第十二章
   炎の伝道者ブラウロック ふたたびゾリコン村へ


bird.jpg

ヨハン・ブロトゥリーの手紙を読み終えて後、マルクスは以前にもまして葛藤を覚え始めた。「僕たちがツヴィングリに約束したのは間違いだった」という確信は日ごとに強まっていった。

「ブロトゥリーが今もここゾリコンにいたらどんなによかったかって思うよ。」ある晩、マルクスは妻に言った。

「もし彼がいたら、僕は今この瞬間にも靴屋に駆け込んでいって、こういう事について話し合ったと思う。彼なら何が最善か絶対知っていると思うからね。」

「もしヨハンの所へ行けないのなら、、、」レグラは提案した。「ホッティンガーお爺さんの所へ行くのはどうかしら。」

「でも爺さんはまだチューリッヒから戻っていないんじゃないかな。」
「いいえ。私は一時間位前に、お爺さんが通り過ぎたのを見てよ。」

「そうか、それじゃあ爺さんは何か新しい知らせももたらしてくれるだろう。昨日の朝からチューリッヒにいたんだから。」

数分もしないうちに、この若夫婦は、丘をそぞろ歩き、ホッティンガー家の方へ向っていた。

村の家々を通り過ぎる中、いつもの夕飯時の話し声や笑い声、お皿のガチャガチャいう音が聞こえてきた。キーナスト家からは、男性の歌う低い声が聞こえてきた。マルクスはそれがヨルグ・シャドの歌声だと分かった。

爺さんは二人を家に招き入れ、椅子に座るよう手招きした。爺さんが何かを話したくてうずうず居ても立っても居られない様子でいるのにマルクスは気付いた。

「ゲオルグ・ブラウロックが釈放されたんだよ!」爺さんは興奮気味に言った。
「本当。どうやって?」マルクスは尋ねた。

「それこそわしが彼に尋ねたことだった。『ゲオルグ、どうやって監獄から出てきたのかい』とね。」爺さんは説明した。

「彼は、自分でも分からないと言っておった。ちょっと説明がつかないのだよ。なぜってフェリクス・マンツはまだ監禁されているんだからね。この二人の唯一の違いといえば、ブラウロックが州外の者だってことだ。参事会はいつも州外の者には少々甘いからな。」

「それなら、爺さんはゲオルグ・ブラウロックと話したの?」気持ちがますます高揚するのを感じながら、マルクスは尋ねた。

「ああ、話したよ。彼は以前と変わらないゲオルグだった。彼は牢獄でかなりの苦しみを受けたようだったが、以前と全く変わらず燃えておった。」

「彼が言ったことを何もかも教えて。どうやって彼に会ったのか、その他全部なにもかも話してほしい。」マルクスはせきこんで言った。

ホッティンガー爺も話したがっていた。

「そうさな。金曜の朝、わしがチューリッヒに向かっていた時のことだ。」彼は始めた。

「ああ、金曜といえば昨日のことにすぎないのか、、、もっと昔のことのように感じるな。正午ちょっと前にわしは通りで、パン屋のハインリッヒ・アベルリに会ったんだ。お前はまだハインリッヒに会ったことがないかもしれないな。」

「いや、一、二回会ったことがあるよ。」マルクスは説明した。

爺さんは話を続けた。「アベルリはコンラート・グレーベルの親しい友なんだが、わしの知る限り、彼はまだ洗礼を受けていないと思う。

それはそうとして、彼は旧知のようにわしにあいさつをし、夕食に来てくださいと私を自宅に招待してくれたんだ。その時はよく分からなかったが、彼はこう匂わしたんだ。『今晩、あなたの知っている誰かに会えると思いますよ』ってな。」

