私がアンソニー・ノリス・グローヴス(Anthony Norris Groves)という人物について関心を抱き始めたきっかけはThe Torch of the TestimonyThe Pilgrim Churchというキリスト教史の本を読んだことにあります。

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彼は初期プリマス・ブラザレンの一人であり、また組織的・教派的サポートを受けず、信仰のみにより、イラクおよびインドへ宣教の働きについた人でもありました。

彼はジョージ・ミュラーの義理の兄弟にあたり、以前このブログでもご紹介しましたロバート・チャップマン(ココ)とも親交のあった人物です。

私は彼の一途で純粋な信仰者としての生き方に感銘を受けました。また、「自分の宝は、天にたくわえなさい」(マタイ6:20a)というイエス様の御言葉を文字通り実践した彼の質素な経済生活、およびそのことを証しした彼の小冊子『キリスト者の熱心(Christian Devotedness)』にも感動を覚えました。

また宣教者としての彼の考え方(従来の西洋教会文化の押しつけではなく、現地人による現地人のための教会を彼は目指し支援しました)や、(聖書の教えに忠実でありながらも)セクト主義に陥ることに対する警戒を常に怠らなかった彼の姿勢からも多くを学びました。

なお、日本語で読めるプリマス・ブラザレン史としてはこのサイトが詳しいです。関心のある方はご参照ください。それではこれからご一緒にグローヴスの人生の足跡をたどってみましょう。

☆☆
アンソニー・ノリス・グローヴスは1795年、英国ハンプシャー州にあるニュートン・ヴァレンスという所で生まれました。彼の両親は英国国教会のメンバーでした。

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(ニュートン・ヴァレンス)

歯科医としての訓練を受けた後、彼はプリマスそれから後にはエクセターで開業しました。1816年、彼が二十一歳の時ですが、グローヴスは自身を「キリストの弟子」と告白し、いわゆる福音的な高教会(ハイ・チャーチ)のクリスチャンになりました。また同年、彼はいとこのメアリー・トンプソンと結婚しました。

山上の垂訓

新約聖書を読み進めるうちに、グローヴスは次のような確信を得るようになりました。すなわち、「イエスの意図されていたことは、どの時代のクリスチャンも山上の垂訓を文字通りに受け取り、それに生きることだ」と。

こうして生み出されたのが前述の小冊子『キリスト者の熱心』です。

Christian Devotedness
(Christian Devotedness)

この本の中で、グローヴスは、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい、、自分の宝は、天にたくわえなさい」(マタイ6:19、20)の御言葉通り、キリスト者は、将来のための貯蓄などはやめ、可能な限り、質素に暮らしつつ、福音宣教に邁進すべきであることを説いています。

実際、グローヴス夫妻は収入の十分の一を貧しい人々に与え(その比率は後には四分の一に高められました)、貯金などは一切やめ、残りのものを全て貧しい人々に分配しました。

宣教への情熱

グローヴスの心には早い時期から宣教への情熱が湧き起こっていました。しかし、妻のメアリーがそれに反対していたため、彼はその願望について彼女に話すことをいっさい控え、神の時をひたすら待ちました。

するとどうでしょう。神は彼の忍耐強い祈りに答えてくださり、それから十年後、メアリーの心に主が強く臨んでくださり、彼女もまた夫と同じ宣教のビジョンを持つよう導かれたのです。

ダブリンへ

こうして1826年、グローヴスは英国国教会派遣の宣教師になるべく、三か月ごとにダブリンにあるトリニティー・カレッジの神学部に通い始めました。

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(トリニティー・カレッジ)

当時、宣教の志を抱く英国の青年たちは、しかるべき神学部で学位を得た後、按手を受けて聖職者となり、その後、教会宣教団(CMS)から宣教地に派遣されていました。いわばそれが常道だったのです。

さて、私たちの主人公グローヴスも、先人たちが通ってきた路線の上を堅実に歩み始めたかに見えました。

しかし、です。主はこの僕に別の道を用意しておられたのです。



(つづきは次回。)




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