神様に愛されている一人の尊い人格―とあなたの意見を切り離して考えることができません。

〈あなた〉という人間と〈私〉という人間を離れたところで双方の意見だけが機械的に行き来する、、、私はそういう状態をすごく悲しく思います。

もしあなたが私の近所に住んでいる方だったら、私はあなたをわが家に招待したかった。そしてあなたの人生観、生い立ち、現在の聖書理解にいたるまでのライフストーリーをぜひお聞きしたかったです。

あなたのコメントを読むと私は寒い北風にびゅーびゅー吹きさらされるようなさみしい気持ちになります。

私という一人の人間がまるでそこにいないかのように、無機質な文が送られてきます。

立派な論文かもしれません。でも、私はそこにあなたの心を感じることができません。

そして私は人間の心を感じることができない空間・関係の中では息をすることができません。

child drawing green frame

あなたが今向かい合っているスクリーンの向こう側には、血も涙もない神学書ではなく、感情をもった一人の人間がいることをどうか覚えてください。

あなたが「正しい」と考えていることと、私が「正しい」と考えていることは違うかもしれません。またAさんやBさんが「正しい」と考えていることもそれぞれ異なったものかもしれません。

そういう中で、Cさんは、はたして誰の言っていることが本当に正しいのか知ることができるのでしょうか。

それは「○○が正しい」と信じている人々の具体的な生活の実をみることだと思います。

その人の論拠の正しさは、その人の生き方を通して証しされるものだと思います。

さらに、Aさんの意見(信仰)がBさんに影響を与え、やがてBさんもAさんのような考え(信仰)を持つようになる、、それはどのようにして可能なのでしょうか。

それはAさんの信じる「正しさ」が、偽りのない愛というオブラートに包まれ相手の心に届けられる時に初めて生ずると思います。

そしてそれはイエス・キリストの生涯においてもっとも如実に表されていると思います。

「というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです」(ヨハネ1:17)。

「しかし私たちがまだ罪びとであったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)。

あなたはご自身の意見を、私や私と似たような人々に印象づけたいとお考えですか?

それなら愛してください。とことん愛してください。

人はあなたの愛をリアルに感じるとき初めて、あなたに心を開きはじめます。そうして後、あなたの意見は説得力をもって相手の心に届くようになります。

今度またコメントされる時には、送信ボタンをクリックする前に、次のことを思い描いてみてください。

あなたは私の家を訪問してくださいました。「ようこそ、いらっしゃいました」とあなたはわが家の居間に通されました。

ちゃぶ台をはさんであなたと私はニコニコと向かい合っています。私はあなたにシナモン・ティーと手作りのショートケーキを差し出しました。

はい、その時です。その時、あなたは今コメント欄に書いた内容を直接私に言う事ができますか?どうかそのことを自問してみてください。ありがとうございます。

神様の恵みと祝福があなたの人生にたくさん注がれますように。

child drawing house
(↑アフガン難民 Sちゃんの描いた絵です。)












18 Novem

私は多くの姉妹がこう言うのを聞いてきました。「私だって結婚したいんです。でもほら、日本のクリスチャン男性って頼りがいがないじゃないですか?」

これは本当なのでしょうか。なぜ、姉妹たちはこういう風に感じているのでしょうか。

「日本のクリスチャン男性=世の男性より男らしくない、頼りがいがない」という評価はいったいどこから来ているのでしょうか。

この問題は深刻だと思います。なぜなら、そういう発言をしている姉妹の多くが、結局、クリスチャン男性ではなく、世の男性と交際を始め結婚していっているからです。

そして未信者と「つり合わぬくびき(Ⅱコリント6:14)」をつけるという人生の選択をすることにより、神様を悲しませてしまっているからです。

☆☆

これまで私は「クリスチャン女性の生き方・価値観」というテーマでいくつかエッセーを書いてきました。

しかし今日は、上記のような理由もあり、男性らしさ(masculinity)ということについて少し考えてみたいと思います。

「クリスチャン男性は脆弱だ、頼りない」と嘆いている姉妹たちのお話を聞いていて、私はその根底に二つの問題があるように思いました。

まず一つ目は、何をもって男らしいと考えるかについてです。

ある姉妹は、信仰を持ち教会に通っていても、依然として心の奥深いところで世的な価値観の詰まったボックスを大切にしまっています。

そのため、財力や世的な肩書きのない男性は彼女にとってどうしても「頼りなく」思えてしまいます。

しかし真にキリストのものとされ、主の御国のために生きようとしている男性の多くは、通常、世の富・栄えを捨て献身しているため、この世的なスタンダードでは、みすぼらしくshabbyな感じにみえるかもしれません。

鎧で身を固めたゴリヤテを男らしいとみるか、それとも、石ころを持ち「万軍の主の御名によって」戦いに挑んだ少年ダビデを男らしいとみるか。

あるいはらくだの毛で織った物を着、いなごと野蜜を食べていた住所不定の男性、バプテスマのヨハネを男らしいとみるか、それとも、宮廷に住み、経済的にもがっしりしていたヘロデを男らしいとみるか――。

これは私たち姉妹の価値観に関わる問題だと思います。

私たちの心の目が開かれ、この世の富や地位や名誉ではなく、キリストにある天の富にすべての関心が向けられる時、私たちは、目の前にいる敬虔なクリスチャン男性のうちにひそむ真の男らしさ、力強さを発見するにちがいありません。

そしてそういう男性の助け手となりたい、貧に苦しむことがあっても、世の人にあなどられても、この人と共に十字架の道を歩んでいきたいと願うようになると思います。

☆☆

さて二つ目ですが、頼りないと思われている男性はもしかしたら、これまで家庭でも教会でも「男らしさ」について学んでくることができなかったのかもしれません。

私は以前、姉妹の立場から「フェミニズムからの回復」という記事を書きましたが、フェミニズムからの回復は現在、女性だけでなく、男性にも必要なものかもしれません。

というのも、フェミニズムが浸透するところではどこでも、真の男らしさが歪められるからです。

それは、まっすぐ伸びようにも上に柵があって、いびつな形でしか成長できない若木のようなものです。

それでは真の男らしさとはどういうものなのでしょうか。

私はそれを(夫を含めた)自分の身近にいる敬虔なクリスチャン男性のうちに多く見出していますが、今日はそのうちのいくつかを書こうと思います。

まずは、なんといっても力強く守ってくれる男性に、私は男らしさを感じます。

ギリシアの役所は日本のように丁重ではなく、ひどく乱暴な応対を受けることがしばしばあります。私の夫は婚約時代も今も、私をそういうつらい目にあわせないようにと、いつも私をエスコートし守ってくれます。

またリーダーシップのある男性に、私は男らしさを感じます。

さらに少々のことには動じない、がっしりした信仰のある男性に、私は男らしさを感じます。頼もしいなと思います。

それからお年寄りや子ども、小さな者にやさしい気配りをし、手荒なことをしない男性に、私は男らしさを感じます。

☆☆
おわりに

最初の問いに戻ります。はたして日本のクリスチャン男性は、頼りがいがないのでしょうか。

でもこういう表現自体、私はなにか肌寒いものを感じてしまいます。

そこで私は表現を変えてこういう風に言い直したいと思います。

「私たち日本の姉妹は、どのようにしてもっとクリスチャン男性のうちに男らしさを見い出していくことができるのでしょうか」と。

私たちは病んだ時代に生きています。それは男性も女性も変わりありません。

聖書的な意味での真の男らしさ・女らしさを歪めよう、亡きものにしようという動きが、教育現場でも、メディアを通しても、法律の場でもしたたかに進められています。

こういった時だからこそなおさら、私たちクリスチャンは、反聖書的な流れに抗し、男女共に心を合わせ、失われつつある聖書的男性像・女性像(Biblical manhood & womanhood)を求めていくことが望まれていないでしょうか。

そしてー教会であれ、家庭であれー、男性が男性らしく、女性が女性らしく生きていく真摯な決意がなされるところで、私たちは今後すばらしい回復を目の当たりにしていくことでしょう。


(↓♪賛美歌 The Sands of Time are Sinking, Annie R.Cousin, 1857. Sung by Altar of Praise Chorale)











IMG_0059.jpg

バックナンバー(フェミニズムからの私の回復および、結婚難に苦しむ女性リ―ダ―にささげる励ましのお手紙)の中でも触れたように、私はかつて教会の中で指導的な立場にあり、男性の上に立って聖書を教えていました。そのままのコースでいけば、今頃私は牧師になっていたでしょう。

しかしある時点で聖書の御言葉が私に180度の方向転換を迫りました。今まで見過ごしにしていたⅠテモテ2:11-12、Ⅰコリント14:34-35等の御言葉が、力強く私の心に訴えかけてきたのです。

(『女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。Ⅰテモテ2:11-12』

『聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。Ⅰコリント14:34-35』)

当時、情緒的にも人間関係の上でも問題を抱えていた私は、「自分の何が間違っているのだろう」という真剣な問いをもっていました。そして真理に教えられたい、ぜひともいやされたいと願っていました。

そんな中、神様は上記の御言葉を示してくださると共に、「わたしが、こういった掟を姉妹に授けているのは、あなたを制限し束縛するためではなく、逆にあなたを愛しているからなんだよ。あなたを幸せにしたいからなんだよ。」と愛に満ちた心で私の魂に語ってくださったのです。

こうして私は誰に強制されたわけでもなく、自分の意思で牧会の働き(説教をしたり、男女に聖書を教えたりする働き)をやめました。

「自分の意思でやめた」と書きましたが、その背後には私をこよなく愛してくださっている主イエス様の恵みがありました。

さらにその後主は、私に美しい創造の秩序(Creation Order)の神秘を垣間見させてくださいました。

神様の創造の秩序の中では、男女は競合関係に置かれているのではなく、お互いを補うべく、完全なる調和の上に創られていることを知りました。

また、なぜ女性のかしらが男性であるのか(Ⅰコリント11:3)、そのことに関しても主は私の心の目を開いてくださり、この御計らいの背後にある神様のくすしき愛に気づくことができました。

こうして「自分は誰なのか」という根本的なアイデンティティに聖書の光が当てられ、私は自分が女性であることを素直に喜ぶようになりました。生理的にも情緒的にも人間関係の上でも、私はどんどんいやされていきました。

現在、教会の中でも、家庭の中でも、私は御言葉に書いてあるように男性のリーダーシップに心から従い、その中で安心して憩っています。

この幸せ感は、かつて私が男性の上に立っていた時には決して感じることのできなかったものです。

かつての自分を知る友人は、「同じ人間とは思えない。全く別人になった。」と驚愕していました。本当に、このすばらしい変化を私の人生にもたらしてくださった主をほめたたえずにはいられません。

