little flowers

重い腰を上げ、この記事を書き始めています。私がこのトピックを取り扱うのはこれが二回目ですが、正直に言ってとてもつらいです。

なぜなら、これは私にとって単なる聖書解釈の問題ではなく、自分がこれまで大切にしてきた人間関係にも関わるデリケートな問題だからです。

私は日本にいた時、女性教職の方々にとても愛され大切にしてもらいました。その愛は真実なものであり、彼女たちの私に対する態度は誠実そのものでした。

ですから、もしこれが聖書の真理にかかわる問題でなければ、私がこのような記事を書くことは決してなかったでしょう。

それに考えてもみてください。誰が「恩を仇で返す」ような非礼をしたいでしょうか。また進んで自分を四面楚歌の状況に追い込みたい人がはたしてこの世にいるでしょうか。

それぞれが御言葉によって示されたところに謙遜にとどまればいい。あなたにはあなたの聖書解釈があり、私には私の聖書解釈がある。だからそれでいいじゃない、という声もきこえます。

そう、だから、私は黙るべき、、なのでしょうか。

「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」(Ⅰテモテ2:12)という聖句が主の教会の半数以上で公然と破られている現状に目をつぶり、知らぬふりを決め込むこと、、これが神への愛そして隣人愛でしょうか。

いえ、私は自分が沈黙している真の理由を知っています。「相手の意見を尊重するため」というのは上っ面の理由にすぎません。

私が沈黙している本当の理由は、自己保身のためです。聖書の真理よりも、結局、わが身がかわいいのです。これまで築き上げてきた大切な人間関係にヒビを入らせたくないのです。だから事を荒立てたくないし、人を不愉快にさせるようなトピックなどは、ぜひとも避けたい。これが私のジレンマです。

わたしは人からの誉れを受けることはしない。しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。

互いに誉れを受けながら、ただひとりの神からの誉れを求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。ヨハネ5:41、42、44



ある女性牧師が、主日説教をされています。信者であるご主人は会衆席でその説教を聞いています。さて今、この瞬間、二人の関係はどういうものになっているでしょうか。

もちろん、一信者は霊的「リーダー」である牧師の言葉に従順に従うべきです。ですからこのご主人は、霊的リーダーである奥様にぜひとも聞き従わなければなりません。

しかし一方、「夫婦」として見た場合のリーダーはこのご主人です。そして奥様は家の中でも教会の中でも、「すべてのことにおいて、夫に従うべき」(エペソ5:24)です。

すなわち、ここには小学生の子供でも分かるような明らかな矛盾が存在しているのです。

ですからこの明らかな矛盾はどうにか処理されなければなりません。そうでなければ、女性教職は聖書的には正当化され得ませんから。聖書を普通に読んでいたのでは、この結論にはとうてい到達できないからです。

だから私たちには「新しい」神学が必要であり、この矛盾を取り繕いカモフラージュしてくれる「新しい」聖書解釈が必要なのです。

この「新しい」神学においては主と従が逆になっています。つまり、聖書の御言葉が私たちを矯正し、神のお望みになるように私たちが変えられていくのではなく、「私たちが」神の御言葉を自分たちのイデオロギーに合わせて矯正し、私たちが望むように神に変わってもらうよう工作するのです。

それではこのイデオロギーが目指している最終目標は何なのでしょうか。

それは「男女完全平等」という美名の下に、主なる神がお造りになった創造の秩序を破壊し尽くすことです。そして今、それは―世俗の領域でもキリスト教界内でも―おそろしい勢いで進行していっています。

そうしてできあがった新しいシステムの中で、多くの献身者(姉妹)が人知れず苦しんでいるのをみなさん、ご存じでしょうか。

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先日、ある姉妹がブログ上でこのような悩み相談をしていました。「うちの教会の牧師が、私を長老職に推薦し、私は祈った後、それを承諾しました。しかしその後、夫との関係がめちゃくちゃになってしまったのです。結局、しばらくその教会を去りましたが、また最近、戻ってきました。でもどうしていいのか分かりません。」

私もまたその当事者の一人でした。あの当時のことはつらくてあまり思い出したくないのですが、読者のみなさんの中には、まさにその問題のただ中にいて苦しんでいる方がおられるかもしれないと思い、あえてこれを書いています。

愛する姉妹、牧会の働きがつらいですか。重荷に押しつぶされそうになっていますか。ストレスがありますか。孤独感に苦しんでいますか。

主はあなたの献身の思いを尊ばれています。あなたが人を支配するためではなく、人に仕えるために教職の道に入られたことも主はご存じです。

しかしこのシステムは、あなたの肩に負うことのできない重荷を押しつけています。その重荷は本来、私たち姉妹が負う必要もなく、また負ってはならないものです。なぜならそれは聖書の御言葉に反することだからです。

自分の倍ほどもある年齢の男性に、「聖書はこう言っています。こうしなさい。」と指導し、権威をもつ時、私の魂は破壊的な打撃をこうむりました。それは創造主なる神のお立てになった秩序に反する行為をしていたからです。だから他の方に「心療内科に行った方がいいんじゃない」と勧められるほど私は傷つき病んでいたのです。

感謝なことに私は今、このシステムから解放され、全く新しい道を歩んでいます。精神的にも情緒的にも霊的にも癒され、静かで落ち着いた信仰生活および家庭生活を送ることがゆるされています。

クリスチャンであることは楽しいことであり、奉仕は今や自然な喜びの表現になりました。

「新しい」神学は、あなたに自由を約束しますが、それは偽りの自由です。彼らの説く「男女平等」は、聖書的な意味での平等ではなく、ヒューマニズム(人間中心主義)にその源を発しているプロパガンダであることを覚えてください。

どうか愛する姉妹たちが、これらの間違った神学体系およびその教えを説く教師たちから守られますように。その犠牲者となりませんように。

またすでに犠牲者となってしまっている方がいらっしゃるなら、主が愛の御手をもって、その方をこのシステムから救い出してくださいますように。

イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。アーメン。

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助けになるサイト:

女性が牧師、説教師として勤める べきですか?聖書はミニストリーをする女性について何と言っていますか?(ココをクリックしてください

They Called me Pastor (私はかつて牧師と呼ばれていた):以前、ご主人と共に共同牧会をされていたセレーナ姉の証し
(click here)
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リオデジャネイロにて

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1890年6月10日、南米ブラジルのリオデジャネイロに到着したソロモン・ギンスバーグは、さっそく路傍伝道を始めました。「♪主イエスの血潮、、」と賛美し、御言葉を説き始めると、たちまち五千人余りの民衆が集まってきました。

「おい、イエスのことばかり言わないで聖母マリア様のことも何か話しておくれ!」聴衆から声が挙がりました。それに対しソロモンはマリアではなくイエスの流された血潮に目を留めるよう聴衆に訴えかけました。

ほとんど経済的サポートのなかった彼は聖書や信仰書を配布販売しつつ生計を立てました。最初の八か月、彼はペルナンブコを拠点に宣教活動し、メソジスト教会のジョージ・ニンドという宣教師と共に各地で野外伝道集会を開きました。

すると酒を飲んだ暴徒が騒ぎを起こし、ソロモンとジョージを監獄まで引きずっていったのです。釈放された二人がやっとの思いで戻ると、教会はとりなし祈る信者や同情にかられた未信者でいっぱいになっていました。

そしてその晩、多くの人々が主を信じるに至ったのです。まさしく使徒行伝の世界です。「この大きな報酬に比べれば、自分たちの被った苦しみなど取るに足らないものでした。」とソロモンは回想しています。

日々多くの危険がありましたが、イエス・キリストを信じ新生した魂はソロモンの心を慰めました。こんなエピソードも残っています。

ある貧しい郵便配達人がいました。彼は若い頃、奴隷として働いている最中に足を負傷し、びっこで歩いていました。にもかかわらず彼は毎日120キロもの距離を歩いて配達の仕事をしていました。

