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はじめに

私は以前、祈りのベールについて自分自身の証し(ココ)や、その他の特集記事を書いたことがありました(ココココ)。はじめに申し上げておきますが、私はカトリック教徒ではなく、聖書信仰のクリスチャンです。

現在、世界各地で(特に福音主義のクリスチャン女性の間で)、1コリント11章のみことばに従い、以前のように祈りのベールをつける動き(回復運動)が起こっています。

しかし動きといっても、集団で大挙をなすタイプのムーブメントではありません。むしろ、あちらで一輪の花が咲き、こちらでも一輪の花が、、、といった風に、聖書を読み、祈る姉妹たち一人一人の魂に主が働きかけてくださっているのです。

ですから祈りのベールをつけるよう導かれた姉妹は、通常、教会でたった一人、かぶり物をつけて礼拝に参加し、信仰生活を送っている場合が多いのです。

さらに特筆すべきことは、ベールをつける決心をした姉妹の多くが、年配女性というよりもむしろ、あなたや私のような20代~30代の若い女性だという点にあります。

こういう女性たちは、自らの弱さや羞恥心と闘いつつも、この世の潮流に抗し、聖書の価値観に従って生きようとしています。

今日みなさんとお分かち合いしようと思っているのは、そういった姉妹たちの証しです。最初にとりあげるのは、アッシュリー姉妹(22歳)のライフストーリーです。彼女は若さ溢れるニューヨーカーであり、アフリカ系アメリカ人です。

またその後、ロシア出身でカナダ在住のイリナ姉妹(25歳)の証しをとりあげます。

イリナさんは、生まれつき身体障害があり、それゆえに、子どもの時からずっとひどいいじめを受けてきました。しかし彼女は「そういったいじめ体験が、私を真理探究に向かわせました」と語っています。彼女の話にもどうぞ耳を傾けてください。

また、この記事の最後には、Head Covering Movementの創始者ジェレミー・ガーディナー兄弟からの励ましのメッセージ(『あなたは独りで立ちますか?-祈りのベールをつける最初の人になろう!』)を載せました。

ジェレミー兄自身、カナダ人の若者です。ユーモアを交えながら、彼は心に染みる感動的なエッセーを私たち姉妹のために書いてくださいました。

私は彼のこのエッセーを、「祈りのベールをつけたいけど、その勇気がない。神様、助けて!」と祈っている真摯なあなたに特に読んでいただきたいです。

あなたはひとりじゃない。あなたのことを理解し、熱く応援してくれている人がいるということを実感できると思います。そして100倍勇気づけられると思います。

愛する日本の姉妹のみなさん、応援しています!

☆☆

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アッシュリー・ブラウン姉妹の証し
(出典:http://www.headcoveringmovement.com/testimonies/covering-testimony-ashley-brown 翻訳許可をいただいた上で2014年11月翻訳いたしました。)

年齢:22歳
所:米国ニューヨーク州ロングアイランド
祈りのベールをつけ始めた時期:2013年9月

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1)読者のみなさんに、自己紹介してください。

私は22歳で、ニューヨークのブルックリン生まれ、ロングアイランド育ちです。

私の趣味は、作曲、ピアノ奏楽、バスケ、それに楽しいこと何でも好きです。私はオープンで社交的な性格です。地元に住んでいる人をみんな知っているというタイプの娘ですが、本当の友だちといえるのは数人です。

私はイエス様が大好きで、主を喜ばせたい、主に仕えたいというのが自分の唯一の願いです。

私の家族はすてきな人たちです!うちはホームスクーリング家庭です。母は賢い人で、主に熱心に仕えています。私の継父は現在うちの教会の賛美リ―ダ―をしています。父はやさしくて、穏やかで、心のひろい人です。私は7人兄弟の真ん中ですが、兄弟仲がすごくいいです。

私は常に宣教に対する情熱がありました。そして今年から中国宣教に関わり始めています。でも何か特別なことをしているわけじゃありません。行く先々で御言葉を分かち合い、世の中のものから聖別された者として、自分の信仰についてお証ししているだけです。

にもかかわらず、神様は働いてくださり、私を変えてくださっています。そのことを主に感謝しています。

2)あなたはどこの教会に通っていますか?教えてください。

私はロングアイランドにある教会(non-denominational)に通っています。うちの教会はかなり大きいです。メンバーは500-600名以上います。やさしく、協力的な人ばかりです。

また私はヴォディー・バウハム師、ポール・ウォッシャー師、ビル・ゴサード師の説教が好きです。

3)どのような経緯で、祈りのベールをつけるようになったのですか?

