第十八章
   二度目の挫折、そしてフェリクス・マンツの脱獄



Grape vine


マルクスは土曜日もまた、ブドウ園でせっせと働いていた。そのため、彼はこちらにやって来る二人の男の足音に気付かず、気がついた時には、彼らはマルクスのほぼ真後ろにいた。

驚いて、彼は振り返った。「なんだ、フリードリーじゃないか!それにヴァレンティン!」彼は息をのんだ。「どこから来たんだい。」

フリードリー・シュマッヘルとヴァレンティン・グレディグは、ポケットに手をつっ込みながら、ブドウの木の間に立たずんでいた。マルクスは一瞬にして、何かがおかしいと感じた。

「ど、どうやって牢獄から出てきたんだ?」――二人が彼の最初の質問に対し、何ら説明をしようとしないのをみて、マルクスは再び尋ねた。

「釈放されたんだ。」やっと、フリードリーは答えた。が、この知らせに当然伴うべき喜びはどこにも見当たらず、そこにはただ惨めさがあるだけだった。

「全員?」とマルクスは質問した。

「いや。でもほぼ全員だ。十五人が家に戻ってきた。後の四人と、それにフェリクス・マンツ、ゲオルグ・ブラウロックは今も獄中にいる。」雇い人が話した。

「でも、どうして。なぜそう待遇が違うんだ。」マルクスは、ジリジリしてきた。

「なぜゾリコンからの他の四人が家に帰ってこられなかったかは分からない。」フリードリーは説明した。彼の声はうつろだった。「獄から外に出てみたら、十五人だけだったんだ。」

「たぶん、、、たぶん、この四人は、、、ツヴィングリと参事会に忠誠を誓わなかったからじゃないかな。僕たちとは違って、、、」ヴァレンティンは言った。

こうして、だんだんと話の断片が組み合わさっていき、マルクスは何が起こったのか理解した。

公開討論会の後、ゾリコンからの男たちは牢獄に戻された。しかし今回は今までのように一つの大部屋に戻されたのではなく、それぞれが別々に独房に移されたのだった。そして数日後、ツヴィングリと助手たちが、牢獄にやって来て、順々に、個別尋問をしたのだった。

「他のみんなはすでに降参してしまったって、彼らは僕に信じ込ませたんだ。そして僕は、、、ただ一人獄中に残されるのはいやだった。」フリードリーは言った。

「この州の生まれじゃないよそ者はみな、この州を出ていくよう約束させられた。」ヴァレンティンは言った。「それには、もちろん、僕も含まれている。」
「えっ、お前はチューリッヒから追放されてしまうのか、ヴァレンティン!」マルクスは叫んだ。

「ええ、去らなくちゃなりません。だから、あなたは他の雇い人を探さなくちゃなりませんよ。」

「今も獄中にいるのは誰なんだ。」マルクスは尋ねた。

フリードリーは答えた。「伝道者二人、つまりヨルグ・シャドと、若い方のヤコブ・ホッティンガー、それから聖書朗読者のリッチ・ホッティンガー。そして最後は、ガブリエル・ギゲールというセイント・ガルからゾリコンに来ていた伝道者だ。」

「つまり、うちの教会の指導者全員ってことだ。」ヴァレンティンは言った。

「マルクス、教会はこれからも存続していけるだろうか、それとも、もうあきらめなきゃならないのだろうか。」――と、最後になってやっと、フリードリーは勇気を振り絞り、彼の心に重くのしかかっていたこの問いを発した。

マルクスは失望の念と共にため息を漏らした。

十九人が投獄されたという知らせを聞いた時、彼はかなりの衝撃を受けた。しかし今回の知らせはさらに悪いものだった。――十五人が教会建て上げを断念する約束をした上で、ゾリコンの家に戻ってきたのだ。

そして他の四人――その全員が指導者――は、ブラウロックやフェリクス・マンツと共に、未だに獄中にいる。次には一体何が起こるのだろう。

春風に吹き飛ばされたかのように、ブドウ園の仕事でウキウキしていた気持ちは一挙になえてしまった。

まだ昼にもなっていなかったが、マルクスは帰り支度を始めた。彼の肩はがっくりと垂れていた。しかしフリードリーの方をちらっと見ると、義兄の落ち込み方はさらにひどいものだった。

こうして三人は丘を下り、村に戻っていった。

☆☆☆

釈放された囚人たちの知らせはゾリコン中の家に届いていた。その事で皆持ち切りだったが、大方の人はがっかりしていた。「ツヴィングリは彼らに嘘をついたんだ」というささやきが聞こえた。

「我々に意見を押し付ける権利は、参事会にない。何が正しくて何が間違っているかは、聖書がちゃんと教えてくれる。そういう問題で、我々は参事会議員などを必要としておらん。」