50歳にして福音を信じたこの配達人は、ソロモンに文字の読み書きを教えてほしいと頼んできました。

「どうして読み書きを学びたくなったのですか?」ソロモンは訊きました。

「まず、私自身、天のお父さんの書いてくれた手紙をこの目で読んでみたいからです。それに、村から村に配達するとき、この御父の手紙を、まだ救われていない人々のために届けたいからなんです。」

こうして熱心に読み書きを学んだ配達人は、行く先々で新約聖書のみことばを村人たちに語り聞かせてあげたのです。こうしてこの純朴な信者を通して、多くの人々がイエス・キリストの元へ導かれ、いくつもの教会が開拓されていきました。

婚約者の到着と死

やがてイギリスから彼の婚約者であったビショップ姉がブラジルに到着しました。しかし再会と結婚の喜びもつかの間、彼女は黄熱病にかかり、五ヶ月後に息を引き取ってしまいます。

臨終の床で彼女は満面の笑みをうかべ、ソロモンの耳にささやきました。「私のために泣かないでね。今から天の家に戻るの。だから私、幸せよ。」

カンポス市での働き

ソロモンはある時、カンポス市で増え続ける改宗者を収容できるサイズの教会堂が与えられるように祈っていました。ソロモン自体にお金はありませんでした。「主よ。どうか建築費を備えてください」と彼は祈りました。

しかしそれを聞きつけたイエズス会士がその計画を妨害しようと「プロテスタントの教会建築に協力する者は破門されるべし」という論駁文をカンポス一帯にばらまき始めたのです。

しかし主はほむべきかな。その中傷文が逆に人々の同情と関心をあおりたて、カンポスの各地から献金が送られ始めたのです。

中には「私の名前をどうか公にしてください。それによってむしろ破門されることを誇りに思います」とわざわざ言づけしてくる人さえいるほどでした。

ブラジルの「ソドム」、サン・フィデリス市での働き

カンポスで福音がひろく伝わると、今度は悪名高きサン・フィデリス市に彼は向かいました。

宣教をする上での原則として、彼は「勇敢にして積極的な(霊的)攻撃が最善のアプローチである」と考えていました。一般に、人々が福音に対して無関心な地域においては、宣教の働きは非常にゆっくりとしか進みません。しかし人々が福音を憎み、迫害する地域では逆に驚くべき速さで福音が前進するというのです。

彼が賛美を奏で歌うと、千人ほどの人々が集まってきました。説教を始めるとソロモンに石やゴミを投げつけたり、威嚇するように短刀をふりがざす人もいました。そしてついに彼は警察に取り押さえられ、ネズミと害虫のうようよする留置所に監禁されました。

翌朝、看守は、「サン・フィデリスを去り、二度と説教しないと約束するならお前を釈放する」と言い渡しました。

それに対し、ソロモンは――『天路歴程』のジョン・バンヤンが看守に「今日私を釈放するなら、明日私はまた説教します」と宣言したように――「もし私を釈放するなら、間違いなくこれからも私は説教を続けます。」と明言しました。

ソロモン殺害計画

これまでにも何度となくソロモンの命は狙われていましたが、主はそれら全てから彼を守ってくださいました。一度は次のような事もありました。

アマゾン伝道から戻ってきたソロモンは、ナザレという町で野外伝道集会を開き始めました。すると地元の祭司がやくざを雇い、ソロモン殺害を謀ったのです。

しかしその計画は事前に発覚し、人々はソロモンに「あまりに危険です。どうか集会はキャンセルし、お逃げください」と嘆願しました。しかし彼は言いました。「逃げるよりは死ぬ方がいい。私のために血を流してくださった尊い方のために『自分の』血を流す覚悟はできています。」

こうして彼は通常通り、説教を始めました。いつ何が起こるか分からない緊迫した状態でしたが不思議なことにその晩、何も起こりませんでした。そしてその「謎」は二か月後に解けました。

なんと当の殺し屋が信仰を持ち、泣きながらその晩のことを話してくれたのです。彼はその日、集会中にソロモンを殺す手はずを整えていました。しかし度胸をつけようと飲んだお酒が強すぎて集会中に眠りこけてしまったというのです!

このようにしてソロモンは奇跡につぐ奇跡により、宣教の働きを続けていきました。

ペルナムブコ市での働き

1900年から1909年の間、ソロモンはペルナムブコという地域で福音伝道に従事しました。

熱心な信者でぎゅうぎゅう詰めの朝の礼拝が終わるとソロモンは聴衆に「夕礼拝には戻ってこないでください。――朝、会堂に入りきれなかった他の信者や求道者が福音を聞くことができるように。その代り、あなたがたは外に出て行って近所の人たちに福音を宣べ伝えてください。」と呼びかけました。

このようにして福音はペルナムブコ地域一帯に勢いよく拡がっていきました。時として教会堂が焼き打ちされ、信者たちも鞭打たれたりしましたが、そのような迫害にもかかわらず、信者は各地で増える一方でした。

また迫害者の多くも、キリスト者の信仰と証しに感銘を受け、後には回心し、教会の指導者となっていきました。

ある祭司との「愉快な」遭遇

ここで一つおもしろいエピソードをご紹介します。この時までにソロモンは広く名を知られるようになっており、特に祭司たちから徹底的に憎悪されていました。

ある日のこと、ソロモンが汽車に乗っていると、隣に年老いた祭司が座ってきました。

祭司は隣に座っている男がかの「ソロマオ(ポルトガル語での彼の呼称)」とは知りませんでしたが、ソロモンはこの祭司――自分の教区内に80人余りの非嫡出子をもうけていた不品行な祭司――のことをよく知っていました。

周りの乗客は、「これから二人の間に何が起こるのだろうか」とワクワクしながら状況を見守っていました。

二人は盛んに会話を始めましたが、そのうちこの祭司は、「ソロマオ」なる男について激しい批判を加え始めました。

「ところで、祭司。あなたは個人的にそのソロマオという男をご存知なんですか?」ソロモンは尋ねました。
「ああ、知ってるとも。よーく知ってるぞ。」
「彼はどんな形相をしてますか?」
「ああ、あいつはとんでもなく醜男でな、顔は天然痘のイボだらけときてる。」

こうしてソロモンについての根も葉もない噂話を(本人の前で)まことしやかに話す祭司をみて、周りの乗客は笑い転げていましたが、祭司はそれを「自分の話をおもしろがって聞いてくれている」と勘違いし、ますます得意げに話を続けていました。

しかし、ついにソロモンは口を切りました。「セニョール・パドレ。私もそのソロマオという男と面識がありますが、彼はあなたが言うほど醜男ではありませんよ。というのもですね、この私が、そのソロマオなんですから!」

乗客はいっせいに爆笑し、祭司はもう穴があったら入りたいというような困惑ぶりでした。

また、ウプティンガという所で集会を開いていた時のことです。突如、武装勢力が乱入し、覆面の男がオレガンを弾いていたソロモンに刀で切りつけました。

しかし、刀がオレガンの前に置いてあったランプにひっかかったため、会場は真っ暗となり、その間に武装勢力は消えてしまっていました。今回もソロモンは九死に一生を得たのです。

つづきは次回




二日前に、高校時代の級友がくも膜下出血で急死したという知らせを故郷の友人から聞きました。三十数年しかこの世に生きることのできなかった級友―。人の生と死は本当に神様のものだということを教えられました。

それと同時に、「今日」という一日が私に与えられているのは恵みであり、そこには創造主の御目的があるんだということにも気付かされました。

「今の時を生かして用いなさい。」(エペソ5:16)

この世でやり残しのないようにしたいと思いました。

昨年から、ソロモン・ギンスバーグ(1867-1927)の伝記を書こうと思っていたのですが、それが延び延びになってしまっていました。級友の訃報を聞いて、私は「これではいけない」と思い、すぐにソロモンに関する資料を集め始めました。

