sewing woman

先日、「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」というタイトルで私はエイプリル姉妹の証しをみなさんにご紹介しました。(ココです

「頼りなく、無気力な」夫との間に問題を抱え、エイプリル姉妹は長年、苦しんできました。今日は彼女がこれまでにたどってきた歩み――失敗や恥や葛藤も含めた――をつづった証しをご紹介いたします。

私の祈りは、彼女と同じような悲しみ、葛藤を覚えながら信仰生活を送ってこられた姉妹のみなさんが、彼女の証しによって励ましを受けられることです。そして回復の道しるべと希望が与えられることです。

もしよろしければ、どうぞお読みください。

☆☆

女性らしさ、結婚、キャリア、子育て、夫婦の役割とかいったことに関してですが、私はこれまでそういったことを文化的に「なんとなく」受け入れていました。

でもそれについて真剣に考えたことはありませんでした。というのも、私は自分はれっきとした聖書的な妻だって思い込んでいたからです。

結婚に関する聖句だって何度も読んでいました。「妻もまた夫を敬いなさい」(エペソ5:33)などを読んでも、「うん、自分はオーケー」と思っていました。

ぎゃーぎゃー叫んだり、呪ったり、物を壊したり、夫に物を投げつけるようなことはしていませんでしたし、、(あっ、でも一度主人に洗濯物を投げつけたことがありました。でも幸い、命中はしませんでした。)

まれに主人が何かを強く主張する時がありましたが、そんな時は、「まっ、主人には神より与えられし権威が与えられているんだから」と思いつつ、最終的に譲歩してあげていました。

でもその譲歩に至るまでに、私はがみがみ主人に言い逆らい、――いかに自分の意見が主人のそれよりすぐれていて、かつ聖書的であるかを説きつつ――なんとか夫の決心を変えようとあがきました。一言でいうなら、私は喜んで従う妻ではなかったのです。

「たいていの場合、主人は私の言うことに同意してくれているし、万事はオーケー」と私は思っていました。そして主人が(私を)リードできるよう努めていました。――もちろん、私が彼に望むやり方で、ですが。また私は夫に早急な決断を迫りました。

そして、自分のようにさっさと決心できず、もたもたしているように見える夫にいらだちを覚えていました。私は彼に「第二のエイプリル」を期待していたのです。――つまり女性のような思考を。

でも彼はそういった決断を前にして、熟慮する時間を必要としていたのです。そういった意味で彼の考え方のプロセスは私とは違っていたのです。でも私はそれに気づいていませんでした。

結婚していても、私はとても孤独でした。ストレスと重圧と心配で押しつぶされそうでした。

lone bird

私はいつも自分流のやり方で物事を解決しようとしていました。また結婚問題についても自分でそれを背負いこんでいました。

霊的にも、精神的にも、経済的にも、私は自分がそれに責任を持たなきゃと感じていて、心に平安がありませんでした。

私は支配的な妻でした。人をコントロールするタイプの女性でした。私は一卵性のふたごですが、支配的な性格が幼少時からみられました。

私は社交的でフレンドリーで断固とした気構えを持つ女性でした。薬剤師になってからは、そういった支配的な傾向にさらに拍車がかかり、結婚生活のかじ取りも自分がするようになりました。

職場で私は、患者さんに「ああしなさい」「こうしなさい」とカウンセリングしていたのですが、そのモードは家に帰っても変わることがありませんでした。私は夫にもああしなさい、こうしなさいと指示しました。――それもかなり頻繁に。

私は自分自身に対しても、自分の周りにいる人々のことに関しても、妙に責任を感じてしまっていました。

(その当時、私は全てをつかさどってくださっている神の至上権について理解していなかったのです。ですから、そこにあるのはただ自分の責任感だけでした。多くの点で結局、私が信頼していたのは、神さまというよりも自分自身だったのです。)

学校や職場では自分流のやり方が報われる

私は学校でもどこでもとにかく頑張り屋さんでした。そして完璧主義者でした。そして過度に自分に厳しく、自分のことを――そして他の人のことを――寛容な心で受け止めてあげることができませんでした。

