F 2

数ヶ月前、私は、「ビルマの白百合――アン・ジャンドソン宣教師の生涯と信仰」という記事を書きました(ココ)。

今回、ご紹介する人物は、アンのご主人であり、アメリカ・プロテスタント宣教史の第1ページ目を飾ったアドニラム・ジャドソン宣教師 (Adoniram Judson)です。

実に、アドニラムとアンという年若い夫婦の生涯は、多くの青年たちに感化を与え、彼らに倣いその後、何千・何万という若者たちが世界各地に飛び立っていきました。

ビルマに着いてからの二人の働きや出来事については、すでに「ビルマの白百合」の中で触れましたので、今回は、主に、アドニラムの救いの証しと、宣教師として召されるまでの行程に焦点をしぼってお話しようと思います。

生い立ち

アドニラム・ジャドソンは1788年8月9日、米国マサチューセッツ州マルデンにある古い木造の家で生まれました。父は、会衆派の牧師、母は教師という家庭でした。

ADONIRAM JUDSON

幼い時からアドニラムの抜群の頭脳は際立っており、3歳の時にはすでに聖書をすらすらと読み上げ、父親を驚かせました。

また、早い時期から、ギリシア語やラテン語といった古典諸語にも興味を示し習得するといった天才ぶりでした。

アドニラムが14歳になった時、一家はプリマスに移住し、その2年後、彼はプロヴィデンス大学(現ブラウン大学)に入学しました。

大学で信仰を失う

大学に入学した彼は、ジェイコブ・エイムスという学生と親友になります。

university_hall_victorian.jpg

ジェイコブは、アドニラムにひけをとらぬほど抜群の頭脳の持ち主であり、当時、学生の間で大流行していた「理神論」の熱烈な信奉者でもありました。

(註:理神論 (deism)というのは、17-18世紀にヨーロッパ、北米で大流行した思想です。

理神論者によれば、神は創造主であるけれども、世界の出来事には干渉しておられない「不在の神」「非人格的な神」にすぎません。

また、彼らは聖書が霊感を受けて書かれた書物であることや、イエスの神性・奇蹟といったものもことごとく否定しました。

こういった思想は、ルソーの『エミール』や、トーマス・ペインの『理性時代』、トーマス・ジェファーソンの著述などにも色濃く表れています。

お気づきのように、これは名前を変え、形を変えつつも、現在にまで影響を与え続けている思想であり、毎年多くのクリスチャン学生をつまずきと不信仰に追いやっている危険な思想です。

理神論の神と聖書の神の違いについてもっと詳しく知りたい方は、ココココをクリックしてください。英語)


さて、青年アドニラムに話を戻します。彼は、親友ジェイコブの影響を受け、自らも熱心な理神論者となりました。

そして両親を前に、「僕はもう聖書を神の言葉だとは信じない。」と宣言するにまで至りました。

牧師であった父親は、なんとかアドニラムを信仰の道に引き戻そうと、聖書を片手に話し合いを求めました。しかし、アドニラムはその明晰な頭脳でもって父親の議論をことごとく封じ込めました。

さすがに母親の涙を前に、アドニラムも多少たじろいだようですが、結局、理神論の魅力にとりつかれてしまった彼を引き止めることはできませんでした。

やがて彼は首席でブラウン大学を卒業し、私設アカデミーを開設し、文法書や数学の著述を出版したりしました。

目覚め

1808年の夏、アドニラムは気晴らしにニューヨークに出かけることにしました。

そこで演劇の一座に加わったり、あちこち出歩いたりと、本人の回想録によれば、「向こうみずで、だらしのない」生活を送りました。

しかしそんな享楽の生活にも次第に飽きが来て、彼は、家に戻ることにしました。そして帰宅途中、一軒の宿屋に泊りました。

彼の部屋の隣には、ある若い客が寝ており、宿屋の主人はアドニラムに、「あんたのお隣さんは、かなりの重病なんだ。」と話してくれました。

その夜、ベッドに横たわったアドニラムの耳に、壁を通して、隣室の男のうめく声が聞こえてきました。

その苦悶に満ちた叫び声は、アドニラムの魂を震憾させました。

〈この人生の終わりには何があるんだろう?この男は、いったいどこに行くんだろう?

