ケイガンという高校一年生の女の子が私の英語ブログに来てくれるようになりました。私は彼女のコメント等を読み、そこにただならぬ情熱を感じました。そして彼女という人間をもっと知りたいと思うようになりました。こういう流れで生み出されたのがこれからご紹介するインタビュー記事です。

どうぞお読みください。

1)ケイガン、日本の読者のみなさんに少し自己紹介してください。

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こんにちは、みなさん!私の名前はケイガン・クックです。私は16歳で米国に住んでいます。私は外国語と語源学に興味があります。それから趣味はアートと音楽です。日本語はまだ数フレーズしか知りませんが、日本に関することなら皆大好きです!私はお箸を使い、お寿司も食べます。

外国の物を集めるのも好きで、とりわけアジアからの物がお気に入りです。いつかアジアに行けたらいいです。私は慎み深さや柔和さ、それから静かさといったものを重要視しています。(あら、自己紹介なのに最初からあまりにも言いすぎてしまったかしら?)

2)ミシシッピ州のポントトック(pontotoc)という森に囲まれた所に住んでいると聞きました。そこは『大草原の小さな家』のような世界ですか?どんな野生動物がいますか?

えーと、たぶん、そんな感じだと思います。でもここは『大草原の小さな家』よりはもっと人家が多いです。この地域の家の多くは家畜を有していますが、農家自体は少ないです。

野生動物ですが、この地域には、熊やアライグマ、フクロネズミ、スカンク、それからいろんな種類のヘビ(毒をもったアメリカマムシも!)などがいます。

(↓アライグマ source
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(↓フクロネズミ source
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(↓赤ちゃんスカンクsource
baby skunk

3)どのようにしてイエス・キリストを救い主と信じるにいたったのですか?

私は10歳の時、イエス様に初めて信頼を置き始めました。転校先の学校では、人々が公にイエス様のことを証ししていたのです。(でも前の学校ではそうではありませんでした。いろんな意味で厳しい規制があったのです。)

父方、母方の祖父母からも良い霊的影響を受けました。特にアラバマ州に住む父からの祖父母がそうでした。祖父母のうちに私は何か他の人と違うものを感じ、惹かれていたのです。また母方の祖父母は孫である私と弟を教会に連れていってくれ始めました。(その当時、両親は教会に通っていませんでした。)

教会の人々はイエス様について語っていました。こうして私もまたこのイエス様についてもっと知りたいと思い始めたのです。私の心には暗い部分が多く、変化を必要していました。だからイエス様をみた時、私はそこに光と希望を見出したのです!

ある日曜の朝、私は講壇の前に進み出て、「イエス様を救い主として受け入れます。私の内に来てください」と祈りました。それ以後、私は自分のことをクリスチャンとみなすようになり、主のために生きようとし始めました。そしてイエス様についてもっと知るようになりました。よく質問もしました。また毎晩、寝る前にお祈りをするようになりました。

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(↑ケイガン姉妹の家の近所)

前にも書いた通り、その当時、両親はまだ教会に通っていませんでした。私は家族みんなで教会に行くことができますようにと祈り始めました。他の子供たちと違い、両親に家で聖書のことを教えてもらうことができなかったので、教会学校で聖書のお話をきいてもよく分からなかったのです。

そのことを祈り始めてしばらく経ったある日、お父さんが家族全員を呼んでこう言いました。「これからみんなで教会に戻ることにした」と!(私が3歳の時までうちの家族は教会に通っていたのですが、その後、行かなくなっていました。)うれしかったです!その後、うちの家族は皆、成長しています。今日ある自分、そしてここまで導いてくださった神様に感謝しています。

4)日本宣教に対してとても情熱的だということを聞いています。そのことについてお話ください。きっと、このインタビュー記事を読んでくださっている方々の励ましとなると思います。

私は日本の福音宣教に対してとても関心があります。前から日本のことが大好きだったのですが、日本で宣教の働きに携わっておられる二人の方から直接お話をうかがった時はじめて、心に宣教の重荷を感じ始めました。

イエス様がそうだったように、私にも魂を思う心があります。――特にアジアの魂に。そして日本の魂に。日本の方々が救われてほしいという熱烈な願いが私の中にあります。

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(↑ミシシッピの空)

