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昨日、アテネの中心にあるシンタグマ広場の前を通りかかりました。見ると、そこには何十人ものシリア戦争難民がいて、毛布にくるまり路上に寝ていました。

一方、寝ている彼らの向かい側には、アテネで一番豪奢な五つ星ホテルがそびえたっており、陽気なクリスマス・ムードで沸き立っていました。

ここに私は今のこの世界の縮図をみるような気がしました。

ニュースをみても、新聞をめくっても、私たちは日々、貧困、戦争、犯罪、難民、、といった目をそむけたくなるような世界の現実に直面します。

その一方で、私たちの日常生活も同時進行していきます。日々の小さな喜びがあり、心配や憂いがあり、将来の希望があります。

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あなたは今、高校生でしょうか。それとも大学生でしょうか。

あなたはクリスチャン学生かもしれないし、そうじゃないかもしれません。

私は高校と大学のほとんどの時期をノン・クリスチャンとして過ごしました。そしてこの時期、私はいろいろと葛藤し、周り道もし、そうしながら自分なりに生き方を模索していました。

高校、大学というのは本当に尊いすばらしい時期だと思います。

あなたの前には今、ありとあらゆる選択肢が拡がっています。そして、あなたは自分の興味・関心に従って、そういった選択肢の戸を一つ一つ開けてみることができるのです。

また物事を真剣にじっくり考えることができるのもこの時期です。

私は自分の青春の大部分を、日韓の歴史問題および和解運動に費やしました。そしてその途中で行き詰まりを覚え、絶望するにいたるプロセスの中で、聖書の神様の赦しと愛を知り、救われました。

「私は一体なにに向いているんだろう?」
「本当にこの専攻でいいのだろうか?」
「卒業後、就職すべきか、それとも院に進学すべきか?」

そしてあなたがクリスチャン学生なら、こういった問いの上にさらに、

「神様のみこころは何だろう?」
「私がこの道に進むことははたして神様のみこころだろうか?」
「世的な野望が混ざってはいないだろうか。」
「就職するよりも献身すべきなのか」等、、、

という信仰上の問いが重くのしかかっているかもしれません。

さて、どうすればよいのでしょう?どのようにしたら将来の進路がはっきり分かるようになるのでしょう。

私は自分の高校・大学時代を振り返って思うのですが、私たちが自分にとって一番心にひっかかる問題(それが途上国の貧困問題であれ、幼児虐待であれ、水質汚染であれ、いじめ問題であれ、、)に真摯に取り組んでいく時、そこからいろいろなことが見えてくるようなのです。

そして、どの入口から入っても、私たちが真剣にその課題に向かい合い追求していくと、最終的には、その旅の終着点で聖書の神様に出会うと思います。

そして、そのプロセスの中で、「私が人生をかけて愛すべき隣人は誰か」ということがみえてくるでしょう。

それがみえてくると、後の選択はしやすくなるはずです。

さて今日、みなさんにご紹介しようと思うのは、大学時代に、そんなプロセスを通りつつ、将来の進路、そして神様からの使命を見い出していった女子大生の証しです。

彼女の証しが将来の進路のことを祈っているみなさんにとって、何らかの助けとなるならとてもうれしいです。

☆☆
ミッシェル・カオ姉妹(Michelle Kao)
 バンコクのスラム街で目を覚まして


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今朝、バンコクのスラムで目を覚ました私は思いました。「えっ?私、どうやってここまで来ちゃったんだろう?」

こう自問したのはこれが初めてではありません。これまでの4年間、私はずっと問い続けてきました。

私はいたって平凡な人間です。繊細な性格でもあります。

「スラム街の住民になること」なんてもちろん、子ども時代の夢のうちには入っていませんでしたし、「宣教師になる」というのも全く論外でした。それなのになぜか結局、私はバンコクのスラム街に住む宣教師になってしまったのです。

☆☆

メリーランド州ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学。私はこの大学の一年生となりました。

最初の学期に私は二、三のことを発見しました。1)私は工学に全く向いていないということ。2)イエス様が大好きだということ。そして3)ボルティモア市にはいろんな問題があるということでした。

全盛期を過ぎしこの都市には、殺人事件、麻薬、貧困が蔓延していました。また教育制度は、全米でも最下位で、社会的・経済的な階級や人種間に大きな隔たりがありました。

神様、これについてあなたはどうお考えになっていますか?