殴打された男たちが足を引きずりながら、チューリッヒから戻ってくるや、村人たちのいらだちはさらに激しさを増していった。

村人たち――洗礼を受けた者も、そうでない者も――の話は、チューリッヒに対する憤りに終始するようになっていった。彼らは皆善良なゾリコン村民かつ真実な友であり、お互いに忠実であった。

ヤコブ・ホッティンガー爺は、村に吹き荒れるこの強い感情に恐怖を覚えた。年配ではあったが、爺は老体を奮い起して、マルクス・ボシャートの家に急ぎ、玄関先にマルクスを呼んだ。十五人が家に戻ってきてから三日が過ぎていたが、その間、チューリッヒからは何の音沙汰もなかった。

爺さんは言った。

「マルクスや。わしは心配なんだ。村全体がイライラしており、不吉な感じだ。しかも、わしのせがれハンスが、村人たちを扇動している急先鋒なんだ。わしはこういう憎悪をかき立てるような動きが嫌いでな。こういった動きに対して何か手立てを打たねばならないと思っておる。」

「この騒ぎはじきに収まりはしないかな。」

「いや、そうは思わんよ、マルクス。たとえそういう希望的憶測があったにしても、これが続いている限り、状況は危ない。わしがハンスを説得できたらいいのだが、どうも彼は自信過剰なようでな。実に困ったものだ。」

「でも、この動きは主に、未信者の人たちによるものなんでしょう?」

「確かにそうだ。でもこれが教会に拡がるのは必至じゃ。今こそ『敵を愛さなければならない』『敵を憎んではならず、彼らに仕返しをしようとしてはいけない』といった教えが必要だ。だが、、、」

爺さんの声は悲しげだった。「わしらの指導者は追放の身か、そうでなきゃ、獄中にいるときている。」

「でも、爺さんはまだ自由の身じゃありませんか。」
「そうだ。わしは主の助けにより、自分の責務を果たしたいと思っとる。だが、わしらには、教えを説いたり、洗礼を施したりする誰かが是非とも必要だ。」

マルクスは段々と勇気を取り戻してきた。そうか、爺さんはゾリコンにおける神の真実なる教会、そしてそのビジョンを放棄していなかったのだ。

爺さんだって、追い風を前にたわむこともある。迫害によって萎えてしまうこともあった。でも彼はこうしていつも立ち直ってきたのだ。

マルクスは尊敬のまなざしでもって、この白髭の老人をながめた。

「教会を救わなければならないとしたら、今が事を起こす時だ。」確信に満ちて爺さんは続けた。

「獄中にいた男たちの大半は、ツヴィングリの脅迫に屈してしまったことを非常に悔いている。彼らは自分たちのこうした失敗を告白し、悔い改め、新しく歩み出したいと思っている。神の助けがあれば、わしらはまだ教会を復旧させることができる。しかし、手遅れにならないうちに、わしらは行動を起こさねばならん。何はともあれ、我々に必要なのは指導者だ。」

「おそらく、兄弟たちがもうすぐ釈放されるのでは。」
「そうは思わんな。」

マルクスは多くを語らなかったが、ある得体のしれない感情が湧き起こってきた。もし、実際に、教会が新しい説教者、伝道者、群れの牧者を選び、任命しなければならないとしたらどうなるのだろう。そしてもしこの自分、マルクス・ボシャートが任命されるのだとしたら、、、

爺さんは最初の話題に話を戻した。

「ついさっきチューリッヒから知らせが来たんだが、参事会は釈放された囚人たちから罰金を徴収するつもりだ。もし参事会が、今のこの状況下――村人たちがまだこんなに怒り猛っている中で――、役人を村に送り出すなら、きっと騒動が持ち上がり、その結果として、教会がその責任を負わされる事になるんじゃないかと、わしは心配しておる。

しかしたとえそういう事が起こらないにしても、『憎むのではなく、愛すること』――この大切さを説くのが、わしらの責務だと思う。」

マルクスは身を乗り出した。「チューリッヒ参事会は、罰金徴収を決定したって?」

「そうだ」と爺さんは言った。

「再洗礼を受けた者、もしくは誰かに洗礼を授けた者は、男女各自、一人当たり一銀貨ずつ罰金を支払うべし、と。特に、監獄にいた者たちがその徴収の対象者だ。罰金支払いの期限は一カ月以内で、参事会は昨日、罰金徴収のために役人を送るとの決議を出した。罰金未納者は、州を出ていかなければならない。」

「参事会はそれを強要するだろうか。」

「おそらく参事会は役人を派遣して罰金を徴収させるだろう。彼らが果たして徴収できるかどうかはともかくとして、わしらはじっと待って様子をみるべきだ。村人の多くはたとい罰金を払いたくても、払うお金がないだろうと思う。

今こんな悪感情がはびこっている中、罰金徴収係になるなんてまっぴらごめんだな。ほら、知っての通り、ゾリコンでは、チューリッヒへ納める税金の話は、すでに何年も御法度だから。」

