昨日の記事「宣教スピリットに満たされるために」に対して真摯な応答をしてきてくださった方がいました。

この方の視点に私はとても啓発されました。以下、この方の了承を得た上で、一部抜粋いたします。

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(以下引用文)

宣教が引き起こす脅威について書いておられましたが、何となく理解することが出来るような気がします。

日本で感じるのは警戒心です。「この人たちは神を語る事で自分たちからこちらがあげる気のないもの(具体的に言えば時間や心、お金など)を奪い取ろうとしているのではないか?」ネットを見ると教会に対する批判は信じられない程たくさんあります。きっと多くのキリスト者が教会で疲れ切っているのでしょう。

、、、彼らの警戒心は残念な事にそれなりの裏付けがあるのかも知れません。これは私たちクリスチャン、そして教会にも大いに責任があるでしょう。

もうひとつは宣教が突き詰めれば「あなたは神を信じるのか、信じずに滅びるのか」という命題をナイフのように突きつけて答えを求める事に他ならないからだと思います。

殆どの場合、人は普段自分の救いについて考える事がありません。漠然とした不安はあっても特に人生に大きな変化がなければ何となくそれなりに過ごせてしまうのが、人間の性だと思います。(これは自戒を込めて書いています。わたしもまたそういう平穏を良しとする傾向を持っているからです。)

、、、物をたくさん持つ、あれもこれもと欲張る。必要のない事に余分な力を使う。そういう価値観が 〔※この方の人生に起こったある甚大な出来事を通して〕自分の中から随分取り去られたと思います。

本当に必要なものはそうは多くはないです、、、私も誰かを励ます主の証人でありたいのです。」 (引用 終わり)

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このような方の存在は、私の魂を大いに引き上げてくれます。応答してくださって本当にありがとうございました。



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宣教スピリットに満たされるために

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