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この探究の旅は いつ終わるのだろう


ある意味、それは

仲保者イエス・キリストの名によって

神に向かって差し出された わたしたちの手が

主の御手を感じ


主がそこにおられるということを知るとき


そのとき

終わるのかもしれない



しかしまた 一方において

この探究は けっして終わることがない



なぜなら 

最初の発見は またたくまに 

次なる問いを引き起こし

その問いはさらに別の問いを生じさせる――


こうして探究は はてしなく続いていく



これを書いている時分 夜が明けてきた


はるかかなたの地平線にのぼりゆく太陽の 

まばゆい光点がみえる


しかし 

厚い雲が すぐにそれを覆ってしまった



光を背にした雲は 照り輝き


ピンクと黄金色の 美しい層が

薄もやのような覆いの切れ目から 

のぞいている


一心に天をみつめている私の目に

栄光に次ぐ栄光が 顕わされる



神との関係においても 

同じことがいえるのかもしれない


神がおられるということを知ること――

それは 

探究の出発点にすぎないのだ



私たちは 

主がどのような方であるかを求めるよう いざなわれ


その探究は けっして終わることがない



なぜなら

探究の道を進めば進むほど


ますます それは深みを増していくからだ



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(Isobel Kuhn, By Searching, Chapter 10より抜粋 翻訳)


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(執筆者:デイヴィッド・ベルソー)

米国では、一人で自活できなくなった高齢者の方々の大半は、子どもたちの所に身を寄せるか、老人介護施設に入所することが可能です。メディケア(高齢者向け医療保険制度)により、介護施設に入る費用もカバーされる場合が多いです。ホンジュラスでもほとんどの家族は高齢の親を介護しています。

しかし、ホンジュラスではここ数十年、若い人々が大都市に行き、田舎や小さな町に住む高齢の両親を捨て去るケースがとみに増えています。

ホンジュラスにはメディケアのような制度がないため、行き場を失った老人が多数います。その結果、生涯最期の月日(時には何年も)道ばたで過ごさざるをえないお年寄りも多く存在します。

こういったお年寄りの惨状に心を痛めたキリスト者医師(スィグアテペクエ市に在住のコレア博士)が立ち上がり、貧困に苦しむ高齢者のための老人ホームを始めました。この老人ホームは町を出てすぐの田舎にあります。

(現在のところ)このホームでは、十分な医療ケアを提供することができない状態にありますが、それでも入居者は少なくとも清潔な場所と健康的な食事をとることができています。

ケア・ワーカーはまた入居者の方々のために洗濯サービスも行っています。入居費用は一切とっていません。コレア医師は、文字通り、道端で死にかかっているお年寄りをホームに引き取り、こういった方々が地上での最期の日々を尊厳をもって、また平安のうちに終えることができるよう尽力しています。

このヴィラ・デル・セロにはこれを支援・援助する組織も教会もありません。このホームはその運営にあたり、個々人の自発的な寄付に依っています。

ヴィラ・デル・セロには現在、男女合わせて21人の入居者がいます。この中には、動脈硬化症を患う男性の方や、ダウン症の成人息子を抱えた高齢者の父親などがいます。

ホームには四人のケア・ワーカーが住んでいます。この四人の方々は食事を作ったり、そうじ・洗濯をしたり、その他、入居者のさまざまなニーズにこたえています。現在のところ、この四人は入居者と同じ部屋で寝泊まりしています。

しかし、コレア医師は将来的に、ケア・ワーカーに別室を提供することができたらと考えています。そうすることで良いケア・ワーカーを雇うことがより容易になり、空いた寝室のスペースにさらに多くのお年寄りが寝ることができるようにもなります。

これを受けて、私たち(the Society of the Good Shepherd)はヴィラ・デル・セロと協同して、ケア・ワーカーのための建物を建てる働きをしています。今年の三月、私たちはその工事に着工することができました。

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ペンシルベニア州からメノナイト教会の若者たちがホンジュラスにやって来て、このプロジェクトはスタートしました。兄弟たちは切削機の使い方を学ぶや、わずか数日のうちに、かなりの量の仕事をこなすことができたのです。

米国に帰国する前に、彼らは、建物を建てる上での土台づくり、そしてコンクリートの角材やれんがを一階部分に敷き詰めることができました。一方、姉妹たちは建物中を大掃除してくれました。

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現在、私たちは二階部分を作ろうとしています。そのためには、ボランティアの方々および資金が必要です。感謝なことに、ホンジュラスでは建築費というのは比較的安価です。実際、五千ドルあれば、工事を完了させることができるように思います。もし今夏、ケア・ワーカーの方々のための部屋を完築することができればどんなにいいかと思っています。

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The Society of the Good Shepherd, P. O. Box 122, Amberson, PA 17210 • (717) 349-7033

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(新緑と小川)

日本ではきっと紫陽花の花がいたるところで咲いていることと思います。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

内村鑑三は、私たちに与えられている一日一日を「短き一生涯」にたとえ、次のような美しい文章を書いています。

一日は、私どもにとりては短き一生涯であります。朝生まれ、昼働き、夜は復活の希望をいだいて眠りの床につきます。かくて私どもには一年に三百六十五回の生涯があります。なんと楽しいことではありませんか。

