さざんかの花

先日、ある姉妹がやわらかい言葉づかいの大切さについて語っているのを聞き、私はそこから大きな啓発を受けました。彼女は、私たち姉妹が柔和でやさしい態度および言葉づかいをすることが大切ですと語っていました。

それで私は家に帰ってさっそく聖書をひもとき、そのことについて調べ、また黙想しました。今日は姉妹のみなさんに、私がこのテーマについて学んだことをお分かち合いしたいと思います。

☆☆

この姉妹もおっしゃっていたことですが、言葉づかいというのは、まず内側から始まるのです。聖書も言っているように、「心に満ちていることを口が話す」(マタイ12:34)からです。ですから、何よりもまず私たちは自分の心を点検する必要があるのです。

ご存知のように1ペテロ3:4には、私たちが外面的な飾りではなく、「柔和でおだやかな霊 meek and quiet spirit」という心の中の隠れた人がらを飾りにするよう書いてあります。

大辞泉で調べてみると、柔和とは「性質や態度がものやわらかであること」、またおだやかとは「気持ちが落ち着いていて物静かなさま」と書いてありました。

また1テモテ2:9-11では女性がつつましい身のこなしをし、良い行ないを自分の飾りとすることの大切さが語られていますが、そこには次のような言葉がちりばめられていました。

つつましい
控えめ
慎み深い
静か
propriety
modest
shamefacedness
sobriety
silent

ここで注目していただきたいのは、shamefacedness(欽定訳)です。これは16世紀の古英語で現在ではマイナスの意味合いが強くなっているようですが、元々この言葉は、「しおらしさ、つまやかさ、清楚、しとやかさ、たおやかさ」といった女性の美徳をあらわす肯定的な言葉でした。

調べてみると、コイネー・ギリシア語ではαἰδώςで「慎み、遠慮、畏れ」といった意味があるそうです。

またパウロはテトス2章において、年配の女性が若い婦人たちにどのように教えるべきであるかについて指導していますが、その中に、

貞潔(chaste)

という深遠な言葉が記されていることにも気づきました。

貞潔(chaste)というのは、きよい、純潔な、純真な、という意味ですが、原語ではἁγνόςとなっています。

さらに調べてみると、ἁγνόςというのはἃζομαι(畏敬する)という動詞から出来た形容詞であり、「聖なる、聖なる、聖なる」のἃγιος(holy)と同じルーツを持つ言葉だということが分かりました。

ここから理解できること、それは神様が私たち姉妹に、ご自身の聖なるご性質を反映するほどの純真さ、きよさを願っておられるということではないでしょうか。(Ⅰペテロ1:16、Ⅱペテロ1:4参照)。

こういった言葉を一つ一つ書きうつしながら、悔恨の涙がでました。ああ、ここにいたるまでになんて遠回りをしてきてしまったんだろうって。

私はここで高等教育の是非を問うつもりはありません。

しかし自分に限っていえば、私は欧米系の大学教育を受ける過程で、上述に挙げたようなスピリットとはまるで正反対の性質や態度を身につけていった――そのことを認めないわけにはいきません。

私の大学では議論やディベートが奨励されていました。また授業中、自分の意見を表明しないのはクラスに積極的に参加していないことだとマイナスの評価を受けました。国際社会で通用する女性になるためには、しっかり自己主張できる人にならなければならないとも言われ続けてきました。

それで人に先を越されまいと、私も必死に発言してきました。ですから、こういう環境の中にあっては、しおらしさや控えめさというのは美徳ではなく逆に、自分の意見をもたず、頭が空っぽである証拠だと見下される傾向にあったのです。

私は神様の至上権を信じています。ですから「もし、、だったら、、」と仮定すること自体、不遜なことなのかもしれません。でも、、それでも、、時々思ってしまいます。もしも私が10代のうちにこういった聖書的な女性らしさについての教えにあずかることができていたらどんなによかったかと。

そしたら私はあのように不遜なことを言って人を傷つけたり、罪深く恥ずべき言動をとったりせずにこれたかもしれません。

「私たちは心に血の注ぎを受けて邪悪な良心からきよめられた」とヘブル人への手紙に書いてありますが(10:22)、これは私にとって慰めの言葉です。この血の注ぎがなかったら、私は恥と後悔の中で死んでゆくしかなかったでしょう。

あわれみ豊かな神が、私を愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私を―ただ恵みによって―キリストと共に生かしてくださった(エペソ2:4-5参照)ことをただ主に感謝するばかりです。