☆☆

ここ50年の間に、(リベラル派の教会だけでなく)福音主義の諸教会においても、女性教職の門戸が開かれてきました。

現在、女性に牧会職を開いていない教団教派の方がむしろ少なくなってきているのが現状です。

なぜこのような方針の変化が起こったのでしょうか。

御言葉自体は3世紀も6世紀も18世紀も2014年現在も全く変わっていません。神の言葉は永遠に変わらないからです。

変わったのは私たち人間の側の、御言葉に対する「解釈」なのです。

それではなぜ御言葉の解釈が変わったのでしょう。なぜなら、世の中の思想潮流が変わってしまったからです。

つまり、御言葉を「再解釈」しない限り、現代の世の中の思想―特にフェミニズム思想―と折り合いがつかなくなってしまったからなのです。

フェミニストの先駆者である無神論的実存主義者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と『第二の性』(1949年)の冒頭に記し、「神が男女を創造した」という聖書のメッセージに真っ向から挑みました。

共産主義と同じく、フェミニズムも一種のユートピア思想です。表面的にはいくら良くみえても、その根本は、聖書の神と神の創造の秩序をがんとして退け拒絶しています。

共産主義が盛んだった時期には、コミュニズムとキリスト教を融合させようという動きがキリスト教界内で起こりました。

同様のことが今、フェミニズムとキリスト教の間にも起こっています。

しかし聖書は「この世と調子を合わせてはいけません(ローマ12:2)」とそういった動きをはっきり禁じています。

私たちクリスチャンがこの世におべっかをつかわず、妥協のない姿勢をとるなら、当然私たちはこの世の怒りを買うことになります。

「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」(ヨハネ15:19)。

こういう世からの中傷・憎しみは、教会にプレッシャーを与えます。そしてそういったプレッシャーは教会に、方針変更を迫るのです。

☆☆

そしてここぞとばかりに、誘惑の蛇も私たちクリスチャンの耳にささやいてきます。

そうです。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか」とエバに忍び寄ってきたサタンは、この問題に関してもこう言います。

「神様はほんとうに、『女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。』などと言われたのでしょうか?

神様は男女を等しく愛しておられるのではありませんか。神は愛です。そんな愛の神が、男女の間に差別を置くはずがありません。

神は女性蔑視するような方じゃありません。牧師職が男性にしか開かれていないなんてそんな不公平なこと、神様はされるわけがないのです。

ほら、ヨエル書の2章にも、『その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ、、その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ(2:28、29)』って書いてあるじゃありませんか?

聖霊は私たち女性に新しい門戸を開いてくれたのです。

それに、プリスカとアキラのこともありますよ。奥さんの名前の方が先に書いてありますよね?これは奥さんの方に霊的リーダーシップがあったっていうことなんです。

だから、上記の御言葉は、文化的なコンテクストで考えなくちゃいけませんよ。使徒パウロのあの発言は、当時のローマ文化を反映したものなんです。」

☆☆

こうしていろんな理由がつけられた上で、とにもかくにも牧師職への門戸はこじ開けられました。

そして今、私たちはその決定がもたらした実を刈り取っています。

私は、孤独感と多大なストレスに打ちのめされ、人知れず泣いている女性指導者たちを個人的に知っています。

彼女たちの多くは、教団の新しい方針にただ純真に従って、牧師になりました。彼女たちは主への愛から、多くの犠牲を払って献身した人ばかりです。そして本来、彼女たちは心身共に幸せな人生を送ってしかるべき尊い存在です。

私はG兄とA姉との間に起こった悲劇を忘れることができません。この夫婦は共に教会に仕える奉仕者でした。

しかし数年前、この夫婦の通う教会に新しい牧師が赴任してきて、妻であるA姉にこう言いました。

「あなたには説教の賜物があります。主はあなたを尊く用いたいと願っておられます。」

こうして妻は教会で説教するようになりました。

そしてこれを引き金に夫婦の間に不調和が生じ、二人の関係は急速に悪化していきました。

私は国際電話を通して、何度もA姉と話しました。妻が教会で説教することは御心ではないことも話しました。

でも一度崩れ始めたこの家庭は、その時もうすでに修復不可能な状態にまでなってしまっていました。現在も二人は別居中です。

ある方は、「妻は家では夫に従い、教会では兄弟たちの上に立って説教したり教えたりと――この二つの役割を両立させることができる。」と言います。

でも私たちは巻き仕掛けの機械ではありません。

ワンクリックで、「妻モード」「牧師モード」に切り替われるようなマシーンではないのです。

男性の上に霊的権力を持つというその「モード」は、教会での働きという枠を超え、私たち姉妹の人格・アイデンティティに深甚な影響を及ぼします。

そしてその影響は、私たちの日常生活、私的な人間関係の領域にまでじわじわと浸透していきます。

私はこれを自分の体験から語っています。そしてこれがどれだけ私たち姉妹の魂に打撃を与えるものであるか、涙ながらにお証しします。

私は主に献身しているあなたの気をくじこうとか、奉仕の機会を奪おうとか、そんなことは一寸も思っていません。

私はもはや教会で指導する立場には立っていませんが、依然としてフルタイムの奉仕者です。姉妹に開かれている奉仕の場で、今日も精一杯主にお仕えしています。

☆☆
おわりに

私はこれについてのあなたの立場がどうであれ、あなたをキリストにある姉妹(あるいは兄弟)として愛しています。

この記事で私がお話した内容に対して反論してくださってもけっこうです。ただ一つお願いがあります。

もしあなたの所属している教派(教団)が女性教職を認可しているのだとしたら、

1) 具体的にいつその門戸が開かれるようになったのか。
2) その方針変更にいたった経緯およびその理由。

この二つの点についてどうぞお調べください。特にその決定に影響を及ぼした思想的・神学的背景に注意してみてください。

また、この問題について納得いくまでもっと深く検証したいという方がいらっしゃるかもしれません。そういう方のために、下に参考文献を挙げておきます。(両サイドの立場から)

①【姉妹に牧師職・教職は開かれていないという立場:Complementarian】

電子書籍(ネット上で読めます。)
Grudem, Wayne. Evangelical Feminism and Biblical Truth PDF ココをクリック

Grudem, Wayne. Evangelical Feminism: A New Path to Liberalism? ココをクリック

一般書籍
Bacchiocchi, Samuele. Women in the Chruch. Barrien Springs, Mich.: Biblical Perspectives, 1987.

Clark, Stephen B. Man and Woman in Christ: An Examination of the Roles of Men and Women in Light of Scripture and the Social Sciences. Ann Arbor: Servant, 1980.

Cottrell, Jack. Feminism and the Bible; An Introduction to Feminism for Christians. Joplin, Mo.: College Press, 1992.

Foh, Susan. Women and the Word of God: A Response to Biblical Feminism. Phillipsburg, N.J.: Presbyterian and Reformed, 1980.

House, H. Wayne. The Role of Women in Ministry Today. Nashville: Thomas Nelson, 1990.

Hurley, James. Man and Woman in Biblical Perspective. Leicester: Inter-Varsity Press, and Grand Rapids: Zondervan, 1981.

Jepsen, Dee. Women: Beyond Equal Rights. Waco, Tex.: Word, 1984.

Kassian, Mary A. Women, Creation and Fall. Westchester, Ill.: Crossway, 1990.

Kassian, Mary A. The Feminist Gospel: The movement to Unite Feminism With the Church. Wheaton, Ill.: Crossway, 1992.

Knight, George W. III. The Role Relationship of Man and Woman: New Testament Teaching. Chicago: Moody, 1985.

Neuer, Werner. Man and Woman in Christian Perspective. Trans. By Gordon Wenham. Westchester, Ill.: Crossway, 1991.

Piper, John. What’s the Difference? Manhood and Womanhood Defined According to the Bible. Westchester, Ill.: Crossway, 1990.

Piper, John and Wayne Grudem, eds. Recovering Biblical Manhood and Womanhood: A Response to Evangelical Feminism. Westchester, Ill.: Crossway, 1991.

②【姉妹にも牧師職・教職は開かれているという立場:Egalitarian/福音主義フェミニズム】

Bilezikian, Gilbert. Beyond Sex Roles: What the Bible Says About a Woman’s Place in Church and Family. 2d ed. Grand Rapids: Baker, 1985.

Evans, Mary J. Women in the Bible: An Overview of All the Crucial Passages on Women’s Roles. Downers Grove, Ill.: InterVarsity Press, 1983.

Gundry, Patricia. Heirs Together. Grand Rapids: Zondervan, 1980.

Gundry, Patricia. Woman Be Free! The Clear Message of Scripture. Grand Rapids: Zondervan, 1988.

Mickelsen, Alvera, ed. Women, Authority, and the Bible. Downers Grove, Ill.: InterVarsity Press, 1986.

Spencer, Aida Besancon. Beyond the Curse: Women Called to Ministry. Peabody, Mass.: Hendrickson, 1985.

Tucker, Ruth A., and Walter Liefeld. Daughters of the Church: Women in Ministry from New Testament Times to the Present. Grand Rapids: Zondervan, 1987.

Van Leeuwen, Mary Stewart. Gender and Grace: Love, Work and Parenting in a Changing World. Leicester and Downers Grove, Ill.: InterVarsity Press, 1990.