彼はポーランド生まれのユダヤ人ラビの息子で、イギリスにいた時にイエス・キリストの福音を聞き、信仰を持った人です。同胞ユダヤ人やカトリック祭司たちからの激しい迫害に遭いながらも彼は不屈の精神をもって信仰の道を歩みました。そしてその後ブラジルに行き、そこで主に大いに用いられます。

今朝、前編が完成しましたので、それをみなさんにご紹介いたします。

生い立ち

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ソロモン・ギンスバーグ(Solomon Ginsburg)は1867年8月6日、ポーランドのスワルキー市近郊で生まれました。彼の父親は厳格なユダヤ人ラビでした。

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父親は息子ソロモンに十分なユダヤ教の教育を受けさせ、ゆくゆくはラビになってほしいという願いを持っていました。しかし若いソロモンにとって、安息日にマッチを点けたらいけないとか、ポケットにハンカチを入れたらいけない等という掟は窮屈に感じられてなりませんでした。

15歳の時、自分の意志に反して、ある裕福なユダヤ人家庭の少女(12歳)との結婚が一方的に決められたことがきっかけで、ソロモン青年はついに家出をしました。

彼はしばらくの間、ポーランドやドイツを放浪した挙句、ハンブルグから船に乗ってロンドンに向かいました。そしてそこで叔父の経営する服地屋の簿記係りの手伝い小僧として働くことになりました。

イザヤ53章

ある安息日の午後、ホワイトチャペル通りを歩いていたソロモンは、ある男性に呼び止められました。

同胞ユダヤ人でしかもクリスチャンだというその男性は、「マイルドメイ・ミッションで行われる礼拝にいらっしゃいませんか。そこで私はイザヤ書53章についてお話するつもりです」とソロモンを誘いました。「イザヤ書53章?」それを聞いた途端、彼の記憶はポーランドでの幼少時代にとびました。

追憶

彼は当時13歳でした。ちょうどその日、父親は仮庵の祭りを祝っていました。ソロモンがなにげなく預言書を開くとそこはイザヤ53章でした。

読んでいくうちに疑問が湧いてきたソロモンは、父に「ねえ、預言者イザヤはここで誰のことを言っているの?」と訊いてみたのです。すると、父親は息子の手から預言書をひったくり、頬をぴしゃっと打ちました。

「とても悔しかったです」と後年、ソロモンは自伝の中でその時のことを回想しています。「でもそれは神の摂理によるものでした。なぜかというと、数年後、ロンドンの街角でユダヤ人クリスチャンの伝道者から『イザヤ書53章についてお話します』と言われた時、ぜひともその説明を聞いてみたいと好奇心をそそられたからです。」

回心

ソロモンは説教者の語るメッセージに熱心に耳を傾けました。語られることすべては理解できませんでしたが、このイエスこそメシアなのではないかという思いがその時彼の心に植えられたのです。彼はその後、新約聖書を手に入れ、読み始めました。そしてすぐにイエス・キリストが約束されしメシアであったことを確信するに至りました。

そんなある日、彼はイエスがゴルゴタで十字架につけられる箇所を読み、心を刺されました。その時のことを彼は次のように回想しています。

「私はイエスが十字架につけられる場面、そして『その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもよい』という民衆の言葉(マタイ27:25)を読んで号泣しました。

あたかも私自身、その場にいて、罪のないお方の殺人に積極的な関与しているかのようでした。私は今後、このイエスと運命を共にし、ゴルゴダで犯されしあの大きな犯罪で私が負っている部分に関し、赦しを請わなければならないと感じました。」

葛藤と決心

しかしその内的確信を公にすることは並大抵のことではありませんでした。彼の雇用主であった叔父は正統派ユダヤ教徒でした。ソロモンは幾度となく、ユダヤ教を離れたユダヤ人を呪い非難する叔父の姿をみてきたのです。

「ああ、もしイエス・キリストへの信仰を告白するなら、僕は間違いなく仕事をクビにされるだろうし、叔父の家からも追い出されるにちがいない。」

こうして3か月もの間、彼は悩みに悩みました。ある時などは精神的ストレスから食べることも寝ることもできないほどでした。しかしやがて解放の日がやってきました。ソロモンは、ジョン・ウィルキンソン牧師が次の聖句を語るのにじっと聞き入りました。

「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」(マタイ10:37)

ウィルキンソン牧師は、「わたしにふさわしい者ではない」と特にその部分に力を入れて言いました。

心を刺されたソロモンは家に帰ると、夜更けまで部屋の中を行ったり来たりして考え続けました。こうして明け方、ついに彼は主に全てを明け渡す決心をしたのです。

「自分の罪が赦され、受け入れられていることを知りました。重荷が取り除かれたのを感じました。イエス様の尊き血潮によって私の罪が清められたことを知ったのです。」

告白

こうして翌朝の朝食の席で、ソロモンは意を決し、キリストに対する信仰を叔父に語りました。「叔父さん、今日、教会で自分の信仰を公に告白しようと思っています。どうか叔父さんも来てください。」ソロモンは頼みました。

これを聞いた叔父の顔色はみるみる青ざめ、「そんなことは絶対してくれるな」と詰め寄りました。叔父たちは実際、その日、教会の中まで入ってきてソロモンの信仰告白を阻止しようとしましたが、ソロモンは揺らぎませんでした。

彼の意志がもう何としても変わらないことを察した叔父たちは立ちあがり、ドアを叩きつけるようにして外に出て行きました。

祈祷会を終えたソロモンがその日の晩、叔父の家に帰宅すると、ソロモンはほうきの棒を持った叔父から熱湯をかけられ、呪いの言葉を浴びせられ、家から追い出されました。

その時、彼の持参金は数シリングに過ぎませんでしたが、彼の心は救いの喜びで満たされていました。「私の救い主のために苦しみに遭うことが許されていることを知り、それを幸いに思いました」と後に彼はその日の晩のことを記しています。

迫害

ある主日の朝、ソロモンは自分の同胞であるユダヤ人に伝道するために、教会の仲間と共に東ロンドン地区に足を運びました。しかしソロモンがイエス・キリストの福音を宣べ伝え始めるや、そこにいたユダヤ人たちは彼に襲いかかり、殴る蹴るの暴行を加え始めました。

そうです、使徒パウロがルステラで経験したようなことがソロモンの身にも降りかかったのです(使14:19)。気を失ったソロモンが意識を取り戻すと、彼は血にまみれゴミ箱の中に入れられていました。

それからしばらくして、もう一人の伯父が祖国ポーランドからはるばるソロモンに会いに来ました。

「ソロモン、お前も知っているように、私には子供がない。だからな、お前を相続人にしたいと思っている。ただしだ。一つ条件がある。私の相続人になりたいなら、キリスト教と袂を分かつことだ。分かったか?」

ソロモンが返事をしぶっていると、伯父は畳みかけるように言いました。「一週間とことん考えろ。それから返事をもってこい。これ以上、背教を続けるなら、お前は一族全員から絶縁されると思っておけ。いいか。」

ユダヤ人社会から追放される

こうして1週間後、伯父の元に戻ると、そこには、白い鬚を生やしたユダヤ教の長老たちも数人、いかめしい顔をして椅子に座っていました。こうして質疑応答が始まり、ソロモンは自分がいかにしてイエス・キリストを救い主として信じるに至るようになったのかを彼らの前で話しました。

それを聞いた長老の一人が、ユダヤ人社会からの追放を意味する、絶縁文を読み上げ始めました。「昼、汝に呪いあれ。夜、汝に呪いあれ。立つ時に呪いあれ。横たわる時に呪いあれ。食べる時に呪いあれ。飲む時に呪いあれ、、、」と呪いの文句は延々と続きました。

「主よ、私を助けてください!」ソロモンは心を天に向け祈りました。

すると彼は見たのです。――両腕を釘付けにされ十字架にかかっているキリストを。そして次の御言葉が与えられました。「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださった。」(ガラテヤ3:13)彼の心は喜びにあふれました。

キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。Ⅰペテロ4:14

またある日、こんな事も起こりました。ソロモンはその日、仲間と共に伝道していたのですが、そこに一人の若い男性が近付いてきました。

「ソロモンさん。実は、うちの工場で働くユダヤ人の同僚たちが真剣に福音の真理を求めているんです。どうか僕と一緒に来て助けてくれませんか。彼らは○工場の五階にいます。」
「ああ、そうですか。それじゃあ、ご一緒しますよ。」
ソロモンは請け合いました。

しかしそれは罠だったのです。五階部分にたどり着くや、彼は、ハンマーやナイフを持った大勢の男たちの襲撃を受けました。

ソロモンの仲間の兄弟はその場を脱出できましたが、ソロモン自身はめった打ちにされた挙句、五階の階段手すりから下に投げ落とされました。

しかし奇跡的にも彼は落下途中、鉄の手すりをつかむことができたのです!頭から突き落とされたので、そのまま落下していたら首の骨を折って死んでいたことは確実でした。

九死に一生を得た彼は、主がある特別なご目的をもって自分を生かしてくださったことを確信するようになりました。

そして「主よ、私に課せられている使命は何でしょうか?私はあなたのために何をすればよいでしょうか。みこころをお示しください」と熱心に祈るようになりました。

宣教地を示されて

こうして祈り始めた彼は、しだいに「ブラジルの人々」の魂に特別な重荷を感じるようになっていきました。ブラジルといえば大多数がカトリック教徒の国です。

どうして彼はそういったカトリック教徒の元に遣わされることを望んだのでしょうか。

それはユダヤ人伝道および異邦人伝道をする上での最大の障害は、ローマ・カトリック教会そのものであるという彼の信念に基づくものでした。そのことについて彼は次のように記しています。

「若いユダヤ人魂に繰り返し叩き込まれる教えが一つあるとしたら――、それは偶像礼拝に対する憎しみです。

幼い頃、こんな事がありました。その日、私はワルシャワの街を父と連れだって歩いていたのですが、大きなカトリック聖堂の中からちょうど大勢の人が出てきていました。父は私を聖堂の中に連れていき、人間の形に彫った彫像の前に跪き祈っている大勢の人をよく見るように言いました。

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『ソロモン、モーセの十戒を覚えているか?』
『はい、お父さん。』
『じゃあ、第二戒を言ってみろ。』
『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。』
『そうだ、ソロモン。このキリスト教連中はな、自分たちの宗教こそまことの宗教だと言っている。でも見なさい。この連中がいかに真理からかけ離れているかを。』」

ポルトガル、そしてブラジルへ

こうしてソロモンは語学の学びのためにまずポルトガルのオポルトに行きました。彼は非常な集中力をもってポルトガル語の習得に励み、1ヶ月後には早くも『聖ペテロは絶対に教皇ではなかった(Soa Pedro Nunca Foi Papa! )』というトラクトを作成したのです。

そのトラクトを三千部配布した後、今度は『古着、骨、小麦の宗教』というトラクトを書き、その中で、偽りの聖遺物で私腹を肥やしていたカトリック祭司たちの罪を暴きました。しかしまもなくイエズス会士たちに命を狙われるようになり、彼はポルトガルを脱出しました。

「ローマはポルトガルをダメにしてしまった。そして今、ブラジルをダメにしようとしている。ローマの有害な支配下に入ってしまった民族・国々の場合と同じように、ブラジルはローマ教会の陰謀により貶められている。」

こうしてソロモンは1890年6月10日、ブラジルのリオ・デジャネイロに到着しました。

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さて、この若き情熱的な伝道者にどんなことが待ち受けているのでしょう?

(つづきは次回)



「夫に従いなさい」という聖書の掟を日常生活の中で実践していくと、私たちは周囲からのさまざまな反応にあいます。

昨年のことですが、私はある若い奥さん(中東出身、20代前半、クリスチャン)から次のような批判を受けました。

「あなたの言動をみていると、なんていうか、『えっ、なんで?』って思うんです。なんでいちいち、ご主人の許可を得ようとするんですか?人間は、男女平等じゃないですか?キリスト教は男女平等を言っていませんか?それに私たちは今、ヨーロッパにいるんですよ。私は夫と友達のような関係でありたいし、夫もそういう関係を望んでいます。」

彼女のような疑問を抱いておられる方はもしかしたら日本にもおられるかもしれません。このテーマについては以前、少しだけ触れたことがあるのですが、重要なテーマでもあると思いますので、今回再度取り上げることにします。

☆☆
本質と秩序の違い

私はまず「本質と秩序の違い」のことをお話したいと思います。

人間は、その本質において皆等しく平等です。本質というのは英語ではNature、ギリシア語ではουσίαです。ガラテヤ3:28でも、男女がキリストにあって一つだということがはっきりと明記されています。

ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。



だから私たちはキリストにあって、みな等しく尊い価値をもっているのです。

しかし一方、秩序(order)においては違いがあります。

このことをより良く分かっていただくために、ここで御父と御子の関係を例に挙げようと思います。

聖書には、「キリストのかしらは神です」(Ⅰコリント11:3)、「万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです」(Ⅰコリント15:28)」と書いてあります。

それでは、キリストは父なる神より「劣った」存在なのでしょうか?もちろん、否です。

御父と御子は、その本質(nature/ουσία)において全く等しいのです。しかし、秩序(位階)の面においては違いがあります。

ですから、神がキリストのかしらであり、キリストが神に従う行為は、キリストを神より劣った存在にすることにはならないのです。

お父さんと息子は、人間の本質としては全く平等です。でも、秩序という点においては、お父さんが息子の上に置かれています。社長と部下、先生と生徒などについても同じことが言えると思います。

ですから、私たち女性が、男性をかしらとして敬い、かしらに従うことは、私たちを男性より「劣った」存在にすることにはならないのです。

ですから、聖書の中の「夫に従いなさい」という結婚の掟は、「前近代的で家父長的な抑圧」として捉えられるべきではないことをここにはっきり明記しておこうと思います。

なぜなら、そのような論法でここの聖句を曲解する人々が最近とみに増えているからです。

またそのような人々は、前述のガラテヤ3:28を水戸黄門の紋章のように「えいっ」とふりかざして、神様の定めた「男女間の創造の秩序」を亡きものにしようとしていますが、他のさまざまな聖句を無視したそのような解釈はとても危険だと思います。

私たちの創造主なる神様は、おそろしい独裁者でもなく、抑圧主義者でもありません。

また神様の定められた秩序は、私たち女性を縛り窮屈にするものではなく、その反対に私たちを自由に羽ばたかせるものです。私たちが主を信頼して、この秩序の中にわが身を置くとき、私たちは真の内的解放と喜びを感じるようになります。

私たちのうちの女性は開花し、私たちは「主よ、私をこのように創造してくださりありがとうございます。私は本当に幸せです!」と賛美せずにはいられなくなるでしょう。

私はこのブログを読んでくださっているみなさんお一人お一人がその喜びで満たされることを心からお祈りします。



今日、ご紹介するのは、テッサ(Tessa)というカナダ人姉妹の証しです。彼女は自分でも公言しているように、いわゆる「強い」西洋女性として育ってきました。教会に通うクリスチャンではあっても、従順とか恭順などというのは彼女の人生には全く無縁のものでした。

やがて彼女は結婚し、二児をもうけますが、夫婦間の問題は絶えませんでした。それは年ごとに悪化していき、ついに二人は離婚の危機に瀕するようになります。

彼女は日々刻々と進行している、ここ数カ月における夫婦関係の回復プロセス、そして自分自身の神様との関係における回復のプロセスを刻銘に、そして真っ正直につづっています。私は今日、そのごく一部を抜粋翻訳いたしました。それではどうぞお読みください。

