little flowers

重い腰を上げ、この記事を書き始めています。私がこのトピックを取り扱うのはこれが二回目ですが、正直に言ってとてもつらいです。

なぜなら、これは私にとって単なる聖書解釈の問題ではなく、自分がこれまで大切にしてきた人間関係にも関わるデリケートな問題だからです。

私は日本にいた時、女性教職の方々にとても愛され大切にしてもらいました。その愛は真実なものであり、彼女たちの私に対する態度は誠実そのものでした。

ですから、もしこれが聖書の真理にかかわる問題でなければ、私がこのような記事を書くことは決してなかったでしょう。

それに考えてもみてください。誰が「恩を仇で返す」ような非礼をしたいでしょうか。また進んで自分を四面楚歌の状況に追い込みたい人がはたしてこの世にいるでしょうか。

それぞれが御言葉によって示されたところに謙遜にとどまればいい。あなたにはあなたの聖書解釈があり、私には私の聖書解釈がある。だからそれでいいじゃない、という声もきこえます。

そう、だから、私は黙るべき、、なのでしょうか。

「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」(Ⅰテモテ2:12)という聖句が主の教会の半数以上で公然と破られている現状に目をつぶり、知らぬふりを決め込むこと、、これが神への愛そして隣人愛でしょうか。

いえ、私は自分が沈黙している真の理由を知っています。「相手の意見を尊重するため」というのは上っ面の理由にすぎません。

私が沈黙している本当の理由は、自己保身のためです。聖書の真理よりも、結局、わが身がかわいいのです。これまで築き上げてきた大切な人間関係にヒビを入らせたくないのです。だから事を荒立てたくないし、人を不愉快にさせるようなトピックなどは、ぜひとも避けたい。これが私のジレンマです。

わたしは人からの誉れを受けることはしない。しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。

互いに誉れを受けながら、ただひとりの神からの誉れを求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。ヨハネ5:41、42、44



ある女性牧師が、主日説教をされています。信者であるご主人は会衆席でその説教を聞いています。さて今、この瞬間、二人の関係はどういうものになっているでしょうか。

もちろん、一信者は霊的「リーダー」である牧師の言葉に従順に従うべきです。ですからこのご主人は、霊的リーダーである奥様にぜひとも聞き従わなければなりません。

しかし一方、「夫婦」として見た場合のリーダーはこのご主人です。そして奥様は家の中でも教会の中でも、「すべてのことにおいて、夫に従うべき」(エペソ5:24)です。

すなわち、ここには小学生の子供でも分かるような明らかな矛盾が存在しているのです。

ですからこの明らかな矛盾はどうにか処理されなければなりません。そうでなければ、女性教職は聖書的には正当化され得ませんから。聖書を普通に読んでいたのでは、この結論にはとうてい到達できないからです。

だから私たちには「新しい」神学が必要であり、この矛盾を取り繕いカモフラージュしてくれる「新しい」聖書解釈が必要なのです。

この「新しい」神学においては主と従が逆になっています。つまり、聖書の御言葉が私たちを矯正し、神のお望みになるように私たちが変えられていくのではなく、「私たちが」神の御言葉を自分たちのイデオロギーに合わせて矯正し、私たちが望むように神に変わってもらうよう工作するのです。

それではこのイデオロギーが目指している最終目標は何なのでしょうか。

それは「男女完全平等」という美名の下に、主なる神がお造りになった創造の秩序を破壊し尽くすことです。そして今、それは―世俗の領域でもキリスト教界内でも―おそろしい勢いで進行していっています。

そうしてできあがった新しいシステムの中で、多くの献身者(姉妹)が人知れず苦しんでいるのをみなさん、ご存じでしょうか。

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先日、ある姉妹がブログ上でこのような悩み相談をしていました。「うちの教会の牧師が、私を長老職に推薦し、私は祈った後、それを承諾しました。しかしその後、夫との関係がめちゃくちゃになってしまったのです。結局、しばらくその教会を去りましたが、また最近、戻ってきました。でもどうしていいのか分かりません。」

私もまたその当事者の一人でした。あの当時のことはつらくてあまり思い出したくないのですが、読者のみなさんの中には、まさにその問題のただ中にいて苦しんでいる方がおられるかもしれないと思い、あえてこれを書いています。

愛する姉妹、牧会の働きがつらいですか。重荷に押しつぶされそうになっていますか。ストレスがありますか。孤独感に苦しんでいますか。

主はあなたの献身の思いを尊ばれています。あなたが人を支配するためではなく、人に仕えるために教職の道に入られたことも主はご存じです。

しかしこのシステムは、あなたの肩に負うことのできない重荷を押しつけています。その重荷は本来、私たち姉妹が負う必要もなく、また負ってはならないものです。なぜならそれは聖書の御言葉に反することだからです。

自分の倍ほどもある年齢の男性に、「聖書はこう言っています。こうしなさい。」と指導し、権威をもつ時、私の魂は破壊的な打撃をこうむりました。それは創造主なる神のお立てになった秩序に反する行為をしていたからです。だから他の方に「心療内科に行った方がいいんじゃない」と勧められるほど私は傷つき病んでいたのです。

感謝なことに私は今、このシステムから解放され、全く新しい道を歩んでいます。精神的にも情緒的にも霊的にも癒され、静かで落ち着いた信仰生活および家庭生活を送ることがゆるされています。

クリスチャンであることは楽しいことであり、奉仕は今や自然な喜びの表現になりました。

「新しい」神学は、あなたに自由を約束しますが、それは偽りの自由です。彼らの説く「男女平等」は、聖書的な意味での平等ではなく、ヒューマニズム(人間中心主義)にその源を発しているプロパガンダであることを覚えてください。

どうか愛する姉妹たちが、これらの間違った神学体系およびその教えを説く教師たちから守られますように。その犠牲者となりませんように。

またすでに犠牲者となってしまっている方がいらっしゃるなら、主が愛の御手をもって、その方をこのシステムから救い出してくださいますように。

イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。アーメン。

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助けになるサイト:

女性が牧師、説教師として勤める べきですか?聖書はミニストリーをする女性について何と言っていますか?(ココをクリックしてください

They Called me Pastor (私はかつて牧師と呼ばれていた):以前、ご主人と共に共同牧会をされていたセレーナ姉の証し
(click here)
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