私は自分の目指すところが何であるかをしっかり把握しており、それに向かって突進するタイプでした。その一方で八方美人でもあり、みんなに好かれようとやっきになっていました。

私は自分の状況判断能力に自信を持っていました。――それは自分についても、主人についても、他の人のことについても、そうでした。口にこそ出してはいませんでしたが、実際、私は自分が神様よりも状況をちゃんと把握していると思っていたのです。

「周りの人はみんな私のアドバイスや助けを必要としている」って思ってました。そしてそういう自分のやり方は、学校や職場では見事に報われました。

抜群の成績、全額奨学金、顧客サービス部門での大賞受賞、、、でも、なぜ自分の夫にだけは、この方法が功を奏さないのだろう?それが分かりませんでした。

消極的な夫

結婚する前から、主人はどちらかというと、物静かで、落ち着いており、控え目な人でした。

結婚した最初の夏、住居のことやら、夫の職探し問題のことなどで、私たちはいろいろと衝突しました。すると夫は自分の殻にしっかり閉じこもるようになり、ほとんど何も話さなくなっていきました。笑いもしませんでした。

最初の夏の間、彼は私に触れることもせず、「おやすみ」も言わずに寝室に退くこともしょっちゅうありました。

私たちは六年の交際期間の後に結婚したのですが、「えー、じゃあ、あのやさしくて責任感があって、しっかりしていて、しかも私を愛してくれていたあの人は一体何だったの?」と私は茫然となりました。

こうして彼はますます消極的になっていき、その結果、私は「じゃあ、私が舵を取らなきゃ」と思い始めました。

実際、夫にその時何が起こっていたのかというと、彼は圧倒され、困惑し、私にどう接してよいのか分からずにいたのです。彼は彼なりに新居のことで一生懸命夜中まで働いていました。彼は疲労困憊していたのです。また夫として、家庭のリーダーとして不慣れな状態だったのです。

そしてがみがみ言う私のこういう姿を見たことがなかったのです。疲れて家に帰ってくる夫を待っているのは、ヒステリックな自分でした。

それで夫は、「数日、妻をそっとしておいてやろう。そしたら落ち着くだろう」と思っていたのです。でもそれはうまくいきませんでした。

何はともあれ私たちは結婚生活を続けました。一応、住居問題のことが一段落すると、状況はましになりました。でも私たちの間に横たわる不健全なパターンは深い根をおろしてしまっていました。

私たちは両方とも、あまりにも準備不足でした

私は実際、かなり高慢な人でした。でもそうじゃないって思っていました。ほら、箴言にも「人の心の高慢は破滅にさきだつ」(18:12)って書いてありますよね。

だから私たち夫婦に限っては、他の夫婦のようないざこざはある訳がなく、結婚前の六年間と同じように、これからもきっとうまくいくはずって思っていました。

私は自分が実は利己的でわがままで霊的に未熟なクリスチャンだという事実に気づいていませんでした。

私は孤独でした。頼ることのできる人は誰もおらず、助言をくれそうな人もいませんでした。私は自分の苦しみを夫に分かってもらおうと、毎日、彼に訴えました。――何もかも聞いてもらいたいと。

もし彼が私の苦しみの切実さを知ってくれれば、また前のように自分のことをかまってくれ、愛してくれるかもしれないと思っていたからです。

ああ、でも、私は自分が完全に拒絶されたように感じ、まったく愛されていないように感じました。その時気づいていなかったのは、自分がかなり不遜な態度で夫に近づいていたという事実でした。

主人はその時もまだ私を愛してはいたのです。でも私たちはこういった危機のただ中にあって、それを乗り越えるすべを知らず、相手が何を必要としているのか、それを思いやる余裕さえなかったのです。

もちろん、私たちの結婚生活はすべてがすべて真っ暗という訳ではありませんでした。でも住居の問題やらひどい不眠症やら、その他もろもろの問題によって、私たちの結婚は暗礁に乗り上げていました。

「神様、主人を変えてください!」

結婚後十四年間、私は「主よ、主人を変えてください!」と祈り続けました。主人さえ、もっと愛にあふれた人に変えられ、家のリーダーとして立つことができるなら、万事はうまくいくはず!と思っていました。