神の命され守ればよろしいのであります。世がいかに成り行こうが、人が私どもについて何と思おうが、これ私どものいかんともすることのできないことであります。私どもは正義ありのままを実行して、他はこれをことごとく神に任すまでであります。幸福なる生涯の秘訣は、単にこの一事にあると思います。
   (『内村鑑三信仰著作全集』19巻 p76)



すがすがしい朝に生まれ出、昼には任せられた持ち場で最善をつくし、夜は復活の希望をいだいてやすらかな眠りの床につく――そんなすてきな「一生涯」を一日一日と積み重ねていくことができたらと思っています。

さて、先日、相補主義キリスト者へのレター(ココ)を翻訳してご紹介しましたが、これに関して、次のようなコメントをいただきました。

つまらない補足ですが『テモテ2』になりますとこれはパウロの言葉ではありません。牧会書簡という別人による書になります。
「静かにしていなさい」はパウロにしては何だか威圧的ですが、そうしていて貰いたい後世の指導者がこの手紙を書いたようです。

コリントの信徒への手紙1、 14章34節~
「聖なる者たちの すべての教会でそうであるように、婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには 語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」
 
ここも変に威圧的ですが(祈りもダメ?)、この部分は後世の挿入であるとされ、初期の写本には欠けている部分です。
やはり婦人には黙っていてほしい誰かが書き加えたようです。
無理に聖書に範をとる必要性はないのではないでしょうか。



これに対して、私は次のようなお返事を書きました。

コメントをありがとうございます。

『テモテ2』はパウロの言葉ではないというご意見ですが、2テモテ1:1には、「神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロから」と書いてあります。Kさんが、これを「(パウロではない)別人による書」と考えておられる論拠を、できましたら出典も挙げて詳しく示してくださいますか。

> コリントの信徒への手紙1 14章34節~
> 「聖なる者たちの すべての教会でそうであるように、婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには 語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」  
> ここも変に威圧的ですが、この部分は後世の挿入であるとされ、初期の写本には欠けている部分です。
> やはり婦人には黙っていてほしい誰かが書き加えたようです。

この部分の解釈に関しても、ご質問させてください。「初期の写本には欠けている」とおっしゃっていますが、具体的にどの写本のことを指しているのか、どうか教えてください。

「この部分は後世の挿入であるとされ」ということにしても、後世とは何世紀のことか、具体的に誰がその説を唱えているのか、詳しく教えてください。

といいますのも、1コリント14章のここの聖句は、初代教会のテルトゥリアヌスによっても、キプリアヌスによっても、すでに引用されており、その意味においても、後世挿入説というのは、史実性に欠けたものであるといえるからです。
(出典:Tertullian, Ante-Nicene Fathers vol 3, pp677, Cyprian, Ante-Nicene Fathers vol 5, pp 546)



まず、いただいたコメントの前半部分、つまり、「Ⅱテモテへの手紙はパウロとは別の人物によって書かれた書である」というご意見ですが、これについてのジョン・マッカーサーの論述を以下、ご紹介いたします。

☆☆☆

多くのモダニスト批評家たちは、聖書の明瞭な言明を攻撃することをよしとし、確固とした理由もなしに、パウロが牧会書簡(第一、第二テモテ、テトス)を書いたことを否定しています。

手紙それ自体の証言(1テモテ1:1、Ⅱテモテ1:1、テトス1:1)および初代教会の証言を無視した上で、こういった批評家たちは、「二世紀に、パウロの忠実な追従者が牧会書簡を書いた」と主張しているのです。その裏付けとして、こういった方々は以下、五つの「証拠」を挙げています。

1.牧会書簡における歴史的言及は、使徒の働きに書かれているパウロの生涯の年代と調和しえない。

2.牧会書簡で述べられている偽りの教えというのは、二世紀における、完全に進展した形のグノーシス主義のことである。

3.牧会書簡で述べられている教会の組織的構成は、二世紀のものであり、パウロの生きた時代にしては、発達しすぎている。

4.牧会書簡には、パウロ神学の主要なテーマが網羅されていない。

5.牧会書簡には、パウロの他の手紙にも、また残りの新約聖書の中にも含まれていないギリシア語の語彙が多く含まれている。

こういった説の不当性について、マッカーサーは以下のように、各主張点に関し応答をしています。

主張点1.牧会書簡における歴史的言及は、使徒の働きに書かれているパウロの生涯の年代と調和しえない。



[応答] この主張が正当性を持つのは以下の場合に限ります。すなわち、使徒の働きで言及されているローマでの投獄からパウロが釈放されなかったなら、の話です。

しかし実際、パウロは釈放されました。というのも、使徒の働きには、パウロの処刑についての記録はなく、パウロ自身、自分が釈放されることを予期していました(ピリピ1:19、25、26、2:24、ピレモン22)。

牧会書簡の中の歴史的出来事が、使徒の働きの年代記に適合しない理由は、これらの出来事が、ローマにおけるパウロの第一回目の投獄をもって幕を閉じる使徒の働きの終章以後に起こったものだからです。

主張点2.牧会書簡で述べられている偽りの教えというのは、二世紀における、完全に進展した形のグノーシス主義のことである。



[応答] 牧会書簡の中で言及されている異端と、二世紀のグノーシス主義との間には類似性があるものの、両者の間にはまた、重大な相違点もあります。

二世紀のグノーシス主義と違って、牧会書簡の中の偽教師たちは、依然として教会内におり(1テモ1:3-7参照)、こういった偽教師たちの教えはユダヤ主義的律法主義に基づくものでした(1テモ1:7、テトス1:10、14、3:9)。