話は中国への長期宣教旅行に行っていた時にさかのぼります。

その当時、数カ月に渡って、神様は私に慎み深い服装をするよう内的示しを与えてくださっていました。でも、慎み深い服装といってもいったい何から始めていいものやらさっぱり分かりませんでした。というのも母教会の人々、学校のともだち、家族みな同じようなファッションをしていたからです。

でも神様はある時点でついに私の服装を決定的に変えてくださったのです。そしてそれは絶妙のタイミングでした。

というのも、私の宣教フィールドは、中国人を除けば、その他は大部分イスラム教徒だったからです。効果的な宣教をする上で、この慎み深い服装というのは大きな役割を果たすと私は思います。

それはともかくとして、聖霊が私にその事をはじめて示してくださった時、私は服装を完全に変えるまで部屋を出ることができませんでした。

私に示された慎み深い服装とは、ロングスカート、それに胸の部分を覆うスカーフでした。そういうスカーフをすることで、体のラインが隠れ、変な注目を避けることができるのです。

でも最初私はおびえていました。なぜって他の人と違っているのが怖かったからです。でも聖霊は私がこれ以外の着方をするのを許しませんでした。

神様に対するこの服従は、正しい決断をする上での一つの大きなステップでした。またこの事を通してさらに自分自身を余すところなく主に明け渡す覚悟ができました。そして自分の育ってきた異教文化からさらに聖別される覚悟もできました。

そんなある日のことです。御言葉を黙想し、深い祈りのうちにあった時、私は1コリント11章の言葉に行き当たりました。

実は以前にもその箇所にぶち当たったことがあり、教会の長老のところに質問に行ったことがありました。すると長老は「この箇所は今日の私たちには適用されない」とおっしゃいました。

私は当時まだ子どもだったのですが、その説明になにか納得いかないものを感じました。とはいえ、私は長老の言葉の影響を受け、それ以上は考えないことにしました。

でも今回その箇所を読んだ時、私はそこを素通りすることができませんでした。なんだか頭がおかしくなりそうでした。だって聖書はここで明らかに二種類のかぶり物のことを言っているではありませんか。

一つは祈りおよび預言する際のかぶり物、そしてもちろん後半の箇所で神様は、私たち姉妹に男性のように髪を短く切ってはいけないことをおっしゃっています。

私は家族や親しい友人たちにメールを出し、これに関して意見をきいてみました。

祈る時にかぶり物を着けないのは、髪をそっているのと同じくらい恥ずべきことだと神様はおっしゃっています。髪をそるというのは、当時、不名誉の象徴でした。つまり、これは深刻な問題なのです!

もちろん私のクリスチャンの友人たちは、この聖書箇所をどうにか解釈した上で、「だから結局ここの御言葉に従う必要はない」ということを正当化すべく、いろいろ答えを持っていました。

それで私は考えついたのです、、、いっそのこと神様に祈って、直接主に訊いてみたらどうだろうと。この時点で私はすでに聖霊に示されていたので、かぶり物をつけ始めていました。

私は祈り神様に訊きました。「主よ。本当にこれをつけなければならないのでしょうか?」すると御霊は「もしわたしがあなたにそう示したなら、あなたはそれに従いますか」と私に示してくださいました。

それ以後、私は自分のすべきことが分かりました。たくさんのクリスチャンが変な目で私をみるようになりました。

中には私がイスラム教か何かに改宗したのかと思った人もいる位です。私のことを物笑いの種にし、あざ笑う人たちもいましたが、私は神様がおっしゃってくださったことについて確信がありましたので、揺らぎませんでした。

なぜ自分の頭を覆うのかということについても神様はその理由を明かしてくださいました。それは単に外面的なもの、ないしは慎み深さといった理由だけでなく、私が神様の権威の下にあること、そして結婚後には夫の権威の下にも置かれるということを私に気づかせる目的もあったのです。

そして自分は未来の夫に対して従順である必要があるばかりでなく、神様に「こうしなさい」と言われること全てに対して従順である必要があること――これについても私に気づきを与えてくださいました。

4)ベールをつけて初めて日曜礼拝に参加した時、どんな気持ちでしたか?

