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前回前々回の記事で、私は祈りのベールについての自分自身の証しおよび、他の姉妹たちの証しを載せました。

このトピックはおそらく多くの方々にとって、かなり斬新なものではないかと思います。

また、現在、かぶり物について真剣に考え、実践すべきかどうか思案していらっしゃる姉妹の方々もおられるでしょう。

今回は、このシリーズの付録として、よく寄せられる質問を取り上げ、それに対して自分なりに精いっぱいお答えしていこうと思います。

Q)Ⅰコリント11:15に、「女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです」とあります。髪がかぶり物として与えられているのなら、別にベールをかぶる必要はないんじゃないですか?

はい、それに対しては二つのことを申し上げたいと思います。

一つ目に、「髪=かぶり物」の論理でいくなら、前の4-7節が意味をなさなくなってしまいます。

ためしに、4―7節の「かぶり物」の所を、「髪」に置き換えて読んでみてください。

このロジックでいくなら、クリスチャンの男性は皆、一生涯、「はげ頭」で過ごさなければならなくなります!また、6節は、「女が髪を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい」と、へんてこな文になってしまいます。

二つ目に、Ⅰコリ11:4-7、13で「かぶり物」と訳されているギリシア語と、15節の「髪はかぶり物、、」の箇所のギリシア語は、異なっています。

前者は、κατακαλύπτομαι (<κατά強意, +καλύπτω覆う)
後者は、περιβόλαιον (<περιβάλλω 着せる)です。

私の調べた限りでは、エルサレム訳聖書が、前者をveil 、後者をcoveringと正確に訳し分けています。

「髪がかぶり物なんだから、ベールはかぶらなくてもいい」というのがパウロの真意だったとするなら、彼は決して、こうした言葉の使い分けなどしなかっただろうと思います。

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Q)パウロがここで言っている「かぶり物を着けなさい」というのは、公同の礼拝の時だけであって、家で祈っている時などには適用されないんじゃないですか?

これについては、私もずいぶんいろいろと考え、調べました。

例えば、新共同訳聖書は、Ⅰコリント11章の1節と2節の間に、「礼拝でのかぶり物」という見出しを入れています。

新国際訳(NIV)も同様に、Propriety in Worshipと見出しを書いています。

しかし、見出しというのは、あくまで人間が便宜的につけたものであり、霊感を受けた神の言葉ではありません。また、Ⅰコリント10章、11章、、、という章分け自体も、パウロが行なったわけではなく、中世時代に、聖書学者が考案したものです。

そういうことを念頭に入れ、また文脈全体を考えた時に、私はこの命令を、「公同礼拝での時のみ」と限定することはできないように思いました。でも、これに関しては、別の見方もあることでしょう。私自身、今も探求中です。

Q)ベールを着け始めたんですが、主人が「世間体が悪い」と言って反対しています。どうしたらいいでしょう?

まずは、御言葉に従って、ベールを着けようと決心なさったあなたの勇気に心から敬意を表します。

ご主人が反対していらっしゃるのですね。それはさぞかしつらいことでしょう。

でももしかしたら、あなたのご主人は、かぶり物自体ではなく、あなたの選んだかぶり物の種類やスタイルが気に入らないのかもしれません。

最近では、モダンでかわいらしい感じのかぶり物も数多く発売されています。

もしよかったらGarlands of Graceというオンラインのお店を一度訪問なさってみてください。

そしてそこの写真などをご主人に見てもらってはいかがでしょうか。こういう感じのかぶり物なら、ご主人も気に入ってくださるかもしれませんよ。

Q)「かぶり物をつける」という行為によって、女性は男性より劣った存在になってしまいませんか?人間は男女平等だと思うのですが、、、

これは、Nature(本質)と Order(位階、秩序)の違いを理解することによってすっきり解決すると思います。

人間は、その本質において皆等しく平等です。しかし、秩序(Order/Function)においては違いがあるのです。

私は逆にあなたにご質問します。

聖書には、「キリストのかしらは神です」(Ⅰコリント11:3)、「万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです」(Ⅰコリント15:28)」と書いてあります。

それでは、キリストは神より「劣った」存在なのでしょうか?もちろん、否です。

御父と御子は、その本質において全く等しいのです。しかし、秩序(位階)の面においては違いがあります。

ですから、神がキリストのかしらであり、キリストが神に従う行為は、キリストを神より劣った存在にすることにはならないのです。

お父さんと息子は、人間の本質としては全く平等です。でも、秩序という点においては、お父さんが息子の上に置かれています。社長と部下、先生と生徒などについても同じことが言えると思います。

ですから、私たち女性が、男性をかしらとして敬い、かしらに従うことは、私たちを男性より「劣った」存在にすることにはならないのです。

Q)主人はクリスチャンですが、「Ⅰコリント11章のかぶり物は現在には適用されない」という立場に立っており、私がベールを着けることに反対しています。この場合、どうしたらいいんでしょう?