IMG_0044.jpg

はじめに

みなさんご存知のように、イスラエル/パレスティナ問題に対する見方は、クリスチャンの間でも実にいろいろあります。またディスペンセーションの立場を受け入れるか否かでも最近、キリスト教界は大きく二分されているような感があります。

このブログに来てくださったみなさんもそれぞれ様々な意見を持っておられることだと思います。

それでまず、今回私がパレスティナ人のワリド兄の証しを本ブログに載せようと思った理由をお話したいと思います。

それは一言でいうと、この記事のタイトルにも書いたように、彼がイエス様に出会い、あれほど憎んでいたユダヤ人を愛する人に変えられたという点にあります。また、彼がひたむきに真理を求める姿に私は感動を覚えました。

そして、このような証しは、きっと多くの兄弟姉妹の心をあたため、希望を与えるものではないかと思ったからです。

そういう意味で、本記事を通し、ある特定の神学的立場を擁護(ないし主張)しようという意図は私にはありません。

そのことをはじめに申し上げておきたいと思います。ですからみなさん、どうか自由な気持ちでお読みください。

(著者の許可のいただいた上で、2014年11月、日本語訳いたしました。)

ワリド兄の証し

生い立ち

私の名前はワリドです。私はイスラエルのベツレヘムで生まれました。

私が生まれた日はちょうどイスラム教の最も聖なる日―創始者Mの生誕日(Al-Mauled Al-Nabawi)―にあたりました。

これは父にとって栄誉なことでした。そういう理由で父は、預言者Mの生誕日をいつも覚えようと、私にワリド(『生誕』を表すアラビア語Mauledに関連)という名前をつけたのです。

私の父はパレスティナ人イスラム教徒で、聖地において英語とイスラム学を教えていました。母はアメリカ人で、1956年、父がアメリカに留学していた時に二人は結婚しました。

アメリカ的な生き方が二人の子供たちに及ぼす(悪)影響を恐れ、両親は1960年、イスラエルに移り住みました。

その当時、母は私をお腹に宿していました。彼らがベツレヘムに着いた時、私が生まれました。

その後、父の転職の関係で、私たちはしばらくサウジアラビアに滞在し、その後聖地に戻ってきました。―そして今回は、低地エリコに住みました。

小学校で教わった反ユダヤの歌

六日戦争(=第三次中東戦争)の少し前に学校で初めて習った歌を忘れることができません。

その歌の名は「♪われらの愛するアラブ人 そしてわれらが犬 ユダヤ人」でした。

子ども心に「ユダヤ人とはいったい誰なんだろう」と思っていましたが、他の生徒たちと同じように、全く意味も分からないまま私はこういった歌詞の言葉を繰り返していました。

六日戦争

こうして私は聖地で育ちましたが、その間、アラブ・ユダヤ間の戦争をいくつか体験しました。

最初の戦い(当時私たちはエリコに住んでいました)は六日戦争でした。この戦争でユダヤ人たちは旧エルサレムおよび残りのパレスティナを占領しました。

これはアラブ人および世界中のムスリムにとって大きな失望でした。

戦争が起こる直前に、在エルサレム米国協議会が、その地域に住む全てのアメリカ人を避難させようとやって来ました。

母がアメリカ人だったため、協議会は私たちの援助を申し出てくれましたが、父は自国を愛していたので、その申し出を拒絶しました。

その時のことを今もいろいろと覚えています。――六日間、昼も夜も続いた爆撃の音、アラブ人がエリコのお店や家々を荒らし回っていたこと、イスラエル人を恐れて人々がヨルダン川を走って渡ってくる姿など、、

この戦いは六日で勝敗がついたために六日戦争と呼ばれています。

七日目にはゴレンというラビがエルサレムの嘆きの壁で雄羊の角笛を吹きならし、勝利を宣言しました。

多くのユダヤ人はこれをヨシュア記6章のエリコ占領(→イスラエルの民がエリコの町のまわりを六回回り、七日目には七回回り、祭司の吹きならす角笛の音と共に、民はときの声をあげ、町を占領した。)に重ね合わせています。

エリコにいた父にとって、このニュースは青天の霹靂でした。

戦争中、彼はいつもヨルダン側のラジオ放送を聴いていたのです。そして「アラブは戦勝する」と言っていましたが、彼は情報源を誤っていました。むしろイスラエル側の情報が正しかったのです。

しかし父は、「イスラエルはデマを流している」というアラブ人の言っていることを信じていたのです。

キリスト教主義の学校で

その後、私たちはベツレヘムに戻り、父は私たちを英国国教会・ルーテル系の学校に入学させました。というのもその学校ではより良い英語教育がなされていたからです。

兄、姉および私はその学校で唯一のムスリムでした。

私たちは半分アメリカ人の血を引いていたため、先生たちは私たちを殴り、また生徒たちも私たちを笑い者にしました。

聖書のクラスが始まると、私は教室を出て、その授業が終わるまで外で待っていました。しかしある日、私はそのクラスに入って行きました。

すると、クラスのいじめっ子がけんか腰で立ち上がり、叫びました。

「アメリカ人と、ムスリムの混血野郎なんかここから出て行け!」

しかし私は出て行くことを拒否しました。そのクラスを教えていた先生は私に着席するよう言いました。

それ以後、ぼくの影響で学校の方針は変わり、初めて、学校側はムスリムが聖書を学ぶことを許可したのです。

それからの3年間、私は嘲りを受けながらも、その学びを続けました。

イスラム教育を受け始める

その後、父は私を政府の学校に転入させ、そこで私のイスラム信仰は育まれていきました。

そしてそこで、いつの日か、いにしえの預言者Mの預言は実現するという思想が植えこまれました。

この預言は、やがて聖地が奪還され、大量殺りくによりユダヤ人が排除されるであろう戦いのことを言っていました。

この預言は実際、預言者言行録(ハディース)の中に次のように記述されています。

「ムスリムの民がユダヤの民を打ち破るまでには、最後の審判の日は来ないであろう。」(Narrated by Abu Hurairah, Sahih Muslim, Hadith #6985; Sahih al-Bukhari, Vol. 4, #177)

それはどこで行なわれるのかと尋ねられた預言者Mはこう答えています。

「エルサレムおよび周辺の国々において。」

青春期、私は父と同じように、いつもイスラムおよびムスリムの先生たちの教えることに共鳴していました。

預言者Mの預言を信じ、私は「ジハード」(「聖戦」)に自分の命を捧げていました。

これだけが勝利ないしは殉教の道へといきつく唯一の手段だと信じていたのです。

イスラム教においては、殉教だけが救いおよび天国へ行くことを確実にしてくれる唯一の道なのです。-なんといっても、アッラーおよび預言者Mがそれを約束してくれているのですから。

聖典にはこう記されています。

「(聖戦において)アッラーのために殺された人たちを決して死んだものと思ってはならない。彼らは立派に神様のお傍で生きている。なんでも十分に戴いて」(イムラ―ン一家169)。

反イスラエル暴動の扇動者として

いわゆる「イスラエル占拠」に対する学生蜂起が起こっていた期間、私は他の生徒たちをけしかけて、イスラエル兵に石を投げつけるよう、演説やスローガンを用意したり、反イスラエルの落書きをしたりしていました。

そしてこう叫んでいました。「敵との間に和平も交渉もなし!われわれの血も魂もアラファト議長に捧げる!血も魂もパレスティナに捧げる!シオニストに死を!」

ユダヤ人という敵と戦うことがこの地上において神の御心をなすことだと信じていた私は、この敵と戦い抜くことを誓っていました。

そしてそれは口先だけのものではなく、私は実際にイスラエル軍に対する多くの暴動に参加しました。

そしていつも自分の考え出せるありとあらゆる方法・手段で彼らを痛めつけてやろうと努めていました。

学校、通り、そしてエルサレムの聖地(「神殿の山」)においてさえも、私は暴動を引き起こし、また参加しました。高校時代を通し、私はいつも暴動を扇動する急先鋒の一人でした。

他の多くの人々も、テロ戦術を使い、ユダヤ人を強制的にこの地から追い出そうと、彼らに対し爆撃や武力行使に出ていました。

しかしパレスティナ人はユダヤ人を駆逐することができませんでした。

何をもってしても私の心を変えることはできませんでした。私は死ぬか、もしくは奇跡が必要でした。

私がどんな人だったかということを最もシンプルに表すとしたら、、、

そう。あなたがCNNのニュースで見るように、私は、インティファーダ(蜂起)の日々、石や火炎瓶を投げつけている、ああいった人たちの一人でした。

テロリストとして

私は――ユダヤ人がテロリストと呼んでいる人――の一人でした。

興味深いことに、私は人をテロの恐怖に陥れていただけでなく、自分自身も、己の信条によって恐怖にがんじがらめにされていたのです。

私の信条では天国に行くためには十分な功徳および善行を積むことが必要でした。

でも神の審判を受ける時、てんびん皿の自分の善行が、自分の行なった悪行の目方より重いのか否か、全く確信がありませんでした。

「もちろん、ユダヤ人への戦いを繰り広げる中で死ぬなら自分の罪に対するアッラーの怒りはやわらぐだろう。そうしたら僕は天国で良い場所を確実に与えられ、そこで大きな目をした美しい女たちと心ゆくまで戯れることができるだろう。」そんな風に思っていました。

いずれにせよ、私は勝たねばならず、テロというのがそのための唯一の手段でした。

ベツレヘムにある超満員の映画館で、「ミュンヘンでの21日間」という映画を観た時のことを今も覚えています。

パレスティナ人たちがヘリコプターの中に手榴弾を投げ込み、イスラエルのスポーツ選手たちを殺した時、何百という観客は喜びの余り一斉に手を打ち鳴らし、「アッラフ アクバル(=アッラーは偉大なり)」と叫びました。

これは、何かに勝利した時、ムスリムが使う喜びのスローガンです。

性奴隷についての問答

またベツレヘムの高校での宗教(イスラム教)の授業中、学生たちはよく次のような質問をしていました。

「ユダヤ人を打ち負かした後、我々イスラム教徒はユダヤ人の女たちをレイプしても構わないのでしょうか」と。

それに対する先生の答えはこうでした。

「戦争中、捕えられた女たちはこの件に関して選択の余地はない。こういった女たちはそばめ(性奴隷)であり、主人に従う必要があるのだ。つまり捕虜の奴隷とセックスをするのは『奴隷の側が選択することのできる問題』ではないのだ。」 

実際、これについては聖典にも次のように書いてあります。

「それから娶ってはいけないのは、正式の夫をもつ女。ただし汝らの右手の所有にかかわるもの(奴隷とか戦争で分捕ってきた女)はそのかぎりにあらず。これが汝らに対するアッラーの御掟である」(女 24節)。

また他の箇所には次のようなことに書かれています。

「おお預言者よ。われらが特に正当なものとして汝に許したのは、まず汝が正式に金を払った(前出、結婚に際して男の方から女の方に一定額の金を支払う)妻、

次にアッラーが戦利品として授けたもうた奴隷女、父方の叔父の娘に父方の叔母の娘、母方の叔父の娘に母方の叔母の娘などで汝と一緒に(メッカから)移って来た者、

それに、自分から預言者に身を捧げたいという信者の女があって、預言者の方でもこれなら嫁にしてもいいと思ったなら誰でもよろしい」(部族同盟 50節)。


このような特権を用いて預言者Mは、14人の女と結婚し、戦勝した戦いにおける分捕り物として連れてきた何人かの奴隷の女を娶りましたが、こういったことは私たちにとって全く問題ではありませんでした。

