今日、ご紹介するのは、テッサ(Tessa)というカナダ人姉妹の証しです。彼女は自分でも公言しているように、いわゆる「強い」西洋女性として育ってきました。教会に通うクリスチャンではあっても、従順とか恭順などというのは彼女の人生には全く無縁のものでした。

やがて彼女は結婚し、二児をもうけますが、夫婦間の問題は絶えませんでした。それは年ごとに悪化していき、ついに二人は離婚の危機に瀕するようになります。

彼女は日々刻々と進行している、ここ数カ月における夫婦関係の回復プロセス、そして自分自身の神様との関係における回復のプロセスを刻銘に、そして真っ正直につづっています。私は今日、そのごく一部を抜粋翻訳いたしました。それではどうぞお読みください。

テッサの証し(原題:What Has Come Over Me: Why I'm Wearing Head Covering

「どうして突然、『恭順』とか『祈りのベール』とかいう点でそんなに強く主の導きを受けるようになったの?」と私は最近、友人に訊かれました。

私は答えました。「それはなぜかっていうとね、今、うちの夫婦関係が破綻寸前のところまでいってしまっているからなの。それでこの危機を脱するために何か抜本的なことがなされなきゃならないって思ったの」と。

確かに夫の側に責めがない訳ではありません。でもとにかく自分のプライドは振り子が切れたようになり、私は夫のリーダーシップを完全無視するようになりました。主人は、家の主(あるじ)としてだけではなく、家族の一員としても完全に無視されるようになりました。

私は夫がそう感じているのに気付きました。というのも、彼が私にその気持ちを打ち明けたからです。そしてこの問題をどうやって解決してゆけばいいだろうかと言ってきました。

その時、私は聖書的恭順および祈りのベール(Ⅰコリント11章)についてのサイトをみつけたのです。「これだ!」と思って、私はすぐさまそれを実践し始めました。

するとどうでしょう。瞬く間に夫婦関係に変化が表れ始めたのです。いまでも私は日々、主人の変化、子どもたちの変化、そして自分自身の変化を目の当たりにして驚いています。「夫婦関係の回復」というただこの理由のためだけでも、祈りのベールは始める価値があります。

私は祈りのベールをつけ始めた当初、「夫に従うこと、それからベールで頭を覆うこと」というこの二つの明確な聖書の掟に従うことで、変化がもたらされるだろうと考えていました。でもまさかこれが、行き詰っていた私と神様との関係における解決の突破口になろうとは予想もしていませんでした。

、、まず最初に取り組まなければならなかったのは主人との関係でした。現代の西洋文化においては、女性が家のリーダーであるというのは普通のことになっています。そしてそういうスタイルを好む傾向があります。

女性たちは、自分の夫は子供じみていると感じ、女友達の前で自分の夫のことを悪しざまに言うことも厭いません。夫に対する口のききかたもお構いなしで、夫の方が妻である自分たちに従わなければならないと思っています。

こういう文化にどっぷり浸かって育ってきた私は、だんだんと周りに同化していきました。私は言葉においても行ないにおいても、絶え間なく主人を傷つけ、女友達の前で夫のことを中傷し、その結果、たえず「主よ、私たちの夫婦関係を修復してください」と神様に祈らざるをえませんでした。

そういう理由もあって主人と私の関係は悪化していったのです。それに対する私の解決策は前にお話したように、恭順(submission)を生活の中で実践することでした。

このことを決心するだけでも私は今までにないほど、聖化そして神への信頼を要求されていると感じました。女友だちが夫をバッシングし始めた時(話に加わらないで)沈黙することを学ばなければなりませんでした。

また夫の決定に賛成できない時、夫と言い争わないよう自制することも学ばなければなりませんでした。また自分のプライドを葬り、自分のニーズよりも主人のニーズを優先することを学ばなければなりませんでした。自分の力ではできませんでした。だから私は助けてくださいと神様に祈りました。

こうして私の内面は深化していきました。そして神様の元に私はより近づいていったのです。

このようにして恭順したいという意思をあらわすため、私は祈りのベールを着け始めました。しかしそれだけではなく、かぶり物は自分がキリスト者として召されているということを思い出させる印ともなっていきました。

例えば、先日、こんなことがありました。私は職場のお手洗いにいたのですが、その時、何かのことで少しいらだっていて、むっとしていました。こうして手を洗いながら、一人でブツブツ文句を言っていたのですが、その時、私は鏡に映る自分を見、そしてベールを見ました。

と突然、ある静寂が自分を包みこみました。「あっ、そうだ。。」私は思いました。「私はまことの王の娘なんだ。私、文句を言ったりするために召されたんじゃないんだ。」

私はただちに神様に赦しを求め、助けを求めました。そしてその結果、神様を自分のリーダーとして一日を続けることができました。

頭の上にあるこの小さい布きれは、私が絶えず主に目を留めていることができるよう、私を助けてくれています。当初、「うちの結婚をどうにかしないといけない」という切羽詰まった理由からベールを着け始めたのですが、今、それは神様と私の歩みを深めるものになっています。

