第ニ十一章
   ゾリコンの熱狂分子 騒ぎを起こす


beautiful sky


六月の初めには初夏の兆しがみえた。しかし、暑さと並んで、ゾリコンには失望感が漂い、それが兄弟たちの心を締め付けていた。

――ああ、公然と自分たちの信仰を言い表せたら、信仰により人生の変えられた人々に、自由に洗礼を施すことができたら、そして妨害されることなく、教会を建て上げられたらどんなにいいか――と彼らは熱望していた。

しかし実際のところ、彼らは夜遅く秘密裏に集まるよりすべがなかった。日ごとに、新たな不安と疑念が彼らを襲ってきていた。そして権力ある参事会に対する恐怖と恐れが彼らの精神を圧迫していた。

チューリッヒに引いて行かれた囚人たちの記憶もまだ生々しく残っていた。二度彼らは捕えられ、二度とも最終的に降参してしまっていたのである。

五月の終わりに、前途有望な若い説教者エベルリ・ボルトが、故郷のシュヴァイツで焚刑(=生きたまま火あぶりにされる刑)に処されたという知らせが入ってきた。

ボルトはセイント・ガル参事会から、州を立ち退くよう丁重に言い渡されたため、彼はそこを去り、家に帰ったのだった。しかし故郷のシュヴァイツ州――骨の髄までカトリックに徹した州――は彼を丁重には迎えなかった。彼らはボルトを捕え、焼き殺したのであった。こうしてボルトは最初のアナバプテスト殉教者となった。

ゾリコンの兄弟たちはエベルリ・ボルトの勇気とその揺るぎなさに敬服した。死に直面してもひるまなかったその信仰に尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

しかし一方、ボルトのことを称えれば称えるだけ、ツヴィングリに降参してしまった臆病な自分たち自身への軽蔑の念は積もるばかりであった。

こういう状況下にあっては、ツヴィングリに非難が集まるのもやむを得なかった。スイスの州という州は、罪で溢れ、牧師でさえも、その多くが酒を飲み、悪態をつき、不品行を行っているという有様であった。

参事会はそういう者たちの行状を黙認していた一方、一途に聖い生活を送ろうと望む人々に対しては、これを迅速に処罰していた。正しい者たちに対するこれほどまでに無慈悲な抑圧を目の当たりにし、ゾリコンの村人たちは、チューリッヒおよびその宗教指導者たちの上に、まもなく天からの裁きが下されるにちがいないと、互いにささやき合うようになっていた。

こうして村に不満が増していったため、ゾリコン教会の指導者たちは危機感を覚えた。ヤコブ・ホッティンガー爺はそうした不穏の波を鎮めようと努力し、波は一時的に静まった。誰もが皆、爺さんを尊敬していたのである。

しかし、ある日とうとう、くすぶっていた憤りに火が付けられたのだが、それはよりによって、爺さん自身の厄介息子によって引き起こされたのであった。

その日爺さんは家を留守にしていた。――彼はコンラート・グレーベルと連れだってライン河沿いにあるワルドシュットに出かけていたのだ――。グレーベルと洗礼について話しをしたがっていた、かの有名なフープマイアー博士とそこで会合するためであった。息子ハンス・ホッティンガーは父が出かけるまでじっと待機していた。

ある暖かい日曜日、――それは6月4日のことであったが――、ニコラス・ビレター牧師は村での礼拝を執り行うため、いつものようにチューリッヒから村に向かう道中にあった。折しもその日は聖霊降臨祭であった。ハンス・ホッティンガーも人々の中に混じって教会堂に入り、着席していた。

ビレター牧師は説教をするために立ち上がった。しかし彼が説教を始めるやいなやハンス・ホッティンガーは飛び上がり、荒々しく腕を振り回し始めた。皆一斉に彼の方を向き、牧師は説教を中断した。

