第十七章
   獄中にいる兄弟たちからの手紙


marx no ie

再会はマルクスが期待していた通り、いや、それ以上であった。レグラは泣きながら彼にしがみついてきた。

「もう二度と行かないで。」彼女は懇願した。「ね、約束してちょうだい。こんな不安な状態に耐えられない。あなたがどこにいるのかしら、大丈夫かしらってずっと心配し続けていたのよ。ああ、あなたが戻ってきて、本当にうれしい。」

「ばかを言いなさんな。」マルクスは軽く叱った。「官警たちが来た時に僕が家にいたとしたら、今晩僕はここにいなかったんだよ。そして今頃僕はチューリッヒの牢獄にいたはず。そしていつ釈放されるものやら全く見当のつかない状況におかれていたはずだよ。それを忘れちゃいけない。」

牢獄のことを聞いて、レグラは怯えた。レグラの目の表情から、彼女がどんなに怯えていたかがうかがい知れた。マルクスは彼女を抱き寄せ、慰めようとした。
「神は、僕たちによくしてくださった。さあ、これからも主に信頼を置き続けていこう。」

☆☆☆
美しい山

春を思わせるように村の夜は明けた。夜の雲は去り、暖かいそよ風がただよっていた。太陽は上り、鳥は元気いっぱいにさえずっていた。

朝起きてすぐ、レグラは真っ先にこう言った。「マルクス、昨晩言うのを忘れていたのだけど、お義兄さんがあなたを訪ねてここにみえたのよ。」

「誰。アルボガストのことかい。」
「そう。オベルウィンテルスールのアルボガスト・フィンステルバッハよ。」

「何の用事だった。」
「具体的にはおっしゃらなかったけど、ここゾリコンでの洗礼のことをききたかったんだと思うわ。興味を持っていらっしゃったもの。」

「僕が家に戻ったと分かったら、おそらくもう一度やってくるだろう。」
「ええ、彼は『必ず戻ってきます』って言っていたわ。」

☆☆☆

わが家に戻ったマルクスは、うれしくてたまらなかった。――そう、彼の愛してやまないゾリコン村にある、わが家に。ホッティンガー爺の所へ話をしに行こうと、彼は丘を登り始めたのだが、村はどこをみても、おだやかだった。――宗教をめぐっての論争や、囚人たちが列をなしてチューリッヒに連行されていったことなど、全く考えられないようなおだやかさだった。

しかしこうしたうわべのおだやかさは惑わしであることをマルクスは知っていた。

こうした家々の多くでは、父親が市内にある鉄格子の中に閉じ込められ、母親が子供たちと泣いているのであった。家々の閉じられた戸の背後で、人々は、行く先の分からない不安、心配、そして恐怖におびえていた。

もしかしたら、持参した手紙は新しい希望と勇気を与えるものかもしれない。マルクスはポケットからその手紙を取り出し、先を急いだ。彼はまだ手紙を開封してはいなかったのだ。

ホッティンガー爺は彼を見て喜んだ。「さあ、おいでマルクス。」爺は椅子を引きながら彼を招いた。「それは何かね、手紙かい。」

「そう。囚人のみんなから、ここゾリコンにいる兄弟姉妹に宛てた手紙。いつ会合を開いて、みんなに手紙を読み上げることができるかな。」

爺さんはぎゅっと口を結んだ。「おそらく、会合を開くよりも、手紙を家から家へ回して読んでもらった方がいいかもしれん。我々は用心しなきゃならん。」

「じゃあ、手紙を開けて、読んで」とマルクスは促した。

爺さんはまず家の者一同を呼び集めた。皆がテーブルの周りに腰かけると、彼はゆっくりと手紙を開封し、読み上げ始めた。

「神の平安がゾリコンにいる兄弟姉妹と共にありますように。恵みと憐れみ、そして御霊の導きが全ての兄弟姉妹と共にありますように。我々は、目下、主イエス・キリストのために囚われの身となっている。キリストに賛美と感謝を捧げる。

さて、我々が獄にいることであなたがたが怯えることのないよう、この手紙を通じて、我々は勧告する。というのも、これは我々が主にあって強く立っているかを知るための、主からの試練であるにすぎないからだ。そして主の助けにより、我々は最後まで強くありたいのである。