また、私はこれまで堅い食物ではなく、乳(へブル5:13)を飲む次元でずっとぐずついていたのですが、ベールを着け始めてから私はそれらを乗り越え、次の段階に移っていくことができるようになりました。

神様のおきては完全です。そして信頼できます。そしてそれは私の魂を生き返らせます。

私は権威主義的な夫ないしは教会に強制されて、ベールを着け始めたわけではありません。私は神様を求めていました。そして信仰と従順のうちに一歩を踏み出したのです。

すると主は私を「乳」の段階から「堅い食物」の段階に移してくださいました。私の身に起こったこと、そして起こっていることは、主に自分の道を明け渡す中で与えられしすばらしい恵み、平安、そして神の愛なのです。

(これはテッサ姉妹の証しの一部分です。英語で全文をお読みになりたい方はテッサの証しをクリックしてください。)

☆☆

テッサとの交流、そして彼女の手記を通じて、私は今まで気付かなかったある事に目が開かれました。

それは「なぜ、これまで2000年近く尊守されてきたⅠコリント11章の祈りのベールの慣習が、ここ60年余り、キリスト教会でないがしろにされ、無視されるようになったか」という点についてです。

現代思想の潮流とかいろいろな要因があると思います。しかし、それらすべての背後にあってこの聖書の教えを闇に葬り去ろうとしているある勢力が存在していることに私は気付きました。つまり真理の敵であるサタンの働きです。

ではどうしてサタンはこの教えが嫌いなのでしょうか。なぜなら、この教えが主の教会で復活すると、テッサのような女性が増えてしまうからです。祈りのベールは姉妹たちの心に従順をもたらします。だから、この教えを尊守することで、テッサのように離婚の危機にあった不幸な女性たち(男性たち)の家庭に平和と秩序が戻ってしまうのです。

そして家庭に平和が戻ると、これまで、いがみ合い、ののしり合う親の脇で脅え泣いていた子供たちの心に喜びと安定がもたらされてしまうのです。

だからサタンはどうにかしてこの教えを「現代には適用されないものですよ」と言って説得しようとあくせくしているのです。

祈りのベールのことを公に証しするまでに自分自身、なぜあれほど躊躇してしまっていたのか、なぜその証しをするまでに何年もかかったのかーその理由も今はっきり見えてきました。実はそれを執拗に阻む勢力があったのです。

この事に気づいた私は、Christian Headcovering-a remedy for broken marriages and relationships; Sister Tessa's living example (=祈りのベール―壊れた夫婦関係の特効薬;テッサ姉妹の生きた実例)という記事を英語ブログに書き、テッサと同じように離婚の危機にさらされている女性たちの回復を祈りつつ、彼女を励ますメッセージを書きました。

おわりに

それではこれから、第二、第三のテッサが生まれてくるのでしょうか。不従順な妻だった人が柔和で従順な妻になることは可能なのでしょうか。祈りのベールの教えは今後、各地の教会で再び息を吹き返すようになるのでしょうか。私はこれに対し信仰をもって「はい!」と答えます。

たとえば、(日本語ブログの中でも和訳してご紹介した:ココ)ジェシカ姉妹の「祈りのベールの証し」を読みに、以下のような国々の姉妹たちがやってきました。

オーストラリア、ドミニカ共和国、クロアチア、ベルギー、米国、ニュージーランド、フィンランド、フランス、オランダ、ノルウェー、スイス、レバノン、ドイツ、英国、ポーランド、ロシア、メキシコ、南アフリカ、カナダ、日本など、、

このリストをみてください。この中には高い離婚率を抱える国々も多く含まれています。また、聖書の教えがもはやまっすぐに説かれなくなってしまっている国々も含まれています。

私は、こういった国々の姉妹たちを前に、「、、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さる(ローマ8:26)」という御言葉を思い出しました。

どんなに人間の知恵でもって聖書の言葉を再解釈しようという試みがなされても、また真理の敵であるサタンの巧妙な働きがあっても、言葉にあらわせない切なるうめきをもった御霊のとりなしにより、各地で姉妹たちはこの聖書の教えに立ち返ろうとしています。

テッサのような女性が瓦礫の下から再生の道を歩みはじめようとしています。そして男女間における創造の秩序が回復しつつあります。

私たちはこれからも力を合わせて、テッサのような女性を支援し、全面的に応援していくつもりです。

前述の彼女の証しの中で私が最も心を打たれた箇所は、お手洗いの中で鏡に映る自分とベールをみて、テッサが自分自身に言い聞かせた言葉です。

「私はまことの王の娘なんだ。」

まことの王の王、主の主である私たちの神様の栄光が、教会においても、家庭においても、私たち個人の人生の歩みの中でもあらわされますように。アーメン。


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「罪に打ち勝つ」or「罪から解放される」ーどっちが正しい?