natural-japanese-garden-style-design-with-bamboo-showerheads.jpg


婦人たちは教会では黙っていなければならない。Ⅰコリント14:34

Let your women keep silence in the churches. I Cor 14:34




今日は、上の聖句にすなおに従ったことで、私の魂および人生にどのような祝福がもたらされたのか、その一部分をお証したいと思います。

伝道の書の記者は、「黙るに時があり、語るに時がある」(伝3:7b)と言いました。

私たちは日頃、さまざまな場所で、さまざまな人々と言葉を交わします。相手に話しかけ、また相手の話に耳を傾ける時間は、尊く、また喜ばしいものです。

しかしその一方で、私たちは、沈黙のもたらす平安や、しずけさ、親密感といったものについても経験的によく知っています。


私は、婦人に対し、教会での沈黙を求められた神様の御意図について完全に知っているわけではありません。

ただ知っているのは、それは必ず私たち姉妹にとって祝福をもたらすものであるということです。

なぜなら、私たちの信じる聖書の神様は愛であり、良きものしか私たちに賜らないからです。


神の前に静まり、沈黙するとき、私たちは、日頃、自分がどれだけ無益な言葉の使い方をしているかに気づきます。

教会での私の沈黙は、そのような認識を自分の内面深くにもたらしました。


話すべきことを話さず、逆に、話さなくてもいい、意味のないようなことを軽率に話している自分の言語生活の実態――これに光が当てられました。

そこから主の具体的な取り扱いがはじまり、主日だけでなく、一週間を通した日々の生活の中における沈黙の益に、私の心の目は開かれていきました。

また、沈黙は、被造物ではなく創造主に私の心を向かわせる助けにもなることに気づきました。


ume no hana


日本には「余白の美」という独特の美感覚があります。


私たちクリスチャン女性が、四六時中、フォルティッシモで話しつづけるのではなく、時にかなった「沈黙」の時をも大切にしていくとき、私たちは霊的な意味においても、余白の美をあらわす生き方をしていくことができるのではないかと思います。




なぜかぶり物?――理由その1 【創造の秩序】

純潔を求める若い姉妹の祈り