あなたがたに対しても、キリストの御名によって強くあるよう、一人残されていても気後れすることのないようお願いする。実のところ、あなたがたは一人ではない――キリストが実際、あなたがたと共におられるのだ。

あなたがたが集まる時、まずキリストの名により、御父に清い祈りが捧げてほしい。そして主があなたがたに洗礼を授け、教え導く者を与えてくださるよう祈ってほしい。

お互いに戒め合い、――人であれ、権力であれ、剣であれ――、何をも恐れてはならない。なぜなら、主にまことの信仰を持って祈るなら、神はあなたがたと共におられるからである。

ペテロ兄弟の妻をあなたがたに託する。どうか彼女を助け、世話してやってほしい。そして我々を覚えて神に祈ってほしい。我々もまたあなたがたのために祈りたい。神の平安があなたがた皆と共にあるように、アーメン。

この手紙はゾリコンにいる全ての兄弟姉妹に宛てたものである。私の妻に讃美歌――Christ ist Erstandenを送ってくれるよう言ってもらいたい。すぐに送ってくれるようにと。」


☆☆☆

「勇気づけられる手紙だ、本当に。」爺さんは言った。「兄弟たちは今回、信仰のために固く立つだろうと思う。前回のように泣き寝入りすることはないだろう。」

「そうだといいな。」マルクスは言った。「でも爺さん、泣き寝入りをしないのなら、彼らは今後どうなるのだろう。ツヴィングリと参事会はどうするつもりだろう。」

「さあ、どうだろうな。」
「無期限に牢に閉じ込められるのだろうか。それともさらに悪いことが起こるのだろうか。」

「そりゃまだ分からんことだ。」爺さんのはずんだ声は不安げな声に取ってかわった。「待っている間、我々は忠実に祈っていかねばならない。そして獄にいる兄弟たちのことを忘れてはならない。」

マルクスはうなずいた。そして手紙を取り上げた。
「僕がこの手紙を回覧してまわろうか。」

「ああ、いいよ。」爺さんは言った。「でも子供たちの誰かにそれをやらせる方が賢明かもしれんな。戻ってきたばかりのお前が家から家へと行き来しているのを目撃されたなら、後で厄介なことになるかもしれん。」

「そうかもしれない。でもこの手紙をフリードリーの家に持っていかせてほしい。フリードリーの家族がどんなに知らせを待ちあぐねているか僕は知っているから。」

☆☆☆
hill.jpg

家に帰ろうと丘を下っている途中、マルクスは父親にばったり会った。

マルクスの洗礼後、二人はお互いにあまり話していなかった。ヨーダー・ボシャートに息子を許している気配はてんでなく、父親が口を開く前でさえ、マルクスはひやりと冷たいものを感じた。

「ははあ、家に戻ったのか。」老人は言った。「自分の家へ戻ってきた、、、というわけか。このまま家に留まり続けることを願うよ。」

マルクスは努めて冷静に話した。「はい、お父さん。帰ってきました。戻ってきて本当にうれしいです。」

「今じゃ、あの馬鹿げた事を忘れるつもりだろうな。」ヨーダー・ボシャートの声は尻上がり調だった。

「でも、それは馬鹿げたことじゃありません。」マルクスはきっぱりと言った。「ある人々にとって、それは馬鹿げてみえるかもしれません。でも使途パウロは言っています。――十字架の言葉は信じない人々にとっては愚かなものだが、信じる私たちにとっては、神の力だ――と。」

ヨーダー・ボシャートの首の血管はピクピクと動き始め、彼の顔は赤黒くなった。「お前は一体どういう神経で、わしを馬鹿者呼ばわりするんだ、えっ、マルクス!お前の実の親に向かって!」

「違います、違います。」マルクスはいそいで弁明した。「誤解なさっています、お父さん。全くの誤解です。」

「いいや、そうは思わない。わしはお前が思っている以上に、お前のことを知り抜いている。」そう言い残して、立腹した父はマルクスに背を向け、丘をどんどん下っていった。

「いいえ、お父さん、お願いです。」つまずき歩く父の後を追いながら、マルクスは懇願して言った。彼は追いつき、父親の肩に手を触れた。

ヨーダー・ボシャートは息子からパッと身を離し、頑として答えなかった。

茫然としてマルクスは立ち止った。彼の顔は青ざめていた。こんなにもひどく父を侮辱してしまったんなんて。できるものなら、むしろ僕を侮辱してほしかった。マルクスを打ちのめされ、涙がこみ上げてきた。