実際、彼がいったい何人の妻を持っていたのか今でも議論されているほどなのです。こういった妻の一人は自分の養子ザイードから取ったものでした。

というのも、この女は預言者に与えられるべきだとアッラーがお告げになったからです。

また預言者Mがユダヤ人(夫や家族)の首をはねた後に奴隷とされたユダヤ人の女たちの何人かも、その後妻にされました。

ユダヤ人への憎しみ

パレスティナ人の心に変化を起こさせようと、イスラエルのTV局はホロコーストのドキュメンタリー番組を放映したりしました。

私はテレビの前に座り、食べ物をほおばりながら、(ユダヤ人を殺す)ドイツ人に喝采を送りました。

ユダヤ人に関する私の考えや感情を変えることなど、「心臓移植」でもしない限り不可能でした。

また彼らは一度、エシュドトの海岸近くにあるユダヤ人のキャンプ場に僕たちパレスティナの学生を一週間招待し、ユダヤ人の学生たちとの交流の場を設けました。

でもそれはうまくいきませんでした。むしろその反対に、ユダヤ人に話しかけたパレスティナ人の先生たちは皆、嘲笑されました。



その一方、母は家で私に別の考え――彼女はそれを神のご計画と呼んでいました――を教えようとしていました。彼女は聖書の預言についてこう私に語りました。

「ユダヤ人の帰還は神さまによって前もってご計画されていたの。そしてそれが成就したのよ」と。

母に言わせれば、これは、私たちの世代における神の奇跡であり、これによって世が「主の御心は必ず成る」ということを目の当たりにするためであると。

また母は、私たちが生きているうちに成就されるであろう多くの出来事についても私に語ってきかせました。

そしてそれらは今毎日表面化してきていると。また偽りのメシアのことについても私に語りました。

しかしそういった母の言葉は、「何が何でもユダヤ人と戦ってやる」という私の決心にほとんど何も影響を及ぼしませんでした。

母はあるアメリカ人の宣教師夫妻の影響を受け、彼らに「バプテスマを授けてください。」とひそかにお願いしていたのです。

藻でいっぱいの池で洗礼を受けることを母が拒んだため、この宣教師はエルサレムにあるYMCA側に「プールを使わせてください」とお願いしなければなりませんでした。そしてそこで母はバプテスマを受けたのでした。

うちの家族は誰もそのことを知りませんでした。

母は何度もイスラエルにある博物館に私を連れていってくれたので、私は考古学が大好きになりました。

母とはいろいろ議論をしましたが、ある時、私は「ユダヤ人とクリスチャンは聖書を変造したんだ。」とはっきり母に言ってやりました。

すると母は私をエルサレムにある写本博物館に連れていき、今も損なわれていないイザヤ書の写本を見せました。

これまでこの写本の中に、変造されたことを証明するような誤謬を発見した人は誰もおらず、これに関しては私も母に返す言葉がありませんでした。

私は母のことを「異端者」とか、イエスは神の子などと主張する呪われたアメリカ帝国主義者などと呼んで、彼女を苦しめていました。

戦闘により「殉教した」とされる十代の若者たちの載った新聞を母の前に突きつけ、「これに関して答えろ」と要求したりもしました。

私は母を憎んでおり、いつも父に、彼女を離縁し、ちゃんとしたムスリム女性と再婚してくれるよう頼んでいました。

獄中でも

卒業アルバム用の写真撮影ではあえてうら悲しくきびしい顔をしました。――「殉教者」として次の新聞に掲載される若者は自分かもしれないと思って。

実際、若者の抗議運動やイスラエル軍との衝突の際、私は何度も死の危険をおかしました。

六日戦争、PLOレジスタンス、黒い9月と呼ばれるヨルダン市民戦争、レバノンでの流血戦争、ヨーム・キップール戦争と、こういった戦争の間中、私はイスラエルに住んでいました。

何をもってしてもイスラエルを打ち破ることができず、敗北が続くなかにあっても、私たちは依然として決定的な一つの勝利を望んでいました。

というのもそれさえ得ることができればイスラエルを滅ぼすことができるからです。

私がイスラエル軍の刑務所に入れられた時、両親は私のことを非常に心配しました。

母はエルサレムにあるアメリカ協議会に行き、私の釈放のために奔走していました。母の髪は極度のストレスで抜け落ち始めていました。

しかし獄中で私はさらに多くのテロ戦術を学び、出獄した際には、以前にも増して狂信的になっていました。

アメリカへ

高校卒業後、両親は私をアメリカ留学に送り出しました。

もちろん私はアメリカでも引き続き、反イスラエルの社会的かつ政治的な運動の多くに身を投じました。

私は次のような残酷なジョークを好んでよく友人たちに話していました。

――僕はヒットラーが憎くてならない。どうしてかって言うと、彼は事業を完遂しなかったから。つまり、彼はユダヤ人問題に「完全なる」決着をつけなかった、と。

ヒットラーを自分の理想像とし、Mを自分の預言者として、私は自分の人生を闊歩していました。

そしてユダヤ人やクリスチャンないし非イスラム教徒のことを見下していました。

「いつの日か、全世界はイスラムに服従するようになり、全世界はイスラエルとの戦いにおいてパレスティナの払った犠牲に対し恩恵を感じるようになるだろう。」そう信じていました。

またユダヤ人は預言者殺しの民であり、自分たちの邪悪な欲望にあわせ、聖書を変造したのだと信じていました。

これがイスラム教徒の教えていることです。ムスリムはまたMこそが唯一の贖い主であり、神の寵愛を受けし預言者であると教えています。

すべてはユダヤ人のせい!

アメリカに滞在しながら、私はここ20年の間に、イラン、イラク、クウェート、ヨルダン、レバノン、アフガニスタン、そして全てのイスラム国家において命を落としていった何十万というイスラム教徒のことを思わずにいられませんでした。

自分は彼らのために復讐を果たさなければならない。そして誰かがこの代価を払わねばならない。

そしてもちろん代価を払うべきその「誰か」というのはユダヤ人をおいて他にいない――そのことに関して私に疑問の余地はありませんでした。

こうしてどうしたものか私たちはいつも、何もかもごっちゃにし、最終的にはそれらをすべて「ユダヤ人のせいだ」と決めかかっていました。

ある日、私はある男とけんかをし、殴って彼の目を見えなくしました。そして後でその男がユダヤ人だったと知り、狂喜しました。

私はイスラム教の歴史に魅了されました。

そしてそれを学ぶ中で、預言者Mがサウジアラビアからユダヤ民族を引き渡し処分に科し、他の部族からの男たちをことごとく断頭するよう命じたということを知りました。一方、女たちは性奴隷にされました。

イスラムの世界統治を信じて

イスラム教の教え通り、カリフ(イスラム為政者)だけが世界を統治することができると私は信じていました。

つまり、イスラム教というのは個人的、倫理的生活のための宗教ではなく、全世界に適用されるべき法律および統治体系なのです。

平和的手段でそれが達成されなければ、イスラム教に服従しない全ての者たちに対して戦いを挑まなければなりません。

10億のムスリムが住んでいる今日、それは実現可能なことだと私は信じていました。

恐れ

でも正直に言います。私は聖典を読むたびに恐怖におびえていました。

というのも、各節おきにこの罪に関し、またあの罪に関し、地獄の火が待ち受けているという脅しがあったからです。

私の切なる願いは、創造主に手を差し伸ばし、「ごめんなさい。私を赦してください。そしてもう一度チャンスを与えてください。」と嘆願することでした。

でも私の罪と私の善行を換算するなら、最終的に、私の罪の目方の方が善行よりも重くなるだろうことは確実でした。

だから私は創造主の慈愛とあわれみにすがりつつ罪深い人生を生きていました。

私はいつも自分の今後の運命について考えていました。恐怖と疑いに圧倒されつつも、自分の救いのために誰かを殺すという思想を実のところ私は本当に憎んでいました。

実際に、私はねずみ一匹殺す気持ちすらなかったのです!ましてやユダヤ人(という人間)をどうして殺すことができましょう!

ある本との出会い

1992年のある時期、私はグラント・ジェフリーという人の書いた『ハルマゲドン、定められた約束』という本を読んで感銘を受けました。

この本の中では、イエスの誕生、生涯、死、復活についての詳細な預言、そしてイスラエルの再建などの説明がなされていました。

こういった預言の多くは、神が聖書の中で述べた通りに成就するにいたったのです!

また一人の人が――それらが起こる前に何百何千年前に書かれた――何百という歴史上の出来事を予見する確率というのはほとんどゼロに近いのだということを知り、それにも驚きました。

さらにすごいと思ったのは、許容誤差というのはゼロのはずだということです。――特にこういった預言の多くの成就が自分の世代に起こっている場合ならなおさらです。

こういった種類の証拠は神的な起源からでたものと言わねばならず、それはもちろん全能の神のはずでした。

葛藤のはじまり

こうして葛藤が始まりました。私は困惑してしまいました。

「イスラエルの地で発掘されている何千という考古学的証拠。僕の生まれ育ったこの地はこうして聖書が正しいということを証言し、そのことを叫んでいる。

それなのに、聖書が偽りで、かつユダヤ人によって改悪されたということがありえるのだろうか?」

クムランの洞窟で発見されたイザヤ書は、(ベツレヘムの近郊の町に住む)モハンマド・デイブというムスリムが、迷子になった羊を探している最中に発見したものです。

この発見にはじまって、彼らは今日私たちが使っている旧約聖書と一致する、残りの旧約聖書をも発見したのです。

そしてそれにはイエス・キリストが来ることを予見した何百という聖句が含まれていました。

聖書を読み始める

イエスが実際には誰であったかを解明すべく聖書を読む必要がある、と思いました。

こうしてイエスの言葉を読んでいくうちに、神様はついに私を最終的な地点まで導かれたのです。

神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである」(黙示録1:8)。

キリストはユダヤ人にもこう言っておられます。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです(=I AM)」(ヨハネ8:58)。

イエスとMとの間で同じような主張がなされていることにも私は驚きました。

こういった主張は深刻なものです。預言者Mは次のように言っています。

「私は全ての被造物のはじめであり、最後の預言者である。」

彼はまたこのようにも言っています。

「まだアダムが粘土で形造られている間にも、私は(すでに)アッラーの預言者であった。」

さらに、自分は最後の審判の日における、ムスリムのためのとりなし手であり、世界の最後にして最終的な預言者ならびに救い主であると彼は主張しています。

どちらが本物?

こういったことを聞くたびに私は当惑しました。

もし預言者Mの主張していることが本当なら、それじゃあ、私たちの贖い主であり救い主であると主張しているイエスとはいったい誰なのでしょう?

この問いは私を苦悶に陥れました。

「二人の贖い主、、ということは二つの主張のうち一つは嘘だってことになる、、、そして神こそ唯一の贖い主なので、これは神にかかわることでもあるんだ。」

キリストあるいはMのどちらか一方が、人類の贖い主であり仲裁者(とりなし手)であるはずなのです。

そして聖書もしくは聖典Kのどちらかが正しいはずです。

二つのうち一つが純金であり、もう片方はまがい物ということになります。でもはたしてどっちがどっちなのでしょう?