テッサの証し(原題:What Has Come Over Me: Why I'm Wearing Head Covering

「どうして突然、『恭順』とか『祈りのベール』とかいう点でそんなに強く主の導きを受けるようになったの?」と私は最近、友人に訊かれました。

私は答えました。「それはなぜかっていうとね、今、うちの夫婦関係が破綻寸前のところまでいってしまっているからなの。それでこの危機を脱するために何か抜本的なことがなされなきゃならないって思ったの」と。

確かに夫の側に責めがない訳ではありません。でもとにかく自分のプライドは振り子が切れたようになり、私は夫のリーダーシップを完全無視するようになりました。主人は、家の主(あるじ)としてだけではなく、家族の一員としても完全に無視されるようになりました。

私は夫がそう感じているのに気付きました。というのも、彼が私にその気持ちを打ち明けたからです。そしてこの問題をどうやって解決してゆけばいいだろうかと言ってきました。

その時、私は聖書的恭順および祈りのベール(Ⅰコリント11章)についてのサイトをみつけたのです。「これだ!」と思って、私はすぐさまそれを実践し始めました。

するとどうでしょう。瞬く間に夫婦関係に変化が表れ始めたのです。いまでも私は日々、主人の変化、子どもたちの変化、そして自分自身の変化を目の当たりにして驚いています。「夫婦関係の回復」というただこの理由のためだけでも、祈りのベールは始める価値があります。

私は祈りのベールをつけ始めた当初、「夫に従うこと、それからベールで頭を覆うこと」というこの二つの明確な聖書の掟に従うことで、変化がもたらされるだろうと考えていました。でもまさかこれが、行き詰っていた私と神様との関係における解決の突破口になろうとは予想もしていませんでした。

、、まず最初に取り組まなければならなかったのは主人との関係でした。現代の西洋文化においては、女性が家のリーダーであるというのは普通のことになっています。そしてそういうスタイルを好む傾向があります。

女性たちは、自分の夫は子供じみていると感じ、女友達の前で自分の夫のことを悪しざまに言うことも厭いません。夫に対する口のききかたもお構いなしで、夫の方が妻である自分たちに従わなければならないと思っています。

こういう文化にどっぷり浸かって育ってきた私は、だんだんと周りに同化していきました。私は言葉においても行ないにおいても、絶え間なく主人を傷つけ、女友達の前で夫のことを中傷し、その結果、たえず「主よ、私たちの夫婦関係を修復してください」と神様に祈らざるをえませんでした。

そういう理由もあって主人と私の関係は悪化していったのです。それに対する私の解決策は前にお話したように、恭順(submission)を生活の中で実践することでした。

このことを決心するだけでも私は今までにないほど、聖化そして神への信頼を要求されていると感じました。女友だちが夫をバッシングし始めた時(話に加わらないで)沈黙することを学ばなければなりませんでした。

また夫の決定に賛成できない時、夫と言い争わないよう自制することも学ばなければなりませんでした。また自分のプライドを葬り、自分のニーズよりも主人のニーズを優先することを学ばなければなりませんでした。自分の力ではできませんでした。だから私は助けてくださいと神様に祈りました。

こうして私の内面は深化していきました。そして神様の元に私はより近づいていったのです。

このようにして恭順したいという意思をあらわすため、私は祈りのベールを着け始めました。しかしそれだけではなく、かぶり物は自分がキリスト者として召されているということを思い出させる印ともなっていきました。

例えば、先日、こんなことがありました。私は職場のお手洗いにいたのですが、その時、何かのことで少しいらだっていて、むっとしていました。こうして手を洗いながら、一人でブツブツ文句を言っていたのですが、その時、私は鏡に映る自分を見、そしてベールを見ました。

と突然、ある静寂が自分を包みこみました。「あっ、そうだ。。」私は思いました。「私はまことの王の娘なんだ。私、文句を言ったりするために召されたんじゃないんだ。」

私はただちに神様に赦しを求め、助けを求めました。そしてその結果、神様を自分のリーダーとして一日を続けることができました。

頭の上にあるこの小さい布きれは、私が絶えず主に目を留めていることができるよう、私を助けてくれています。当初、「うちの結婚をどうにかしないといけない」という切羽詰まった理由からベールを着け始めたのですが、今、それは神様と私の歩みを深めるものになっています。

また、私はこれまで堅い食物ではなく、乳(へブル5:13)を飲む次元でずっとぐずついていたのですが、ベールを着け始めてから私はそれらを乗り越え、次の段階に移っていくことができるようになりました。

神様のおきては完全です。そして信頼できます。そしてそれは私の魂を生き返らせます。

私は権威主義的な夫ないしは教会に強制されて、ベールを着け始めたわけではありません。私は神様を求めていました。そして信仰と従順のうちに一歩を踏み出したのです。

すると主は私を「乳」の段階から「堅い食物」の段階に移してくださいました。私の身に起こったこと、そして起こっていることは、主に自分の道を明け渡す中で与えられしすばらしい恵み、平安、そして神の愛なのです。

(これはテッサ姉妹の証しの一部分です。英語で全文をお読みになりたい方はテッサの証しをクリックしてください。)

☆☆

テッサとの交流、そして彼女の手記を通じて、私は今まで気付かなかったある事に目が開かれました。

それは「なぜ、これまで2000年近く尊守されてきたⅠコリント11章の祈りのベールの慣習が、ここ60年余り、キリスト教会でないがしろにされ、無視されるようになったか」という点についてです。

現代思想の潮流とかいろいろな要因があると思います。しかし、それらすべての背後にあってこの聖書の教えを闇に葬り去ろうとしているある勢力が存在していることに私は気付きました。つまり真理の敵であるサタンの働きです。

ではどうしてサタンはこの教えが嫌いなのでしょうか。なぜなら、この教えが主の教会で復活すると、テッサのような女性が増えてしまうからです。祈りのベールは姉妹たちの心に従順をもたらします。だから、この教えを尊守することで、テッサのように離婚の危機にあった不幸な女性たち(男性たち)の家庭に平和と秩序が戻ってしまうのです。

そして家庭に平和が戻ると、これまで、いがみ合い、ののしり合う親の脇で脅え泣いていた子供たちの心に喜びと安定がもたらされてしまうのです。

だからサタンはどうにかしてこの教えを「現代には適用されないものですよ」と言って説得しようとあくせくしているのです。

祈りのベールのことを公に証しするまでに自分自身、なぜあれほど躊躇してしまっていたのか、なぜその証しをするまでに何年もかかったのかーその理由も今はっきり見えてきました。実はそれを執拗に阻む勢力があったのです。

この事に気づいた私は、Christian Headcovering-a remedy for broken marriages and relationships; Sister Tessa's living example (=祈りのベール―壊れた夫婦関係の特効薬;テッサ姉妹の生きた実例)という記事を英語ブログに書き、テッサと同じように離婚の危機にさらされている女性たちの回復を祈りつつ、彼女を励ますメッセージを書きました。

おわりに

それではこれから、第二、第三のテッサが生まれてくるのでしょうか。不従順な妻だった人が柔和で従順な妻になることは可能なのでしょうか。祈りのベールの教えは今後、各地の教会で再び息を吹き返すようになるのでしょうか。私はこれに対し信仰をもって「はい!」と答えます。

たとえば、(日本語ブログの中でも和訳してご紹介した:ココ)ジェシカ姉妹の「祈りのベールの証し」を読みに、以下のような国々の姉妹たちがやってきました。

オーストラリア、ドミニカ共和国、クロアチア、ベルギー、米国、ニュージーランド、フィンランド、フランス、オランダ、ノルウェー、スイス、レバノン、ドイツ、英国、ポーランド、ロシア、メキシコ、南アフリカ、カナダ、日本など、、

このリストをみてください。この中には高い離婚率を抱える国々も多く含まれています。また、聖書の教えがもはやまっすぐに説かれなくなってしまっている国々も含まれています。

