dec to july 2014 007(3)
(Flagstaff, Arizona, USA)

以下は私のお友達ジェシカのゲスト投稿(証し)です。

わずかなことに忠実であるということ(Faithful Over a Few Things)
 ジェシカ・ロルダン(米国)


Teachers Day 2015 068

以前私は、「かぶり物の慣習は今日には適用されないものだ」と考えていました。1世紀のコリントの女性たちだけが祈りや預言をする際にベールを着用することになっていたと何度も聞いてきたからです。

ですから、このことに関する箇所(1コリント11:1-16)を読むたびに、私はさっさとそこを読み飛ばし、次の箇所に移っていました。でもいつもこの聖句については「本当のところ、いったいどうなんだろう?今日にも適用されるべきものなのかしら?」と落ち着かないものを感じていました。

そんなある日、私はあるクリスチャン姉妹のブログ記事を読んだのです。タイトルは「クリスチャン女性は頭をおおうべき?」でした。私は興味をもちました。

この姉妹はまたそれに関する参考文献もいくつか挙げていましたので、私はそれも全部読みました。そして1コリント11:1-16について熟考しました。

そうして後、ある時、私はかぶり物が実際、すべての時代、すべての場所を通し、すべての人(姉妹)に向けられた「掟」であることを悟ったのです。それは私にとって全く明瞭なものとなったので、私はただちに従う必要を感じました。さもなくば、神様に対して罪を犯すことになってしまう、そう思いました。神様はこうおっしゃっています。

「神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります」Ⅰヨハネ2:4-5



またこうもおっしゃっています。

「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です」(ヤコブ4:17)



主人から許可を得た後、私は箪笥を開け、頭をおおうことのできる物を探しました。そして長方形のスカーフをいくつか見つけたのです。

今後、フルタイムでかぶり物を着けることになるのか、それとも、祈ったり、聖書を読んだり、子供たちに教えたりする時だけ着けることになるのかそれはまだはっきり分かりませんでしたが、一つ確かなのは、ともかく実行に移すということでした。――それも今すぐに。

最初の試練はその後すぐやってきました。その時期、私たちはある大きな祝賀会を開くことになっており、多くの人々が一堂に会する予定でした。

私は思いました。「この祝賀会が終わった〈後に〉かぶり物をつけ始めるっていうのはどうかしら?こんなに大勢の人の前にかぶり物をつけてる自分をさらすなんて、すごく恥ずかしい。でも神様の掟を守らないなら、私は偽り者ということになってしまう。そして真理は自分のうちにないっていうことになる。つまり罪を犯すってことになる。ああそれには耐えられない!」

それで私はどんなに決まり悪い思いをすることになっても、とにかくスカーフをつけることにしました。

その祝賀会の席では誰も何も言ってきませんでした。でも皆がいぶかしがっているのは確かでした。でもそれから少しして、その場に同席していたある人が私の所にやって来て、その話題を始めたのです。ああ、そのどんなに怖かったこと!

その方はつかつかと私の所にやってくると挨拶も無しにいきなり、こう言い放ったのです。「あなた、なんで頭の上にそんな物着けてるの?なんで行ないによって救われようとしているのよ?」私はあまりのショックになんと答えていいものやら言葉を失いました。

でも私は必死でこう答えようとしていました。「かぶり物というのは旧約の掟ではなく、新約に書いてある掟なの。私も、人は行ないによっては救われないってことを知ってる。だから私がかぶり物をしているのはそういう理由からじゃないの、、」

でも私の言葉は鋭くさえぎられ、もはや何も返答させてもらえませんでした。その方は数分間、大声でどなった後、きっと踵をかえすと、さよならも言わずに去って行ってしまいました。私はショックを受け、悲しみに沈みました。神様に従ってかぶり物を着けるなら今後こういう対応がひたすら私を待ち受けているのかしらと。

しかし幸いなことに、その後は、その方からもその他の人からもそういった対応をされることはありませんでした。でも、今でも私は祈りのベールを着けることに葛藤を覚えています。人に変に見られたくないんです!普通でありたいんです!でも、突き詰めて考えてみると、結局は、主の掟に不従順であることによって御父の心を悲しませるよりは、他の人に変だと思われることをむしろ選びたいのです。

それに私は自分の救いを「得よう」としてかぶり物を着けている訳じゃないんです。私の寄り頼むのはイエス様の義であり、自分自身の義ではありません。「キリストは律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:4、10)。

