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ギリシアにおける難民の状況は、ここ数年、厳しさを増しています。多くの難民が、難民審査を受けることなく、犯罪人のように、不衛生な留置所や収容所に、1年も2年も収容されています。

しかし、そのような状況の中にあっても、主は働き続けておられます。今日、ご紹介するのは、私たちの愛するR兄の証しです。

R兄は、先月まで14カ月もの間、地下の留置所に入れられていました。そこには換気扇もなく、電灯もなく、狭い空間に、湿ったベッドが所狭しと並んでいるだけの空間でした。

私たちの教会の兄弟たちは、ほぼ毎週、R兄に差し入れを持っていっていましたが、彼は、いつも廊下から洩れてくるわずかな灯りをたよりに、聖書を読んでいました。

また、教会の礼拝日には、ベッドのへりに立ち、背伸びをしながら、唯一、携帯の電波の届くところに耳を押しあて、賛美や説教を聴いていました。

そして、配給弁当の紙パックの裏側などに、自分の受けた恵みなどをぎっしり書きこんでは私たちに手渡してくれました。

また、携帯電話を通して、他の収容所にいる兄弟や求道者たちを励まし続け、この期間に、少なくとも5人以上の魂が彼の導きで、イエスさまを信じるに至りました。

以下は、釈放後、R兄が教会で話した内容を書き取って、編集したものです。

☆☆

R兄の証し

留置所に連れてこられた日、私はなぜ自分の身にこのようなことが起こったのかを悟りました。

ここ一年ほど、私は教会に通っていながらも、心は神さまから遠く離れていたのです。またある罪を犯し、そのことで主は何度か私に警告を与えてくださっていました。それにもかかわらず、私は主の御声を聞かず、わが道を歩み続けていたのです。

閉ざされた小さな留置所の中で私は自分のこれまでの歩みを冷静に振り返りました。神さまは、私の罪を示してくださいました。

私は主の赦しを確信するまで、祈り、悔い改めました。そして自分のおかれている状況を完全に受け入れ、主のみこころが成るよう、自分の人生を主に委ねました。

周りの人は私に訊きました。「どうやってここから出るんだ?あんたの弁護士はどこにいるんだ?」と。

それに対し私はいつもこう答えていました。「私にはただ一人、弁護士がいる。それは私の御父です。主が、ご自身の良しとされる時に、私をここから引き出してくださるのです」と。

私の同房者は、ほとんどがP国からの人たちでした。その中の何人かはスンニ派、何人かはシーア派、またワッハーブ派モスレムもいました。

最初の数カ月、彼らは(元ムスリムで今は)クリスチャンである私のことをカーファル(=背教者)と呼んで、嫌がらせをしました。

特に、Fは何かと口実を見つけては、私にけんかを挑んできました。私は断食をしながら、「Fを愛する力を与えてください」とお祈りしました。

ある日、Fが私を侮辱した際、私はつい、怒りの言葉で応酬してしまいました。

しかしその晩、神さまは私の罪を示してくださいました。それで翌日、私はFの所へ行き、許しをこいました。謝罪の言葉をきいたFは泣き始めました。

またある晩、彼らのうちで激しい議論が起こりました。彼らが言うに、旧約のアブラハムはムスリムだったというのです。私は「それは違う。」と反論しましたが、彼らはかたくなにその主張を続けました。

そこで私はペンと紙を取り、旧約時代からこの宗教の創始者Mの誕生までの歴史表をチャートにして書きました。そしてそれを見せながら彼らにこう説明しました。

「ほら、アブラハムが生まれた当時、彼はまだ〈ユダヤ人〉とも呼ばれていなかった。それなのに、一体どうして彼がムスリムでありえる?」と。

何人かの人はこの説明を聞いて納得したようでした。

私たちは閉ざされた小さな空間に24時間、来る日も来る日も一緒に押し込まれていましたので、お互いの生活が実によく見えました。

つまり、自分の信じる宗教や信仰に関してどんな綺麗事を言っても、自分たちのリアリティーを隠すことはできなかったのです。

だからなおさら、私は、主イエスさまに栄光を帰すことができるような生活をするよう努めました。

そうこうするうち、何人かは私に対して心を開いてくれるようになりました。A君はその中の一人です。

A君はワッハーブ派(スンニ派の中でも最も過激な教派として知られており、7人のシーア派ムスリムを殺せば、まっすぐに天国に行けると言っていました)でしたが、物の分かる青年でした。

何か特別な夢をみるたびに、A君は翌朝、私の所へ来て、自分の見た夢について説明しました。

ある朝、彼は私にこう言いました。

「ちょっと聞いてほしい。昨晩、夢を見たんだ。夢の中で僕は海辺にいた。そしたら、白い衣をまとった輝く人が現れて、海の上を歩いていったんだ。

たくさんの人々がこの輝く人の周りに集まっていて、彼らはこの人から食べ物をもらっていた。この人々も皆、白い衣を着ていた。その後、この輝く人は僕の所にもやって来て、食べ物を差し出してくれた。

でも僕は『これは汚れた食べ物だから』と言って、受け取らなかった。そして目が覚めたんだ。」

これを聞いた私は、聖書を開き、いくつかの箇所を彼に見せました。(使徒10章、黙7章9-10節、マタイ14章25-27節)。するとA君はじっと考え込んでいました。

私は彼にこの夢の内容をノートに記録しておくようアドバイスしました。―-いつの日か、この夢の意味していることを本当に悟る日が来るにちがいないからと。

毎朝、私は起きると、詩篇の御言葉をA君に携帯メッセージで送信しました。気がつくと、A君は自ら進んで新約聖書を読むようになっていました。

このようにして6カ月経ち、10カ月が経ち、そして13カ月が経ちました。

アシュラム(難民)局からは依然として返答はありませんでした。私は一文無しでもありました。

1月に私は教会のH兄に「バスの片道チケットと靴を一足持ってきてほしい」と頼みました。

兄弟が「なぜ?」と訊いたので、「主が私を自由の身にしてくださった時、市街に戻るバスのチケットと靴が要るから」と答えました。

それはちょうど8カ月前のことです。このようにして、先行きが全く見えない時でも、私は主に信頼し続けることを選びました。

そしてついに主は御手を動かされたのです。ある日、やさしいギリシア人のY看守(主にある兄弟)が階下に降りてきて私に「あなたの釈放のために弁護士を雇いたい。どうにかしてあなたを助けたい。」と言ってきたのです。

そして彼および彼の家族、そして教会の兄弟姉妹がなけなしのお金を出し合い、私のために犠牲を払ってくれたのです。

そして2014年8月5日、私は14カ月ぶりに釈放されました。

留置所にいた14カ月の間、私は主から多くの大切な学課を学びました。

またそれまで敬遠していたP国の人々に対する愛を主は私の心に植えてくださいました。

ある日(留置所の中で)、私は病気だったM君の足元にかがんで、M君の足の爪を切ってあげていました。

その時、弟子の足を洗ってあげたイエス様のことがふと思い出されました。

そして思ったのです。「これは本当に私なのだろうか?ああ主よ、あなたが私の心を変え、P国の人々を愛し、彼らに仕える心を与えてくださったのです」と。

そして私の心は主への感謝でいっぱいになりました。みなさん、この証しをきいてくださってありがとうございました。

イエスさまの御名によって。アーメン。



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