中国で通っていたインターナショナル・チャーチの礼拝に、はじめてかぶり物をつけて現れた時、教会の人は私のことをいぶかしげに見ていました。

でも毎週毎週、かぶり物をつけて教会にやって来る私を見るにつれ、これは単なる奇習ではなく、もっと深い何かであることに彼らは気づき始めたようです。

多くの人が私のところにやって来て、なぜかぶり物をしているのかと訊いてきました。そしてそれに対し私は理由を説明しました。

しばらくすると、教会の姉妹の多くが私の感化を受けはじめました。彼女たちはまだ実際にかぶり物をつけるところまではいっていませんが、「もしかしたら、これが神様が願っていらっしゃることかもしれない」と心を開き始めています。

その教会はインターナショナルでしたので、かぶり物の習慣を今も守っている文化圏の姉妹たちもいました。たとえば、インド人姉妹は全員、頭にかぶり物をしていました。彼女たちはパウロの書いたあの聖書箇所を非常に真剣に遵守していたのです。ガーナのある地域から来た姉妹たちも祈りのベールをつけていました。

休暇でアメリカに一時帰国した時、母教会に行くのが最初かなりこわかったです。もしベールをつけずに教会に行くのなら、私は内心苦しむだろう。それに魂の内の何かがそれはいけないと私に言っていました。

かといってもしかぶり物をするなら、いろんな人の注目を浴びることになる、、、だって、、こ、ここはアメリカなんですもの!!

ベールをつけ始めた時、私は一種「中東風(といっていいと思いますが)」にかぶり物をつけるよう導かれました。ですから、それは隠そうにも隠せない代物だったのです。

それだけじゃありません。私は賛美チームのメンバーでしたので、なんと「ステージの上で」ピアノを奏楽しなくちゃならなかったのです!

とにもかくにも私は礼拝に行きました、、、でも予想に反しておそれていたようなことは起きませんでした。それどころか逆に、人々は私の身なりを誉めてくれ、「いいね」と言ってくれたのです。

誰しも心の奥底では、慎み深く身を包み、スカーフをつけることには、ある種の尊敬が込められており好ましいことだと感じているのだと私は思います。

5)人の目がこわくてかぶり物をつけることができずにいる女性たちに何かアドヴァイスがありますか?

とにかくやってみてください。もし神様があなたを導いておられ、聖霊によって示されているのなら、おそれずに、とにかくやってみてください。

イエス様は、私たちが主のためにいのちを失う時はじめて、それを見い出すだろうとおっしゃっています。また日々自分を否む必要性をイエス様はおっしゃっています。さらに自分に死なない限り、実を結ぶことはできないことを主はおっしゃっています。

また主に従っていくことは、父や母や家族を否むことでもあるとイエス様は言われます。これは大きな信仰のステップであり、これを通して神様と私たちの関係は今までよりもずっと親密かつ個人的なものになります。

かぶり物というこの小さい事に関して主に従うことができるなら、今後さらに大きな事に対しても従うことができるようになるでしょう。

従えば従うほど、キリストにある私たちの人生はより良いものへと変えられていきます。これ(祈りのベール)を従順の象徴としようではありませんか。そして主を信頼していきましょう。

6)あなたはどんなかぶり物をしていますか?どこで購入していますか?

