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(中央アジア)

昨日、B兄が話された救いの証しを書き取りました。

☆☆☆

私は中央アジアにある某国H市で生まれ育ちました。

約二年前、テレビのチャンネルをいじっていたら、キリスト教の衛星放送の番組があるのに気づきました。そのままチャンネルを変えず、その番組を観てみることにしました。

翌日の晩にも、私はまたその番組を観ることにしました。「神の愛」とか「赦し」とか、そういうことが番組の中で語られていて、なにか惹きつけられるものを感じたのです。

そのうちに、私は周りの人たちにも、この番組で語られている内容を話すようになりました。

村八分にされる

しかし、しばらくすると、近所でうわさが立つようになり、人々は私のことを「カーファル(背教者)」と呼び始めました。そして嫌がらせを始めました。私は彼らに言いました。

「なぜこんな仕打ちをするのか?別に私は異教徒になったわけじゃない。ただ自分は神に至る道を探求していて、それでこの番組を観て勉強しているのだ。

それにそもそも、なぜあなたたちは、私個人の信仰問題にいちいち目くじらを立てるのか?人間には自分の信じる道を選ぶ権利はないのだろうか。」

すると彼らは言いました。「ここはアメリカやイギリスではない」と。

私はバザールで小売店を開いて生計を立てていました。

ある日、バザールのトイレに入ると、その中に、私宛ての脅迫状が置いてありました。

私はバザールの仕事仲間たちに、誰がこの脅迫文を書いたのか、と訊きました。しかし、誰も教えてくれませんでした。

妻が心配して私に言いました。

「あんまりあの番組の話はしない方がいいと思います。私、あなたが朝、仕事に出かけたっきり、(行方不明になって)家に戻ってこないんじゃないかと、とても不安なんです。」

「妻よ。人は一度この世に生まれ、そして一度死を迎える。我々の生も死も神の御手にある。私は何が真理かを知りたい。そしてできるなら、自分のこの心情を理解してくれる人々がいる場所に行きたい。」

ある朝、バザールに行くと、私の小売店のスペースが他の人によって占領されていました。

「ここは私の場所です」と言いましたが、私はひどく孤立させられていたので、無駄でした。失意のうちに私は家に戻りました。

隣国の義父のもとに身を寄せる

こうしてH市での私たち家族の生活は非常に苦しくなってきました。仕方なく私は、妻と幼い三人の子供を連れて、隣国に住む義父のもとに身を寄せることにしました。

義父の家で、例の番組を観ていると、義父がやって来て、「何を観ているのか?」と訊いてきました。

「お義父さん、どうぞ隣にお座りになって、一緒にごらんください。」と私は勧めました。

しばらく義父は番組を観ていましたが、やがて私の方をまじまじと見つめ言いました。

「おい、これはなんという話だ。けしからん。」

私は義父に言いました。

「お義父さん、どうしてこれが『けしからん』のでしょうか。私は一年もの間、この番組をずっと観てきましたが、彼らは神の愛や赦しといった、そういういい話しかしていません。

一方、私たちはどうでしょうか。私たちの道が正しいのなら、なぜ争いばかりなのでしょう。なぜ私の娘をかわいがってくれる人は誰一人としていないのでしょう。一体どこに愛があるでしょうか、お義父さん。どこにもないではありませんか。」

愛に「出会う」

隣国における生活も苦しくなり、私たちはさらに移動を続け、やがてトルコにたどり着きました。

イスタンブールの界隈に子どもたちとたたずんでいた時、同国人と見える青年が私たちに気づき、話しかけてきました。

彼は私と同じ民族でしたが、トルコで育ったとのことでした。

しばらくするとその青年は、「ちょっと待っていてください」と言い残して、どこかに行ってしまいました。

そして今度は、食料品や子どもたちのためのお菓子などをぎっしり詰めた袋を抱えて戻ってきました。

私は驚き、「どうしてこんなことをされるんですか?」と彼に訊ねました。

すると彼は「あなたがたが難民だということが分かりました。あなたの子どもさんは愛される必要があります。神様はこの子たちを愛しておられます。」と言いました。

私は、母の葬式の時にも涙を流しませんでしたが、この言葉を聞いたとき、初めて男泣きしました。彼は「私はクリスチャンです。」と言いました。

私は衛星放送を通して、聖書の神が愛であることを聞いてきました。

しかし今度は実際に、自分の目の前にその「愛」をみたのです。

海上での祈り

私たちはギリシア沿岸に向かうボートに乗り込みました。小さなボートに29人もの人でぎゅうぎゅうでした。

ギリシアの島に近づいた時、海上保安隊の船がやって来て、私たちのボートの底に穴を開け、ボートのモーターを取りはずした上で、私たちをトルコ側の海上に押し戻しました。

開いた穴からどんどん海水が入り込んできて、ボートは沈み始めました。

子どもも大人もみんな泣いていました。隣を見ると、妻はすでに首まで海水に浸かっており、三歳の次男を水面の上に押し上げようと必死に息子を抱え上げていました。

その時、自分の脳裏を次のような言葉がよぎりました。

「お前がキリスト教なんかに興味を持ったから、こんな災難が一家を襲ったんだ。これは背教したお前に対する、神の天罰だ」と。

しかし、それはサタンの声でした。サタンは私の心に疑いを起こそうと試みていたのです。

その時、神は、私にあの優しい青年――トルコで私たちに愛を示してくれたあのクリスチャンのこと――を思い出させてくださいました。

それによって私はサタンの声を追い払い、信頼をもって主に祈ることができたのです。

すると祈って五分もしないうちに、トルコ側の海上保安隊が転覆ボートの存在に気づき、私たちの救助に来てくれたのです。

まず三歳の次男が救出され、その後、気絶していた妻が救助され、こうして皆、九死に一生を得ました。

ギリシアへ

一年前、私たち家族は、アテネにたどり着きました。昨年の秋、四日間の修養会に招待してもらい、私たちはそれに参加しました。

私は、子どもたちをいたわり、大切にしてくれるクリスチャンたちの愛に心を打たれました。

八歳の長男がサッカーをしている最中に転んで、足にけがをした時にも、兄弟たちがかいがいしく息子の介抱をしてくれました。

私は45歳ですが、これまでの人生の中で、私のことを「愛するBさん」と呼んでくれた人は誰もいませんでした。

修養会では、皆が、ひとつの家族のように、愛し合っていました。

これが大きなきっかけとなって、私たちは熱心に教会に通うようになりました。

兄弟たちから、聖書のことや、イエス・キリストの生涯のことを教わりました。そして私はイエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れ、信仰を持つに至ったのです。

この証しを読んでくださって、ありがとうございました。







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