ようやくマルクスは家の方に顔を向けた。レグラに話さなくちゃならない。そう、誰かに。この痛みを分かち合ってくれる誰かに。

☆☆☆

水曜の朝、マルクスは日の出の何時間も前に目が覚めた。疲れてはいたが、再び眠ることはできなかった。彼の頭はいろんな思いで一杯だった。爺さん以外、リーダー格の兄弟たちは皆が皆、獄中にいる。

自分とキーナストはなんと幸運だったことだろう!それから、コンラート・グレーベル。今頃、コンラートはどこにいるのだろうか。セイント・ガルか。それとも彼は未だに痛々しげに足を引きずりながら、山道を歩いているのだろうか。

マルクスの思いはすぐにゾリコンへ戻った。どうして実の父でさえ、ほんの少しの同情心も持つことができないのだろうか。――息子マルクス・ボシャートがあくまで善意で言ったのだということを、少なくとも理解しようと努めてはもらえないのだろうか。

それに義父のこともある。ルディー・トーマンはすでに心離れしてしまっていた。義父も同じように、新しい信仰に対し敵対し始めていた。

マルクスは起き上がり、着替え始めた。レグラは目を覚まし、それから起き上がった。
「何をしているの。」彼女は眠そうに言った。

「完全に目が覚めてしまったんだ。眠れないから、しばらく本を読もうと思う。」
レグラは再び毛布をかぶった。そう思うや、すぐにリズミカルな呼吸が聞こえてき、彼女は再び眠りに入った。

bible and lamp

マルクスは灯りをともし、それを机の上に置いた。そして聖書を取り出し、腰かけて読み始めた。開いた箇所は、ヨハネの福音書15章であった。

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」マルクスは読み進めた。「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

これは僕にもよく理解できる、とマルクスは思った。僕はずっとブドウ園で働いてきた。枯れた枝を切り取り、良い枝を刈り込むっていうのがどういう事か、僕は知っている。

いろんな思いが次々と湧いてきた。お義父さんはブドウ園の刈り込みをしたのだろうか。いや、おそらくしていないだろう。ヴァレンティンは刈り込みをするつもりだったが、今彼は獄中にいる。

家にあれほどたくさんの仕事があった時期に、ヨハン・ブロトゥリーの所に滞在していたことに対して、突如マルクスは罪悪感を覚えた。今日この朝にも、ブドウ園に行って、精を出して働かなくちゃいけない。

彼は読み進めた。「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。


メッセージは明確だった。イエスがぶどうの木で、僕たちは枝なんだ。もし僕たちがイエスの内にとどまるなら、多くの実を結ぶことになる。マルクス・ボシャートは壁を見詰めながら、机に座っていた。

僕は枝だ。レグラも枝だ。爺さんも枝。キーナスト。ヨルグ・シャド。ヨハン・ブロトゥリー。コンラード・グレーベル。フェリクス・マンツ。たくさんの枝がある。でもぶどうの木はただ一つなんだ。

夜明けまでにはまだまだ時間があったが、マルクスは仕事に出かける準備を始めた。

彼は手探りで居間に進み、棚の中にのこぎりと刈り込み用のナイフを探し当てた。彼は指で、のこぎりの刃をじっくりと触ってみた。のこぎりは十分に尖っていた。そして刃がきらりと光るまで彼はナイフを研いでいた。

その頃、レグラも起き出し、台所で朝食を用意していた。

「僕と一緒に今日、ブドウ園に行かないかい。」マルクスは訊いた。「今日は忙しい日になりそうだが、もし君が来てくれるなら、二倍も楽しく働けると思うんだ。」

「私もちょうど、一緒に行ってもいいってあなたに訊こうと思っていたところだったの。」レグラは答え、夫のそばにやって来た。
「でもそうして僕がブドウ園に行くって分かったの。」

「それはもう。こんなに長く家を留守にしていた後ですもの、あなたが袖をまくりあげて、仕事に精を出したくてうずうずしているってことは見当がついていたわ。それにね。」レグラはいたずらっぽく笑って言った。「あなたがナイフを研いでいる音が聞こえてきたのよ。」