死でもって僕の人生は終わってしまうのだろうか?僕の魂はどこに行くのだろう?ああ僕は、その答えを知らない。〉

なぜか、故郷の母の涙と祈っている姿が思い出されました。

男のうめき声は続きました。アドニラムはこうして明け方までまんじりともせず、寝台の上に横たわっていました。

☆☆

朝になると、彼は宿屋の主人を探し、隣室の男の容態について訊いてみました。

「彼の調子はどう?少しは良くなったかい?」

「ああ、あの人ね。あれは死んだよ。」

「死んだ!?」

「ああ、死んじまった。かわいそうな奴め。」

「どんな男だったんだろう。」アドニラムは誰に言うともなくつぶやきました。

「ああ、あれは確か、プロヴィデンス大の学生だったよ。ものすごく優秀な奴だった。名前はジェイコブ・エイムスとかいったな。」

ジェイコブ・エイムス?おい、ジェイコブって、、、ぼ、ぼくの親友のことじゃないか!

アドニラムの目の前は真っ暗になりました。

あれほど得々と理神論を語っていたジェイコブ。大学の花形スターだったジェイコブ。

でも死を前に、彼は全く無力だった。そしてこんな宿屋で誰に看取られることなく孤独に死んでいった。

ああ、このままだと僕も彼を同じ運命をたどることになるだろう。

そうだ、家に帰ろう。とにかくすぐに家に戻ろう。

こうして彼は、とるものもとりあえず、父と母の待つ家に向かいました。

献身

その年の10月、アドニラムはアンドーヴァー神学校に入学しました。そして12月2日、自分の人生を神様に捧げたのです。

また同じ時期に、神様は、ウィリアム大学にて、宣教のビジョンに燃えた十代の若者たちを起こされました。

そしてこれらの若者たち(サムエル・ノット、ルター・ライス、サムエル・ミルズ、ゴードン・ホール等)は祈り会を結成し、アメリカの地から宣教師が送り出されるよう熱心に祈り始めたのです。

そうです!その後、アメリカ全土に拡がっていく大宣教運動の火は、これら10代の若者たちの祈り会によって赤々と灯されたのです。

The Immortal Seven

やがて彼らが1810年、アンドーヴァー神学校に入学してくると、祈りの炎は、またたく間にここにも拡がっていきました。

折しも、ブハナン博士の『東の星(Star in the East)』という本に出会ったアドニラム青年は、感動の余り、数日間、大学のクラスに出席できないくらいでした。この本に鼓舞され、彼もまた宣教について熱心に祈り始めたのです。

誘惑に打ち勝って

しかし宣教師として献身するまでには、彼には、乗り越えなければならないハードルがありました。

一つは、世の名誉、そして安定した母国での生活に別れを告げることでした。

ちょうどこの時期、アドニラムの元には、母校ブラウン大学からの教授職オファーが届き、また、ボストン最大の教会でグリフィン教授と共に共同牧会しませんかというオファーも届きました。

また、彼は、肉親との別れにも耐えなければなりませんでした。

母や妹は、アドニラムに取りすがり、泣きながら言いました。「ねえ、お願いだから、私たちの近くにいて!」

こういった葛藤を抱えつつ、彼はある日、森を歩きながら、神に祈っていました。1810年2月のことです。

こういった誘惑はあまりに大きく、彼自身、ほとんどあきらめかけたその時、次の御言葉がはっきりと力強く彼の魂に語られたのです。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」 マタイ28:19