主張点3.牧会書簡で述べられている教会の組織的構造は、二世紀のものであり、パウロの生きた時代にしては、発達しすぎている。



[応答] 牧会書簡の中で述べられている教会の組織的構造は、実際のところ、パウロによって確立されたそれと一致しています(使徒14:23、ピリピ1:1)。

主張点4.牧会書簡には、パウロ神学の主要なテーマが網羅されていない。



[応答] 牧会書簡には、パウロの神学の中心的主題がしっかり言及されています。例を挙げると、聖書の霊感(Ⅱテモ3:15-17)、選び(Ⅱテモ1:9、テトス1:1-2)、救い(テトス3:5-7)、キリストの神性(テトス2:13)、キリストの仲介者としての働き(Ⅰテモ2:5)、身代わりの贖い(Ⅰテモ2:6)などです。

主張点5.牧会書簡には、パウロの他の手紙にも、また残りの新約聖書の中にも含まれていないギリシア語の語彙が多く含まれている。



[応答] 牧会書簡における異なる主題については、パウロのその他の手紙とは違う語彙が必要とされます。今日の牧師であっても、同僚の牧師に宛てて書く個人的な手紙の中の語彙と、組織神学書を書きあげる時に使用する語彙は当然異なっているのと同様のことです。

また、「敬虔なるねつ造者」が牧会書簡をしたためたという説は、さらにいくつかの難題を抱え込んでいます。

①初代教会はそのような行為を是認しませんでしたし、そのようなことが万一にも実際に起こっていたとしたら、間違いなくそれを邪謀として暴露していたことでしょう(Ⅱテサ2:12、3:17参照)。

②同じような題材が含まれ、そして逸脱した教義もない、そのような三書簡をなぜわざわざ「ねつ造」するのでしょう?

③もしそれが偽物なら、なぜ使徒の働きと整合するような旅程をパウロのためにでっち上げなかったのでしょうか?

④後世の敬虔なパウロの追従者が、パウロになりかわって、Ⅰテモ1:13、15のような言葉(「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした、、」)を書いたとでもいうのでしょうか。

⑤なぜこの「追従者」は、詐欺師たちに対する警告を、書簡の中に書き入れたのでしょうか(Ⅱテモ3:13、テトス1:10)。――そういう彼自身が他ならぬ詐欺師であるのに!

結語

第一回目のローマでの投獄から釈放された少し後に、パウロがⅠテモテとテトスへの手紙を執筆したことは明らかであり(紀元62-64年)、一方、Ⅱテモテは、死を直前にしていたパウロが、第二回目のローマでの投獄中に執筆したものです。
(出典:The MacArthur Study Bible, New American Standard Bible, 2006, p 1826-7)

また、いただいたコメントの後半部分、

コリントの信徒への手紙1  14章34節~
「聖なる者たちの すべての教会でそうであるように、婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには 語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」
 
ここも変に威圧的ですが(祈りもダメ?)、この部分は後世の挿入であるとされ、初期の写本には欠けている部分です。
やはり婦人には黙っていてほしい誰かが書き加えたようです。
無理に聖書に範をとる必要性はないのではないでしょうか。



この部分についてですが、Ⅰコリント34-35節が、パウロによって書かれたものではなく、後世に誰かによってつけ加えられた改ざんであるといういわゆる、「後世挿入説」についても自分なりに調べてみました。

これが一部の論者の間で人気を博し始めたきっかけは、1987年に出版されたゴードン・フィー氏の注解書(Gordon D. Fee, The First Epistle to the Corinthians,NICNT; Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1987)の新解釈に発端しているようです。

この新解釈に対する詳しい検証記事(D.A.Carson, 6. "Silent in the Churches": On the Role of Women in 1 Corinthians 14:33b-36, https://bible.org/seriespage/6-silent-churches-role-women-1-corinthians-1433b-36#P19_3336、特に第二章部分 II. The Text-Critical Question)があります。

初期の写本のことも含めて、この新解釈の問題点について、明瞭に詳しく論述されています。ご関心のある方は、どうぞお読みになってみてください。

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うれしいことに今日、ヨベルの角笛さんという方から下のようなコメントをいただき、この方のお書きになった、Ⅰコリント11章のかぶり物についての検証記事を拝読する機会を得ました。

女性の「かぶり物」についての記事はとても少ないように思います。 私も長年、この記述は何度読んでもよく分からないと感じていたので、ある時(2年ほど前になりますが)意を決して、分析してみることにしました。



A4で8ページにも渡る徹底検証記事です。→ コリントⅠ11章の女性のかぶり物についての考察 興味のある方はぜひお読みください。

なお、本記事の中で、

また「女性の髪はかぶり物の代わりに女に(神から)与えられている。」とも述べています。 それは言い換えれば、かぶり物が必要な場合でも、自前の長い髪で代用できる。ということと 同じであろうと思えます。


という記述を拝見いたしました。布のかぶり物の代わりに、長い髪で代用できるか否かということについては、私もこれを機に再度リサーチしてみようと思いました。

また、ヨベルの角笛さんのサイトを拝見させていただきましたが、氏は、かつて30年以上、エホバの証人として指導的な立場にいらっしゃったそうですが、あることがきっかけとなり、ものみの塔の教義が聖書と明らかに食い違っていることに気づき、脱会されたそうです。プロフィールのところには次のように書いてありました。