「出ていけ!出ていけ!」ハンスはしわがれ声で叫んだ。「おい、みんな。にせ預言者の元から離れよ、すべての神の子たちよ。そして自らを守れ!」

こうして辛辣な言葉を叫ぶと、ハンスは教会堂の戸口から飛び出して行った。

一瞬、会衆はあっけにとられて静まりかえっていたが、すぐにコソコソとささやき声が聞こえ始めた。それはだんだん大きくなり、やがて互いにガヤガヤ大声で話すほどまでになった。教会は今や、ブンブンいうミツバチの群れのようなやかましさであった。

その中の数人は戸口の方に向き直り、自分たちも外に出て行った。しかしやがて騒ぎは収まり、ニコラス・ビレターは中断された箇所から、説教を再開した。

しかしハンス・ホッティンガーはまだ満足していなかった。まるで憑かれた人のように彼は村中を走り回り、そこら中にいる男、女、子供を見つけては、「俺について来い」とふれまわった。

「チューリッヒは崩壊の運命にある」と彼は口走った。

「神が二ネベに裁きをもたらそうとしたように、チューリッヒにも裁きを下される。そしてツヴィングリ。彼は何者か。そう彼は黙示録に描かれている巨大な竜であり、この竜はキリスト教会である女を食い尽くそうとしているのだ。神はツヴィングリを罰する。しかり、神はそうなさる。他の者を捕われの身とする者は、やがて自分自身が捕われていくことになる。よく見ていろ、今にそうなるから。」

マルクスとレグラはその時家にいた。ヨルグ・シャドと彼の若妻が訪問してきていたのだ。マルクスとヨルグはその日の夜、集会を開く予定を立てていた。

と、突然、外から悲痛な叫び声が聞こえてきた。「何の声だろう」と、マルクスは頭を上げ、耳を澄ました。

叫び声はどんどん近付いてきた。ガヤガヤいう声の一段上に、ハンス・ホッティンガーの声が聞きとれた。「用心せよ、用心せよ!ツヴィングリは強靭な竜だが、神は彼を打ち倒すだろう。皆、出てきなさい!」

マルクスは青くなった。ハンス伯父をいかにして止めることができるだろうか。彼は一目散に外へ飛び出した。他の者も彼に続いた。群衆は、ハンスを先頭に、グングン接近してきた。「ああ、爺さんがここにいたらよかったのに。」駆けながらマルクスは思った。

ハンスは進み出た。
「いったい何をしているんです。」マルクスはかなり冷静に伯父に尋ねた。

ハンスは叫ぶのをやめ、マルクスを見た。彼の目はギラギラ光っており、汗が顔に吹き出していた。「俺が何をしているかって。」ハンスは尋ねたが、彼の声は震えていた。「チューリッヒおよび巨大な竜に対する裁きを説くよう、俺は神に召されたのだ。」

「でもここはチューリッヒじゃありませんよ。」穏やかにヨルグ・シャドは言った。

「俺の邪魔をしてくれるな。」ハンスは叫んだ。「この世の終わりは近づいており、あまり時間がないんだ。預言者ヨナはニネベに遣わされたが、チューリッヒはニネベ同然だといって間違いない。」

「ハンス伯父さん!」マルクスは断固とした口調で言い始めた。「家に来て、お座りなさい。お酒を飲んだんですか。」

「自分のしていることぐらいちゃんと分かっているわい」とハンスは主張した。

「それにお前だって、俺の言っていることが何の事だか知っているはずだ、マルクス。コンラート・グレーベルが書いていたことをお前も聞いたよな。ツヴィングリは捕われの身となるって、、、誰かが、あのあわれなチューリッヒ市民に警告を与えなければならないのだ。」

マルクスとヨルグはやめるようハンスに嘆願したが、無駄だった。群衆はどんどん集まってきていた。「僕たちも家の中に戻った方がいい」と打ちひしがれたマルクスはついに言った。「僕たちが静かにすればするだけ、ハンスはより早く落ち着いてくるだろうから。」