でも祈りが答えられる気配はありませんでした。私は自分が主人を神様の前に、引きずっていって、「自分の願う通りの夫にしてください」と無理じいしているような気がしました。

私は否定的で批判精神旺盛でしたし、それに親分風を吹かせたがる傾向がありました。私は主人をあるがままに受け入れていませんでした。

とにかく彼に変わってほしいって思ってました。そしてあくまで私の願うやり方で動いてほしいと夫に対して思っていました。

それで、本来、神のみこころを祈っていたはずなのに、祈りを聞いてくださらない神様に腹を立ててしまっていました。

でも気づいたんです。――私が、夫に付与されている、神より与えられし権威に対して不遜な態度を取り続ける限り、私の祈りは今もこれからもきかれない、ということを。

気づき

そんなある日、私はエガーリッチス(Eggerichs)著『愛と尊敬』という本を読みました。この本の中で著者が説明していた「不遜の計り」という箇所を通して私の霊の目は開かれ、自分が実は、結婚生活を破壊してきたということに気づいたのです。

そう、私だったのです。私の不遜な態度により、主人はわが身を防御すべく、私から遠ざからざるをえない状況に追い込まれていたのです。

私はこれまで結婚生活における神様からの私に対する評価はAプラスではないにしても、Aだろうと思っていました。でも私の実情はDマイナスだったのです。この事実を示され、私は打ちのめされました。そして悔い改めに導かれました。

女性にとって愛されることが必要であるように、男性にとっては尊敬を受けることが必要なんだという事実に私は気付いていなかったのです。

私は男性も、私たち女性と同じように考えたり感じたりするものとばかり思っていました。もし主人が結婚生活をする中で、なにかに傷ついているのだとしたら、それを私に言ってくれるはずだと思ってました。――私がいつも彼に言っていたように。

彼のニーズは私のそれと同じで、私たちは「同じ」なんだって思っていたんです。それが結局、フェミニズムが私たちに教えてきたことだったんですから!

こうして次第に、私は主人の持つ、男性としてのニーズそして世界観について理解し始めました。そして驚きました。――主人の見る世界と私のそれがいかに異なっており、主人の考え方と私のそれとがいかに違うかということに。

こうして、結婚に対しての神様の御旨(計画)そして、聖書的な女性らしさ・男性らしさについて私の目は開かれ始めたのです。

そして私は決心しました。これから最善を尽くして、敬虔な妻のあり方について学んでいこうと。

2008年の暮れに、私は主人に言いました。「グレッグ。いつの日かね、あなたは世界中で一番尊敬されている夫だって感じるようになるよ」って。夫は笑いました。(皮肉の笑いじゃなくて良い意味で。)

長い道のり

「主よ、私を変えてください」――私はこう祈り始めました。私は主人の中にみられる良い点について、神と夫の前で感謝の気持ちを伝え始めました。神の恵みによって、私はへりくだりました。そうすると少しずつ状況に変化が表れてきました。

私は先回りして、舵取りをすることをやめました。自分こそ物事の最善を把握しているんだという思い込みを捨てました。

そうすると実は、主人は妥当にして賢明な意見を持っていて、私のやり方でやるよりも、より良い方向に私たちを引っ張っていく場合が多いことにも気づかされました。

そして神様の道というのは、自分の道よりも高いということを学ばされました。さらに、私たちの主人および神様というのは、私たち妻とは違う時刻表を持っていることにも気づきました。そしてそれが違っていていいんだってことを。

しかしこうしたものが内実化するまでには、時間がかかりました。多くの学び、祈り、へりくだり、そして神の御霊の働きが必要でした。

しかし二年余り経った後ついに、「尊敬するという行為」と「聖書的服従の態度」は、私の内でひとつの習慣となりました。

それまではやはりかなり意識して霊的、感情的「筋トレ」をしているような感じでしたが、もはやその必要がなくなっていきました。

また女性らしさに関する神様のご計画を学ぶ中で、私の中で恐れに縛られていない、柔和で穏やか霊というものが育まれていったのです!この私がです!なんとおどろくべき神様でしょう。

