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私はこれまでこのブログの中でも自分の信仰生活においても、「聖霊の力によって自分の罪に打ち勝つ」というような事を言ったり書いたりしてきました。

しかし私は今、自分のこの見解がもしかしたら間違っていたのではないかという認識に至りつつあります。

今日は、自分がどうしてそのように考えるようになったのか、その理由といきさつをお話します。

いきさつ

私は最近、ふと「私はどうして『罪に打ち勝つ overcome sins』という表現を使っているのだろう。それは聖書のどこから取られたものだろう?」という疑問を抱きました。

それで聖書を開き、その根拠がどこにあるのか調べ始めました。しかしなんと驚いたことに私はそう言っている聖句を探し出すことができなかったのです。そして発見したのは、聖書は罪についてこれに「打ち勝つ」ではなく、これから「解放」されることを言っているということでした。

ローマ6:18 罪から解放されて (set free from ελευθερωθεντες απο)
ローマ6:22 罪から解放されて (set free from ελευθερωθεντες απο)
ローマ8:2 罪と死の原理から、あなたを解放したから  (made me free from ηλευθερωσε)


これはほとんどのクリスチャンの方にとっては当たり前で基本的なことなのかもしれません。でも私にとっては当たり前ではありませんでした。

(ちなみに、この「解放される」のギリシャ語ελευθερω(elefthero)ですが、これは現代ギリシャ社会でも日常語としてさかんに使われています。デモ行進の際も、拡声器で叫ばれる彼らの愛用語の一つです。)

罪に打ち勝つという時、その行為の主体は「わたし」にあります。「わたしが」聖霊の力をもって罪に打ち勝つのです。

一方、罪から解放されるという時、自分の罪を解放してくれる人は、「わたし」ではなく他の「誰か」ということになります。誰かが私を罪から解放してくれるのです。

つまり自分の罪をめぐる戦いは、「わたし」を中心としたものではなく、「誰か」を主体としたものになる、ということではないでしょうか。もちろん、ここでいう「誰か」とは私たちの主イエス・キリストです。

ここで少し脱線しますが、なぜ私が「打ち勝つ overcome」という表現を使っていたかその理由をお話します。

それはどうしてかというと、例えば、

Ⅰヨハネ2:13(14) 悪い者に打ち勝った overcome
Ⅰヨハネ4:4 彼らに勝った overcome
Ⅰヨハネ5:4 すべて神から生れた者は、世に勝つからである。overcome
ヨハネ16:33 わたしはすでに世に勝ったのです。Overcome


には「打ち勝つ νικαω」という動詞が使われており、また黙示録にも、「勝利を得る者 (overcomer <打ち勝つ者)」(黙2:7、11、17、26、3:12)という表現があったからです。

でもそれをもう一度見直してみると、Ⅰヨハネの手紙にしても黙示録にしても、「罪に打ち勝つ」という表現はしていないことに気付きました。悪い者や世に打ち勝つという表現はあっても、罪に打ち勝つという表現はここにも見出すことができませんでした。

つまりここから導き出される結論として、「罪に打ち勝つ」という表現は、聖書的な表現ではなく、私のコンセプトは間違っていたということになります。どうでしょうか。

しかしもし私のこの新発見が正しいものだとしたら、これはなんという嬉しい知らせでしょう!日々の熾烈な罪との戦いーこの戦いの主体が「わたし」ではなく、「イエス・キリスト」にあるということは!

先ほど挙げたローマ人への手紙6章では、「罪から解放され、、」の他にも、

ローマ6:2 罪に対して死んだ
ローマ6:7 死んでしまった者は罪から解放(別訳では「放免」δεδικαιωται)されているのです。
ローマ6:11 あなたがたも、自分は罪に対して死んだ者であり、、


という箇所をみつけました。いずれも「死んだ」「死んでしまった」「死んだ」です。

ローマ6:5ー8 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためです。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。もし私たちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。



私は今朝、思いました。もしも自分が上のこの聖句(ローマ6:5-8)を全て信じたなら、私はキリストと共に死んだ者として、自分の罪から解放されるし、生涯、解放され続けるだろうと。

黙示録19:11 「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、『忠実で真実な者』と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。」

私たちの主イエス・キリストはすごい方です!普通の勝利者ではないのです。そしてさらに驚くべきことに、このすごい方が私を罪から解放してくださり、これからも解放してくださるというのです。

ローマ8章で有名な「私たちは圧倒的な勝利者となるのです」の箇所ですが、原典を読んだら、υπερνικωμεν δια του,, (more than conquerors through Him,,,) と、「キリストによって」圧倒的な勝利者となるということがさらに分かりやすく書かれていました。

ガラテヤ2:20によれば、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられのである Christ lives in me」ということになります。

Christ lives in me! このすごいキリスト・イエスが私のうちに生きておられ、そして勝利者となってくださるのです。この事実に興奮を覚えない人がいるでしょうか。これほどすごいことがこの世にあるでしょうか。

☆☆
読者のみなさま、そういうわけで、私は今、この点に関して理解の途上にあります。どうか私の足りなさや欠けをおゆるしください。そしてこれからもよろしくお願いします。

また、私のために祈り、また助けてくださっている方々にこの場をかりて深くお礼申し上げます。


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