しかし、私自身の背景もあり、また同じ背景にある、もしくはあった「エホバの証人」の教理、解説が、聖書の記述とは明らかに違っていることや、エホバの証人が「ものみの塔」に騙されている決定的な証拠を、聖書そのものから、歴然とした証拠を示す記事を多く掲載していますので、特に「エホバの証人」との関わりがある方々に是非読んで頂ければと思います。www.yoberu-t.com



私の嘆願レターに誠実に応答してくださったヨベルの角笛さんに、この場をかりてお礼申し上げます。


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ジェシカ姉妹は、このブログに何度か登場していますので、すでにおなじみになっているかもしれません。今日は彼女の赤裸々な葛藤をつづった手記をご紹介します。私が彼女を愛しく思っているのは、彼女が正直きわまりない人だからです。

彼女は自分の現状をいつわりません。失敗し、倒れながらも、そのプロセスを神様の前に、そして私たち隣人の前に告白し、祈りを求めています。このような魂を神様はどんなにか愛しておられることでしょう。

それではお読みください。

前篇(出典:ココ

今日はみなさんに、「祈りのベールをする上で困難を覚える点」について、私自身の体験をお話したいと思います。

どうして祈りのベールはこんなにも大変なのでしょうか。私にとって困難な点の一つは、「見てすぐに分かる」という点にあります。

例えば、こんな感じです。(クリスチャンである)私は十字架のネックレスをつけています。そしてはい、ある日、私は八百屋さんに入りました。そしてそこで私はレジの女性と言い争いになりました。

すると当然私はそこに矛盾を感じます。なぜなら、信仰の象徴である十字架を首にぶらさげながら、私の行動はそれとは別のメッセージを放っているからです。「あなたクリスチャンですよね?それなのに、なんでそんなことしてるんですか?」と、、、

もしあなたが祈りのベールを着けるなら、もうそこには疑いようもないあるサインが出されてしまいます。

というのも、「この人は、さぞかし敬虔で、成熟していて、清い神の女性のはずだ」って暗黙のうちに人は思うからです。私だってそうなりたいんです。

でも正直に打ち明けます。私は本当に、ほ・ん・と・う・に、従順という点で葛藤しています。

「柔和で穏やかな霊、、これこそ、神の御前に価値あるものです」(Ⅰペテロ3:4)という聖句、みなさんご存知だと思います。はっきり言いますが、私にはこれがありません。――まだ今のところは。

私は柔和な人ではありません。穏やかな人でもありません。ああ、いったいどうなっているのでしょう?

たぶん、穏やかさに関する私の定義自体、ゆがんでいるのかもしれません。もしかしたら、穏やかさというのは、自分の口から出てくる言葉をコントロールすることに相当するのかもしれません。

もし口に出す前にちゃんと熟考できたとしたら、私は黙っていることができるのかもしれません。そうしたら、今よりは穏やかになれるのかもしれません。

それから柔和さ。これって何でしょう?砂糖たっぷりのケーキのように、いつも甘い感じで、物腰がやわらかく、大胆なことを何もしでかさない、、、これが柔和さなんでしょうか?私には分かりません。

それで問題は何かというと、私、すごく強い意見を持っているんです!しかもそれを言わずにはいられないんです。

何かいいアイデアがひらめくと、誰かに言わずにはいられない、そんな感じです。それでもし相手が自分のその案に賛同してくれなければ、なんとか説得しようとしてしまいます。

ああ、私は自分が怪獣のように感じる時があります。私のエゴは巨人です。簡素で短いえんぴつ書きのミニ・メッセージで十分いい時に、私は壁一面にスプレーで言葉をまき散らしてしまいます。

それなのに、ああ、夕方には、テーブルを囲んで家族での礼拝がもたれます。そして椅子の背もたれには祈りのベールがかかっています。もちろん、それを着けます。そうしなければ、主への不従順となりますから。でも良心がうずきます。ああ、かぶり物はどうしてこんなに大変なんでしょう?

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(下げ振り糸)

後編

大工さんたちは、建物がまっすぐに作られているかどうかを確認するためのいろんな道具を持っています。その一つが下げ振り糸です。これは柱や壁などが垂直かどうかを調べるための道具で、糸の端に真鍮の逆円錐形のおもりをつるしたものです。

私にとって、祈りのベールというのはこの下げ振り糸のようなものです。これは神の御手の中にある道具で、私の態度が主の御旨にかなっているかどうかを表すものです。

だから、(自分のような人にとっては)祈りのベールというのは大変なのです。「こうあるべき」自分と、現状とのギャップ、そしてそれに続く「調整プロセス」がよく「見える」のです。

ある方がこんなことを書いていました。かぶり物というのは実際、とってもシンプルで分かりやすいものだと。布が女性の頭の上にのっており、彼女がその布の「下」にいる=自分が権威の「下」にいるということが示されているのです。

これ以上ないほど単純明快です。しかもとっても分かりやすい。だからこそ、――結婚指輪や、夫の姓や、慎み深く女性らしい服装といった置き換え品などではなく――ベールだけが、権威への従順をあらわすシンボルとしてその働きをなすのです。