比較研究はじめる

何が何でも「真理」を突きとめるという誓いをした後、私は夜遅くまで聖典Kと聖書にかじりつき両者の詳細点を比較研究しました。

こうして研究の日々が続きましたが、ある日私は祈りました。

「神よ。あなたは天地の造り主、アブラハム、モーセ、ヤコブの神であられます。あなたは初めであり終わりであり、『真理』それも『唯一の真理』であられます。

あなたはまことの聖書の造り主であり、神のひとりにして唯一の御言葉であられます。私はあなたの真理を知ろうと熱望しています。

自分の人生においてあなたの御心を行ないたいのです。あなたの愛を切に望んでいます。『真理』の御名によって祈ります。アーメン!」

私はまことの純金をひた望み、模造品に甘んじることができませんでした。

この世の諸宗教の外見的様相ではなく、その本質を見極めるために、こういった諸宗教の表面をはげしく擦る必要がありました。

聖書の科学的根拠を求めて

私は聖典Kが神の言葉であることを信じていました。

というのも、この聖典は現代科学の法則によっても裏付けられていたからです。

そして神に起源をもつ本だけが、何千年も前に書かれたものでありながらも科学的事実を有するのです。

私は一カ月の間、コンピューターのプログラムを用い、聖書の科学的根拠を求めて検索を続けました。

聖典Kの中で科学的に裏付けられた奇跡の箇所は私を初め、何百万人ものムスリムをして聖典を信じせしめるにいたっているのですが、調べてみると、それらの箇所はすでに聖書に載っていました。

また聖典Kの話の多くには重大な誤謬が含まれており、歴史学および考古学の知識をもってしても、Kには深刻な誤りがあると認めざるをえませんでした。

こういった多くの発見により、聖典Kは奇跡であるという私の本来の立場はあやうくなってきました。

それより何千年も前にすでに聖書には、そういった奇跡のすべてが網羅されていたのです。

こうして私の基盤はぐらぐらと揺り動かされ、砂の中にどんどん沈んでいくような気がしました。

神が「滅ぼす」とおっしゃっている――預言者エゼキエルが38章で述べている――諸国についても、そのほとんどは現在、原理主義的傾向を強めているイスラム諸国です。

預言の成就

また私は神様に導かれ、また聖書研究を通し、預言に関する何百という詳細にして固有な聖句が文字通り成就されたということを発見しました。

これまでにも、未来の出来事についてこれほど詳細に予見した人々はいましたが、その内容は真理以上に誤りが多いのです。

しかし聖書は違いました。

神様だけが未来の出来事に関する鍵をにぎっておられ、――聖典Kではなく――聖書だけがその鍵を握っているのです。

Kは「救いと贖い」に関するもっとも大切な要素を欠いているのです。

その時私は悟りました。こういったことを知りながらも、相変わらず聖書の神ではない他の神を拝み続けるのは愚かなことだと。

探究の結果、神様は必ず私を聖典Kに導いてくださると私は本当に思っていました。

しかし実際はその逆でした。私は自分のプライドを捨て、真理に対して心を開く必要に迫られました。

神様は聖書の中でこう言っておられます。

「わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う」(イザヤ46:9-10)。

神様は未来の出来事を予告しておられるだけなく、それらを宣言し、実現に至らしめているのです。

それは聖典Kがただ単に恐怖のむちを使い、ムスリムに対し強制的に信じさせるやり方とは異なっています。

また私は聖書の中で述べられていることになっているはずの預言者Mを(本人もそう主張していたのです。)何日も検索しました。

しかしただの一ヶ所も、彼について言及してある箇所をみつけることができませんでした。

聖書は改悪されたのか

もし聖書が改悪されたのなら、それは預言者Mの後に起こったと考えなければなりません。

なぜなら、聖典Kはいつも「(Mの在世当時)聖書は『彼の手の間にあった』」と記しているからです。

その当時から今日まで、イスラム教徒は改悪されたことを立証するような聖書の聖句をただの一つも提供することができずにいます。

そして聖書を反証するような歴史学的ないし考古学的証拠はこれまで一つも発見されていないのです。

また死に方も預言者Mとイエスとでは異なっていました。

預言者が彼のお気に入りの妻アイシャのひざの上で死んだのに対し、イエスは人類の罪を贖うため十字架上で死んだのです。

今日、何百万というムスリムの方々がこういった事実を知ることなく、またそこから挑戦を受けることなく生きているということに私は悲しみを覚えます。

ムスリムもその他の人々も、――神様が「わたしはただひとりであり、わたしの言葉も唯一のものである」と言っておられるにもかかわらず――神を崇拝する三大宗教というものを認めていることが私には驚きでした。

私は盲目でした。しかし聖書を研究することによって、私の目は開かれ始めたのです。

そうです、本当に開かれ始めたのです!

そして墓からのイスラエルの帰還、ユダヤ人に対するムスリムやこの世の態度など、成就された多くの聖書的預言により、終わりの時が近いことが分かりました。

問題の根は罪にあった

人間というものはいつの時代も変わりません。

カインが弟のアベルを殺したように、人は未だに人殺しをしているのです。

唯一の違いといえば、私たちは昔ほど、戦闘の場で、頭をはねたり、お互いを突き刺したりしないということです。

そう、人間のいのちがどんどん価値なきものになっている今、私たちは化学戦争によって、相手を虫けらのように壊滅させるのです。

こうして罪こそが全人類の問題の元凶であり、悪魔こそ人類にとっての最悪の敵であることが私にもみえてきました。

つまり最悪の敵はユダヤ人――ヒットラーが50年弱で600万人虐殺しましたが――ではなかったのです。

皮肉なことに今日、ホロコーストが起こったこと自体を否定するような書籍が大量に出回っています。

もしヒットラーやメフディないしはイスラムのカリフなどが政権を牛耳り、今日私たちが所有しているもの――地球を7回破壊できるほどの核爆弾があるのです――をわが物にしたとしたら、いったいどんなことが起こるのでしょうか。

これだけの証拠があるにもかかわらず、この世が今日愚かにもユダヤ人虐殺の事実を否定しているようなら、ましてや今日、この世の大半の人が――証拠が至るところにあるにもかかわらず――キリストのメシア性および聖書の正確さを否定していることなど何の不思議もない、そう思いました。

神様は私の心も考えも開いてくださり、いかに今日人々が、誤った形での礼拝に自らを委ねつつ、主が御言葉のうちに提供してくださっているあらゆる証拠を否定しているのか見させてくださいました。

そしてこれまで私の思考に及ぼしていたサタン的影響についても主は私に示してくださいました。

イスラム教の背景があったにもかかわらず、私はこういった影響は神からのものだと思っていたのです。

変化

こうして私は新しい世界観および人生の意味を見出すようになっていきました。

そして自分には救いが必要であることに気づきました。

今日、人々は世界政府をその目指すところとしていますが、こうして彼らは悪魔が王として君臨することを待っているのです。

「バビロン」は世界を再統一するべく、墓から呼び起こされつつあります。

その名称こそ「新世界秩序」となっていますが、実際は「新バビロン」と呼ばれるべきなのです。

私は聖書を読み、なぜゼカリヤが次のように預言したのか考え始めました。

「わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される」(ゼカリヤ14:2)。

イスラム教においてメシアの再臨はイスラムの預言の中にあると教えられています。

このメシアは十字架を砕き、豚を殺すという風に描かれています。

しかしこれもメフディーという「偽りの」メシア、つまり来るべきアンティオホス・エピフィニアスに従うようにという、ムスリムに仕掛けられたもう一つのわななのです。

預言者Mの預言とは対照的に、聖書は次のように読者に説明しています。

つまり、ヤコブの困難の時における包囲攻撃の結果は、ユダヤ人の全滅をもたらすものではなく、むしろキリストご自身がイスラエルの敵と戦いつつ、裁きのためオリーブ山に下ってこられるのです。

残念ながら、その時には未信者が悔い改め、贖われるにはもう手遅れとなるのです。

根深いユダヤ人への憎悪

悲しいことに、ユダヤ人への憎悪は遠い昔の時代遅れな思想ではないのです。

今日、何百万人というムスリムが、――Mがかつてサウジアラビアでユダヤ人に対して行なったように――いつの日か聖地にて全てのユダヤ人に同じことをしてやろうという病的な思想を抱いているのです。

実際、ユダヤ人およびクリスチャンを殺し、彼らの妻を性奴隷として分捕ってもいいという許可は、この宗教の聖典に銘記されており、今日に至る(ムスリムによる)ユダヤ人憎悪の主原因となっているのです。

御約束の成就

こうして昼も夜も「真理」という言葉が私の心から離れず、二つの聖典の比較研究を続ける私の魂を激しく打ちました。

そしてついに、聖書はまごうことなきまことの純金であるという結論に達しました。

これまで成就してきた何百という古代の預言によってだけではなく、ヤコブの時代より今日に至るまで存在している――神によって造られた――いにしえの言葉によっても私はその結論に導かれました。

そうです、その言葉は当時も今も「イスラエル」なのです。

今日イスラエルが存在すること、そして全世界からユダヤ人が再帰還していること、これは聖書がまことの神の言葉である、抗うことのできない証拠です。

神様は彼らを全世界に散らし、その後、全ての国々から彼らを再び元々いた土地に集められましたが、これははるか昔になされた主の御約束の成就なのです。主はこう仰せられました。

「わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。――主の御告げ。――

わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる」(エレミヤ29:14)。


まことの神様には決して移り変わりはありません。主は今も同じです。

また私の敵であるユダヤ人は――神の言葉および、メシアであるイエスを通した救いに関する神のご計画を書き記すべく――神様に選ばれたのだということも知りました。

このイエスこそ唯一のメシアであり、人類の贖い主です。

また私の生まれた町の出身であるイエスはユダヤ人であり、その町の名前さえもユダヤの名称('Beth-Lechem'=パンの家)であることを知りました。

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(ヨハネ6:35)。

敵のために命を捨てる愛

ベツレヘム(=パンの家)という名称はイエスがこの世に来られる前にすでに与えられていました。

そしてイエスはユダヤ人という私の敵の民族出身でした。にもかかわらず、主は私の罪のために死んでくださいました。

私はこれまで人が自分の敵のために死に、また敵を愛する余り、自分自身、打たれ、つばを吐きかけられ、嘲られ、そしてついには十字架につけられたということを聞いたことがありませんでした。

あなたの敵はあなたのために死ぬと思いますか?しかし主はこう言われました。

「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)。

「真理」は歴然と私の目の前にありました。そして私の心の中に入ろうと絶えず心の戸をノックし続けていました。

私は真理を求めました。そして主はそれに答えてくださいました。

私は盲目な者でしたが、今見えるようになったのです。

主は私の戸を叩き、私は戸を開けました。そして自由にされたのです!キリストはこう言われました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6)。

