今、私は主人と共にⅠサムエル記を通読しているのですが、今日の箇所は8章でした。この章ではイスラエルの民が主を捨てて地上の王を求めた結果、どのようなことが起こるようになるかがサムエルの口を通して語られていました(10節―18節)。

人々は地上の王に搾取され、王の私益のためにとことん利用されるようになることがそこには明記されていました。

〈これはまさに地上の国家体制の現実だ。サムエルの時代も今も全く変わっていない。〉と思った時、私の心の目はイエス・キリストに向けられました。

いまだかつてこのような王が存在しただろうか。支配し、いばり散らす王ではなく、僕となり己を無にして仕える者となってくださった王が。

名誉欲や金銭欲の虜になることもなく、自叙伝を残すこともなく、宗教論を説くこともなく、その聖い生き方と死に方を通して神の愛を具現してくださった王が。

なんという王だろう!なんという王を私たちはいただいているのだろう!そう思った時に感動の涙が溢れてきました。

そしてこの王が治めておられる――肉眼の目には見えないけれども確かに今ここに存在する――神の国の民とされていることが信じがたい夢のように思われました。でもこれは夢ではないのです。

しかも、今や私たち自身が「霊なる神のすまい」(エペソ2:22)とされているとは!

なぜこんなことがあり得るのでしょう。私たちが何をしたからといってこんなことが立て続けに起こるのでしょう。

私たちはどんなに愛されている存在なのでしょう!

♪すべてのものを 与えしすえ 死のほかなにも 報いられで
十字架のうえに あげられつつ 敵をゆるしし この人を見よ

この人を見よ この人にぞ こよなき愛は あらわれたる
この人を見よ この人こそ 人となりたる 活ける神なれ (讃美歌「まぶねのなかに」)


わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。Ⅰヨハネ3:1a



この地上の多くの人々は――特に中東圏の人々は――人が「神の子」とされることはあり得ないと思っています。神を「アバ、父」と親しく呼んでいいということも多くの人は知りません。

しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである。ヨハネ1:12、13



そして彼らは宗教独裁政権下に生を受け、地上の権力者に搾取され、利用され、虐げられています。

私は自分の周りにいる人々が、私たちのすばらしい王イエス・キリストに出会ってほしいと心から願っています。

そして彼らもまたこの信じがたい夢のような国―神の国―を霊の目で見、聖なる神のすまいとされ、私たちと共にイエス・キリストを賛美するようになることを祈っています。


(↓この讃美歌は前にもご紹介したことがありますが、今回、また共有させてください。


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