つまり、かぶり物だけが、女性の頭をおおい、彼女がその「下」に置かれるということを文字通りに示すシンボルなのです。

だからこそ、ここに私の葛藤が存在します。なぜなら、私は祈りのベールが表しているものと相いれない行動をとっているからです。だから難しいのです。

私は自分が権威の下にあるかのようには振舞っておらず、その反対に、その権威から独立した存在であるかのように行動しています。さらに言えば、それに反逆さえしている時もあります。

だからこそ、と私は思います。――多くの女性がこれを受け入れたがらない理由もここにあるのかもしれないと。かぶり物の意味というのはすぐに分かります。でもそれが意味していることに自分が実際に従うとなると話は違ってくるのです。

編集あとがき

この告白を読んだ後、私は次の詩を彼女に贈りました。


長く 暗い階段を 私は登っていった

わが神を求め 

つまずきながら


少しずつ 少しずつ

足場を得ていく


それなのに すべり また足場を失ってしまった



まったく前に進まない

それでも がんばった


弱々しくしがみつき 

よろめく意志を奮い立たせながら




血を流すほど 必死に 

神の元へ登っていこうとしていた



それなのに、神は知らぬ顔をし

おだやかにほほ笑んでおられるだけ



そんなある時 私は足場を失い

下に落ちていった



ごろごろと 一番下まで



今までの頑張りが すべて水の泡になった



絶望し 私はそこに 横たわっていた


すると段の上の方に 足音がきこえた


私が 落胆し 

よろめき
 
落ち 

横たわっていた


その同じ道にー



見よ。希望が尽きた時

わが神は 私のもとに 降りてきてくださったのだ



オズワルド・チェンバーズ(Christian Disciplinesより 私訳)




先日、英語ブログに「聖書を読む際に、いかにして自分の偏見や先入観に対処すればいいのでしょうか(here)」という記事を書いたのですが、それに対して、アイルランドのある熱心なカトリック信者の方からコメントをいただきました。

ご存知のように、アイルランドでは現在に至るまで長い間、カトリック・プロテスタント間の争いが絶えず、政治的にも宗教的にも大きな問題となっています。(北アイルランド問題 ウィキペディア

Protestant_graffiti_in_Belfast,_Northern_Ireland,_1974
(「あなたは今、プロテスタントのテリトリーにいる」と書かれた壁の落書き)

そういう状況の中――私が非カトリックであることを知りつつも――、心を開いて対話を求めてこられたこの方の姿勢に私は心を打たれました。今日はこの方のコメントと、それに対する私の応答レターをご紹介したいと思います。

[以下、カントゥスさんからのコメント]
これ以上不必要な分裂を生じさせたくはないのですが、私はカトリック教徒として、次のようなことを信じています。

聖霊はご自身の聖なるカトリック(普遍の)教会を守ってくださるということです。イエス様はこうおっしゃっています。

「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」マタイ16:18

昨今の教理的カオス状態――つまり、イエス様についての正しい信仰体系がいったい何なのかということについて誰も知らない状態――をみると、ハデスの門が教会に打ち勝っているような感を覚えるかもしれません。(というのも人がいかにして救われるのかということについて誰も確信がないからです)

しかし、そういうことはありえません。なぜなら、イエス様が偽りを言ったり、間違っていることはありえないからです。しかしそうは言っても、中世から今日にかけて、いつも「異端」と呼ばれるグループ(真の信仰とは正反対のことを信じ、教えていた人々)が存在していました。

たとえば、グノーシス派は肉体を忌み、結婚を禁じ、パウロおよび使徒の教えとは矛盾する教えであるにもかかわらず、「われわれはイエスにより、秘儀の知識を受けた」と主張していたのです。彼らは間違っており、人々を偽りの信仰に導き入れました。こういった人々はもはや私たちと共にいません。同様に、アリウス派、キリスト単性論者、キリスト単意論者、聖像破壊者などがいました。

このように私たちを真理から引き離させようとする人たちがいつの時代にもいます。それでは私たちはどのようにして「まことの教会」が何かを知ることができるのでしょうか。

それは真実に「絶対誤りのない(infallible)」導き手、牧者を持つことによってです。

私たちカトリック教徒は、これが聖なる、カトリックおよび使徒教会であると信じており、イエス・キリストがペテロを岩として建てた時――主ご自身によって建てられた教会そのものであると信じています。(*訳注:「絶対に誤りのない」というのは、1870年の第一バチカン公会議において教義として正式に宣言された教皇不可謬説に基づく、カトリック信者の教皇観を表す表現だといえるのではないでしょうか。)

これにより、私たちは聖書が真に意味しているところを知ることができ、いかにして救われるのか確かに知ることができるのです。私たちはプロテスタンティズムの間に見られる混沌状態をみて、嘆き悲しんでいます。

というのも、あなたがたは聖書の解釈にあたり、個人をその最終的な権威にしており、その結果、どんな混乱が起こっているかを私たちは目の当たりにしているからです。

――見てください。プロテスタントにはなんと多くの分派があることでしょう。そしてその大半はお互いに反発し合っています。そしてその多くは和解不可能なほどに教えを異にしています。これがはたして神の望んでおられることでしょうか?次の御言葉を読んでください。

