beautiful russia
(美しいロシアの景色)

イリナさんは二十代半ばのロシア人の姉妹です。高校時代、米国に留学中にイエスさまを信じました。現在、カナダの大学で水質汚染について勉強しています。

軟骨無形成症という難病を抱えて生まれてきた彼女が、最近、「自分の傷を通して主が教えてくださったこと」について証しを書きました。イリナさんの許可を得た上で、その一部を翻訳しました。

証し

私は自分の外見にとてもコンプレックスを持っていました。ご存知の方もおられると思いますが、私は軟骨無形成症(achondroplasia)という病を持ってこの世に生まれました。

《註:軟骨無形成症(軟骨異栄養症といわれることもあります)は、軟骨細胞の異常によって骨の形成が阻害され、手足の短縮を伴う低身長になるとともに、全身に多様な症状が起こり得る病気です。》

この病気のため、私は子供時代ずっと友達ができませんでした。こういった社会とのつながりの欠如を補うため、私は本を読み始めました。

やさしい母は、私の障害が目立たないようにと私にロングスカートやパンツなどを着せてくれました。七歳の時、母と私はクルガン市に行き、そこで何回かに渡る骨延長手術を受けました。

そしてその後もイリザロフ医療センターに七年間通院しなければなりませんでした。これらの治療により、私の足は三十センチ延長されましたが、腕は十センチしか延長されませんでした。

骨延長は痛みがともないます。でも、それにより、多くの人が当たり前と思っていること――例えば、棚に手をのばすこと、電気のスイッチに手をのばすこと、身体的に独立することなど――ができるようになりました。

しかしこの手術にはリスクが伴います。腕を延長していた時、神経が過度に引き延ばされことで私の右手は動かなくなりました。現在も私の足はある限られた範囲内でしか動きません。でも一番つらかったのが、目に見える、術後の外傷でした。この傷は深く、筋肉にまで達するほどの深さでした。

長い長い間、私はこの傷が大嫌いでした。夏場には、ストッキングや長い靴下をはいて、なんとかこの傷を隠そうとしてきました。でも米国に来てから、私はだんだんとこの傷を受け入れ始めました。

特に昨年の夏、一大転機が訪れました。青年会の聖書の学びの時、そのことが起きたのです――そうです、私はこの傷をいとおしむようになったのです。

それだけでなく、私はこの傷を清いものとさえみなすようになりました。なぜなら、この傷を通しても、神に栄光が帰されることが分かったからです。私たちの体は聖霊の宮であり、この宮は清いのです。

この傷は罪深い世を私に彷彿させます

アダムとエバは元々完全な形に造られました。堕落により罪がこの世に入ってきました。その結果、私たちの肉は堕落してしまいました。軟骨無形成症はふつうの状態ではありません。そして他の人をからかったり、いじめたりすることは自然なことではありません。

でも人々のうちには罪が存在しているため、こういった人々を避けることは至難の業です。でもそういう私自身、自分とは違うタイプの人々を避けるためにいままでたくさん言い訳をしてきました。

でも私こそ――人から避けられ、嘲られ、いじめられてきた経験を持つ者として――、誰よりもそういう人々にアプローチをするべきでした。私たちは罪深く、肉は堕落していることがこれを通しても分かりました。

この傷は、自分の力で罪深い性質を改善しようとする自分の努力がいかに無力かということを示してくれます

私たちは自分の力で自己改善しようと努力しますが、失敗してしまいます。何度私たちは自分の立てた約束を破ったことでしょう。自己改善しようとしつつも、何か調子が悪くなると、また元の木阿弥(もくあみ)になってしまった――そんなことが何度あったでしょう。

イエス様を信じた後、私は自分の罪深さをもっともっと認識するようになりました。ローマ3:23「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。」

この傷は過去のことを思い出させてくれます

自分の手足をみるたびに、私は担当のお医者様や看護師さんたちの示してくださった親切を思い出します。イリザロフ医療センターのお医者様たちは、自分の親戚以上に私のことを大切にしてくださいました。

私はお世話になったこの先生方のためにいつも祈っています。二、三年のうちに、もう一度、先生方に会いにクルガン市を訪れたいと思っています。手術は大変なものでしたが、神さまの恵みにより、私は歩行することができ、手足も現在動いています。

この傷は自分の身に起こったことを他の人に語る機会を与えてくれています

「その傷、いったいどうしたんですか?」と多くの人が私に訊いてきます。そしてこの質問を通して、話す機会が与えられています。

そして時にはそこからはじまって信仰の話に導かれることもあります。また相手へのなぐさめの言葉が与えられることもあります。私の祈りは、人生における大切な事柄を分かち合うにあたって、自分のこの傷が助け手として用いられることです。

この傷は、この世で安逸をむさぼりすぎてはならないことを私に思い出させます

いつ神様にお目にかかるのか私はその時期を知りません。私たちがこの世にあまりにもなじみ過ぎてしまったら、そのことによって、主への働きは負の影響を受けます。

「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます」(Ⅰヨハネ2:17)。もし私がこの世に快適さを覚えすぎてしまったら、この世のものに執着するようになります。イエス様は「二人の主人に仕えることはできない」とおっしゃっています。

最後になりますが、これが私の傷です。

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翻訳後記:
イリナさんはこれまでの人生で三度、自ら命を絶とうとしました。しかしその度に神様の介入があり、彼女は生きながらえました。

彼女はロシアのサハリン出身で、十代の頃、北海道を訪れたこともあるそうです。それを機に、日本への関心が高まり、クリスチャンになった今、彼女は教会の仲間と共に、日本人の魂の救いのために執り成し祈っています。

私は、自分の外傷を写真にとって私たちに見せてくれた彼女にありがとうと言いたいです。

彼女のこの証しを通して、同じ病に苦しんでこられた方、またさまざまな身体的・精神的苦しみを抱えつつ現在生きていらっしゃる方々の心に、神様のいやしの川が流れますように。この証しを通して、弱い者のうちに力強く働かれる主の栄光が輝きますように。アーメン。

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「大牧者イエス様についていく者とさせてください!」――N兄の証し(中央アジア)

私にいちばん低い場所を お与えください――オズワルド・チェンバーズの詩と祈り