日本のクリスチャンのみなさん、どうか他の日本の方々にイエス様のことを証ししてください!アメリカ人が来て彼らに伝えるのはより困難です。でも日本のクリスチャンは、同胞の人々と同じ言語を話すだけでなく、彼らのやり方や考え方をも熟知しています。

みなさんは毎日、出会う人々にイエス様のことを話す機会に恵まれています!もちろん伝道は大変です。それはアメリカにおいてもそうです。

でも私はパウロのことを思います。パウロはイエス様のことに本当に情熱的で、とにかくいつも主のことを人々に語っていました!そしてパウロを通して多くの宣教の働きがなされ、キリストの弟子が生まれました。さらに彼の福音宣教の働きを通して、私たちは今日、イエス様について多くのことを知る恵みに与っています。

ちょっとそのことを考えてみてください。一人の人間の情熱によって、それに続く多くの世代の魂が救いに導かれたのです!彼の書き物によって今も人々は教えを受けています。

でももし彼がたじろぎ、沈黙を保っていたとしたらどうなっていたでしょう?私たちは今日のような形でイエス様のことを知ることができたでしょうか。

そのことを考えると厳粛な気持ちになります。なぜなら私たちは、生前、イエス様のことを宣べ伝える機会が与えられていたにも関わらずそうしなかったことに対して、そしてそのために福音を聞くことのできなかった魂について、主の前でやがて申し開きをしなければならなくなるからです。

でもだからと言って、外に飛び出して行って皆に叫べと言っているのではありません。そうではなく、私たちのことを知っている人々はもれなく全員、私たちがキリスト者であることを知ってもらう必要があると言っているのです。そして彼らにイエス様のことについて、そして私たちの信仰についてしっかりと話す必要があります。

さらに、より多くの人とつながりを持つように努め、その人たちにイエス様のことを伝える必要があります。

イエス・キリスト――この方をおいて他に大切なことは何もありません。魂はかけがえのないものです。そして私たちの地上の人生は一回きりです。ですから全力を尽くして、一人でも多くの魂に福音を宣べ伝えようではありませんか。そして終わりの日に、私たちが尽したことに関して主に喜ばれるよう努めようではありませんか。

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(↑ケイガンが送ってくれた写真です)

5)ケイガン、あなたも祈りのベールを着けて祈っているそうですね。どのようにして祈りのベールを着けるように導かれたのかお話くださいますか。

二、三年前のことですが、私はある日、1コリント11章を読んでいました。「あれっ?」と私は思いました。「女が祈る時や預言をする時にはかぶり物を着けなさいってここには書いてるよ、、ね?」私は自分の目を疑いました。そして何度か読み直してみました。私はそれまで頭を覆っているクリスチャン女性を一人として見たことがありませんでした。

ちょうどその時、何かの用事でお父さんが部屋に入ってきたので、私は単刀直入にこの質問を投げかけました。父は驚き、「いや、それはだなあ、、」と最初言葉を濁していましたが、結局、この箇所には二通りの解釈があるということを教えてくれました。

それでさらに私は意気込み、「それじゃあ、お父さんはどっちが正しいと思っているの?」と追及しました。するとお父さんは「祈ってみなさい。そしてよくその箇所について調べてみなさい。」と言いました。

私は御言葉の言うことを行ないたいと心から願っていました。でも当時13歳だった私には、解釈の仕方のことなど読んでもよく理解できませんでした。聖句が互いに矛盾することなどありえないと私は固く信じていましたが、それでも1コリント11章にはよく理解できない箇所がありました。

こういう私の無知のゆえ、固く決心することは至難の業でした。たくさんお祈りした後、私はスカーフを着けて教会に行きました。でも教会の人々のいぶかしげな視線にさらされ、途端におじけづいてしまいました。さらにある人から「どうしてそういう事をしているのか?」と問われ、何といって自分の立場を擁護すればいいのか分からず、たじろいでしまいました。

それで結局、私はベールをやめてしまいました。でもこれが神様が私に望んでおられることだという思いをどうしても振り払うことができませんでした。その後、ある別の出来事を通してこの箇所についてもう少し学ぶことができ、その時、「これが私のやるべきことだ。もう後戻りはしない。私はそうする。」と決心しました。

また昨年のことですが、私はウィキペディアのheadcoveringの項目を見つけ、熱心にそれを読みました。

そして驚きました。この祈りのベールの慣習は、初代教会が始まって以来、何千年も途切れることなく続いていたのです!そんなこと、誰も教えてくれませんでした。それじゃあ、どうして今日、私たちはそれを当たり前の聖書的慣習とみなしていないのでしょう?