「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」ヨハネ10:16

だから私たちは「唯一のまことの教会」を受け入れるのです。なぜなら、それなしには、上に挙げたイエス様の御約束を不真実なものにしてしまいかねないからです。

あなたを不愉快にしてしまったのでしたらごめんなさい。しかしカトリック側からの見解をここで述べておく必要があるように感じました。



これに対して私は以下のようなお返事を書きました。

真摯なコメントをありがとうございます。あなたの正直さとストレートさに敬意を表します。また、あなたのうちに主と主の教会に対する聖なる情熱があるのを感じました。それはとてもすばらしく、また美しいものです。

またプロテスタント教会の現状についてのあなたのご指摘は正しいものです。主の民が分裂し、お互いにいがみ合うというのは本当に嘆かわしいことです。主イエスよ、私たちをお赦しください。

カントゥスさん、教会のことについて、私が現段階でどのような見解を持っているかについてお分かち合いさせてください。「唯一のまことの教会」という点についてですが、私はそれが実際に存在することを信じています。

しかし私の理解では、それは(究極的な意味で)「目に見えない」ものです。つまり、その「唯一のまことの教会」は御霊を宿すまことの信者で構成されているのです。

例えば、教会史を読むと、異なる教派に属していたさまざまな信者の生涯のうちに、私は聖霊の真実なる顕現をみます。

私はいくつかの理由により、カトリック教会に属していません。しかし同時に、私は教団教派の名前によっては、境界線を引いていません。

私は教理や教えに関してとても真剣ですが、また同時に、「神の恵みは、私たち人間のこしらえた神学ボックスより常に大きく高いものである」と思っています。例えば、あなたは本物の信仰者だと私は思います。そしてプロテスタント諸教会の中にも同じように、本物の信仰者がいるのです。

カントゥスさん、心を開いてコメントを書いてくださりありがとうございます。ここで私はもう一つお分かち合いしたいことがあります。これは非常にデリケートなテーマだということを承知していますが、あなたが心を開いてくださったように、私も心を開いてあなたに書こうと思いました。それはオリバー・クロムウェル(1599-1658)のことです。

OLIVER CROMWELL

ピューリタンであるクロムウェルは何年にも渡り、私にとっての英雄でした。しかし数年前、クロムウェルが生きた時代についてリサーチしたことがきっかけとなり、私は自分のそれまで描いていた「クロムウェル像」とは違う彼の一部分を発見したのです。私は彼および清教徒軍によるアイルランドへの血なまぐさい悲劇的な侵略行為について読み、本当にショックを受けました。

クロムウェルはローマ・カトリック教徒 (アイルランド人口の大多数) に対する刑罰法 (Penal laws) を可決させ、彼らから大量の土地を没収した。議会軍によるアイルランド再占領は残忍を極め、そのためクロムウェルは現在でもアイルランドで嫌われている。
English Civil War

この悪行に対するクロムウェル (彼は最初の1年は直接指揮をとっていた) の責任の範囲は、今日においても激しい議論の対象である。クロムウェルのアイルランド侵略 ウィキペディア


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(「妥協か、それとも衝突か?」と書かれた壁書き、北アイルランド、ベルファースト)

クリスチャンが自らの宗教的目標を達成するべく、この世の政治権力を行使しようとする時、その結果はほとんどいつも流血の惨劇に終わる――そのことを私は学んできました。イエス様の御国はこの世のものではありません(ヨハネ18:36)。

Catholic Protestant conflict in Ireland
(2011年、北アイルランド、ベルファースト)

読んでくださって、ありがとうございました。神様の祝福がありますように。



すばらしいことに、この方との出会いを通して、今まで漠然としていた「アイルランドの人々」というのがぐっと近くなった気がします。大阪の方と親しくなれば、大阪に親しみを感じるようになり、あるいは、熊本の方と交わる機会が与えられることで、その地域およびそこに住むクリスチャンが近くなります。これについてはきっと、みなさんも同感してくださると思います。

神様は私たちがお互いに愛し合い、祈り合うために、時にかなって、このような出会いを与えてくださるのだと思います。

最後に、カントゥスさんからの再度のお返事の一部をご紹介して終わりにさせていただきます。

[アイルランドにおける同性婚合法化とそれに伴う、人々の霊的危機状況について述べた後で]、、 どうか、私たちのためにお祈りください。私たちアイルランドの民が分別力を持つことができるように。そして、たとえそうでなくても、少なくともクリスチャンが――今後どんな困難な状況の中に置かれるとしても――真理を証しし続けることができるように。

今はおそろしい時代です。しかし(隠喩的な意味での)ローマが陥落しても、新しいエルサレムは決して倒れないという信仰を私たちは持っています。聖書に書いてあるように、勝敗はすでに決定しているのです。ですから私たちに必要なのは、最後の最後まで勝利者イエスの側にとどまり続ける勇気と信仰、言いかえれば、耐え抜く信仰だと思います。



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「祈りのベールは文化的なもの?コリントの売春婦のことはどうなんですか?」――1コリント11章のかぶり物について Is Head Covering Cultural? What about the Corinthian Prostitutes?