彼は回想録の中で、その時のことを次のように語っています。

「(この御言葉に刺され)私は完全なる決心に導かれました。

今後、私の行く道には数多くの困難が待ち構えているだろう。でも、私はこの掟に従うことに決心したのです。

――そう、たとえどんな代価を払うことになっても。」

こうしてアドニラム・ジャドソンは、世の中の富や名誉、肉親に別れを告げ、1812年2月19日、インド(そしてビルマ)に向かって船に乗り込んだのです。

COLOR BURMA PICTURE

おわりに

アドニラムの半生をご一緒にみてきましたが、この中にはいくつもの有益なメッセージが含まれているように思います。

一つ目は、現在、子どもさんが信仰から離れてしまっているご両親への励ましです。

愛するお子さんが次第に教会から遠のき、世の中に引きずりこまれていくのを目にすることほどクリスチャンの親にとって心裂かれるものはないでしょう。

しかしアドニラムの回心のために祈り続けたご両親の祈りはむなしく地に落ちることはありませんでした。

主は親友ジェイコブの死という出来事をお用いになって、息子アドニラムの目を覚まさせたのです。

宿屋でまんじりともせず寝台に横たわっていたあの夜、彼はふいに故郷で祈っている母の姿を思い出したのです。

今はどんなに絶望的にみえても、あなたの祈りは確かに天に記録されています。時がくれば、主が動いてくださいます。

あらゆる状況を用いて、主はあなたの息子さん、娘さんのために最善をなしてくださいます。ですから、どうかあきらめずに、祈り続けてください。

またもう一つは、主が若者たちをどれほど尊く用いてくださったか、そして今も用いてくださっているかということです。

ウィリアム大学で始まった祈り会の炎はその後、アメリカの教会全体にひろがっていったのです。

宣教の歴史をみても、多くの偉大な業が献身した青年たちによってなされていることに気づきます。

若者には若者特有の情熱とエネルギーがあります。冒険心や新しい領域に飛び込んでいく勇敢さも、若者は宿しています。

願わくば、私たちの教会からも、アドニラムやアンのような人物が起こされますように。


付録)アドニラムの霊的日誌より(ビルマにて)

聖い生活のための規則
1819年4月4日、日曜日

1. 毎朝、毎夕、熱心に祈りをささげる。

2. 一分でも、怠惰な時間の使い方はしない。

3. 節制心をもって、食欲をコントロールする。「なんじ自身を聖く保て。」

4. 怒りや悪意の感情を抑える。

5. 野心や、名声を愛する心の動機からは、何事も行なわない。

6. その瞬間、神様に喜ばれていないなと思われることは、決してしない。

7. 他の人々、特に信者の方々のために何か犠牲を払うことのできる機会を求める。(ただし、この犠牲が、自分のなすべき責務と矛盾していない限りにおいて。)

8. キリストのゆえ、福音のゆえに失うものや苦しむこと一切において、これを喜ぶこと。

――死と同様、こういったものは故意に起こされる種類のものではないが、大きな益であることを覚えること。


1826年10月29日、日曜日 (追加)

1. 日の出と共に起床する。

2. 毎日、ビルマ語の書物を読む。(ただし日曜は除く。)

3. 常に、聖書および信仰書を読む。

4. 信仰に関係のない英語の本はいっさい読まない。

5. 不純な考えや視線を締め出す。

上述の規則を守ることができるよう、神様が私に恵みをくださいますように。これまで以上に、イエス・キリストのゆえ、主の栄光のために生きていくことができますように。

A・ジャドソン


JUDSON Genesis_Burmese
(↑ジャドソンは、熱心にビルマ語を学び、はじめてのビルマ語聖書を完成させました。この箇所は彼の訳した創世記1章です。)


☆さらに、アドニラム・ジャドソン宣教師について詳しく知りたい方への文献案内☆

To the Golden Shore The Life of Adoniram Judson

Courtney Anderson, To the Golden Shore: The Life of Adoniram Judson

ビルマの白百合――アン・ジャドソン宣教師の生涯と信仰 ココをクリックしてください(日本語)。




ナヒードのために(アフガンの民を想って)

若い兄弟姉妹に送る応援レター(その3)―宣教師ライフの醍醐味―