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みなさん、この慣習がいつ止んだかご存じですか。私は調べてみて分かりました。20世紀の半ば、ウーマン・リブの運動の勃興と時を同じくして、祈りのベールの慣習はないがしろにされていったのです。、こうして前世紀にかぶり物の慣習はあたかも消えたかのように見えましたが、今、またそれは復活し始めています。

そういった事を学んだ後、私は総合的にかぶり物のことについて考えてみました。これは周囲の人々に対する目に見える象徴であり、また「御使いのためである」と聖書には書いてあるため、公の場で祈る時にはいつでもベールを着けることにしました。(寝る前にベッドの脇で祈る時や食事の前の祈りの時も含めて)

6) ケイガン、あなたは弱冠16歳でありながら、こんなにも神様に対して情熱的です。本当にすばらしいことだと私は感心しています。この地上でどんな風に生きていきたいと思っていますか。この人生においてあなたは何を求めていますか。

親切なお言葉をありがとうございます。私のみる視点において(聖書がこう教えていると私が信じるところによれば)、キリストのために生きない人生というのは無駄に費やされた人生だと理解しています。

パウロはピリピ1:21の中で「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」と言っています。この人生で唯一大切なのはキリストであり、主が生きたように生きることです。

魂の元に福音を届けるのが私たちの人生の主目的です。もしそうしないなら、私たちは――神様に与えられた尊い――この人生を無駄にしてしまうことになります。そして、イエス様がたとえ話の中で教えられているように、神様は怠惰な働き人に対して生易しい見方はされていません。

私たちのやるべき事は、キリストがなされた事を行なうことです。つまり、人々のために生き、そして場合によっては人々のために死ぬことです。私たちは各自、十字架を背負い、主に従うよう召されています(マタイ16:24)。

私たちのアイデンティティーはどんな服を着ているかとか、どんな職業に就いているかとか、皮膚の色などに置かれるべきではないと思います。私たちはまず第一にクリスチャンなのです。

ですから私たちが誰であるかはキリストのうちに見出されるべきだと思います。周りの人々が私たちのことを考える時、まず思い出されるものは「イエス」であるべきです。キリストの光が私たちを通して輝かなければなりません。私たちはキリストの使節なのですから。

人生における私のビジョンは宣教師になることです。いつ、どこに、どのような形で遣わされるのかは分かりません。でも主はご存知です。ただ主のみこころを行なうことだけを求めています。

大学に進学して教育学部で教職の資格を取ったらいいとアドバイスをもらっています。なぜなら中国のように宣教師を受け入れない国であっても、教師としての資格でなら入国できるからです。それに、教師であることは宣教の働きをしていく上でもいろいろと有益だと思います。目下のところ、私が考えているのは以上のようなことです。

でも私の人生は神の御手のうちにあります。主はもしかしたら違った風に私を導かれるかもしれません。でもこれだけは確かです。

つまり、どこにいても、何をすることになっても、とにかく私は宣教師になっているということです。というのも、私たちは皆、宣教師(神に遣わされた者)として召されているからです。

それから結婚したら夫を支えていきます。(宣教地に独身で行くことはないと思います。)そしてできるだけ多くの方に福音を伝えていきたいです。

「人生において何を求めていますか」というご質問ですが、私は主をお喜ばせする人生を追求しています。

もし、主に「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言っていただけるなら、私の心は満ち足りるでしょう。主を知ることは尊いことであり、このすばらしい主との関係そして信仰を見出すことなしに誰もこの世を去ってほしくないのです!