「それでわしは行ったんだ。わしがパン屋の家に入ると、なんとゲオルグ・ブラウロック自身が食卓に座っていたんだから、たまげたよ。わしは彼にあいさつした。

実際、ブラウロックとの夕食に招かれていたのはわしだけではなかった。仕立屋のハンス・オーゲンフューズがそこにいたし、金細工職人のフユフもいた。それから面識はなかったが、アントニー・ローゲンナッヘルという名の人も同席しておった。それで、わしを含めたこの五人が夕食を共にしたんだ。」

「ゲオルグはゾリコンの様子を訊いてきた。我々がいとも簡単にツヴィングリに降参してしまったことに彼はかなりがっかりしていたようだった。

でもわしは彼に『我々は本当にあきらめたわけではなかった。それに自分の知る限り、ゾリコンの兄弟たちは今も以前と全く変わらず信じている』っていうことを伝えようとした。」

マルクスとレグラはじっくり耳を傾けていた。

と、ある疑問が沸いたので、マルクスは爺さんの話をさえぎって訊いた。「じ、爺さん。ブラウロックはまたゾリコンにやって来るかな。自由の身となった今。」

「明言はしていなかったが、彼は明日ここに来ると思う。少なくともわしはそう望んでいるし、祈っている。彼の到来で、我々の信仰はもう一度、燃え立たされ、生ける炎となるはずだから。」

「ゲオルグは牢獄での生活についていろいろ語っていたかしら」とレグラは初めて口を開き、尋ねた。

「ああ、どんな風に尋問を受けたかを彼は詳細に語ってくれたよ。

ゲオルグは、――ツヴィングリは、以前の教皇以上に、御言葉を犯している――と率直に感じていて、しかもそういった発言をした際にも、声を落とすことなどしていなかった。

彼は牢獄の中でも同じような発言をしたらしく、そのことが原因で、面と向かってツヴィングリに釈明するようにと、わざわざ彼との会合が組まれたらしい。それで、その会合の手配ができるまでの間、さらにゲオルグは数日間監禁されていたのだ。」

「全くゲオルグっていう男は、勇敢だ。」マルクスは言った。

「本当にそうだ。昨日牢獄から出てきたばかりなのに、昨晩の夕食後にはもう聖書を朗読し、祈りを導いておった。そして最後に我々は皆でパン裂きをしたんだ。彼の行動力はたいしたものだ。」爺さんは感慨を交えて言った。

blaurock.jpg
(↑ゲオルグ・ブラウロック)


「でも一つ気になっていることがあるんだ。」マルクスは言った。

「ゲオルグがビレターの説教壇で説教しようとしたあの日、僕は彼と一緒にいたんだけど、あの日に限っていうと、彼はあんなに大胆な行動にでるべきじゃなかったと僕は思うな。あの日曜日、もし彼が家にとどまっていたら、新しい教会のためにはよかったと思う。」

「なるほど、そうかもしれん。そうかもしれん」と爺さんは考え深げに言った。

「まあ、フェリクス・マンツやコンラート・グレーベルのような兄弟たちの方がもっと穏健で、聖書のこともよく理解しているだろう。でも、ある意味、彼らは、わしらとは違っているんだよ、、、彼らは都会人だ。お前もそう感じるかい、マルクス?」

「そうかも。」マルクスは微笑んだ。

「でも、ゲオルグは田舎出身だ。そして彼は我々と全く同様、農民の子だ。」
「たしかにゲオルグの方がもっと分かりやすい。彼はあんまり難解な言葉は使わないし、話す主題もそんなに難しいものじゃない。」

「おお、昨晩のことを終いまで語っていなかったね。」爺さんは謝った。

「さっき言ったアントニー・ローゲンナッヘルという男は毛皮を取り扱う仕事をしていて、彼もまたチューリッヒ出身ではなかったんだ。ゲオルグが聖餐式のためパンを裂き始めるのを見た彼はひどくおびえてね。それは、わしが洗礼を受けた晩にハインリッヒ・トーマンがとった行動をまざまざと彷彿させるものだったよ。