私はスカーフを使っていて、いわゆる「中東風」にかぶっています。つまりスカーフで頭部分と胸の当たりを覆っているのです。私はそれを小物屋さんやスカーフのお店で買っています。

アフリカン・スタイルの帽子やヘッドバンド、頭に巻くスカーフなど他のかぶり方もありますが、そういうファッションでは(アフリカ系アメリカ人である私の場合)かぶり物の真の意味があまりはっきりしないのです。

とにかく聖霊によって私は中東風のかぶり方をするよう示されているので、それにただ素直に従っています。

そして私はそこから大きな喜びを得ています。神様を以前よりももっと近くに感じます。またかぶり物は私たちが神様と男性の権威の下にあることを象徴し、思い出させてくれます。

私は父に従順に従い、父を敬う必要があり、結婚後には夫を敬愛し、従う必要があります。

かぶり物をつけたことで、従順という行為に対する私の態度が変えられました。そして天のお父さまにとって聖なる宮でありたい、生けるささげ物となりたいとますます願うようになりました。

ありがとうございました。

☆☆
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イリナ・グラツコヴァ姉妹の証し

(出典:http://www.headcoveringmovement.com/testimonies/covering-testimony-irina-glazkova#more-4318 翻訳許可をいただいた上で、2014年11月翻訳しました。)

年齢:25歳
所:カナダ、NL州セイント・ジョンズ
祈りのベールをつけ始めた時期:2010年10月

1)読者のみなさんに少し自己紹介してください。

こんにちは。私の名前はイリナ・グラツコヴァで私は独身のクリスチャン女性です。私はロシアから来ました。カナダには2007年9月より在住しています。それ以前には交換留学生として11カ月米国に住んでいました。

私は多くの思想探究の旅を続けた末、12歳の時、主イエス様を救い主として心に受け入れました。

私は生まれつき身体に障害があり、これまで7回手術を受けてきました。自分が身体障害者だということで、子ども時代から10代にかけ、私は深刻ないじめに遭ってきました。

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私が生まれた時、病棟の医者たちは母に、「この子を病院に置いていかれたらどうですか。ひどく病弱ですし、それに身体的にいくつもの欠陥があります」と説得しました。

悲しいことに、これはロシアおよび旧ソ連諸国では普通に行なわれていることなのです。

でも母はそれを拒みました。そして母は多くの犠牲を払って私を育ててくれました。私の最大の夢は、自分の家族が救いに導かれることです。

深刻ないじめに遭ってきたと書きましたが、このいじめの体験は、私を真理探究に向かわせました。この世に正義が存在しないということが私にはどうしても受け入れられませんでした。

私は母と連れだってロシア正教会に通っていました。でも、聖人に祈ったり、イコン等の前にひざまずいたりすることに葛藤を覚えていました。

交換留学生として米国に滞在していた時、私はバプテスト教会の牧師家庭にホームステイしていました。そしてそこで私の信仰は成長し始めたのです。その時、私は17歳でした。

米国滞在後、カナダの大学に進学することを私は考え始めていました。ちょうどその頃、息子さんの卒業式に出席するため、現在私が通っている教会(フェイス・バイブル・チャペル)から一人の婦人が米国にやって来られました。

さらにニューファウンド記念大学から入学許可および奨学金をいただくことができました。

こうして主は私をここニューファウンドランドに導いてくださったのです。私はハイキングや散策、小物作り、読むこと、書くこと、歌うことが好きです。いろいろな形の雲をみるのも好きです。

2)あなたはどこの教会に通っていますか。あなたの教会のことを少しお話ください。

私はnon-denominationalのフェイス・バイブル・チャペルに通っています。教会の規模は小さいです。

以前、米国ミシガン州のローズビルにあるコーナーストーン教会を訪問したことがありますが、会員数約3000人という巨大さに驚きました。私の教会は世界各地に宣教師を送り出しており、またさまざまなミニストリーに協力しています。

私たちは礼拝の前と後に共に賛美を歌います。私は牧師先生の説教が好きです。それは人の心の琴線に触れ、また具体的な生活に適用することのできるすばらしいメッセージです。

また平日にはたくさんの聖書勉強会が開かれ、毎週金曜日の朝7時には祈り会および朝食会があります。

3)どういう経緯で祈りのベールをつけるよう導かれたのですか?