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(↑ミシシッピ)

7)最近、ブログを開設しましたね。おめでとうございます!私は日本の読者のみなさんをあなたのブログに招待したいと思っています。日本の兄弟姉妹は今後きっとあなたを応援してくれるでしょう。読者のみなさんに何か伝えたいメッセージはありますか。

人生を最大限フルに生きてください。そして絶対にあきらめないでください!主のために生き抜く人にはすばらしい報いが天に備えられています。主がなしてくださったこと、そして今なしてくださっていること、そしてこれからなされることに比べれば、私たちの労苦は小さなものだと思います、、、

私の祈りは、新設したブログを通して、世界中に散らばっている姉妹を励まし、また互いに交わりを持つことです!これが私の夢であり、私はそれを神様の御手にゆだねています。

どうぞ私のブログにいらしてください。そこであなたは、ご自身と同じように、キリストのために生きようとしている他の姉妹たちに出会うことができると思います。

ーインタビュー部分終わりー

私は、この純情で一途で情熱的な高校生クリスチャンの証しを訳しながら、自分自身の心が燃やされました。おそらくこれを読まれたみなさんもそうだと思います。

このような若い魂が、今、日本人の救いのために祈ろうとしています。東方に想いを馳せ、自分の人生をキリストのため、そしてその地の人々のために投げ出そうとしています。

日本は昔から「宣教師の墓場」だと言われ、最近では、(あまり成果の期待できない)日本ではなく、中国大陸の方にむしろ宣教師の関心は移っていっていると聞いたこともあります。

しかしケイガンのような姉妹の存在は、私たちに神にある希望を与えてくれます。主は私たちの同胞の救いを決してあきらめておられないと。

全地よ。主に歌え。
日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。

主の栄光を国々の中で語り告げよ。
その奇しいみわざを、すべての国々の民の中で。Ⅰ歴代誌16:23-24



ケイガンを応援し、この若い姉妹を支えていこう!

https://maidenforjesus.wordpress.com (←これが彼女のブログ・アドレスです)

☆彼女は本気で日本語を学びたがっています。オンラインで彼女に日本語の手ほどきをすることのできる方をも歓迎します。


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私の救いの証し

なんというすばらしい王

comment iconコメント ( -4 )

この記事を書いてくださってありがとうございます!日本に心を置いてくれている若い彼女の証しは、きっといろいろな人を勇気づけてくれると思います。「私たちはみな宣教者」確かにそうですね。彼女の行く道に神様の守りと御心がありますように。
(ローマ字による日本語表記について簡単な説明をしたサイトページ(英語)を見つけました。http://www.omniglot.com/writing/japanese_romaji.htm
何かの参考になればいいなと思います。)

名前: Sanae.T [Edit] 2015-03-14 18:07

感謝!

Sanaeさん、コメントをありがとうございます。こうして感動を共有できることを神様に感謝しています。彼女のこの証しが、日本のHi-b.a(高校生のキリスト者の集い)や、青年会のみなさんの間でも読まれることを願います。

ローマ字表記のサイトを教えてくださり、ありがとうございます。彼女にも紹介します。

若き日に創造主を知ることは大きな祝福だと思います。私は大学4年生の時に信仰を持ちましたが、あの時、決断を引き延ばさず、イエス様を受け入れる決意をして本当によかったと思います。

クリスチャンであることは喜びであり、冒険であり、希望だということをそれ以後、私も体験しています。

今、このコメントを読んでくださっている方で、イエス様を信じる道に進もうかどうしようか迷っている方がいますか?私はその方に申し上げます。迷わずその道を進んでください!イエス・キリストはあなたの「道」です。そしてそこにいのちと真の喜びがあります。

感謝して Kinukov-298

名前: Kinuko H [Edit] 2015-03-14 22:15

Sanaeさんへ

Sanaeさん、
ケイガンが、Doing moreというタイトルで、フィレモンの手紙から受けた恵みを最新記事に書いています。
(ここです→https://maidenforjesus.wordpress.com/2015/03/18/doing-more
私は、これを読んで感動して泣いてしまいました。高校一年生にして、ここまで深い洞察ができるのかと
驚くと共に、彼女のうちに働く聖霊の働きを強く感じました。彼女はこれからどんな女性に成長していくのでしょう。
とても楽しみです。これからも力を合わせて、ケイガンを応援していきましょうね!v-252


名前: Kinuko H [Edit] 2015-03-19 07:09

kinukoさんへ

ありがとうございます!あとで訪問してみます。いつか子ども礼拝で彼女の事を話してみたいと思っています。このような若い人たちの存在は本当に大きな希望です。彼女の証しを日本に紹介して下さってありがとうございます。

名前: Sanae.T [Edit] 2015-03-19 09:59

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