予想もしなかった祝福

cottage house

このようにして真に神様に従うようになってから、驚くべきことが起こりました。今までに体験したことのない深い平安と喜びで私の心は満たされるようになったのです。そしてキリストのうちにある女性としてのアイデンティティを私は理解し始めたのです。

私はその中に美しさ、女性らしさを感じると共に、自分が強められるのを感じました。いままでずっと求めてきた、そしてそうなりたいと願ってきた、その女性へと私は変えられつつあったのです。そしてもう、自分たちの結婚生活について以前のように後悔しなくなりました。

私が主人が必要としているものを察知するようになり、それをどのように提供してあげることができるのか学んでいきました。

何年もの間、私は「ねえ、いったい何がほしいの?私に何をしてほしいの?言ってよ!」と主人に強く迫っていました。でも主人は自分が何を求めているのか分からなかったのです。

だから私は「自分が彼に提供してあげられるものなんか何にもないんだ、彼を祝福してあげることなんてできないんだ」と思っていました。彼の愛を必要としていましたが、彼は私のことなんか全然必要としていないと感じていました。

でもそれは違ったのです。私にも、彼の男性としてのニーズに応えてあげることによってなにがしかの尊い貢献をすることができるっていうことに気づいたのです!うれしい。

尊敬すること、そして聖書的服従(biblical submission)についての学びは私に喜びをもたらしました。今まで背負ってきた世の重いくびきがとれ、私は解放されました。

恐れ、不安、圧倒されるような思いに苦しめられることがなくなりました。愛されている、大切にしてもらっている、守られていると私は感じはじめ、そして神様の愛と主人の愛の中で憩うことができるようになりました。何もしなくてもじっとそこにとどまるだけで幸せでした。

こうして私の人生は大きく変えられていきました。そしてそれをなしてくださった神様に対する感謝と賛美で私の心は満たされています。

新しい務め

2011年4月、主人が私に言いました。「君が今まで学んできたことを他の奥さんたちと分かち合ったらいい。うん、ぜったいにそうしたらいいよ」と。

彼はその時までにかなりの期間、私の変化を目撃しており、この変化は今後も私のうちにとどまり続けるだろうことを見たからなのです。

こうして私のブログwww.peacefulwife.comは始まりました。私の祈りは主が私を用いてご自身の真理のみを語られ、他の方々が私のたどってきた歩みを通して、希望と勇気、そして信仰を見出すことです。

そしてなんと今、主人は自分のことを「尊敬されし夫」と呼んで、その通りのタイトルで男性のためのブログを始めているのです!www.respectedhusband.wordpress.com 

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私は驚きました。これから神様は主人を通してどんなことをなさろうとしているのでしょうか。

奥様たちのための祈り

神様のたてられた結婚の掟に従うことが、あなた自身の内的満たし、親密感、平安、喜び、愛への道であることをあなたが知ることができますように。そしてその中に力を見出すことができますように。

結婚における女性および男性に対する神様のご計画は美しいものです!

主の道は最高の道です。それは私たち自身の道よりもずっとずっと良いものです。

主の神聖なご計画の中で私たち男女は互いを補い合うために造られ、お互いに異なっているのです。神様の掟は自由と喜びをもたらします。

聖書は今日の私たちにも意味をもち説得力をもって語りかけてくる書物です。私と同じように、みなさんも、――キリストとの霊的歩みの中で、そしてご主人との歩みの中で――、同じ喜び、平安、そして満たしを見出してほしい、それが私の祈りです。

ありがとうございました。

エイプリル・カスィディ

april and greg

追記)なお、エイプリル姉妹の祈りのベールの証し[Ⅰコリント11章]を日本語でお読みになりたい方は、ココをクリックしてください。三人の姉妹が証しを書いていますが、彼女は三番目に掲載されています。

姉妹の慎み深い服装について――高校生クリスチャンの探究と証し(Modest Dress Testimony)――

昨今、福音主義教会で耳にする「自分自身を愛そう」「可能思考があなたを幸せにする」等のフレーズは聖書的でしょうか。