私はロシアで生まれ、17歳までロシアに住んでいました。そして時折私たち家族はロシア正教会に通っていました。

そこでは既婚女性は頭巾で頭を覆うことが義務付けられていました。また、5歳以上の女の子もかぶり物をつけるべきだと言っている神父さんも大勢いらっしゃいました。

2006年、前に述べたように私は交換留学生として米国に来ました。そこで聞いたのが、「かぶり物というのは文化的な習慣だった」という説明でした。それで私はかぶり物についてそれ以上考えなくなりました。

そして2007年、カナダに来た私は現在の教会に通い始めました。教会に行った最初の日、数人の女性が礼拝中、レースのベールをつけているのに気づきました。

牧師先生や長老が私にベールをつけるよう言ってこられるかもしれないと思って念のため、私はかばんの中にスカーフを入れていました。でも誰もそうするよう言ってきませんでした。

後で人に訊くと、レースのベールをつけている女性たちは、夫に対する従順のしるしとしてかぶり物をしているのだと説明してくれました。

それで、しばらく私はそのテーマについて何も考えないようにしていましたが、依然としてそれは心から離れませんでした。その後、私はかぶり物に関する記事や論文をたくさん読み、多くのビデオも観ました。

そして1コリントの手紙を何度も何度も読み、祈った後、私はかぶり物をつける決心をしました。

創造の秩序、権威、「御使いがみている」というのは万人に当てはまることです。それに使徒パウロは髪の長さについて言及する前に、かぶり物について語っているのです。

女性の髪の長さは礼拝中もしくは祈りの間、変わるものではありません。ですから、特にこういった礼拝や祈りの時、女性は頭にかぶり物というしるしが必要であるとパウロは言っているのです。

私はそのことについて長老に相談に行きました。すると長老は、「もし神様があなたをそのように導いておられるのなら、あなたはかぶり物をつけるべきです」とおっしゃいました。

祈りのベールをつけ始めた後、私は自分のうちに大きな喜びを感じ始めました。現在私は、礼拝、聖書の学び会、(他の方々と一緒に祈っている時であれ、個人的に祈っている時であれ)祈りの時に、ベールをつけています。

4)祈りのベールをつけていて最もすばらしいと感じる時、また逆に最も大変に思う時はどんな時ですか。

ベールをつけ始めてから私は今までよりもずっと神様を近くに感じるようになりました。

また礼拝の時、祈っている時、御言葉を読んでいる時、以前に比べて気が散漫になることが少なくなりました。また主に近づく上で前よりもずっと謙遜な心そして大胆さをいただくようになりました。

それに女性にはかぶり物をつけることが求められているということを知った私は、今まで以上に特別なアイデンティティを感じるようになりました。

考えてもみてください。自分たちの着こなしによっても私たちは救い主イエス様にお仕えすることができるんです!――これって本当にすばらしいことじゃないでしょうか。

それに、前よりももっと聖書やお説教の内容が理解できるようになりました。また「どうしてベールをつけているのですか」と尋ねてこられる方もいらっしゃいますので、信仰を分かち合うすばらしい機会も与えられています。

一方、つらいこともあります。私は聖歌隊の一員として他教会を訪問することがあるのですが、そういった教会では祈りのベールをつけている姉妹はおらず、「律法主義者だ」とレッテルを貼られたり、裁かれているように感じることもあります。

数年前、ある女性のお世話をしていたことがありますが、その方は私に、「かぶり物というのは抑圧的です。そして、かぶり物をつけるという行為によってあなたはキリストの払ってくださった犠牲をないがしろにしているんですよ」と言われました。

5)人の目が気になり、そういった恐れから祈りのベールをつけることができずにいる女性たちに何かアドヴァイスがありますか。

恐れというのは私たちを麻痺させ、私たちが信仰のために立ち上がることを不可能にしてしまう場合があります。

また恐れから、多くの人々は問題を自分流にとらえはじめ、それによって神様のご計画を台無しにしてしまうこともあります。

恐れにつかれたアブラハムは妻を他の人にやってしまいました。ペテロは三回イエス様を否みました。そしてアダムとエバは神様から隠れようとしました。

イエス様は「わたしに信頼しなさい」と私たちにおっしゃいました。そして「恐れてはならない」とおっしゃいました。クリスチャンとして私たちは人ではなく神をおそれるべきです。

