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(Eleanor Mcdonie, Are you edifying your husband? エレアノール姉妹の許可をいただいた上で本エッセーを2014年9月、翻訳いたしました。)

ほとんどの読者の方はご存知だと思いますが、夫に対する恭順(および従順)という面で、私は大半の西洋女性とは異なる立場をとっています。私は聖書的な「かしら」観(headship)を固く信じているのです。
といっても、これまで、いつもそのような立場をとっていたわけではなく、去る2001年、この事に関して、神さまが私の目を開いてくださったのです。Ⅰコリント11:1-16を読むと、この「かしら」の秩序は、神、キリスト、夫、妻の順になっていることがわかります。
またその他の多くの箇所においても、聖書は、妻が夫に従うこと/敬意を示すこと/尊敬すること/恭順することの必要性を、強い言葉で語っています。
かぶり物(headcovering)を着けるようになった、もしくは、少なくともこれについて学びをするようになった姉妹たちの多くは、自分の夫をリーダーとして認めるべきだということを悟るようになっています。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。エペソ5:23
同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい、、Ⅰペテロ3:1
慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。テトス2:5
ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。Ⅰテモテ5:14、15
たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。Ⅰペテロ3:6
教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。エペソ5:24
でも今日、お話したいのは、あからさまな不従順についてではないのです。
むしろ、ご一緒にみていきたいのは、意図的に、もしくはわざと、夫をいらだたせるようなそんな言動についてです。おそらく私を含め、ほとんどの方は、そういったことを経験済みだと思います。
でももちろん、それは、夫婦がふざけて、じゃれあっているような場合のことではありません。それはかまわないのです:-)
私がここで言っているのは、夫がぜったいに喜ばないと内心分かっていることをあえてやったり、そういう場所に行ったりすることです。
その事にかんして、ご主人は「してもいい。」もしくは「しちゃいけない。」といったような指示は直接には出していないかもしれません。
でもあなたは心の中で、「私がこうすることは夫を不快な気持ちにさせる」と知っているのです。
それは例えば、夫の嫌いな色だと知りつつも、あえてその色で飾り付けをするとか、そういったささいなことかもしれません。
もしくは、毎回、同じサイクルで同じような食事を出すと、夫は飽き飽きした気持ちになるということを知っていながら、あえてそれを続けるといったことかもしれません。(自戒を込めて、これを書いてます!)
また、ご主人が同意してくれないだろうと内心知りつつも、(髪型や服装といった)よそおいを勝手に変えるとか、そういうことかもしれません。
あるいは、何かを始めたい。そしてそれは夫にとっても意味を持つ何かであるかもしれない。でも夫と話し合うことをせず、あくまで自分の思った道を突っ走る――そういうことであるかもしれません。
でも私はここで、妻は一人で何も決めちゃいけないとか、決断する能力がないとか、そういうことを言っているつもりはないのです。夫が妻に委託した領域や権限も、当然あることでしょう。
また、上に挙げたようなことでも、もしご主人がよしとみてくれるなら、、それもすばらしいことです。
ただ私がここで申し上げたいのは、他の人間に対するもっとも基本的な心遣い――これなのです。
あなたがそうしてもらいたいように、相手にもそうしてあげてください。やさしく、愛をもち、私心なく接してあげてください。
自分自身のことよりも、まず、あなたの愛する人のことを考えてあげてください。
どうしたら彼の心を喜ばせてあげることができるのか、それを考えてみてください。
彼をイライラさせるのではなく、どうしたら彼を祝福することができるのか、どうかそれを考えてみてください。
相手が配偶者であるか否かに関わらず、故意に相手をいらだたせるようなことをするのは、御霊の実からは生じないものです。
もし人にそうされたくないと思うようなことがあるのなら、どうかそういう事を彼にしないでください。
私の知り合いの姉妹の中には――同性の友人や他の教会員の方々にはぜったいにしないような失礼なふるまいを――夫に対しては、平気でしている人たちがいます。
この人はあなたの愛する夫なのです。あなたの特別な愛の対象です。
私たち姉妹は、自分の夫に対してどのように振る舞うかについての、より高尚な規準を持つべきだと思います。

もう一つ考えていきたいのは、普段、人前でどのように自分の夫のことを語っているかについてです。
ご主人について肯定的に語っているのでしょうか。夫のプライベートなことを人に漏らしてはいないでしょうか。
同性の友人たちを前に、ご主人を高めているでしょうか。それともけなしているでしょうか。
どうぞご主人を高めてください。そして彼の面目をつぶさないでください。
もちろん、それはウソをつけということではありません。そうではなく、彼の良い点に注目するようにしていただきたいのです。ご主人が尊敬を受けるべく、彼のことを思いやりをもって語ってください。
ゴシップというのは――その話題が何であれ――罪深いものです。私たちは、この罪深い行ないをもって、夫のことを話題にするのでしょうか。いいえ、決してそのようなことがあってはなりません!
もう一度、申し上げます、、どうかあなた自身がそうしてもらいたいように、ご主人にしてあげてください。
そしてこれは、夫があなたに十分な愛を示してくれない時をもふくむのです。私たちはいつも、愛と赦しを相手に示しつつ、できる限り、相手にやさしくしてあげるべきです。
そしてこれは全ての人に対する私たちの証しなのです!妻が敬虔な歩みをすることで、夫を救いに導くことができることを聖書は言っています。
日常の小さなことに取りかかる時、夫のことを考えてください。そして他の人に彼のことを話す時、よくよく言葉を選んでください。
ご自身に問うてみてください、、、今私がやろうとしていること、もしくは言おうとしていることは、何より、神さまに喜ばれるものかしらと。
そしてもしこの第一の関門を通過したなら、次には、、、これは私の夫に喜ばれるものかな?と考えてみてください。
これは彼を祝福し、彼を建て上げるものでしょうか?それとも、彼を不機嫌にさせ、場合によっては彼を傷つけるものでさえあるのでしょうか?自分の気持ちを満足させんがために、夫の気持ちを損なうことになるのでしょうかと。
キリストにある親愛なる姉妹のみなさん。これらのことを、どうか祈りのうちに黙想してみてください。
願わくば、私たち皆が、人間関係の中において、御霊の実を結ぶことができますように。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。ガラテヤ5:22、23

(出典 http://radicallyforjesus.blogspot.gr/2013/08/are-you-edifying-your-husband.html)
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