憎しみから愛へ

こうして私の考え方、感情、人生の目標などが変えられていきました。私はユダヤ人に同情するようになっていきました。

憎悪心がことごとく消え失せました。

彼らを痛めつけてやろうという願望はもはや私のうちになくなりました。

今、私は彼らのことをいとしく想い、絶えずエルサレムの平和のために祈っています。

かつて私はテレビでホロコーストの画像をみるとこれをあざ笑っていました。

でも今私はそういう画像をみると涙がとまりません。

主がなさったように、私は今彼らのために自分の命を投げ出す覚悟さえできています。

こういうことを言うと、同胞のアラブ人やムスリムは私を憎悪するでしょう。でもそれを覚悟で私はあえて言います。

私は全世界に向かって言います。自分はユダヤ人を愛していると。

彼らのメシアゆえ私はユダヤ人を愛しています。

彼らは光をこの世にもたらしました。彼らを通して光であり真理である方がいらっしゃったのです。それゆえに私はユダヤ人を愛しています。

私はもう彼らを軽蔑したりしません。

ユダヤ人は神の選ばれし民であり、――私たちが彼らにそれを許しさえするなら――彼らはアラブ人そして全世界の人々に光を与えるのです。

なぜなら神は彼らを世界に対する祝福としてお造りになられたからです。

神様が次のようにアブラハムに仰せられたように、私たちは彼らを愛し、彼らをサポートする必要があるのです。

「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創12:3)。

新しく生まれ変わって

真理を知ったことで私の考え方は変えられました。

かつて私はヒットラーを信奉する者でしたが、今私はキリストを信じています。

かつて偽りを信じていましたが、今真理を知る者とされました。

かつて私は霊的に病んでいましたが、私はいやされました。

かつて私は暗闇の中を生きていましたが、今光をみています。私は滅びゆく者でしたが、救われました。

そして疑いから信仰へ、憎しみから愛へ、さらにキリストを通して邪悪な業を行なう者から神の恵みに与る者へと変えられました。

この変化を通して私は、神の御言葉がないところでは、物事は表面上良くみえても、核の部分には偽りが横たわっていることを知りました。

こうして私は自分たちの全ての罪のために死んでくださったメシアであるイエスを、自分の主および救い主として受け入れました。そしてこれからもこの主に私は従っていきます。

イエスは言われました。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。

主イエス様、御約束を成就してくださってありがとうございます。

ーおわりー

☆☆
(祈り)
主よ。私はこの記事を読んでくださった愛する兄弟姉妹と共に祈ります。

今、この世界がおそろしい規模での暴力により、地獄の様相を帯びてきているのをあなたはご存知です。

このような状況のただ中で、私たちは初代クリスチャンと同じように、巨大な悪の前に素手で立っています。

そしてあなたにすがり、ヨシャパテ王のように祈ります。

『私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです』(Ⅱ歴20:12)。

全能の父、歴史の審判者であられる神様。あなたはキリストを死者の中からよみがえらせ、すべての支配、権威、権力、主権の上に、そしてすべての名の上に高く置かれました(エペソ1:20、21)。

私は兄弟姉妹と共に、この力あるイエス・キリストの御名を宣言します。

そしてあなたの愛の御国が今日も各地で勝利をおさめていることを覚えて感謝します。

主よ、どうか私たち一人一人を今まで以上に御霊で満たしてくださり、憎しみのあるところに愛を運ぶ器として用いてください。

イエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。

♪Above allのアラビア語賛美。この賛美はアラビア語圏の福音教会でよく歌われています。)



【この賛美の日本語訳】
♪すべての力と権勢に勝る主イエス 計り知れない知恵によって すべてを造られた
国々と権力 どんな世の名声より どんな世の宝より さらに尊い主よ

十字架で苦しまれ 捨てられ 裏切られて 踏まれたバラのように
わがため死なれた 主イエス





IMG_0093.jpg


「私にとっては、生きることはキリスト(ピリピ1:21)」。これはすごい言葉です。

生きるというのは、呼吸することでもあります。息を吸って吐くという毎瞬間の生の営みのことです。

パウロにとって、そういった生の営みそのものがキリストだというのです。

また別の箇所でパウロは、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる(ガラテヤ2:20)」と言っています。

これもまた生半可な言葉ではありません。

これらの御言葉から分かるのは、キリストに生きる人は、熱烈な人生を送らざるをえないということです。

その人生は、熱いか、冷たいかのどちらかなのです。

従うか、従わないかのどちらかなのです。中間はありません。

そうしてこういった徹底性は、遅かれ早かれ、私たちをある場所――ゴルゴダ――へ連れていきます。

それはとても苦しい場所です。

しかし私たちが、そういう苦しみを通らされるのは、「イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるため(Ⅱコリ4:11)」だと聖書は言っています。

私はかよわく小さな土の器にすぎない。

でも、この十字架と死のプロセスを通して、イエスのいのちがやがてまばゆく輝くようになるというのです。

『キリストにならいて』の中には、それらの真理が次のように描写されています。

見よ、一切の事は十字架にある。一切の事はわれわれがそこで死ぬことにある。

そして聖なる十字架と、また日毎に死ぬことのほか、命と真の内なる平和に至る道はない。

あなたがどこに行こうとも、何を求めようとも、聖なる十字架ほど高い道を上に、安らかな道を下に見出すことはないであろう。

あなたは時として神に捨てられ、時として隣人に悩まされ、その上しばしば自分自身が重荷となることがあろう。

ただ神のみ心にある間は忍ばなくてはならない。

あなたが慰めなくして苦難に堪えることを学び、また全く自分を神に従わせ、苦難によって、一層けんそんになることを神は欲せられるからである。

それ故、十字架は常に備わり、至るところあなたを待っている。

あなたがどこに走ろうとも、それを免れることはできない。

どこに行こうとも、あなたは自分を伴い、常に自分を見出すからである。

上にも下にも、外にも内にも、どこを見ても、あなたは十字架を見出すであろう。

もしあなたが喜んで、十字架を負うならば、十字架はあなたを負い、望みの目的地にあなたを導くであろう。(p94、95)


また私たちの苦しみを最も耐えがたいものにするのは、実は十字架を避けようとする自分自身の願いにあることをマザー・バジレアは明らかにしています。

そして、十字架に対する恐れからどうすれば解放されることができるのか、次のように説明しています。

まず第一になさねばならぬことは、自分が十字架を避けようとしている本当の理由を認識することです。

私たちは、自分自身の贖われていない罪深き性質に対する深き洞察を必要としています。

自分のうちに潜み、何度も繰り返し罪を犯させるこの罪の性質を私たちは悔い改めなければなりません。

自分がどれほど罪によって汚されているか認めた者、そしてそれを心から悔い、いかなる代価を払ってもその状態から解き放たれたいと願う者はだれでも、神からくるあらゆる訓練と苦しみを自らすすんで受けます。

、、たとえば、この世のものを失うという十字架は、もしそれがすすんで快く受け入れられるなら、その人をこの世のものに対する束縛から解き放ち、イエスと御国のために自由に生きることができるようにします。

あるいは自分が縛られていた愛する人を失うという十字架は、イエスにすべての愛を捧げることができるように私たちの魂を解き放ち、心に至高の幸福をもたらすのです。

そうです。十字架はこの世においても栄光と深い喜びをもたらすのです。

、、神は、私たちに栄光をもたらす十字架のみを与えられます。

そしてその十字架にはすばらしい宝が秘められているのです。

私たちはすばらしい実、新しく造り変えられること、勝利、永遠の喜び、イエスと一つにされるという宝を発掘せねばなりません。

御父の愛に信頼する信仰は、――その愛こそが私たちに十字架を与えてくださったのですが――すべての困難を耐えやすいものとし、また、にがく苦しいものを甘美なものへと変えるのです。

(『変えられたいあなたに』p178~181 一部抜粋)


rose3 IMG_0038

祈り)
愛する天のお父さま、私は小さな十字架を目の前にしてもたじろぎ、できることならそこから逃れたいと願うことが多々あります。

また思うようにいかないことが多いこの世の中において、イライラしてしまう自分がいます。でもそんな時、私はキリストが歩まれたように歩んでおらず、あなたの御霊を悲しませてしまっています。

どうか私のうちにあるどんな小さな罪をも見逃さず、それをあなたの光で示してください。そして悔い改めることができるよう私を助けてください。

私もパウロと声をあわせて、「私にとって生きることはキリスト」と告白したいです。

どうかそのように生きる者とさせてください。

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

(賛美歌♪All to Jesus I surrender, by Judson W.VanDe Venter, 1896)





昨日、心あたたまる出来事がありました。

その日私たち(→イラン人やアフガン人のクリスチャン+私)は、知り合いのクルド人の方が開いている小さな食堂に行って、椅子に腰かけていました。

すると隣のテーブルに小さな女の子を連れた家族がやってきて、席に着きました。

アジア系の顔をした私がめずらしかったのか、その子は、まばたきもせず私の顔を一心に見つめていました。

その様子がなんともかわいらしく、私は折り紙で鶴を折って、その子に手渡しました。

そんなことから、自然にそのお母さんとも話を交わすようになりました。

訊いてみると、この家族はイラクのバグダッドからやって来た難民でした。

2カ月前に、ボートでギリシアのサモス島にたどり着いたけれども、今、とても苦しい状況にあるとのことでした。

そこでうちの教会の兄弟たちが、難民申請のしかたについて、いろいろとその家族に説明してあげました。

また私たちの食前の祈りをきっかけに、これまた自然な形で、自分たちがクリスチャンであることを証しすることができました。

国籍も民族も違う私たちクリスチャンが、一つのテーブルを囲んで和気あいあいとしている様子がこの家族にはとても斬新にうつったようでした。

そして帰り際、バグダッド出身のこの女性はなごり惜しそうに椅子から立ち上がり、私たちにこんなことを語ってくれました。

「私、最初にここに座った時、隣のテーブルにイラン人がいるってことに気づいて、正直、すごく厭だったんです。

私はこれまでイラン人に対して悪いイメージしか持っていませんでした。

でも今晩、あなたがたに会って、私のイラン人観が100%変わりました。あなたがたはすごく親切でいい人です。」

8年続いた流血のイラン・イラク戦争(1980-88)は今も両国の人々の心に苦々しさと傷を残しているのです。

それを受けて、イラン人の兄弟が自らの胸に手をあて、「私たちイラン人があなたの国の人々にしてきたこと、、それらをどうかお許しください」と謝罪しました。

そして「私たちはイラクの人々を愛しています。」とその女性に言うと、彼女は心からうれしそうに「ありがとう。」と笑顔をみせてくれました。

そして(私たちがクリスチャンであることを承知の上で)、「どうか私たちのために祈ってください。」と言ってこられました。

彼女は、使徒の働き16章に出てくる紫布商人ルデアを思い出させるような、心の開かれた女性でした。

私はこの女性に対するいとしさでいっぱいになり、歩み寄って彼女をぎゅっと抱きしめました。すると、彼女もまた私を固く抱きしめてくれました。


今思うと、その時、その場に神の国が訪れていました。

宿敵であるイラク人とイラン人がお互いに赦し合い、

アフガン人もイラン人もイラク人もみんな子どものように無邪気に笑っていました。

そしてそのただ中に、平和の君であるイエスさまがいらっしゃいました。

穴だらけ、血だらけの中東の壁。

でも昨晩、その穴のひとつが――ちいさなひとつが――確かに修復され、ふさがれました。

もうこの地上でこの家族に会うことはないかもしれない。

でも私は天の御国で彼らに再会したいです。

主よ、どうかこの家族を助けてください。

そして私たちクリスチャンにここまで心を開いてくれたあのバグダッドの女性に、あなた御自身をあらわしてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。