また祈りには力があることを覚えてください。私たちはイエスにあって勝利者なのです。そして神様は私たちの力の源です。

それに、かぶり物にはいろんな選択肢があります。例えば、スカーフだけでなく帽子もれっきとしたかぶり物です。あなたの文化圏で帽子の方がより受け入れられているのでしたら、帽子をかぶってみたらどうでしょうか。聖書は特別な布地や色、スタイルなどを特定してはいません。

6)あなたはどんなかぶり物を使っていますか。どこで購入していますか。

私はいろんな種類のかぶり物を使っていますが、通常、四角形のスカーフを二つに折り、あごの下で結ぶ(つまり、伝統的なロシア・ベラルーシ・ウクライナ式のかぶり方)か、もしくはバンダナ式に結んでいます。

時々、パシュミナ・ショ―ルや長方形のスカーフをヒジャーブ風に覆うこともあります。ヒジャーブ風と言いましたが、でも髪の毛は全部隠れているわけではありません。また夏場には帽子をかぶります。

聖書の学び会の時など、単にセーターのフードをかぶる時もあります。またGarlands of Graceというオンラインのお店も友だちに紹介してもらいました。友人がクリスマスや誕生日にベールをプレゼントしてくれることもあります。

ですから現在、私のかぶり物は10個以上あると思います。そしてその日の服装にかぶり物がフィットするよう気をつけてもいます。

ありがとうございました。

☆☆
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あなたは独りで立ちますか?――祈りのベールを着ける最初の人になろう!(Will You Stand Alone?: A Call to Be the First to Cover by Jeremy Gardiner)

独りで立つのは大変なことです。本当に大変なことです。

自分の性分に合わないことをし、また他の人と違っているというのはしんどいことです。寄らば大樹の陰ということわざの如く、大多数の中にいれば安全です。

ジロジロ見られたり、さげすまれたり、笑われたり、仲間外れにされたりしたい人なんて誰もいません。おかしな変わり者と思われたい人なんて誰もいません。

「祈りのベールをつけるのは今日にも適用されるべき聖書の掟だ」ということを確信するにいたった多くの女性にとって、これを独りで実践しなくちゃならない――それが、一番こわい部分でしょう。

ひとりぼっちのダンサー

数年前、TEDのトークショーを観ていたのですが、どのようにしてあるモ―ブメント(運動)が始まるのかについて説明していました。

スピーカーがビデオをみせてくれたのですが、それを観ると、一人の若い男が外で独り踊っていました。

彼の周辺の人々はといえば、皆、ゆったりくつろいでおり、日光浴をしていました。そんな中、この男はばかみたいに独りでがんがん踊っていたのです。

「このひとりぼっちのダンサー、この人がリーダーなんです」とスピーカーは言いました。

その後、もう一人の男がダンスに加わり、二人して踊り始めました。こうしてさらにもう一人が加わり、さらにもう一人と参加者が増えていきました。

そうするうちに、一群の人々がいっしょになって踊り始めました。

「さらに大勢の人が加わるにつれ、それはもはやリスキーなものではなくなるのです。目立つわけでもないし、笑い者にされる心配もありません」とスピーカーは続けました。

他の人も大勢やっているので、群衆は安心して踊れるのです。つまり彼らは多数派なのです。

しかし、これは最初のあの勇敢な男なしには生じえませんでした。誰かが立ち上がり、始める必要があるのです。そうしてその人が始めることにより、他の人はそれに続きやすくなるのです。

最初の人となって

なぜ女性たちが祈りのベールを着け始めたか(あるいはやめたか)という証しを聞きながら気づいたことがあります。それは、多くの場合、彼女たちの通う教会で他の人がどのようにしているかということに関連しているのです。

デスィリー・ハウサム姉妹は、「友人が、帽子をかぶって礼拝に参加はじめたこと」がきっかけとなったと証ししています。

このような友人の姿を見たデスィリー姉妹とご主人は、かぶり物について再び聖書を学び始め、やがて自分たちにも確信が与えられると、彼女は祈りのベールを着け始めたのです。