「仕事に精を出したくてうずうずしてるって!そうだとも。」マルクスは大声で言った。「日が昇るのが待ちきれない位だよ。」

一時間後、マルクスに協力するかのように、太陽は申し分なく昇り、二人は村の裏の方にある坂を、ボシャート家のブドウ園の方に登っていった。幸いなことに、ブドウ園は春の晩霜から守られていた。丘の至る所には他のブドウ園が広がっており、何段にもたわわにぶどうが実っていた。ゾリコンのほとんどの世帯は、ブドウ園栽培をもって生計を立てていた。

マルクスとレグラが自分たちの農園に着いた頃には、太陽は、むき出しのぶどうの木々に、最初の陽光を斜めに差し込んでいた。夜の間、霜は降りていなかった。さあ、春の刈り込みを終える時期だ、とマルクスは思った。間もなくブドウ園は小さな新緑で青々となり、生育期が始まるだろう。

しゃきっ、しゃきっ、とレグラはハサミのような道具で、上手に刈り込んでいった。この道具はマルクス自身が鉄の細長い二片から作り出したものだった。マルクスは枝をナイフで薄く切り取っていき、時おり、枯れた大枝をのこぎりで切った。

仕事は楽しく、心地よかった。

「ああ、もう洗礼のことや、教会のこと、牢獄のことなど何もかも忘れ去ってしまいたい。いままでそうだったように、一介のブドウ作りの農夫でありたい。こうして一生懸命、楽しく働き、愛する妻のいる家に帰る生活がしたい。」一瞬の間、マルクスは心の中でそう願っている自分に気付いた。

でも彼ははっと我に帰った。

「いや、違う。人生には、ブドウ作り以上に、深いものがあるんだ。僕はもう二度と同じではありえない。自分が信じ、洗礼を受けたことを決して後悔したりはしない。

たとえ心の痛みに苦しむことがあったとしても、それはそれだけの価値があるものだ――、この世においても、後に来る世においても。問題や試練、失望はあるだろう。でも、それと同時に内なる平安、そして呵責のない良心も与えられる。」

夜読んだ御言葉が思い出された。もっと多く実を結ばせるために、実を結ぶ枝をみな、神は刈り込みなさるのだ。神が今、ゾリコンの教会になさっていることも、まさにそれではないだろうか。

――そう、もっと実を結ばせるために、枝を刈り込みされているのだ。だからこそ、十九人の兄弟が獄中にいるのではないだろうか。

今回、囚人たちは自分たちの信仰に忠実であり続けるだろう、とマルクスは独り言を言った。彼らはぶどうの木であるイエス・キリストにとどまり続けるだろう。

「マルクス、こっちに来て。」レグラが隣の列から呼んだ。彼の思いは中断された。
「どうしたの。」彼女のいる方に歩み寄りながら、彼は尋ねた。

「この枝をどうしようかしらと思って。冬の間、雪の重さで折れてしまったんだと思うわ。これをのこぎりで切り落としてくれる?」

マルクスはのこぎりを取りに戻ろうとした。が、ぶどうの木からぶら下がっているその大枝をもう一度よく調べてみた。枝の先は地面についていた。

「待てよ。確かにこの枝は曲がっているし、よじれてもいる。でもはたして折れているだろうか。もしこの枝を結び、刈り込むなら、来年の秋にはこの枝からどれほど多くの新芽が出てきて、どれだけたくさんの実がなることだろう――君はきっと驚くにちがいない。」

「本当にそうかしら。」レグラは疑わしげだった。「私はすぐにでも切り取って、火にくべてしまおうと思っていたのよ。」

思うところがあって、マルクスはこの傷ついた枝を切り取ってしまうことができなかった。

「確かに、これは、単なる一枝にすぎない。でも、この枝にもう一度チャンスを与えてやろうじゃないか。そうだ、この枝に印をつけておこう。そして今年の夏どうなるかみてみよう。」

レグラが賛成したので、マルクスは、ほとんど折れかかっている例の枝の傍のやわらかい地面に、木製の杭を差し込んだ。この杭はよい目印となった。

それから二人は丘の斜面のブドウの木に取りかかり、注意深く生きた枝を刈り込み、枯れた枝はことごとく切り捨てていった。
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第18章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

第16章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

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