私は、こういった国々の姉妹たちを前に、「、、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さる(ローマ8:26)」という御言葉を思い出しました。

どんなに人間の知恵でもって聖書の言葉を再解釈しようという試みがなされても、また真理の敵であるサタンの巧妙な働きがあっても、言葉にあらわせない切なるうめきをもった御霊のとりなしにより、各地で姉妹たちはこの聖書の教えに立ち返ろうとしています。

テッサのような女性が瓦礫の下から再生の道を歩みはじめようとしています。そして男女間における創造の秩序が回復しつつあります。

私たちはこれからも力を合わせて、テッサのような女性を支援し、全面的に応援していくつもりです。

前述の彼女の証しの中で私が最も心を打たれた箇所は、お手洗いの中で鏡に映る自分とベールをみて、テッサが自分自身に言い聞かせた言葉です。

「私はまことの王の娘なんだ。」

まことの王の王、主の主である私たちの神様の栄光が、教会においても、家庭においても、私たち個人の人生の歩みの中でもあらわされますように。アーメン。



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私はこれまでこのブログの中でも自分の信仰生活においても、「聖霊の力によって自分の罪に打ち勝つ」というような事を言ったり書いたりしてきました。

しかし私は今、自分のこの見解がもしかしたら間違っていたのではないかという認識に至りつつあります。

今日は、自分がどうしてそのように考えるようになったのか、その理由といきさつをお話します。

いきさつ

私は最近、ふと「私はどうして『罪に打ち勝つ overcome sins』という表現を使っているのだろう。それは聖書のどこから取られたものだろう?」という疑問を抱きました。

それで聖書を開き、その根拠がどこにあるのか調べ始めました。しかしなんと驚いたことに私はそう言っている聖句を探し出すことができなかったのです。そして発見したのは、聖書は罪についてこれに「打ち勝つ」ではなく、これから「解放」されることを言っているということでした。

ローマ6:18 罪から解放されて (set free from ελευθερωθεντες απο)
ローマ6:22 罪から解放されて (set free from ελευθερωθεντες απο)
ローマ8:2 罪と死の原理から、あなたを解放したから  (made me free from ηλευθερωσε)


これはほとんどのクリスチャンの方にとっては当たり前で基本的なことなのかもしれません。でも私にとっては当たり前ではありませんでした。

(ちなみに、この「解放される」のギリシャ語ελευθερω(elefthero)ですが、これは現代ギリシャ社会でも日常語としてさかんに使われています。デモ行進の際も、拡声器で叫ばれる彼らの愛用語の一つです。)

罪に打ち勝つという時、その行為の主体は「わたし」にあります。「わたしが」聖霊の力をもって罪に打ち勝つのです。

一方、罪から解放されるという時、自分の罪を解放してくれる人は、「わたし」ではなく他の「誰か」ということになります。誰かが私を罪から解放してくれるのです。

つまり自分の罪をめぐる戦いは、「わたし」を中心としたものではなく、「誰か」を主体としたものになる、ということではないでしょうか。もちろん、ここでいう「誰か」とは私たちの主イエス・キリストです。

ここで少し脱線しますが、なぜ私が「打ち勝つ overcome」という表現を使っていたかその理由をお話します。

それはどうしてかというと、例えば、

Ⅰヨハネ2:13(14) 悪い者に打ち勝った overcome
Ⅰヨハネ4:4 彼らに勝った overcome
Ⅰヨハネ5:4 すべて神から生れた者は、世に勝つからである。overcome
ヨハネ16:33 わたしはすでに世に勝ったのです。Overcome


には「打ち勝つ νικαω」という動詞が使われており、また黙示録にも、「勝利を得る者 (overcomer <打ち勝つ者)」(黙2:7、11、17、26、3:12)という表現があったからです。

でもそれをもう一度見直してみると、Ⅰヨハネの手紙にしても黙示録にしても、「罪に打ち勝つ」という表現はしていないことに気付きました。悪い者や世に打ち勝つという表現はあっても、罪に打ち勝つという表現はここにも見出すことができませんでした。

つまりここから導き出される結論として、「罪に打ち勝つ」という表現は、聖書的な表現ではなく、私のコンセプトは間違っていたということになります。どうでしょうか。

しかしもし私のこの新発見が正しいものだとしたら、これはなんという嬉しい知らせでしょう!日々の熾烈な罪との戦いーこの戦いの主体が「わたし」ではなく、「イエス・キリスト」にあるということは!

先ほど挙げたローマ人への手紙6章では、「罪から解放され、、」の他にも、

ローマ6:2 罪に対して死んだ
ローマ6:7 死んでしまった者は罪から解放(別訳では「放免」δεδικαιωται)されているのです。
ローマ6:11 あなたがたも、自分は罪に対して死んだ者であり、、


という箇所をみつけました。いずれも「死んだ」「死んでしまった」「死んだ」です。

ローマ6:5ー8 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためです。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。もし私たちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。



私は今朝、思いました。もしも自分が上のこの聖句(ローマ6:5-8)を全て信じたなら、私はキリストと共に死んだ者として、自分の罪から解放されるし、生涯、解放され続けるだろうと。

黙示録19:11 「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、『忠実で真実な者』と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。」

私たちの主イエス・キリストはすごい方です!普通の勝利者ではないのです。そしてさらに驚くべきことに、このすごい方が私を罪から解放してくださり、これからも解放してくださるというのです。

ローマ8章で有名な「私たちは圧倒的な勝利者となるのです」の箇所ですが、原典を読んだら、υπερνικωμεν δια του,, (more than conquerors through Him,,,) と、「キリストによって」圧倒的な勝利者となるということがさらに分かりやすく書かれていました。

ガラテヤ2:20によれば、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられのである Christ lives in me」ということになります。

Christ lives in me! このすごいキリスト・イエスが私のうちに生きておられ、そして勝利者となってくださるのです。この事実に興奮を覚えない人がいるでしょうか。これほどすごいことがこの世にあるでしょうか。

☆☆
読者のみなさま、そういうわけで、私は今、この点に関して理解の途上にあります。どうか私の足りなさや欠けをおゆるしください。そしてこれからもよろしくお願いします。

また、私のために祈り、また助けてくださっている方々にこの場をかりて深くお礼申し上げます。



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昨日、6才の難民の女の子が上の絵を描いて私にプレゼントしてくれました。「どうして十字架を黄色に塗ったの?」と訊くと、この子は「これはね、神の光なんだよ」と答えました。

神の光―。私は小さなSちゃんの口から飛び出したこの言葉にびっくりして、Sちゃんの顔をまじまじと見つめました。

「ここを見なさい。ここに神の光がある。ここを見上げなさい。ここに神の恵みがある」―主はあたかもこの幼な子を通して、こう私に呼びかけておられるかのようでした。

分からなくても自信がなくても恥の感覚にうちのめされるような時でさえも、とにかくここを見上げなさいと背中を押してもらった感じがしました。

そして次の御言葉を思い出しました。

「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:14、15)

ああ、彼を「正しく理解する」者がすべて永遠の命を得るため、ではなく、彼を「信じる」者が永遠の命を得るためと神様は言っておられる!

