1st Sep flower

「『妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。』の〈従いなさいsubmit〉は、原語では本来「従う」という意味じゃないんですよ―――」

と、私はかつて神学校のある先輩から聞きました。

「はあ、そうなんですか。」と私は驚いて答えました。

そして年若く、入信して間もなかった私は心の中で思いました。

〈うーん、もし彼女の言うことが本当で、聖書に「従いなさい」と書いてあることが、実際には、「従わなくてもいい」のだったら、それはすごい発見だ!

もし、これが本当だったら、私たち姉妹にとって、これほどうれしいニュースってないんじゃないかな。だって、もう夫に従う必要がなくなるんだから。〉


その後、主の不思議な導きで、ギリシアに遣わされることになった私は、古典ギリシア語を学ぶこととなりました。

そして調べる中で、はっきりと分かったのです。先輩の言った説は、事実に基づく説ではなく、「従う」は、やっぱり文字通り「従う」という意味であったことを。

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堕落した天使(サタン)が、神さまに「従う」ことを死ぬほど嫌ったように、聖書的恭順というのは、本来、私たちの肉の性質に反するものです。

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。ガラテヤ5:17

でも聖書的女性像(biblical womanhood)を追い求める上で、この恭順(submission)の問題は、どうしても避けて通ることができないことに、私は気が付きました。

でもそういった生き方を、21世紀に生きる私たち姉妹は、どこで学ぶことができるのでしょうか。

私たちを取り囲む文化は、それとは全く逆をいっています。

それでは教会はどうでしょうか。私たち姉妹は「夫に従うこと」について、恭順について、教えを受けているでしょうか。

私たち姉妹に、「夫に従うこと」の大切さをアドバイスしてくださる年配の姉妹が身近にいるでしょうか。

そういう環境に置かれている姉妹の方々は、ほんとうに恵まれていると思います。ハレルヤ。

しかし一方で、そういった教えを受けたくても、アドバイスを受けたくても、そのような環境にない姉妹の方々もいるかもしれません。

そういった姉妹の方々!あなたは一人じゃありません。

ぜひ、ご一緒に学んでいこうではありませんか。

下に紹介するのはエレアノール姉妹のエッセーです。彼女は、かつて夫をコントロールするタイプのアメリカ人女性でした。

しかし、ある時、主が彼女に触れてくださり、彼女は主に従い、夫に従うことの大切さに目が開かれたのです。そして彼女の夫婦関係は癒されていったのです。

多くの中傷やバッシングに傷つきながらも、彼女は聖書的恭順の大切さを、同胞の姉妹たちに証しし続けています。

cheeze woman

(Eleanor Mcdonie, Submission, Blessing or Curse?エレアノ―ル姉の許可をいただいた上で2014年9月、翻訳しました。)

恭順(Submission)は、私の人生の中ですばらしい祝福となっています。

このことに関して、ある日、私の目は開かれたのです。そして私の結婚生活は永遠に変えられました。もちろん、一日で変わったわけではありませんが、時を経る中で少しずつ、変化していったのです。

そのことに関して、私は一抹の悔いもありません。聖書的恭順は、私たちの結婚生活および、それぞれの歩みの中で、これまで大きな助けとなってきました。

もちろん、この教えが今流行りじゃないということも承知しています。

私は、聖書的恭順とその祝福について、インターネット上で、お証ししているのですが、私や、私をサポートしてくれる方々への名指しの中傷は後を絶ちません。

このトピックに関する私のyoutubeにも、心ないコメントがたくさん書きこまれています。

でもこのことに関して、私は揺らいでいません。なぜなら、これは神さまの御言葉であり、白黒はっきりしたテーマだからです。

もし私たちがキリストを信じるというなら、私たちは目を覚まし、「夫に従いなさい。」と言っている聖書を読むべきです。

こういった御言葉に反論を唱えている人もいますが、私のみる限り、そういった主張の大半は、正当な論拠を欠いています。だからといって、それらを即座にはねつけたいわけではありません。

というのも、このテーマに関し、私自身、かつて反対側の陣営にいたからです、、、私は、かなり頑強かつ独立心の強いフェミニストでした。でも、ある日、神さまは愛をもって、私の目を開いてくださり、間違いようもないほど、御言葉がはっきりみえるようにしてくださったのです。

といっても、聖書すべてが理解できているわけでは、もちろんありません。これは、私が今も日々、学び続けているテーマなのです。

そしてこのテーマは、今日そしてこの時代にあって、ラディカルな思想なのです。恭順を説くこの聖書の教えは、根っから忌み嫌われているのです。

私たちの文化は、ほとんど女家長制になりつつあるといっても過言ではありません。今日、決断の大半――特に、購買に関する決断――は、女性たちによってなされています。

また、伝統的なタイプの年配夫婦でないかぎり、今や妻が、結婚生活におけるリーダーシップを握っている場合が多いのです。若い夫婦をみると、「従う夫」「支配的な妻」という構図がほとんどです。本人たちはそうだと認めないかもしれませんが、現実、そうなのです。

もちろん、例外はあります、、、でもそれは大多数ではありません。うちの家庭にはもうケーブルTVは設置してありませんが、ちょっとコマーシャルを観るだけでも、、、その傾向は明らかです。女性はなんと賢い様に描かれているでしょう!それに対して男性は、なんと間抜け者のごとく描き出されているでしょうか。

これは現代文化の反映したものに過ぎず、聖書的な価値観の反映では全くないのです。

「あなたって女性が嫌いなんですか?」と以前、非難されたことがありますが、どうしてそのようなことがありえましょう。現に、私自身、女性なのです。私は同胞の姉妹を愛しています。

私は心から、彼女たちが結婚生活において、恭順のもたらす祝福を味わってほしいと願っているのです。

神さまがなさるやり方にあなたが心を開くことができるなら、それは本当に美しいことです。聖書を基にした観念を毛嫌いしているのなら、それを学びとっていくことは至難の業です。

どうかそれを嫌わず、受け入れてください。

mother and children

(出典 http://radicallyforjesus.blogspot.gr/2014/06/submission-blessing-or-curse.html)

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