同じように、ダニカ・チャーチル姉妹は、「ある家族がうちの教会に通いはじめたのですが、彼女たちはかぶり物をかぶって教会にやって来ました。ちなみに当時、うちの教会でかぶり物をつけている人は誰もいませんでした」と証しの中に書いています。

その家族は独りで立たなければならなかったのですが、結局それがダニカ姉とご主人に感銘を与え、この御夫妻は自分たちで御言葉を探究し始めたのです。

現在、その教会では、チャーチル夫妻だけでなく、牧師夫妻を含めた多くの兄弟姉妹にも確信が与えられ、姉妹たちが祈りのベールをつけています。

「祈りのベールは今日も適用されるべき聖書の掟だ」という確信をするにいたった女性たちは教会の中にたくさんいます。しかし、彼女たちは独りで立つことをおそれています。

このサイトに寄稿してくださったある女性は、自身のかかえているジレンマを次のように表現しています。

「かぶり物をつけて祈っている姉妹を地元で見つけるのは至難の業です。もし自分の住んでいる地域にそういう誰かがいたら、そして一緒に祈りのベールをつけ始めることができたら、私はもっと容易に実践できていただろうと思います。

ベールをつける必要があるのは分かっています。でも私はやらないと思います。それを実践すると考えただけでも神経が疲れます。そうすることが望まれているのは分かっている。

でも依然としてやりたくないと思っている自分がいるんです。――そうする必要があると知っているにもかかわらず。」

人目が怖くて御言葉に従えない――とはいっても、それでこの掟に従わないことが正当化されるわけではありません。でも、私は彼女たちに同情したいと思います。

彼女が独りで立つ必要がなかったのなら、どんなにかよかったでしょう。ある人がその行ないにより模範を示すことによって、他の人が勇気付けられ、後に続くことができるのです。

アリス姉のようになろう

もしあなたの教会にかぶり物をつけている人が誰もいないのでしたら、どうかアリス姉のようになってください。

彼女は「かぶり物に関する確信を何年も前に与えられていたにもかかわらず、プライドと見栄のため(目立ちたくない、人目が気になる、、)良心の声を打ち消していました」とこのサイトの寄稿文の中で言っています。

アリスは独りで立ちたくなかったのです。

しかし彼女曰く、悲しいことに「その後4年に渡って、私は霊的に葛藤しつづけました。というのも、自分の心に真っ正面から向き合った時、このベールの問題を再び見出しつつも、ああ、これについてはこれ以上考えたくないと考える自分がいたからです。」

なにかをすべきと分かっていながらそれをしないのは罪です(ヤコブ4:17)。アリス姉が証言しているように、悔い改められないままの罪は、私たちの霊的成長を大きく阻みます。

彼女はこう続けてこう言っています。

「今まで公の礼拝でベールをつけたことはありませんが、今週の日曜日から始めようと思っています。そのことで人に注目されるんじゃないかと思うと怖さに心がふるえますが、神様に対する従順というのが、他の何にまさって大切だということを今理解しています。ですから、私はこのステップを踏む決心をしました。」

独りで立つ人は、リーダーであるだけでなく、しもべでもあります。

彼女たちは、こういった大変なことを仲間の姉妹たちのためにやることによって、同胞姉妹たちに仕えているのです。

彼女たちはあざけりに耐え、「私自身は〈変な人〉と思われてもいい。もしそれによって、仲間の姉妹たちが白眼視されずにすむなら」と覚悟を決めているのです。

そうして彼女は従順を通し、他の女性たちが後に続きやすいようにしてあげているのです。

それだけでなく、デスィリー姉とダニカ姉が証ししているように、そういった姉妹の従順の行為により、他の人々もかぶり物の真実について自ら聖書を探究するよう導かれているのです。

それで私はあなたにお尋ねします。あなたは独りで立ちますか?

教会の中で最初にベールをつける女性になることによって、同胞の姉妹たちに仕えたい、そう思いますか。

もしそういう思いがあるなら、あなたは例のダンサーのようになるでしょう。そうしてやがてあなたを見倣い、人々があなたの周りに群がってくることでしょう。

(出典:http://www.headcoveringmovement.com/articles/will-you-stand-alone-a-call-to-be-the-first-to-cover)


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