でも蓋を開けてみると、このアントニーは、ハインリッヒとは違っていたんだ。彼は泣き崩れ、わしらに、自分のために祈ってくれと頼んだ。そして彼は自分の住んでいる家にどうか来てほしいとゲオルグを招待していた。それに対し、ゲオルグも来ると言っていた。」

「教会堂でのあの日曜の一件があった後、ブラウロックはあえてゾリコンにやって来るだろうか。」マルクスは帰り支度をしながら再び尋ねた。

「確かではないが、我々は明日彼に会えると思う。そしてもし彼が来るなら、再び村で伝道集会が行なわれるだろう。そしておそらくさらなる洗礼もな。」爺さんの声は突然ひどく厳粛になった。

「ぜひ彼に来てもらいたい!」マルクスはせき切ったように言った。

でも、レグラの目には困惑の色がみられた。「ああ、マルクス。」

彼女が九日間の監獄のことを考えていることがマルクスには分かった。そしておそらく父親のことも考えているのかもしれなかった。ルディー・トーマンは何か事あるごとに、「もうこれ以上、不従順な行為があってはならない」と言い始めており、その声は日増しに強くなっていっていた。

☆☆☆
church 2

1525年2月26日、日曜日。この日は謝肉祭の日曜日だった。復活祭の七週間前にあたるこの日、ツヴィングリ派の牧師達は来るべき四旬節に向けて、最初の準備を始めた。

一方、ゾリコンにおいて、この日は記憶に残る日曜日となった。ゲオルグ・ブラウロックが朝食後すぐの時間に、村に到着したのである。この知らせはすぐに界隈をゆき巡り、隣接する村々までにも届いた。特別集会がハンス・ミューラー家の大きな居間で行なわれる予定だった。

ビレター牧師が、異常なほどガラガラの教会堂で説教していた一方で、ほぼニ百人近い人々がゲオルグ・ブラウロックの説教を聴こうと、農夫ミューラーの家に押しかけていた。

ブラウロックは一面の人の顔を見るにつけ、ますます情熱に満たされた。彼らの多くを、ブラウロックは以前ゾリコンを訪問していた時から見知っていた。しかし、同時に多くの新顔もみうけられた。

今日は説教壇をめぐってビレター牧師と争う必要がなかった。というのも、御言葉に飢え渇き、人々の方がむしろ率先して彼の元にやってきていたからだ。

実際、ブラウロックにとって、この日は朝から祝福だった。彼は祈りのために夜明け前に起き出した。彼を受け入れていた家の主人である毛皮職人アニトニー・ローゲンナッヘルも起き、共に祈った。そうして後、アントニーは洗礼のしるしを求め、ブラウロックはゾリコンに出発する前に彼に洗礼を授けたのだった。

さて、ゾリコンの聴衆を前に、背の高い説教者ブラウロックは熱心に語っていた。

「悔い改めなさい。機会があるうちに罪を悔い改めなさい。古い人をその行ないと共に脱ぎ捨て、キリストのかたちになぞって造られた新しい人を着なさい。

もし我々が自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方であるから、その罪を赦し、すべての不義から我々をきよめてくださるという御約束を、我々は受けているのだ。」