(出典:http://www.headcoveringmovement.com/articles/is-head-covering-cultural-what-about-the-corinthian-prostitutes)

反論:パウロが生きていた当時、売春婦は髪を短くし、かぶり物も着けていませんでした。当時のコリント文化では女性がかぶり物を着けるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、かぶり物は今日の私たちには必要ないのです。


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当時の文化について考察することは助けになることもしばしあります。しかしある聖書の掟に対し、聖書記者が意図したものとは違う理由を私たちがそこに付与しはじめる時、その試みは危険なものになります。

R・C・スプロールは次のように言っています。

「もしパウロがコリントにいる女性に対しただ単に『かぶり物を着けなさい』と言っただけで、そういった指示を出した根本的理由を説明していなかったのだとすれば、私たちはその理由を見出すべく、自分たちの文化的知識に頼らざるをえなかったかもしれない。

しかしここでの場合、パウロは、――コリントの売春婦の慣習云々ではなく――創造の秩序をその理論的根拠として挙げている。」1



また彼は続けてこうも言っています。

「文化的背景を知ろうとする熱心によってかえって、(聖句で)実際に述べられていることがぼかされ不明瞭にされることのないよう気をつけなければならない。」2



1コリント11章で、パウロは1)創造の秩序、2)自然が証言するところのもの、それから3)御使いのことにその根拠を求めており、それらはいずれも文化を超越するものです。

パウロは、かぶり物というのはれっきとした使徒的な教えの一部であること、それからすべての教会で行われている慣習であることを述べています。ということは、コリントの地域的状況をもってしてはかぶり物のことを説明できないということになります。というのも、かぶり物はコリント外部でも尊守されていた一般的慣習であったからです。

パウロは前の方の手紙で、その当時の状況ゆえに出した指示について言及しています。1コリント7:26をみると、「現在の危急のときには」男はそのままの状態にとどまるのがよいと勧めています。

さて、パウロはかぶり物のことについてもこれと同様のことを言えたはずです。でも彼はそうしませんでした。なぜなら、「当時起こっていたこと」が、彼がかぶり物についての命令を出した理由ではなかったからです。

それに加え、パウロは同じ文の中で、男性に対し、かぶり物を取るよう命じていますが(1コリント11:4)、これは「女性だけのことを取り扱っていた状況」ということでは説明のつかないことです。

1000人の神殿娼婦(売春婦)

なぜかぶり物に関する文化的解釈を拒むのかということですが、前述した解釈学的な根拠に加え、そこにはれっきとした歴史的根拠も存在しているからなのです。

文化的解釈をしている方々の大半は、コリントのアフロディーテ神殿にいた1000人の神殿娼婦をその主張の根拠にしています。

その主張について検証する前に、私たちはコリント市についての簡単な歴史概説を行なう必要があるでしょう。ディルク・ジョンキンド(ケンブリッジ大博士号)は、次のように言っています。

「紀元前146年にローマによって破壊される前、コリント市は、輝かしい古代ギリシアの過去を誇っていた。しかし紀元前44年にこの都市が再建された際には、ギリシア都市としてではなく、ローマ植民市として再建されたのである。」3 


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ですから、古代ギリシアのコリント市は破壊され、それから百年後にローマ植民市として再建されたのです。

神殿娼婦についての引用される一次資料としてはギリシアの地理学者ストラボン(前64ないし63~後24)の著書があります。ストラボンは各地を旅し、そこで見たものを「ゲオグラフィカ」という本に記しました。

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彼はこう言っています。

「アフロディーテ神殿は非常に豪奢なものであった。そのため神殿には千人以上の神殿奴隷、売春婦がおり、男女共に神々に捧げられていた。」4



ここで気をつけていただきたいのが、「豪奢なものであった」の下線部分です。ここは過去形になっています。

ストラボンは、パウロが1コリントへの手紙を書く約三十年前にこれを記していました。そして彼はここで自分が執筆していた当世のことではなく、今は亡きコリントの古代都市のことを言及していたのです。

ストラボンはまた次のようにも記しています。「コリント人たちの都市は、あの当時(then)、いつも偉大にして豪富であった。」5 

ここで鍵となる言葉は「あの当時(then)」それから「であった(was)」です。

それとは鋭い対照をなし、ストラボンは山の頂から――「非常に豪奢で、そのため神殿には千人以上の神殿奴隷、売春婦がいた」ような古代のアフロディーテ神殿ではなく――「アフロディーテの小さな神殿」を見たのです。6、7

デイヴィッド・W・ギル(オックスフォード大博士号)は「1コリント11:2-16におけるかぶり物に関するローマ肖像画の重要性」という論文の中で次のように述べています。

女性たちが売春婦もしくは高級娼婦に間違われないようにパウロはベール着用を促していたという見解がある。

こういう見解が存在する理由の一つとして、コリント市のことを、――売春婦たちが街を自在に徘徊するような「性快楽に取りつかれた」都市――として解釈していることが挙げられよう。

しかし、アフロディーテのカルトに関連した千人の高級娼婦およびそれに付随したコリントの悪評というのはあくまで、紀元前146年にムミウスによって一掃された古代ギリシアの都市にまつわるものである

それ(古代ギリシアの都市)とは対照的に、ローマ神殿はずっと謹勅であった、、8



ギル博士は、コリントが確かに性快楽の悪評高い都市であったこと、そしてアフロディーテ神殿に千人余りの神殿娼婦がいたことについては同意しています。

しかし、それはあくまで古代コリント市の存在していた時代のことであり、その古代都市は、パウロが1コリントへの手紙を書く200年前にすでに破壊されていたのです。

売春婦に間違われないために?