私はかつて一時期、汎神論的な神観を持つ先生と交流をもったことがきっかけで、十字架の贖罪のはっきり語られない世界、異教的なものとの〈対決〉ではなく、すべてを〈包容〉するような世界に入り込んでしまったことがありました。

そこは一見神秘的にはみえるけれどもどこにも足場を見出すことのできないような暗く不安に満ちた場所でした。イエス・キリストの十字架による死と復活が語られず宣言されない場には、光がありませんでした。

十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。Ⅰコリント1:18

たしかにイエス・キリストの十字架の上には神の光があります。これだけ惑わしの溢れるこの世にあって私たちは皆、寄り頼める確かなもの、動かず不変なもの、揺るぎない土台を求めているのではないでしょうか。私はそれを熱望しています。

最後に、クロスビー(彼女は盲目のクリスチャンでした)の作曲した「イエス、このみを」の歌詞と、テネシー州にいるスマッカー家の人々によるこの賛美歌の合唱youtubeをご紹介します。

(讃美歌495&新聖歌367)
1.
イェスよ、この身を 行(ゆ)かせ給え
愛のしたたる 十字架さして
(折り返し)
我は誇らん ただ十字架を
天(あま)つ憩いに 入るときまで
2.
十字架にすがる 弱き我は
今ぞ知りぬる 深き恵み
(折り返し)
3.
十字架のうえに よろこびあり 
絶えず みかげに よらせたまえ
(折り返し)
4.
輝く国に のぼる日まで 
十字架のもとに たちてぞ待たん
(折り返し)

(♪Jesus Keep me near the Cross, 1869)


前々回の記事の中で、ある方が下のようなコメントを寄せてくださったことを書きました。

「[宣教が引き起こす脅威についての話題から]、、、日本で感じるのは警戒心です。「この人たちは神を語る事で自分たちからこちらがあげる気のないもの(具体的に言えば時間や心、お金など)を奪い取ろうとしているのではないか?」ネットを見ると教会に対する批判は信じられない程たくさんあります。きっと多くのキリスト者が教会で疲れ切っているのでしょう。

、、、彼らの警戒心は残念な事にそれなりの裏付けがあるのかも知れません。これは私たちクリスチャン、そして教会にも大いに責任があるでしょう。」



このブログを読んでくださっている方はご存知のように、私は今まで、上に立てられている牧会者について否定的なことを書いたことは一度もありませんでした。

参照(バックナンバー記事)
①牧師先生や聖書を教えてくださる先生方を敬愛することについて(こちらをクリック)

②牧師先生と奥さんを思いっきり励まそう!先生方をゴシップや中傷から守り、感謝のメッセージを伝えよう。(こちらをクリック)


しかし今朝祈っていて、自分がこれまで体験してきた牧会者に関するもうひとつの側面をもお分かち合いする必要を感じました。

私がこれを書くのは、そういう先生方を批判するためではなく、これから日本や海外で奉仕者として主に仕えていきたいと思っている方が本当に良き牧者のリーダーシップの下で喜んで信仰生活を送ってほしいと願っているからです。

☆ ☆
私は今の奉仕の場に落ち着くまでに、三ヶ所別の場所でミニストリーに関わっていたことがありました。

北ヨーロッパにある某宣教団体でスクーリングを受けていた時のことですが、そこの指導者は、アジアを中心としたミニストリーをされている方だったので、はじめから私に関心を持っておられるようでした。そして学期の半ばを過ぎた頃、先生は私をオフィスに呼び、「今後、ここに残って、一緒にミニストリーをしていきませんか」と提案されました。

さて、ここで私は人生の大きな岐路に立たされました。

この先生の霊的指導を受けながらこの国に残るべきか、それとも異なる道に行くべきか、、

ミニストリーの内容も良く、またここでは長期ビザが容易に発給されました。それではこれが主のみこころなのでしょうか?

こうして残るか去るかという大きな人生の選択肢を前にした私は、それまでの自分の歩みを振り返ってみました。教会生活やそこでの失敗、精神的な葛藤のこと等、ひとつひとつ振り返ってみました。〈自分はなにを求めているのだろう?なにが大切なのだろう?誰とどのように何をしていくことが神に喜ばれることなのだろう?〉

先生にお返事をしなければならない前日の夜だったと思いますが、私はその時、自分がなによりも牧者を求め、牧者を必要としていることに気づきました。私にはその部分で非常な飢え渇きがありました。

どんなにミニストリーがしっかりしていて国際的な規模のものであったとしても、またそこが私の賜物を十分に発揮できる場であったとしても、もしも核の核の部分―霊的指導者との関係―がビジネスライクなものだとしたら、私はそのような場に身をおいて生きていくことはできないように思いました。

そして思いました。先生は本当に私のことを(キリストにあって)愛してくださっているのだろうか。それとも私に与えられている賜物がご自身のミニストリーに役立つから、それで私に近づいてきてくださっているのだろうか?

この方に限らず、私は過去、自分に関心をもって近づいてこられた一部の牧会者に対してこの疑問を抱かずにはいられませんでした。だれかこの地上に、ミニストリーとか奉仕とか通訳とか英語クラスとか、そういうことを全て取り去ったとしても、私がなんにもできない役立たずでも、それでも真実に私の魂に、そして私の永遠の行き先に関心をもってくれる牧者はいるのだろうかと思いました。

また別のミニストリーの場では、このようなことがありました。

そこの指導者が、「あなたを今週の金曜日、夕食に招待します」とおっしゃいました。すると、脇にいた彼の奥様が、彼らの母国語で私に分からないように「〈よそ者〉は金曜の晩には呼ばないって約束したじゃない?」と彼に言いました。お二人は私がその言語を解するということをうっかり忘れていたのです!

でもそれは摂理的でした。そのご夫婦の間で取り交わされたコソコソ話の内容によって、私はお二人の私に対する思いやその他いろんなことを察知することができたからです。結局、どんなに一生懸命奉仕しても私は所詮〈よそ者〉なんだなあとさみしい気持ちになりましたが、今から思えば主は私にその牧会者夫妻の真実を知らしめ、私を守ってくださったのです。

そして私は今、自分を指導しケアしてくださっている牧者についに出会えたことを感謝しています。この牧者は10年前に私の霊的病根をずばり言い当て、その摘出作業に惜しみなく尽力してくださいました。彼は私を〈よそ者〉扱いせず、またミニストリー拡大の道具として利用することもしませんでした。このブログの中での回復の証しもその多くを私はこの牧者に負っています。

そして私は次のことを知りました。すなわち、ミニストリーというのはある固定した形があるのではなく教会の仕事でもなく、主を中心とした聖徒の親しい交わりの中から自然に生み出されてくる〈いのちの流れ〉なんだと。

だからミニストリーだけを介したつながりというのはどうしても枯渇しがちなのです。中心に主の教会があって、そしてそこに集まる聖徒たちの真実な交わりがあってはじめて、「ミニストリー」は生き生きと地上におけるその使命を果たし始めることを知りました。

おわりに

今朝、英語ブログのコメント欄にある若い方が次のような切実な告白をされていました。

「、、小さい時からずっと教育を受けてきたこの『すばらしい』ホームスクールプログラムが実はカルトだったこと、そしてその教会プログラムを指導していた『敬虔な』指導者が実はペテン師で偽教師だったことを知りました。(*この指導者は実際、教会の姉妹たちに対するわいせつ・強姦の罪を繰り返し犯してきたことが明らかになっています。)

私は思います。私たちが真理を追究しているこの時期、この変化の時期に、サタンは私たちを惑わそうとするのだと。というのも、何が真理か私たちには常に確信があるわけではないからです。」

この若者を苦しめているのは、この指導者が聖書の無謬性を信じ、信者に対しても「この世から離れなさい。聖い生活を追い求めなさい」と説教していた保守的で「聖書信仰」の牧会者だったということです。これほど大きなつまずきがあるでしょうか?しかし幸いなことにこの若者およびご家族は信仰を失わず、少しずつ回復の道をたどっています。

羊は真実な牧者を求めてうめいています。

私たちはどのようにしてそのような牧者に出会うことができるのでしょうか。

この問いに対し、私は「求める者にはかならず与えられます。どうかあきらめずに探し求め続けてください」とお答えしたいです。

それから祈り求める際には、あれこれ条件をつけずに、「良い牧者のいる教会が示されたら、たとえそこがどんなに辺鄙な所であっても私はそこに行きます」という意思を主に申し上げるといいと思います。