tea time 3








field.jpg

過去に生きた誠実な聖徒たちの記録を読んでいて感動するのが、彼らの多様さです。

全身全霊で主を愛していたという点で彼らは皆共通していますが、それぞれの性格や用いられ方は本当に多種多様なのです。

森の奥にひっそりと咲くかれんな花のような聖徒もいれば、ひまわりのように元気あふれるパワフルな聖徒もいます。

静かにかみしめるように福音を語る聖徒もいれば、渾身の力をふりしぼり、声のあらん限り回心を訴える炎のような聖徒もいます。

こういうことを黙想していると、私は聖徒ひとりひとりをユニークにお造りになり、ユニークな方法でお用いになる神様の偉大さ、ふところの大きさに感動を覚えずにはいられません。

私たちはキリストにあって一つ。でもそれぞれ違う。

でもその違いは、お互いを切り離すものではなく、逆にお互いを補い合い、キリストのからだに美しいハーモニーをもたらすもの。

さて今日、ご紹介するのは、中国宣教に生涯をささげたカナダ出身の宣教師ジョナサン・ゴーフォース(Jonathan Goforth,1859-1936)のライフ・ストーリーです。

私にとってジョナサンは、活火山を髣髴させるような神のしもべです。

そして神様は、この情熱にあふれた聖徒を通して、多くの滅びゆく魂を救われました。

さあ、これからご一緒に彼の生涯と信仰をみていきましょう。

生い立ち

jonathan goforth picture

ジョナサン・ゴーフォースは1859年、11人兄弟の7番目の子としてカナダのオンタリオで生まれました。

彼の父ジョンは1840年イギリスのヨークシャーから移民してきた開拓農民でした。

家は貧しく、ジョナサンは学校に通うかたわら、父の畑仕事を手伝いました。

ジョナサンは10歳の頃、自分の罪を自覚し、救いの必要を感じましたが、当時、彼を霊的に導いてくれる人は誰もいませんでした。

しかし18歳になった時、彼はカメローン牧師という敬虔なしもべに出会います。そしてカメローン牧師の指導下、彼は信仰を告白し、また聖書を学び始めました。

失われつつある魂への情熱

伝道への情熱は回心後すぐジョナサンの内で燃え上がりました。

彼はトラクトを大量に取り寄せるや、毎週日曜日、教会の玄関前に立ち一人一人に配り始め、教会の長老たちをびっくりさせました。

また近くの古い校舎を使って、夕方には伝道集会も開きはじめました。さらに家庭礼拝をも始め、それを通して父ジョンの救いがもたらされたのです。

またある時、敬虔な老聖徒ベネット氏が「息子よ、これを読んでごらん。いい本だから。」と言いながら、一冊の本を手渡してくれました。

それはロバート・マーレイ・マッケイニー(Robert Murray M’Cheyne)の回想録でした。

Robert Murray Mcheyne
(↑ロバート・マーレイ・マッケイニー)

その本を片手に森に入ったジョナサンは、枯れ草の上に長々と横たわり、本の扉を開きました。

そしてその後、時を忘れ夢中で読み続けました。

ロバートの葛藤、成長、そして自己の野望を捨て、聖なる神の使命に生きようとするその姿にジョナサンは言葉にならない感動を覚えたのです。

そして日が沈む頃、彼は最後の1ページを終え、「新しい人となって」立ち上がりました。

ノックス大学へ進学

こうして畑仕事をしながらでしたがジョナサンは無事に高校を卒業し、ノックス大学に進学しました。

「ミッション系の大学だから、さぞかし霊的な鼓舞を受けるだろう。」と期待して大学の門をくぐったジョナサンでしたが、残念ながら現実はその反対でした。

到着した最初の日曜日からさっそく刑務所伝道および貧民街での奉仕を始めたジョナサン。

――そんな熱心な彼を待ち受けていたのは、級友たちからの励ましではなく、むしろ嘲笑とあざけりだったのです。

当時、多くの学生は理神論にかぶれており、まじめに聖書の御言葉を信じているジョナサンの存在になにかしら我慢ならないものを感じていたのでした。

また田舎の母が仕立ててくれた彼の服が「ダサい」と言ってからかわれたジョナサンは、この状態をなんとかしようと、布地を買い、街の仕立屋さんに服を注文することにしました。

ところがその夜、寮生たちはジョナサンを無理やり部屋からひきずり出し、布地の一方の隅に穴を開けて彼の首に通し、そのまま寮中をひきずり回すという陰湿ないじめをしたのです。

しかしそのようないじめにも負けず、彼は尚一層のこと聖書研究と祈りに励み、伝道を続けました。

宣教師としての召し

秋学期が始まった日、ノックス大学の学長はジョナサンに尋ねました。

「君は伝道熱心だということで有名だが、夏の休暇中、いったい何軒くらい戸別訪問をしたんだね?」

「はい。960軒以上、訪問伝道しました。」

その答えに驚愕した学長は言いました。

「ゴーフォース君。たとえ君がギリシア語やヘブル語なんかで優の成績をもらえなかったとしても、君が卒業までにマスターできる『本』がある。――そう、カナダ人の人間本性に関する本だ!」

実際に、彼が後年、中国で宣教するようになって分かったのは、カナダ人も中国人も、人間の本性という点で本質的な違いはないということでした。

折しも、フォルモサ(現:台湾)からマッケイ宣教師が一時帰国し、カナダ中の教会を巡り説教していました。

George Leslie Mackay of Formosa
(↑ジョージ・マッケイ宣教師)

マッケイ宣教師は現在中国でどれほど働き人が必要とされているかを熱弁した後、次のように語りました。

「私はこれまでさまざまな教会を巡り、宣教アピールを続けてきました。しかしその呼びかけに応答した若者はただの一人もいませんでした。

私はこれから一人で宣教地に帰ります。まもなく私の骨はフォルモサの山腹に埋められることでしょう。

でも私にとって無念でならないのは、こういった呼びかけに応じ、私が始めた働きを引き継いでくれる若者が誰もいなかったということです。」

それを聞いたジョナサンは心の中で叫びました。

「イエス・キリストの尊い血潮で買い取られた自分は今、、、この呼びかけを無視し、わが人生を謳歌しようとしている。

ああ主よ。私はここにおります。どうか私を遣わしてください。」

続く1885年、ジョナサンは中国奥地宣教団の創始者ハドソン・テーラーの著「中国の霊的必要と求め(China’s Spiritual Need and Claims)」を読み、深く感銘を受けました。

そして中国に行く戸が開かれるよう熱心に祈り始めました。

ロザリンドとの出会い、結婚、そして出航

主はまたこの時期、ジョナサンの助け手となり最良の同伴者となる女性をも備え、出会いを与えてくださいました。

rosalind goforth

フローレンス・ロザリンド・スミス(1864-1942)は監督派教会の若い姉妹でした。

巻末に晩年の彼女が記した回想録ご紹介しますが、これを読むと、彼女が幼い時から真剣に神様を求めていたことが分かります。

芸大の教授であった父は、亡くなる前に、「娘ロザリンドを英国の芸大に留学させるように。」という遺言を残しました。

芸術的才能に恵まれていたロザリンドももちろんそれに従うつもりでした。

しかしイエス様への愛が深まるにつれ、彼女の中で「自分の人生を余すところなくすべて、御国の奉仕のために捧げたい」という思いが強まっていきました。

こうしてトロント・ユニオン・ミッションという貧民救済の働きに関わるようになったロザリンドは、同じくその働きをしていたジョナサンと出会います。

「みすぼらしい服装をした、目の鋭い人」というのがジョナサンに対する彼女の第一印象でした。

ある時、ジョナサンと同じ集会に居合わせたロザリンドは、椅子の上に置かれた彼の聖書に気づき、そっとそのページをめくってみました。

みると、その聖書ははじめから終わりまで傍線やマークでいっぱいであり、読み古されぼろぼろになっていました。

「その時、思ったのです。私が結婚したい男性はこういう人だと。」――回想録の中でロザリンドはこう語っています。

ここで少し話が逸れますが、結婚に至るまでのロザリンドの葛藤と試練のことに触れたいと思います。

ジョナサンが娘ロザリンドに好意を寄せていることに気づいた母親は、娘に言いました。

「もうスラム街での奉仕に行ってはいけません。私はこれからすぐにでもお前をイギリス留学に送り出しますからね。」

それに対しロザリンドは静かに、でもはっきり答えました。

「ママ。もう手遅れなの。昨晩、私、ゴーフォースさんのプロポーズを受け入れて、一緒に中国宣教に行くって約束したの。」

それを聞いた母親はショックの余り気を失いかけました。

そして娘に、「お父さんの遺言に従うか、それとも家を出て行くか、どちらかを選びなさい。」と言い渡しました。

ロザリンドは痛む心を抱えながら家を出、6週間ほど、別の市に住んでいた兄の家に身を寄せました。

しかし、しばらくすると姉から手紙が来て、「母さんは一日中、泣いていて衰弱し切っている。すぐに戻ってきて。」と嘆願されました。

実家に戻ったロザリンドは母の変わり果てた姿にショックを受けました。母は彼女と口をきこうとせず、部屋に引きこもっていました。

〈こんなにお母さんの心を悲しませるなんて、、、これがはたして神様の御心なのかしら。〉

ある日、母が部屋を行ったり来たりしながら嗚咽しているその声を耳にしたロザリンドはもはや耐えきれなくなり、「ああ、神様、私は選択を誤りたくありません。どうか御心をはっきり私に示してください。」と祈りました。