L姉という私の尊敬する姉妹が、「私たち姉妹―特に世俗の高等教育を受けてきた女性たちーには、learn (聖書的女性らしさについて新たに学んでいくこと)とunlearn(今まで刷り込まれてきた非聖書的な教えを意識的に念頭から去らせる)、この二つが欠かせません」と私に教えてくださいました。

彼女はハーバード大学の博士課程に在籍していた時、主の取り扱いを受け、自分が家庭に召されていることを自覚し、大学を去りました。現在、彼女はhomemakerとしての使命に生きています。(彼女のエッセー「死にゆく貞節」を読みたい方はココをクリックしてください。)

私も彼女の足跡に倣い、過去に身につけてきた非聖書的な態度や影響を、日毎、意識的に捨て去ると共に、ペテロが「これこそ、神の御前に価値あるものです(Ⅰペテロ3:4)」と称賛した、柔和でおだやかな霊という朽ちることのない性質をいただきたいと切に願っています。

そして控えめでしとやかな霊が自分の魂の奥深いところまで染み込むよう――、私はそのことを主に祈り求めています。本当に変えられたいです。主に贖われた娘として、そして主の目にかなう女性として回復されたいです。

☆☆

さて、言葉づかいについてですが、私たち姉妹の話す言葉は、内側の美しさ、しとやかさ、やわらかさを反映したものでなければならないと思います。

私たちの使う言語には、美しい言葉と共に、卑猥で汚れた言葉もたくさんあります。汚い部屋も毎日そこにいるうちに慣れてくるが如く、汚れた言葉というものも、繰り返し耳にしたり、口にしたりするうちに、最初の嫌悪感はだんだん薄れていき、そのうち慣れっこになっていきます。

バーネットの『秘密の花園』という児童小説をご存知でしょうか。

私たち姉妹の心は、ちょうどこの「秘密の花園」のようなものだと思います。イエス様の血の注ぎを受け、私たちの心は美しい花園のように変えられたのです。そして日々、変えられつつあるのです。

そしてそれは私たちの語彙や表現の世界にもあてはまると思います。私たちは日々、きよいことを考え、きよいことを黙想し、きよい言葉を話すべきです。

世間ではすでに市民権を得ているような言葉であっても、主のきよさの基準に満たない言葉は、私たちの花園に入れるべきではないと思います。

また、荒々しい言葉、辛辣な言葉、皮肉、下品な冗談といったものからも、私たちは自らの身を避け、そういう環境からできるだけ離れているべきだと思います。

しかし私たちの願いに反して、周囲にいる人や通りがかりの人が毒ある言葉を投げつけてくることがあります。その場合はどうしたらよいのでしょうか。

私はこういった事態を、「愛は、、人のした悪を思わず」(Ⅰコリント13:5)という御言葉によって解決するようにしています。

その人のした悪、言い放った言葉をもうそれ以上思わない。それについて話題にしないし、考えない。そしてイエス様の御名によって日の暮れる前に忘れるようにしています。

なぜなら、そういった悪ある言葉をいつまでも脳裏にとどめ、思い返しているうちに―私たちの意図に反してーそういった言葉は私たちの語彙の世界に入り込み、やがて花園をけがすようになっていくからです。

また、話し方についてですが、私は、せっかちで性急な物の言い方をできるだけ避け、相手に平安とやすらぎを与えるような落ち着いた言い方をするように努めています。

そしてそれができないような穏やかでない状態の時には、しばらく口をつぐむことにしています。

☆☆

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。Ⅰコリント6:20

私たちは代価を払って買い取られ、聖霊の宮とされました。それでは私たちは何をもって、神様の栄光を現すことができるのでしょうか。

パウロはここで「自分のからだをもって」と言っています。そうです。私たちは自分の手、足、舌、すべてをもって聖なる主の栄光を証しするよう召されているのです。

そして私たちが聖められた心と舌とをもって言葉を話すことによって、主は栄光をお受けになることができるのです。これは本当にすばらしいことではないでしょうか。

舌を制御することの大切さを述べたヤコブは、「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか」(ヤコブ3:11)と私たちに問いかけています。

愛する姉妹のみなさん、私たちの花園にある泉からはいつも、きよらかで甘い水だけを湧かせましょう。

そして私たちの紡ぎ出す、やわらかくあたたかい言葉で、周囲の世界を美しく飾っていきましょう。


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