愛する姉妹、それはつらいですね。

あなたのような状況にある姉妹方は、「人に従うより、神に従うべきです」(使5:29)という御言葉と、「すべてのことにおいて夫に従うべきです」(エペソ5:24)という御言葉との間で、揺れ動き、苦しんでいらっしゃると思います。

これは一般化することがむずかしく、どちらかといえば、私はあなたとお茶を飲みながら、一対一でじっくりお話をうかがい、お話したい気持ちです。そしてご一緒にお祈りしたいです。

でもここで想像力をふくらませて、私があなたの立場だったらどうするだろうと考えてみることにします。

そうですね、私があなたの立場なら、この聖書箇所に関して、私は主人と議論しません。主人を説得もしません。

なぜなら、ベールを着けるという行為は、私たち姉妹が、神さまに対して、そして上に立てられている権威(主人)に対して謙遜かつ従順であることを表すしるしだからです。

もしこの事で、主人と言い争いになったり、主人を議論で打ち負かそうとしたりするなら、本末転倒になってしまいます。

そしてもしこれが本当に聖書的真理なら、聖霊があなたに働きかけてくださったように、時にかなって、あなたのご主人にも働きかけてくださると信じます。

ですから祈りつつ、これまで以上に、ご主人にやさしく接し、あたたかい言葉をかけ、ご主人のニーズに答えてあげてください。

ご主人の良い点を本人にも、子どもたちにも言ってあげてください。「文句を言う」「つぶやく」という行為を、言葉もろともあなたの脳裏から、人生から締め出してください。

そして静かに「時」を待ってください。

もしかしたら、「ベールを着けたい」というあなたの気持ちを、自然な形でご主人に表現することができる機会がくるかもしれません。

その時には謙遜な思いで、あなたの心のうちにある願いをご主人に打ち明けられるといいと思います。神さまはきっと働いてくださるでしょう。

Q)あなたはどんなベールを着けているのですか?

私ですか?そうですね、私の場合、公同礼拝の時は、白いレースのベールを着けています。そして礼拝中、ずれ落ちてこないように両脇をピンで留めています。帽子をかぶる時もあります。

家にいる時は、シンプルな白のスカーフを後ろで結び、両脇をピンで留めています。

前回の記事のパルナック姉妹と同じような感じです。でも、今後、もっといろんな種類を試してみようと思っています。楽しみです。

そしてこれは私の個人的な考えですが、日本のオリジナリティを生かして、ちりめんや絹といった和風の素材を使い、Japanese Headcoveringが考案されてもいいなぁと思います。こういう方面で賜物のある姉妹、どうぞよろしくお願いします。

(付録)他の姉妹たちの証しを読みたい方のために、サイトのアドレスをご紹介します(英語)。

その1その2その3その4その5

Green park

親愛なる牧師先生、神学校の先生、教会の兄弟の方々にささげるお手紙

兄弟のみなさま、こんにちは。このブログを訪問してくださり、祈りのベールに関する私たち姉妹の証しを読んでくださって、本当にありがとうございました。

兄弟、これらの証しについてどう思われますか。1コリント11章(かぶり物)に関して、どのような立場に立っていらっしゃいますか。

私たちの証しは聖書的真理を反映したものであるとお考えですか。それとも違いますか。

祈りのベールを着けている私たち少数の姉妹は、兄弟、あなたの助けを必要としています

姉妹たちはこのようにして証しを書くことはできます。

しかし、それを聖書の教えとして説き、説明し、弁証してくださるのは男性である兄弟に託された使命だと私は考えています。

祈りのベールについての文献・サイトを検索しながら痛感したのが、日本語による文献・サイトの少なさでした。いいえ、正確にいえば、私は一つも見つけることができませんでした。

最近、カナダ人の若い兄弟ジェレミー・ガーディナー氏が、勇気を持ってHeadcovering movementを立ちあげてくださったことで、これまでひとりぼっちでベールを着けていた姉妹たちが多いに励まされました。

彼は論文やエッセーを通して、そういった姉妹たちを教理的にも神学的にも弁護してくださっています。

尊敬する兄弟のみなさん、もしもこれが聖書的真理でしたら、どうか主の栄光のため、私たち姉妹のため、家庭の回復のため、次世代のため、声を挙げてくださいませんか。

インターネットを通して、論文を通して、書籍を通して、忘れ去られてしまったこの教えをもう一度「復活」させてくださいませんか。

私たち日本の姉妹の精神的支柱となってくださいませんか。

このお手紙を読んでくださってありがとうございました。


(2014年9月27日 追記)
つい最近、かぶり物についての教えを始められたイギリス人の牧師先生(福音主義)のインタビュー記事および証しをみつけました。ご関心のある方は、どうぞお読みください(英語)。→Pastoral Testimony








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あるムスリム女性の救いの証し(イラン)

ベールを着けるよう導かれた姉妹たちの証し(前回の記事のつづき)

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