マルクスはうなずいた。「もし僕がハンス伯父さんに話したとして、何か助けになるかな。もし伯父さんが、実の父親である爺さんの言う事に全く耳を貸さないんだったら、おそらく僕の言うことなんか、てんで聞かないだろうけど、、」

「問題はだ。ハンスが一日のうち半分は酔っぱらっているってことだ。」そう言う爺さんはほとんど泣きだしそうだった。「そろそろ帰ろう。それじゃあな、マルクス。」

こうして爺さんは帰路につき、マルクスは家に入っていった。

☆☆☆

ホッティンガー爺の提案により、ゾリコンの教会は、残されたメンバーの中から、一人伝道者を任命しようということになった。こうして選ばれたのが、マルクス・ボシャートだった。

マルクスはこの責任の重さを切に感じた。彼は年若く、――他の信者と同様――信仰に入って日も浅かった。そこで彼は一念発起して、新約聖書を学び始めた。その日以来、ボシャート家の灯りは夜遅くまで、そして朝は早くから燈っていた。

マルクスが任命されてからまだ一週間も経っていなかったが、ゾリコン中に吉報が舞い込んできた。「残りの囚人たちが脱獄したぞ!」

それは本当だった。

脱獄した囚人たちの中に、一月以来ずっと監獄に閉じ込められていたフェリクス・マンツもいた。この知らせは村中に流れていったが、脱獄の詳細については不明な点が多かった。

ある人の聞いたところでは、フェリクス・マンツとリッチ・ホッティンガーが壊れた窓からよじ登ったのだという。はじめのうち、彼ら自身脱獄しようなどとは考えておらず、「ただ刑務所内の内庭を少し散歩できればいい」と思っていたそうだ。

しかし上の監房にいた囚人たちが彼らを見、こう叫んだ。「逃げろ、フェリクス!そして自由を得よ。これは神の御業だ。君が逃げることを主は望んでおられるのだ。でも、もしできるなら、後で僕たちをも助けにきてくれ。」

こうしてついにフェリクスは彼らに同意したのだった。リッチ・ホッティンガーが彼を壁づたいに降ろすと、フェリクスは、急いで夜の街を自宅へと駆け戻った。そして家に着くや彼はロープと小道具をいくつかかき集め、それを持って再び監獄へ戻ったのだった。

フェリクスがそれらをホッティンガーに渡すと、ホッティンガーは上の監房の囚人たちが外に出てくるのを助けた。そしてその間、フェリクスはすでに夜の闇に去っていたのだった。

「フェリクスはどこに行ったのだろう。」脱獄のことを聞いたマルクスは誰ともなしにこう尋ねた。
「きっと彼は州を離れたはずよ、そう思わない?」レグラが言った。
「うん、そうに違いない。」

☆☆☆

1525年の復活祭の週が例年のごとくゾリコンにやってきて、そして過ぎていった。静かにではあったが、ゾリコンのアナバプテスト教会は、再び教会の秩序を整えつつあった。

罪に陥っていたメンバーの数人、もしくは自分の受けた洗礼を否認した者たちは、除名処分を受けた。兄弟たちは用心深く、しかしいつも決然として集会を開いていた。

新鮮な希望をもたらすような便りが遠くから舞い込んできた。コンラート・グレーベルはセイント・ガルに二週間滞在していたのだが、そこですばらしい成功を収めたのだという。グレーベルの説教をききに、何百人という町の人々が織工ギルドの大広間に押し寄せたのだ。セイント・ガルの参事会はこれを注視していたが、あえて干渉するようなことはしなかったという。

やがて多くの聴衆は洗礼を望むようになった。棕櫚の主日である4月9日に、洗礼を受けるため、多くの群衆が流れるように町を出て、シッテル川の岸に向かって行った。街道は人で一杯だった。

そしてこの時も参事会はただ傍観しているだけだった。これは迫害がない時に起こりうる事を示す良い例だった。そしてセイント・ガルで少なくとも五百人が洗礼を受けたのだった。

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西の方――ライン川沿いのワルドシュット――からも吉報が届いた。牧師ならびに、バルターザル・フープマイアー博士、そして教会員六十名が、復活祭の終日、ウィルヘルム・ロイブリーンによって洗礼を受けたのだという。そして今度は、フープマイアー博士が、乳しぼりの桶を使って、三百人以上の人々に洗礼を授けたのだという。

同様に、フェリクス・マンツもはばかることなく、主の働きを続けていた。とはいっても、彼の正確な居場所を知る者は誰もいなかった。

あるうわさによると、彼はチューリッヒに潜伏しており、「幼児洗礼は聖書的ではない」ということをツヴィングリに論証するべく、小冊子を執筆中とのことであった。

mantz jihitsu
(↑チューリッヒ参事会に提出したフェリクス・マンツの自筆文。)

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