ブラウロックは息をつき、そして続けた。「神の民は、聖い民であり、義を行なうために聖別された民である。そして罪を憎み、良い行いをするのにふさわしい民である。」

マルクス・ボシャートには座る場所がなかった。ぎゅうぎゅう詰めの聴衆のため、彼は立たざるをえなかった。彼は熱心に聴いた。高揚して脈が速くなっているのを感じた。

あのビジョンが再びよみがえってきた――この地における神の民のビジョンである主の教会。全身全霊をもって主の御心を求める信者から成り立つ主の教会――。

牢獄での日々、重圧に押され、徐々に屈服していったことなども、もはや過ぎゆく悪夢に過ぎなかった。福音の光がゾリコンに、もう一度、まばゆく照り輝き始めたのだ。

「どんな邪悪な罪であっても、神は赦すことがおできになる」とブラウロックは続けて言った。

「もしそこに悔い改めと、神のみこころに添った悲しみとがあるならば、神の恵みは十分なのだ。砕かれ悔いた心を神はさげすまれない。

ちょうど今日の早朝、あなたがたの大半が目覚めていない時分に、神の霊はチューリッヒにいるある一人の兄弟の魂の内に働いておられた。

神の霊は、――神に対し、人に対し犯してきた深い罪の数々を彼が告白するように――導き、この人の解放と赦しのためにとりなしていた。実は、ニ十年前、この男はある大罪を犯していた――彼は他の女性と結婚したいばかりに、妻を毒殺していたのだ。」

驚愕の声が挙がる中で、ブラウロックは聴衆を見渡した。

説教者は話を続けた。「これは神の御目におぞましい罪だったが、それにもかかわらず、神の恵みは、この男が赦されることを可能にしたのだった。罪の重荷は取り除かれ、今彼はキリストにある新しい人生を生きようとしている。」

ブラウロックはメッセージの核心に迫ろうとしていた。

「しかし今この男はキリストにあって新しく造られた者となったが、今後彼はどうするのか。以前の罪の内を歩み続けるのだろうか。いや、違う。彼はそういった肉の行ないを脱ぎ捨てたのだ。

彼は肉欲の罪をやめ、以前自分自身に仕えていたように、今後は神に仕えるようになるのだ。彼は今後隣人を愛し、彼を憎む者によくしてやり、悪に対し善でもって答えるようになるのだ。

だからといって、彼が完璧な人間になるというのではない。彼はこれからもしくじることがあるだろうし、滑って罪に落ち込むこともあるかもしれない。でもそれは意図的にではないのだ!こうして神の霊が彼の人生を治めるようになるのである。

「やがて、困難や迫害がやってくるだろう。しかし最後には永遠の命が待っている。試練があるだろう。でもその報いは千倍である――この世においても、また、後の世においても。」

こうして二時間近く、ゲオルグ・ブラウロックはじっときき入る聴衆に向かって説教し続けた。

その後、人々は昼食をとるため、それぞれの家に戻り、自分たちが聞いた内容について互いに話した。食事の後、聴衆はもう一度集まり、再びブラウロックは説教した。

今回、彼はゾリコンに形成されようとしている新しい教会について――それに対する彼の希望、そして牢獄にいたニ十五人がツヴィングリの要求に屈してしまった時の失望――を語った。

午後の集会は洗礼式をもって締めくくられた。

洗礼を受けた人の大半は、すでに洗礼を受けていた人々の妻たちだった。リエンハルド・ブレウラーの妻、ルドルフ・ホッティンガーの妻、ヤコブ・ウンホルツの妻、ヨルグ・シャドの妻、フリードリー・シュマッヘルの妻もいた。

それに加えて、数人の未婚の娘たち――コンラート・ホッティンガーの娘トリニー、ウルセリ・フリッグ――も洗礼を受けた。

マルクスは部屋の向こうにいるレグラに目を向けた。洗礼式を見守る中、――特に彼女の妹であるフリードリーの妻が洗礼を受けるのを見ながら――、彼女がむせび泣いているのがみえた。

マルクスがふと振り返ると、何かが目にとまった。あっ!心臓の鼓動が速くなった。

部屋の後ろには窓があり、そこにはカーテンがかかっていたのであるが、カーテンは完全に隙間を覆い尽くしているわけではなかったのだ。見ると、外から三つか、四つの顔が中を覗き込んでいた。

それが村の子供たちだということにマルクスは気付いた。そしてその子供たちが家に帰り、ここで見たことを残らず話すであろうということもマルクスは知っていた。

日の下でなされる事は、この村において、何一つ隠されることはないのだった。

スポンサーサイト

第13章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

第11章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。