そして客間に降りていくと、テーブルの上に置いてあった聖書をぱっと開きました。すると次のような御言葉が目に飛び込んできました。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、、」(ヨハネ15:16)

この御言葉を通して神様からの答えを得たロザリンドは、母の部屋へと走っていき、母に自分の祈りとそれに対する神様からの答えについて語りました。

それを聞いた母は、一瞬たじろいだ後、わっと泣きながら娘を抱き言いました。

「ああ、私はお前に逆らうことはできる。でも神様のご意思に逆らうことはできない。」

そしてそれ以後、18カ月後に召されるまで、母の心は娘と完全にひとつとされたのです。

こうして、ジョナサンとロザリンドは1887年10月25日結婚し、翌88年の2月4日、中国へ向けて出航しました。

中国にて

河南省の北部に派遣された二人は、言葉の習得に励み、また精力的に伝道をしました。しかしなかなか改宗者が起こされませんでした。

またジョナサンは言語習得が苦手でした。

ある時など、ジョナサンが民衆に向かって説教を始めると、人々は(ジョナサンより一年後に中国に到着した別の宣教師に向かって)「あの人の言っていることはさっぱり分からない。あんたが代わりに説教してくれ。」と言う始末でした。

しかしそれら全ての困難にあって、ジョナサンを支え続けた聖句がありました。

――「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4:6)です。

こうして最初の奇跡が起こりました。王富林というばくち打ちでアヘン中毒者が、ジョナサンの伝道によって劇的な回心を経験し、すばらしい伝道者となったのです。

このようにしてジョナサンと王富林の説教を聞こうと、最初の5カ月だけでも2万5000人もの民衆が彼らの元を訪れました。

また、ある日の説教中、突然ジョナサンは(これまでのようにたどたどしくではなく)力強く流暢な中国語で語り始め、会衆を驚かせました。

後でジョナサンは知ったのですが、ちょうどその時間、祖国カナダの教会でジョナサンのための特別祈祷会が開かれており、数多くの熱烈な祈りが恵みの御座にささげられていたのでした。

また本人の努力も並大抵のものではなく、彼は19年間に、中国語の新約聖書を少なくとも55回は読み、また聖句の暗記に努めていました。

試練

しかし衛生状態のよくない中国奥地での生活は厳しく、ゴーフォース夫妻の最初の二人の子どもは相次いで死んでいきました。

そして1898年には小さな愛娘グレーシーもマラリア熱に侵され、一年以上病と闘いました。

ある夜、ベッドに臥していたグレーシーはふいに起き上がり、「パパ。パパ。」と父ジョナサンを呼びました。

奉仕で疲れ切り隣室で寝入っていた夫を起こすべきか妻のロザリンドは一瞬迷いました。

しかしグレーシーは再度、「パパ。パパ。」とジョナサンを呼びました。

ロザリンドは夫を起こしに行きました。

小さな娘を抱き上げ、ジョナサンがあやし始めると、ロザリンドは隣室に行き、神様の前にひざまずいて祈りました。

「ああ主よ。どうか娘をいやしてくださるか、さもなくば、この子をこの苦しみから解放してあげてください。」

ちょうどその頃、グレーシーは突然、頭を上げ、父の目をまっすぐに見つめました。

そしてにっこりと笑いかけると、目を閉じ、そのまま主の元に旅立っていったのです。

☆☆

娘を失った悲しみを乗り越え、二人はまた主のため、中国の民のため立ち上がりました。

ジョナサンは家に地域の地図を貼り、教会が開拓されたところには赤い印をつけていきました。そして1900年の5月までには実に50個の赤印がつけられたのです。

これをみた7才の娘フローレンスは言いました。「ねえパパ。この地図がぜーんぶ赤い印でいっぱいになったらどんなにステキかしら?」

しかしそのフローレンスもその年の6月髄膜炎に罹り、死んでしまったのです。

義和団の乱を逃れて

試練はそれだけに終わりませんでした。

フローレンスの葬式が終わるやいなや、アメリカ領事館から、「北部のルートはすでに義和団によって遮断されている。ただちに南の方に避難せよ。」という緊急連絡が入りました。

ゴーフォース夫妻は今後何が起こっても、現地のクリスチャンと共に河南にとどまろうとしていましたが、「宣教師が残っていると、現地人クリスチャンはさらに命の危険にさらされます。どうか避難してください。」と説得され、荷馬車での逃避行を決行することにしました。

boxer rebellion

その後14日間、夫妻を始めとする宣教師一行は、危険きわまりない旅を続けました。

途中、暴徒に襲われ、石打ちになれそうになったり、刀傷を負ったりもしましたが、一行はなんとか逃げ切り、上海までたどり着くことができました。

そしてそこからカナダに出航しました。

再び宣教地へ

カナダに到着したゴーフォースは多くの教会をめぐり、中国の霊的状況、働き人の必要性などを訴えました。

しかしジョナサンのみたカナダの教会の多くは、世に染まり、背教および無関心がはびこっていました。

それだけではなく、宣教の必要性を訴えるジョナサンの求めは、多くの場合むしろ敵意をもって拒絶されたのでした。

ジョナサンはこうした会衆に向かって言いました。

「みなさん。想像してみてください。主の弟子たちがパンと魚を前列にいる人々に手渡した後も、繰り返しこの前列の人だけに食べ物を与え、後ろの方にいる人々は飢えたままでいる状態を!

私たちは御言葉に飢え渇いている民のもとへ福音を届けなければならないのです。」

こうして翌年、ゴーフォース一家は、再び新たな決意をもって愛する中国の民の元へ戻っていきました。

リバイバリストとして

中国に戻って数年後、ジョナサンの元に、ウェールズ・リバイバル(1904-1905, Welsh Revival)の知らせが飛び込んできました。

wales revival
(↑ウェールズ・リバイバルの様子)

またちょうどその頃、ジョナサンはチャールズ・フィニーの『リバイバルの講義』(Lectures on Revivals)を読んでおり、この本から深い霊感を受けていました。

彼は妻のロザリンドに言いました。

「フィニーの言うように、霊的収穫をつかさどっている霊的法則というのは、――自然界における収穫をつかさどっている法則と同じくらい――リアルで実際的なものなのだ。

もしフィニーの主張が正しいなら、、、そして僕はそれが正しいと信じているのだが、、僕はこういった霊的法則が何なのか突き止め、そしてどんな代価を払ってもそれに従うつもりだ。」

Lectures on Revival

ジョナサンは毎朝5時前には起床し、聖書の学びと聖霊の満たしのために真剣な祈りを捧げていました。

1907年には彼は朝鮮半島を訪れ、平譲リバイバルを目撃することになります。

その後、満州地方に招かれた彼は、朝鮮と満州の霊的状況を比較しました。

そしてこれまで満州で霊的覚醒が起こらなかった原因は、1)御霊に寄り頼んでいなかったこと、および2)霊的力を得るためにはどんな犠牲をも払おうとする真剣さに欠けていた、ことにあると指摘しました。

そして事実、その後まもなくして空前の満州リバイバルが起こったのです。

聖霊に刺され、牧師や長老たちが次々と罪を告白すると、会場は悔い改める民の涙であふれ、集会は何時間も続きました。

また、ある時などは一日に960人もの兵士がバプテスマを受けたのです。

そしてこういったリバイバルの波は広州等にも拡がっていきました。

ジョナサン夫妻は、さらに献身の思いを強くし、1か月毎に新しい地域に移動し、そこで伝道集会を開き、教会を開拓していきました。

失明しても

こうしてたゆむことなく主のために全力投球してきたジョナサンですが、1930年、片方の視力を失いました。

また歯もすべて抜歯しなければならず、その後感染症に苦しみました。

しかしそういう時期にあっても彼は前進し続け、病床で後にベストセラーとなるBy My Spiritを執筆したのです。

1933年にはもう片方の目も視力を失い失明しましたが、それ以後も残る体力を振り絞り、北米各地でメッセージをし、人々の心を主に向けさせました。

亡くなる数週間前、ジョナサン・ゴーフォースはノース・カロライナ州で行なわれた聖会の席で、会衆に言いました。

「次に私が見ることになる顔が、救い主イエスであることを思う時、私の心は喜びで満たされます。」

しかし、、、私は、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。詩17:15

1936年10月8日の早朝、ジョナサン・ゴーフォースは地上でのレースを全うし、息を引き取りました。享年77歳でした。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。Ⅱテモテ4:7

おわりに

羊を飼っていた少年ダビデを選び出した神様は、オンタリオの貧農の息子を選び出し、中国大陸を揺さぶる神の器として尊くお用いになりました。

また、この世の取るに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。Ⅰコリント1:28

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。ヨハネ15:8

青年期、信仰ゆえにいじめを受け、中国では4回も全所持品を失い、5人の子を失い、暴徒の手によって殺されかけ、巡回伝道のため家族と離れ離れになり長い孤独の時を過ごしたジョナサン・ゴーフォース。

彼の生涯は次のようなパウロの告白をも思い出させるものです。

ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。使20:23-24


彼の勇敢で高尚な生涯は、真正なリバイバルを望んでいる聖徒にとって、末永く一つのインスピレーションであり続けるでしょう。

Jonathan and Rosalind wheaton

付録)日々の7つのルール (ジョナサン・ゴーフォース記す)

以下のルールは、ジョナサンが1894年に作成し、自分の聖書の裏表紙に書き込んでいたものです。
.
1.できるだけ多くを与えるよう努めること――そしてそれに関して相手から何も期待しないこと。

2.他人の行動を最大限、善意に解釈する。

3.毎日、少なくとも15分は、聖書の学びをする。

4.毎朝毎夕、欠かさず、祈りとデボーションをすること。

5.すべてのことにおいて神のみこころを知ることに努め、みこころが明らかにされた際には、どんな代価を払ってでもそれに従う。

6.静寂かつ祈りに満ちた精神を育むよう努める。

7.毎日、異教徒の間でキリストの福音をひろめるために、何かをする、もしくは何かを言うよう努める。

文献案内

Jonathan Goforth, By My Spirit (1929,1942,1964,1983)(←日本語版『わが霊によりて』は残念ながら現在絶版。原書はココで読めます。)

Rosalind Goforth, Goforth of China (1937)(←ジョナサンの妻ロザリンドによる夫の伝記。英語のe-bookはココで読めます。 )

Rosalind Goforth, Climbing: Memoirs of a Missionary's Wife (1940).(←ロザリンドの回想記。英語のe-bookはココで読めます。) ☆ロザリンドの回想記は、涙ありユーモアあり、数多くの霊的学びありで、読み物としても実にすばらしいです。彼女の深くやさしい人柄が伝わってきます。興味のある方はぜひお読みになってください。







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。