ミシガン出身の中華系アメリカ人である自分にとって、これらは全て衝撃的でした。心引き裂かれました。

信仰が成長していくにつれ、私はこういったことを熟考するようになり、神様に尋ねました。

「主よ、あなたはこういった問題についてどう思っていらっしゃいますか。ここに相手を傷つけ、誰からもケアされず、貧困に苦しむ人々がいます。あなたはこういった人たちのことをどう思っていらっしゃいますか。あなたの心も引き裂かれていますか?」

そうすると見えてきたのです。聖書を読み進めるうちに、貧しい人々をいたわる神様の心が見えてきたのです。

そして不正義に対する神の怒りが見えてきました。さらに貧しい人々と共におられし神の受肉(=イエス)そして主の謙遜さに目が開かれ始めました。

それ以前には見えていなかったことが、今や見えてきたのです。そして御言葉を通して神様ははっきり、「もちろん、わたしは貧しい人々のことを考えている」と明示してくださったのです。

そして私は次第に次のように神様に尋ね始めました。「どのようにあなたは貧しい人々をケアしてくださっているのですか。私にもどうかそれを見させてください」と。

私は神様の働きをぜひ見たいと思いました。それで私は都心の教会のメンバーになりました。そしてそこで難民の子供たちの勉強を助けたり、近くの診療所で奉仕したりしました。

また大学拡張によってつまはじきにされているコミュニティーの人々を支援する活動に加わったり、インター・ヴァースィティで正義に関する聖書の学び会を導いたりしました。また自分の専攻を公衆衛生に変更しました。

私はとにかく最善を尽くし、神様が貧しい人々をどのようにケアしてくださっているのか、そのみわざを見ようとしていました。

そしてそのプロセスの中で、私はいのちを見い出しました。神様は私にとってもっとリアルな存在になりました。

さまざまな課題を通して、自分のアイデンティティがもっとくっきり浮かび上がってきました。日常生活がもっと意味を持ったものになっていきました。

そして私は神様が愛しておられる人々を共に愛することができるようになっていきました。

バンコクでの夏

2002年、大学四年生の夏、私は次の秋学期から医学部に進む準備をしていたのですが、カルカッタにあるハンセン氏病診療所での夏季奉仕(インターヴァ―スィティ主催のGlobal Urban Trek)に参加することにしました。

国際公衆衛生の現場で働くことにより、将来的な医療活動の方向性がみえてくるかもしれないと思ったのです。

しかし、出発の一週間前に、インド・パキスタン間の紛争により、インド行きが不可能となったのです。それで私たちは乗り継ぎ地であったバンコクに滞在することに決めました。

出発までにもう一週間もありませんでした。私たちのチームは祈り、神様の導きを求めました。

すると、「神様は私たちを売春産業の犠牲となっている女性たちを救出する働きに導いておられるのではないか」とチームの皆は感じ始めました。

そうだ、私たちは売春の悪しきかせを砕くのだ。うちのチームの人たちは皆、興奮し、「よし、バーの中でも神様の福音を宣言しよう。暗い場所のただ中で正義を見い出そう」と張り切っていました。

そんな中、皆と一緒に喜べないのは私だけでした。

私は思いました。こういう目的のために夏季奉仕に申し込んだわけじゃない。私はあくまで医療ミッションの経験を積みたかった。それなのに、今私は、こんな場当たり的で、危険、かつ(私の目に)馬鹿げた夏季プロジェクトに参加する羽目になってしまった。

経験も何もない学生たちが、バンコクの売春街に乗り込んでいって、それで救出の門戸を開き、女性たちをそこから導き出す?「ちょっと、みんな。落ち着いて考えようよ。」それがそんなに簡単にできることだったら、今までにすでに解決されているはずじゃない?

