Child drawing
(↑6才のVちゃん〔I国からの難民のこども〕が私にプレゼントしてくれた絵です。

こんにちは。このブログを訪問してくださりありがとうございます。

このレターを書こうかどうか迷ったのですが、今日思い切って書くことにしました。というのも、私のブログに反論コメントを書いていらっしゃる方々にやはり自分なりに誠意をもって応答しようと思ったからです。

ご存知のように私は聖書を誤りのない神の言葉と信じています。しかし、そう信じていない方々がいらっしゃることも承知しています。

そういう方々にとっては、私の聖書理解やそこから導き出されるもろもろの考えが我慢ならないものに思えるかもしれません。それも理解できます。

しかし私はあなたに一つ申し上げたいことがあります。どうか聞いてください。

それは、私にとっては、あなたの意見以上に、〈あなた〉という人間が大切だということです。

私はあなたという人間―神様に愛されている一人の尊い人格―とあなたの意見を切り離して考えることができません。

〈あなた〉という人間と〈私〉という人間を離れたところで双方の意見だけが機械的に行き来する、、、私はそういう状態をすごく悲しく思います。

もしあなたが私の近所に住んでいる方だったら、私はあなたをわが家に招待したかった。そしてあなたの人生観、生い立ち、現在の聖書理解にいたるまでのライフストーリーをぜひお聞きしたかったです。

あなたのコメントを読むと私は寒い北風にびゅーびゅー吹きさらされるようなさみしい気持ちになります。

私という一人の人間がまるでそこにいないかのように、無機質な文が送られてきます。

立派な論文かもしれません。でも、私はそこにあなたの心を感じることができません。

そして私は人間の心を感じることができない空間・関係の中では息をすることができません。

child drawing green frame

あなたが今向かい合っているスクリーンの向こう側には、血も涙もない神学書ではなく、感情をもった一人の人間がいることをどうか覚えてください。

あなたが「正しい」と考えていることと、私が「正しい」と考えていることは違うかもしれません。またAさんやBさんが「正しい」と考えていることもそれぞれ異なったものかもしれません。

そういう中で、Cさんは、はたして誰の言っていることが本当に正しいのか知ることができるのでしょうか。

それは「○○が正しい」と信じている人々の具体的な生活の実をみることだと思います。

その人の論拠の正しさは、その人の生き方を通して証しされるものだと思います。

さらに、Aさんの意見(信仰)がBさんに影響を与え、やがてBさんもAさんのような考え(信仰)を持つようになる、、それはどのようにして可能なのでしょうか。

それはAさんの信じる「正しさ」が、偽りのない愛というオブラートに包まれ相手の心に届けられる時に初めて生ずると思います。

そしてそれはイエス・キリストの生涯においてもっとも如実に表されていると思います。

「というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです」(ヨハネ1:17)。

「しかし私たちがまだ罪びとであったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)。

あなたはご自身の意見を、私や私と似たような人々に印象づけたいとお考えですか?

それなら愛してください。とことん愛してください。

人はあなたの愛をリアルに感じるとき初めて、あなたに心を開きはじめます。そうして後、あなたの意見は説得力をもって相手の心に届くようになります。

今度またコメントされる時には、送信ボタンをクリックする前に、次のことを思い描いてみてください。

あなたは私の家を訪問してくださいました。「ようこそ、いらっしゃいました」とあなたはわが家の居間に通されました。

ちゃぶ台をはさんであなたと私はニコニコと向かい合っています。私はあなたにシナモン・ティーと手作りのショートケーキを差し出しました。

はい、その時です。その時、あなたは今コメント欄に書いた内容を直接私に言う事ができますか?どうかそのことを自問してみてください。ありがとうございます。

神様の恵みと祝福があなたの人生にたくさん注がれますように。

child drawing house
(↑アフガン難民 Sちゃんの描いた絵です。)











灯されし福音の光―H君の新生(A国)

「なぜ日本のクリスチャン男性は頼りないのですか?」という問いに接してー男らしさ、女らしさの回復 Recovery of Biblical Manhood and Womanhood