「誰もハンスの言う事など、まじめに受け取らないよ。」ヨルグは言った。

「きっとそうだと僕も思っている」とマルクスは同意した。「多くはただ好奇心に駆られているんだ、でも彼らはじきに飽きて、嫌気がさしてくるだろう。そうなれば、ハンスは一人ぼっちで立つことになる。」

こうして彼らは家に入っていった。その間、ハンス・ホッティンガーは丘を突き進み、村の中心に戻って行った。群衆は殺到して彼の後についていった。

☆☆☆

しかしマルクス・ボシャートの予測の間違っていたことが、やがて明らかになった。

たしかにハンス・ホッティンガーはチューリッヒに対する反乱を率いるような器の人物ではなかった。しかし、ゾリコンにくすぶっていた不満が手伝い、彼はマルクスが思っていた以上に人々の同情を勝ち得たのである。

熱狂的な彼の友人の何人かが彼に加わった。そうなってくると、事態は、もはや、憎しみに駆られた一介の田舎男の叫びではなくなってきた――それは「圧政的な都市に対する、村を挙げての騒乱」という形相を帯びてきたのだった。

マルクス・ボシャートは朝の騒ぎの後、疲れを覚えた。ヨルグ・シャドと妻が帰ってしまうと、マルクスは少し休もうと小寝台の上に横になった。こうして彼はしばらくうたた寝をしたが、また新たなわめき声や叫び声に目を覚まされた。

すぐに彼は戸に駆けよったが、折しも、男、女、それに子供たちが行列をなして通り過ぎるのがみえた。女・子供の数は男たちをはるかに凌いでいた。

なんと一行はチューリッヒを目指して行進していたのである!

マルクスは目を疑った。彼は群衆をじっと見つめ、なんとか目を覚まそうとした。群衆は、決意に溢れ、どんどん行進していった。

マルクスは彼らの後を追って走り出したが、やがて立ち止った。「追いついたところで一体何になるというのだろう。」彼はハアハア息をしながら言った。

「結局、暴徒を止める手立ては何もないのだから。」彼は顔の汗をぬぐった。みると手がブルブル震えていた。

人々の入り混じった叫び声は、マルクスの耳からだんだん遠のいていった。彼は向き直り、とぼとぼと打ちひしがれて家に向かった。レグラは彼を出迎えたが、彼女の顔は恐怖でゆがんでいた。

☆☆☆

日中の暑さの中を行進しているハンス・ホッティンガーはもはや朝のワインに酔っているのではなかった。今や彼は新たな種類の酔狂に酔い知れていた。彼の後に続く群衆も、彼に引けを取らないほど興奮していた。

柳の小枝と綱を腰の回りに締め、ゾリコンの「預言者群」は、街道を通り、チューリッヒへと行進していった。子供たちの何人かは途中で疲れ、落後していった。好奇心が疲労にとってかわったのであった。

母親たちも一人、二人歩みを止め、村に引き揚げていった。しかし主たる群れはなおも行進を続けていった。

やがて一行はチューリッヒ市に入り、隊列が乱れながらも、狭い道をどんどん進んでいった。「災いなるかな、災いなるかな!」とハンス・ホッティンガーが叫ぶと、彼と一緒にいた群衆はそれを繰り返した。子供たちもそれを真似ようとし、騒ぎはさらに大きくなった。

「四十日以内に、この町は滅びるであろう!」一人が叫んだ。
「悔い改めよ!悔い改めよ!荒布をまとい、灰の中に座れ」ともう一人がわめいた。

「終わりの時が来た!もし悔い改めないなら、恐ろしい災難がお前たちの上に降りかかる。」ハンス・ホッティンガーは叫んだ。
「災いなるかな、チューリッヒ!災いなるかな、竜よ!」

しだいに行進はその歩みを緩めていった。チューリッヒの住民はこの光景を見ようと走り寄ってき、戸という戸からは行進を見ようと頭がいっぱい覗いていた。

GROSS MUNSTER

街中を、群衆は進み行き、ついにグロスミュンスター大聖堂の前で歩みを止めた。ここツヴィングリの教会の前で、ゾリコンの熱狂者たちは、かたくなな町に対する神の怒りを祈り求めた。

