1527年5月20日、南ドイツ、ロッテンベルグ。一人の若い神の僕が処刑場に引かれて行きました。数日前に出された判決文には刑執行について次のように記されていました。

「以下がその判決内容である。ミカエル・サトゥラーは、死刑執行人の手に引き渡され、執行人はこの者を処刑場に連れて行き、舌を切断する。その後、執行人はこの者を荷馬車に縛り付け、灼熱のはさみで、二回、この者の体を切り裂く。[市の]城門の外に引き出された後、同様のやり方で、さらに五回、この者の体を切り裂く。その後、この者は灰になるまで火あぶりにされる。」

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ミカエル・サトゥラー。主を愛し、主の御言葉を愛した神の僕はこのように三十代半ばにして地上での生涯を終えました。

私たちは今、望むなら誰でも自由に洗礼を受けることができます。しかしミカエルが生きた16世紀のヨーロッパではそうではありませんでした。当時の教会は「幼児洗礼」こそが聖書的な教えだとして人々に教えていたのです。しかし神は啓示の光を神の僕たちに照らし、幼児洗礼には聖書的根拠がないことを明瞭に示してくださったのです。

しかし示された聖書の真理を実践し、それに生きることには大きな代価と犠牲が伴いました。当時の記録を読むと、多くの聖職者および信徒は、幼児洗礼の非聖書性に気づいていました。

しかし、ある人はそれを公言することで職を失うことを恐れ、またある人は財産没収を恐れました。ある人は周囲の目や世間体を気にする余り、示されている真理からあえて目をそむけました。その中で、それらをはっきり告白し、その告白に生きる決断をした人々はごく一部でした。

彼らの恐怖は十分に理解できます。ミカエル・サトゥラーのような殺され方をしたら、(私も含め)普通の人なら震え上がってしまうでしょう。いったい誰がこんな恐ろしい処刑に耐えられましょうか。

しかし逆に言えば、何が彼ら神の僕をして、これほど勇敢な信仰者にせしめたのでしょう。

例えば、夫と同じように投獄中だったミカエルの妻は、夫と一緒に火あぶりにされることを望みました。(しかしその嘆願は却下され、彼女はミカエル処刑の二日後、ネクカール河に投げ込まれ溺死させられました。)何がこのかよわい女性をこれほどまで強くしたのでしょう。

さまざまな信仰の勇者のことが記されているへブル人への手紙11章には次のような聖句があります。「彼らは信仰によって、、、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、、」(へブル11:33-34)。

また、Ⅰペテロ4章14節には「キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。」とあります。

またパウロはⅡコリント12:9で、「、、キリストの力が私をおおうために (=the power of Christ may rest upon me)」むしろ喜んで自分の弱さを誇ると告白しています。

ここから私が受け取るメッセージはこれです。つまり、人が聖霊に満たされ、キリストの復活の力に生きる時、そして「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」(ガラテヤ2:20a)という信仰に生きる時、その時、神の測り知れない力が土の器を通してあらわされるのだと。

次の号では彼の生涯をみていこうと思います。

付録)ミカエル・サトゥラーの作詞した讃美歌(1527)
ココをクリックして、五番目のトラックを押すと、この賛美を試聴することができます。

O Christ, our Lord, with teaching true,
Come now and meet your faithful few,
And grant that each with patient care,
His cross of love should daily bear.

O Christ, we would disciples be,
With peace and joy and grace from Thee;
Thy truth obey forevermore,
Thy Word, Thy will, and Thee adore.

O Christ, our God, upon the throne,
We praise the Father and the Son;
We praise the Holy Ghost the same,
O come, Thine own blest kingdom claim.

(Ausband, No.7, translated from German into English by Myron Augsburger)


ミカエル・サトゥラーが私たちに残してくれた霊的遺産(その2)

「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」という葛藤を覚えていらっしゃる姉妹のみなさんにささげる応援レター