私は良い牧者のいらっしゃる教会に加わるために、たとえ現在の職や学校を変え、家を売り、住み慣れた土地を離れなければならないという犠牲が伴ったとしても、それは価値あって余りあることだと思います。

それほど良い牧者というのはこの地上にあって貴重な存在なのです。

私の祈りはこの記事を読んでくださったみなさんが、――特に過去、あるいは現在、教会につまずき、牧者につまずいてしまった方が――本当にすばらしい真実な牧者に出会い、「緑の牧場、そして憩いのみぎわ(詩23:2)」で魂の安息を得ることです。この祈りが聞き届けられますように。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。



私は先日、「宣教地―どこに行くべき?」という記事の中で、以下のようなことをみなさんにお分かち合いしました。

現在私が奉仕し日々の生活を共にしている人々も、嫌悪度ランキングでは世界トップ10に入る部類の人々です。世界のならず者といわれている人々です。

彼らは世界の人々に嫌われ、敬遠されています。そして彼らは国家的なレベルでも個人的なレベルでも嫌われるに値するようなことを確かにしています。それを私は否みません。

彼らはたばこを買うお金はあるのに、タダ乗りするのをやめません。またよく嘘をつきます。法律を遵守しません。偽造カードを作ります。麻薬を売ります。信者になってもよく暴力沙汰のけんかをします。

そして私はそういう彼らと人生を共にする決意をしました。いつまで経ってもタダ乗りをやめない人々を愛することに決めました。イエス様がこの人々を愛しているから、私も愛することにしました。

彼らは自分たちが嫌われ者だということをよく知っています。だからこそそういう彼らに純粋な関心を示し、やさしく接してくれる人たちの親切や愛に敏感に反応します。

また彼らはよく泣きます。男の人でもよく泣きます。また子供のように甘えてきます。そしてなついてきます。そうすると愛着が湧いてきます。そして愛着が湧いてくると、ごつごつした怖い顔付きの人たちも愛しく思えてきます。そうさねえ、彼らの好物料理を作ってあげようかという気にもなります。

福音の恵みは流れの悪い所、低い所、かさかさに乾いている所に流れて行こう行こうとします。最も愛されていない人たちの所に福音は流れていこうとするのです。



しかし私がここで書いたことは実は本当に申し上げたかったことの半分に過ぎませんでした。今日は残りの半分の部分についてお分かち合いしたいと思います。

それは一言でいうなら、この「ならず者たち」が私の人生にもたらしてくれているすばらしい影響についてなのです。これは実際、本当にすばらしいので書かずにはいられません。

☆ ☆

私はイエス・キリストを信じて日本に帰国してまもなく、同じ教会の独身の姉妹たちと共同生活を始めました。それまでは家庭環境にしても教育環境にしてもだいたい似通った人たちが私の交友関係のほとんどを占めていました。

しかしこの共同生活を機にそういった人間関係に大変革が起こりました。私は夜のお仕事をしていた方とはじめて一つ屋根の下で生活を共にし、日々の信仰生活を通して彼女と非常に親しくなりました。

そういう私と彼女の姿をみたある方が、「あなたがたはまるで〈律法〉と〈恵み〉の象徴ですね」と素朴なコメントをしてくださったことがありました。

ここでいう〈律法〉とはもちろん私の事を指し、〈恵み〉は彼女の事を指していました。これは私に対する痛烈な批判とも取れるような発言ですが、私は心底「ああ、その通りだ」と思いました。

それほど私は、一緒に暮らす彼女の天真爛漫さと素直さに魅了されていたのです。彼女の存在自体、私の中にひそむパリサイ主義、キリストの義ではなく自分の義に頼りがちな私に対する警告灯のような役割を果たしていたのです。

同じことが今、「ならず者たち」と生活を共にする日々のただ中で起こっています。

昔、日本にいた時、ある長老が私に「あなたは他人に対して厳しすぎます」という書簡を送ってくださったことがありました。この叱責はかなり身にこたえました。でもこの長老の指摘は正しいと感じました。そしてそのように率直に私の非を指摘してくださった長老に今とても感謝しています。

私は昔から礼拝の出席や時間には厳格でしたので、この「ならず者たち」の遅刻癖には非常に敏感でした。

5分や10分の遅れではないのです。彼らの多くは常時、30分、いや、ひどい場合は1時間ほど遅刻するのです。しかもよく訳が分からない事に彼らは遅刻して入ってきても少しも恥ずかしげなそぶりを見せないのです。むしろ満面の笑顔を浮かべ、堂々とうれしそうに入ってくるのです。

私はこの問題に関して何年もの間、内心いらいらしたものを感じていましたが、ついにある日我慢できなくなって夫に思いをぶつけました。

「彼らの遅刻癖はあんまりだと思う。クリスチャンは時間厳守であるべきだし、中東人のこの時間感覚のルーズさは贖われ、矯正される必要があると思う。礼拝の時間を大切にしないというのは結局、神様に対する畏敬の念がないということじゃないかな。それにしても、彼らはなぜ遅れてもあんなに堂々とうれしそうにしているんだろう?私にはそれが理解できない。」

すると夫は答えました。

「あなたはもう少し大きな心で人を見てあげなくちゃいけない。もちろん礼拝の時間を守るのは大切だし、それを目標とすべきだよ。でも何はともあれ彼らはディスコやナイトクラブではなく、教会に足を運んだ。彼らは弱さがありながらも神様を選んでやって来たんだ。そこを見てあげなくちゃいけない。

それからなぜ遅れてもうれしそうに入ってくるかということだけど、彼らはね、『あ、1時間も遅れてしまった』と考えるじゃなくて、『あ、よかった、まだ礼拝は終わっていない』と思ってそれで喜んで入ってくるんだ。」

夫のこの説明をきいて、私は彼らのことが前よりもよく理解できるようになったと同時に、自分のうちにしつこく巣食うパリサイ精神を見た気がしました。

恵みの道とはなんと細いものでしょう。放縦主義を警戒しているうちに、気がつくとパリサイ主義に陥りかけている自分を発見するのです。

先週、ある兄弟が顔中あざだらけで教会にやって来ました。未信者と殴り合いのけんかをしたそうです。彼は折れた鼻にギブスを付けたまま「恥ずかしげもなく」教会にやって来て、そして神の前で全ての人の前でその罪を告白し悔い改めました。

私はこういう人たちの中にいると自分がもっとも自然でいられることに気づきました。彼らは一般に教育程度が低く、世間的にいういわゆる「無教養な」人々かもしれませんが、とってもストレートでシンプルな人々です。社交辞令とか表面的な話とかはまったく必要ありません。だから彼らと一緒にいると心地良いし、疲れないのです。

彼らにとっては私が中卒なのか高卒なのか大卒なのか、そういう事はいっさい大切ではありません。ただ私を一人のキリストにある姉妹として受け入れ慕ってくれているのです。

私は彼らの間で「奉仕」するために遣われてきましたが、むしろ私こそ彼らから恩恵を受けていることに気づきました。私こそ、このおさな子のような人々に愛され、支えられているのです。

私は今もって「恵み」を定義することができないし、はたして自分が、多くの人の言う「恵み」の中にいるのかよく分かりません。これに関する書籍を読めば読むほど私は混乱してしまうのです。

定義はできないけれども、でも私は恵みのうちに生きるということがどういうことかを周りの尊い人々から学んでいます。そして今後もっと主がこの分野において私に理解を与えてくださるよう祈っています。

そして、私にとってかけがえのない、この「ならず者たち」と一緒に信仰の旅を続けていきたいです。

付録)ペルシャ語の賛美です。私のこれまでの経験からいうと、以下のようなリズムおよび音階が彼らの心に響くようです。中央アジア・中東圏の人々に重荷のある方はご参考になさってください。


↓ ペルシャ人は詩を愛する民族です。これは、セペル牧師の信仰詩(Christian poem)に独特の抑揚をつけて詠った賛美です。こういう種類の賛美も非常に受け入れられています。




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