私が頭を覆っているのは、神様に対する従順からです。なぜなら私は主を愛しており、こういった「ささいなこと」においてでさえも主をお喜ばせしたいと願っているからです。

取るに足らないささいなこととは、どれくらいささいなことをいうのでしょうか。従順における小さな一歩は、あくまで一歩にすぎず大きな跳躍ではないから、取るに足らないのでしょうか。

「主よ、私は『大きな事』にはちゃんと従いますよ。でも、瑣末なことには干渉しないでいただきたいですね!」と言える人がいるでしょうか。

私たちは神様に対し――大きな事と同様、小さな事も――明け渡すべきではないでしょうか。人々にイエス・キリストを通して与えられる救いについて宣べ伝えることももちろん果たしますが、それと同時に、祈りのベールを着けることによって、主の立てられた秩序に喜んで服従していることを示す必要があると思います。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」マタイ25:21



私は、上の言葉を主から受け取りたいです。

もちろん、一部の方々にとって私は奇妙に映ることでしょう。異議を唱え、私を見下す方もいるでしょう。また誤解して、私のことを「律法主義者」だとみなす方々もおられるでしょう。また「いばっていて」「目立ちたがり屋」というレッテルを貼る方もいるかもしれません。でもイエス様も中傷をお受けになられなかったでしょうか。それなら私だって耐えるべきです!

私はこれからもくじけず、強くありたいです。つらいことより、祝福に目を留めたいです。今自分が受けている祝福のいくつかを以下、書き出します。

1.謙遜さ。私の「光栄」(髪の毛)を覆うという行為によって、虚栄ではなく、謙遜な精神が育まれつつあります。

Teachers Day 2015 069
(↑家で聖書を読むジェシカさん)

2.柔和さ。頭に四六時中、服従の象徴をのせているという行為によって、主人と言い争うという誘惑から守られています。主人の意見に不賛成の時であっても、あくまでやわらかく平和的に退くよう導かれています。

3.崇敬の念。頭にベールを着けているという「儀式」に付随し、聖書の学びや祈りが美しい荘厳さやおごそかさによって光彩を与えられています。

4.忍耐。上流に向かって泳いでいくことで筋肉が鍛えられます!祈りのベールに理解がなく共感もない環境に直面することを余儀なくされることによって、私の霊的「筋肉」は鍛えられていっています。

5.女性らしさ。ベールを着けることにより、主人と私の違いが際立ち、それによって私はさらに女らしさを感じるようになりました。自分にふさわしい役割の中で憩うことにより、私の中の女性は開花し、やわらかくされており、また主人にリーダーシップを取ってもらっています。

ここに全部挙げることはできませんでしたが、これからかぶり物を続けていくことでさらに新たな発見があることでしょう!あなたはどうですか。神様があなたのために取っておいていらっしゃる祝福が何であるのかお知りになりたいですか。あなたが主に「はい」と応答することによって今にも開かれようとしているその祝福が何であるのかお知りになりたいですか。

もしかしたら、あなたはすでに従順の一歩を踏み出していらっしゃるのかもしれません。それなら、あなたはこれからもめげずに忍耐強く続けていきたいですか。

あなたの勇気と断固とした従順のことをあるいは今後お耳にすることがあるかもしれません。もしそうなら、それは私にとって大きな励ましとなるでしょう。

祈り
主よ、すべての小さなことについて、あなたに明け渡すことができますように。ささいなものだからといってないがしろにすることなく、わずかな物に忠実であることができるよう助けてください。かぶり物を着けるという単純なタスクに従順であることを通し、今後与えられるであろう、さらに大きな責務に備えさせてください。あなたに目を注ぎ続けます。どうぞ私たちを喜びで満たしてください。アーメン。

ジェシカのブログはココです。彼女は聖書の学びのこと、ホームスクーリングのことなども詳しく書いています。(現在5人のお子さんをホームスクーリングで育てているママです。毎日の家庭礼拝のことや、子供たち同士の仲の良さなど、母親としての彼女の喜びが伝わってきます。)

最後に彼女が日本の兄弟姉妹にとアリゾナの写真を何枚か送ってきてくれたので、それもここでご紹介します。

Teachers Day 2015 061
(Prescott,AZ)

Teachers Day 2015 059
(Prescott, AZ)

DSC04074(2).jpg
(Montezuma Castle, Camp verde, AZ)

July 2014 Gabriela, Daniela and Oscar 017(2)
(Grand Canyon, AZ))

dec to july 2014 009(3)
(Flagstaff, AZ)

July 2014 Gabriela, Daniela and Oscar 025
(Grand Canyon, AZ)

July 2014 Gabriela, Daniela and Oscar 031
(Grand Canyon, AZ)


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