でもそういった不安や懐疑心があったにもかかわらず、私はそこに神様のなにかを感じました。それで私は行くことにしました。

その夏、バンコクで私は神様と格闘しました。私は居心地悪さを感じ、場違いな感じがし、何をしてよいのかよく分かりませんでした。そして売春や貧困問題に圧倒されてしまいました。

この巨大な悪のシステムにどうやったら変化がもたらされるのか?この都市はいかにして変えられるのか?そこになにか希望はあるのか。なぜ私はここにいるのか。

ある晩、私たちは聖書の学びをしていたのですが、その日の箇所はマルコ6章でした。

その箇所を読むと、二人一組で遣わされた弟子たちが宣教やいやしの奉仕から戻ってきて、イエス様が彼らに「あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」とおっしゃっていました。

しかし、多くの人々は彼ら弟子たちが出て行くのに気づいて、方々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまったのです。そんな群衆をごらんになったイエス様は彼らを深くあわれみ、いろいろと教え始められました。

そして弟子たちはといえば、休むどころか、群衆のために大規模なピクニック・ランチを用意しなければならなかったのです。

幸いなことに、人々は食べて満腹しました。その後、イエス様は弟子たちを舟に乗り込ませ、祈った後に、向こう岸で会うことにしました。その後、弟子たちが、向かい風のため漕ぎあぐねているのをイエス様はご覧になり、超自然的に湖の上を歩いて、彼らに会い、そのままそばを通り過ぎようと考えておられました。

しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげたのです。

そしてマルコは一連の出来事を次の聖句で締めくくっています。「というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである」(マルコ6:52)。

ちょっと待って。イエス様は何とおっしゃってる?イエス様のもっとも間近にいた弟子たちでさえイエス様のなさった奇蹟が分からなかった、、なぜって彼らの心は堅く閉じていたから。

おお、なんて情けない話!もしかしたら、彼らは何か別の形でイエス様との休みを期待していたのかもしれない。もしくは何か別なものを見たかったのかもしれない。

とにかくそれが何であれ、イエス様が彼らのただ中で実際に行なっておられたことに対して、彼らの心は開かれていなかったのです。

ああ、私自身そういうことになりませんように!自分自身の期待や考えにとらわれる余り、イエス様がなさっておられることに盲目になることがありませんように。

希望の新しい土台

それ以後、私の視点は完全に変わりました。自分が接している人々を新しい視点でみるようになりました。

バーで働いている人々、そこに集う人々の心のうちにイエス様のかたちを見るようになりました。そして自分ができることではなく、イエス様がおできになることに新しい希望を持つことができるようになりました。こうしてその夏、神様はすばらしく私に働きかけてくださったのです。

この夏季奉仕も終わりにさしかかった頃、特別祈祷会が開かれました。そして「この都市の貧民に仕えるよう召されていると感じた人は、立ち上がってください」という呼びかけがありました。

私の心の中で神様が起こしてくださった変化、そして貧しい人々を愛する過程で主が私に与えてくださった喜びゆえに、私は「貧しい人々に仕えることによって、私があなたに仕えること――これを許してくださいますか?」と主に訊ねました。

そして私は立ち上がりました。皆、私のために祈ってくれました。

それから10年という歳月が経ちました。そしてこの4年間、私はバンコクに居を構えています。

今でもときどき思います。私、どうしてここまで来ることになっちゃったんだろうって。

私にとって、貧しい人々への奉仕に召されたことは、天からくだった荘厳な声といったものではありませんでした。

このスラム街への私の道程は、神様の心のうちにあるものを一歩一歩追い求めていく中で、次第にあらわされていった信仰の歩みだといっていいでしょう。

神様が貧しい人々を愛しておられるので、私も彼らを愛しています。神様がこの世を愛しておられるので、私も彼らを愛しています。

イエス様がご自分の前におかれた喜びゆえに犠牲を払われたので、私もそうしたいのです。

いったいいつまで私はこのスラム街に住み続けるのだろう。いつまで家族と離れ離れに暮らすことになるのだろう。

いつになったら、彼らはイエス様を知るようになるんだろう。いつになったら正義がやってくるのだろう。

そして未来には何が待っているのだろう――そんなことをよく思います。

でも私がイエス様から教えられているのは、ただ主と共にいること、そして今主がなさっていることのうちに主に従っていくことです。そして残りは主がもたらしてくださるのです。

ーおわりー




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