上に挙げた見解とセットになって打ち出される主張というのがこれです。つまり、「もし女性がかぶり物を着けていなかったら、彼女たちは売春婦に間違われてしまっていただろう」というものです。

しかし、この主張は根拠のないものであり、またこれが事実無根であることを立証するしっかりした理由も存在します。これに関し、ギル博士は次のように説明しています。

コリントの女性たちを形どった大理石像――おそらく裕福な名家の女性たちがモデルであると考えられている――の大部分は頭にベールを着けていない彫像である。ここから、ローマ植民市においては、「女性が公の場でベールを着けないでいることは社会的に認められていた」ということが示唆されるのである。9



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ギル博士が指摘しているように、こうした考古学的な証拠からも、当時の女性たちがベールなしでいたことが普通のことであったという事実が立証されるでしょう。もちろん証拠はこれだけに限ったものではありません。

男性はどうなのか?

パウロはまた男性に対して「祈る時や預言する時にはかぶり物を着けてはならない」と命じています(1コリント11:4)。ですから、男性が頭に何かをかぶっているというのは当時文化的に奇妙なことだったのか、それも見てみることにしましょう。

リチャード・E・オスター(プリンストン神学大博士号)は、「1コリントへの手紙解釈における、最近の論考の中にみられる考古学的証拠の使用、悪用、軽視について」という論文の中で次のように言っています。

[男性の典礼用かぶり物についての]ローマの慣習は、コリント市におけるキリスト教到来以前および以後の数世紀に渡って存在していたということを文書でたどることができる。そしてこの慣習は、地中海沿岸地方の硬貨や彫像、そして建築物などに明瞭に描かれている。10



つまりオスター博士は「この時期、男性が(キリスト教ではない)典礼の時、頭にかぶり物を着けていたということは考古学的に実証されている」と言っているのです。

パウロはそういった、当時普通に行なわれていた文化的慣習に反して「かぶり物を取るよう」男性たちに指示を出していたわけですから、いわゆる「文化的解釈」という見解は退けられなければなりません。オスター博士は次のように要約しています。

祈りや預言という文脈の中における、かぶり物をした男性の慣習というのは、ローマ的敬虔としては一般的なものであり、それは共和制後期ならびに帝国前期にかけてひろく普及していた。

コリント市自体がローマ植民市であったため、ローマのこういった宗教慣習の側面が注釈者たちによって――これまで受け入れられてきた以上に――より一層多くの注目を受けるに値するというのは自明のことといえよう。11



結論

なぜ女性はかぶり物をする必要があり、男性は逆にかぶり物を取らなければならないのかという点で、パウロは私たちを暗中模索の状態に放置しているわけではありません。

10節で「ですから(For this reason)」とパウロが言っていますが、この事実が意味するところは何かというと、答えはあくまで聖句(釈義)の中に見出されるのであって、文化分析ではないということです。

しかしともかく当時のローマの文化慣習を調べたとしましょう。その際、私たちが分かるのは、1)(非キリスト教)宗教典礼の際、ローマ人男性はかぶり物を着けていたこと、2)女性がベールを着けていないのを見られたとしても、それは社会規範に反することでもなく、売春婦との関連を疑われるようなこともなかった、ということです。

かぶり物に関する文化的議論というのはパウロ自身の説明をないがしろにし、それを無視しなければならなくなりますから、こういった解釈は破棄されなければなりません。

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー)

参照
1.↑ R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.
2.↑ R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.
3.↑ Dirk Jongkind – Corinth In The First Century AD: The Search For Another Class, Tyndale Bulletin 52.1, page 139
4.↑ Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
5.↑ Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
6.↑ Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
7.↑ Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
8. ↑ David W. J. Gill – The Importance of Roman Portraiture for Head-Coverings in 1 Corinthians 11:2-16, Tyndale Bulletin 41.2
9.↑ David W. J. Gill – The Importance of Roman Portraiture for Head-Coverings in 1 Corinthians 11:2-16, Tyndale Bulletin 41.2
10.↑ Richard E. Oster, Jr. – Use, Misuse and Neglect of Archaeological Evidence in Some Modern Works on 1 Corinthians
11.↑ Richard E. Oster, Jr. – Use, Misuse and Neglect of Archaeological Evidence in Some Modern Works on 1 Corinthians

付録

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日常の務めのなかにある 静かな喜び

賛美、賛美、私は歌う


ありきたりなこと 平凡なことを

高く きよい喜びで 飾ろう



ロマンチックとは ほど遠い

ひとつひとつの営みの中で


賛美、賛美、わが王よ




戦いのさなかにある おごそかな喜び

賛美、賛美、私は歌う



傷 かなしみ 嘆きゆえ

和らげ 祝す 愛ゆえ


弱さのうちで 

完全なものとされし力ゆえ


賛美、賛美、わが王よ



勝利のもたらす 歓喜ゆえ

賛美、賛美、私は歌う



すべての喜びを凌駕し喜び

人の思いを 超え また超ゆる



なんじの凱旋にまみゆる 喜び


賛美、賛美、わが王よ



エミー・カーマイケル(Kohilaより 私訳)




waves two more witnesses


制御され ととのえられた力には 

心を落ち着かせるなにかがある



海岸線に打ちよせる波
 
暖炉のなかで パチパチと燃える薪



これが 柔和さというものだろうか、、

制御され ととのえられたところに存在する力



自制、御霊の中にある慎み

この美しさを 私はいまだ知らないのかもしれない


ーMB (Two More Witnessesより 私訳)



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