そうして後、一群は帰路に向かい始めた。一行は解散してゆき、あたりは再び静かになっていった。

チューリッヒ湖に日が暮れる頃、疲れた「預言者群」は散り散りに帰途に就いた。マルクス・ボシャートと妻は戸口に立ち、彼らが通り過ぎるのを黙って見ていた。

☆☆☆

その晩、マルクス・ボシャートはほとんど眠れなかった。

夜明けと共に、チューリッヒからの官憲たちが村にやって来て、三度目の一斉検挙がなされるに違いない。兄弟たちはこの件に対し責任を負っていないということを一体どうやって、ツヴィングリや市参事会に分からせることができようか。

月曜日、マルクスとレグラは、心配そうに、終日、外の道を見やっていた。しかし、官憲は誰一人来なかった。これは、彼らにとっても、また兄弟たちにとっても驚きであった。火曜日も同様に過ぎてゆき、皆一様に、安心し始めた。

しかし水曜日になって、ついに官憲たちがやって来たのだった。彼らは村中を行き巡り、いくつかの質問をし、ハンス・ホッティンガーを逮捕した。そしてこの囚人一人を綱に引き、彼らはチューリッヒに戻って行った。

☆☆☆

次の日曜の早朝、彼らはハンスをゾリコンに連れてきた。巡査はハンスの両手を縛っており、彼を飼いならされた馬のように引き連れていた。

ハンスの背後には、抜き身の剣を携えた二人の官憲が続いていた。一行の通り過ぎるのを見ていたマルクスは、彼らがいったいハンス伯父に何をしようとしているのかといぶかしんだ。

そして、その日の午後、全ては明らかになったのだった。兄弟たちの間で、この知らせは――村の教会に行った者たちが礼拝から帰ってきて兄弟たちに語ったのである――家から家へと伝わった。

ハンス・ホッティンガーは説教壇に連れてこられたのだが、その両手は辱めのうちに垂れ下がり、顔は真っ赤だった。ワイン抜きの一週間で、彼は完全に正気に戻っていた。剣をさした官憲たちが彼の脇に立っていた。

巡査は命じた。

「それでは、お前は先週、『このにせ預言者の元を離れよ』と叫んだが、それはビレター牧師のことを指して言ったのではないということを、今会衆の前で言え。牧師先生に多大な迷惑をかけたこと、それからお前が申し訳ないと思っていることを、はっきりと皆の前で言え。」

ハンスは咳払いをした。

官憲たちは剣をもって彼に近づいた。巡査は平べったく冷たい声で続けた。

「お前はチューリッヒ参事会の前で告白したじゃないか。今ここでもう一度、ゾリコンの人々にも告白するんだ。もしそうしないなら、我々はもう一度お前をヘクセントゥルム刑務所に連れていくぞ。そして告白する用意ができるまで、パンと水だけでやってもらうからな。」

巡査の声は教会堂の後方まで響き渡った。会堂はしーんと静まりかえっていた。そして皆かたずを呑んで見守っていた。ビレター牧師はそわそわとした様子で、両手をもみ合わせていた。

ハンスは口を開いたが、彼の声は奇妙に抑えられていた。それは「出ていけ!出ていけ!」と叫んだあの声ではなかった。

「ぼ、ぼくは、、、そのつもりじゃなかったんです。」彼は口ごもった。「何もかも間違いでした。こんなことにならなければ良かったって後悔しています。」

巡査は、やったぞという勝利の笑みを隠せなかった。すぐに彼は囚人の手から綱を解いてやった。そして彼は命じた。「いつもの席についてもよろしい。礼拝が始まるからな。」

ハンス・ホッティンガーは通路を下り、席に着いた。官憲たちもその後に続き、同じように、説教を聴くため着席した。

こうしてビレター牧師は、説教壇に上がっていった。

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第22章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

第20章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 第ニ十章

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