第ニ十九章
   第三回公開討論会とその結末



ぶどうは収穫できるほど熟れていた。ここ数週間、日曜を除いて、マルクスは一日も欠かさずブドウ園で働いていた。レグラも手伝いに来てくれていた。彼女は赤ん坊を寝かせる箱をこしらえ、寒い日には毛布で暖かくくるんだ。

ブドウの収穫にいそしみつつも、マルクスの思いはしばし遠くへ及んでいた。

グリューニンゲンからの便りによれば、フェリクス・マンツはいまもまだそこにおり、丘の後ろ手にある農家の家々に潜伏しているとのことであった。ヨルグ・ベルゲルはマンツを捕えようと、数人の官憲を手配していた。

――チューリッヒ参事会が特別指名手配の指示を出していたからである。しかしこれまでのところ、ベルゲル捜査班はマンツを捕えることができないでいた。

地元の人々は、マンツの居場所を訊かれるたびに、しらばくれて、複雑な道案内をするのだった。それで官憲たちはいつも路頭に迷ってしまうのだった。そしてようやくその場所を見つけた頃には、隠れ家はすでにもぬけの殻となっていた。

一方、コンラート・グレーベルとゲオルグ・ブラウロックは、さらに厳重な監視の元に置かれるべきだとして、チューリッヒに移送されていた。

グリューニゲン城は安全とはいえないとベルゲルが懸念したからだった。この地区には二人の友人や支援者たちが大勢いたため、彼らが逃亡の手助けをする可能性があったのだ。

そんな中、ある日、マルクスは「グリューニゲンで洗礼に関する公開討論の話がもちあがっている」という噂を聞いた。

それによれば、ヨルグ・ベルゲル行政官もそれに賛成しており、三回目となる、アナバプテストとの討論会の開催を求める文書を参事会に提出したということだった。こういった討論会を通して、兄弟たちの誤りが立証されることを、ベルゲルは望んでいたのであった。

「兄弟たちは全員、討論会に来なければならないって行政官は考えているらしいんだ。」並んでブドウを摘み取りながら、マルクスは妻に言った。

「でもまあ、あくまで参事会が開催に賛同すればの話だけれどね。ベルゲルとしては、再び地元の人々を落ち着かせるためにも、この件に早くケリをつけたいって考えているわけだ。ツヴィングリなら必ず、農民どもに、自説の正しさを立証することができるって、ベルゲルは確信しているんだ。」

「でも話はそう簡単じゃないはずよね、そうでしょう」とレグラは訊いた。

「うん、僕もそう思う。」マルクスは答えた。「実際、ベルゲル行政官に引けを取らない位、グリューニゲンの兄弟たちも、開催を熱望しているんだ。いや、それどころか、もともと、開催を要求したのは彼らの方だった。正当で、公平な討論会が開かれることによって、真理が誰の目にも示され、もしかしたら参事会でさえも納得するようになるかもしれないって、兄弟たちは考えているんだ。」

「あなたはどう考えていて。」

「そうだな。討論会自体は名案だと思うよ」とマルクスは言った。「もしグレーベルとマンツに自分の見解を自由に述べることが許されるなら、真理を探究している者に、その真偽が明らかに示されると思う。でも、問題はだ、、、」マルクスはためらった。

「何?」

「問題は、、、過去二回の討論会ではいずれも、兄弟たちに、自分たちの信仰について説明する自由が与えられなかった、ということだ。兄弟たちが口を開くや、話は中断させられ、ツヴィングリ陣営の誰かが彼らに反論してきた。今回も結局はそういう風になってしまうんじゃないかと思う。でも、やってみるだけの価値はあるだろう。爺さんはどう考えているかな。」

その日の晩、マルクスは歩いてホッティンガー爺の家を訪れ、二人は討論会の可能性について話し合った。途中、リッチ・ホッティンガーも話の輪に加わった。

「討論会要請の嘆願書をチューリッヒ参事会にしたためるべきだと僕は思う」とますます熱が入ってきたリッチが言った。

それがはたして賢明なことなのかどうか爺さんは確信が持てないでいた。しかしマルクスがそれに賛成しているということを知ると、爺さんは同意した。

「お前たち二人が文書をしたためたらどうだろう。そしてそれを皆に見てもらって、意見や賛否のほどを訊いてみたら」と爺さんは助言した。
そういったわけで、マルクスは文書作成を手助けすることになった。

慈愛深い市長殿ならびに議員閣下。あなたの臣下である、我々ゾリコンの兄弟姉妹は、あなたがたの知恵に自らを委ねます、、、神の御言葉があなたがたを治め、御言葉自らが、あなたがたの裁き主となりますように。

と申しますのも、人間が聖書の言葉を裁くのは、正しからぬことだと思うからです。――聖書は、神御自身が語られた言葉であります。我共の願いは、偏見や、人間的理屈にとらわれることなく、聖く、真実で、純粋な神の言葉から直接、教えをいただくことです。ですから、聖書に記されていない事には、どんなことがあろうとも決して、関わり合いをもちたくないのです。

慈悲深き議員閣下。我々はここに謹んで、公開討論会の開催を、嘆願いたします。――聖書から直接教えを受けたいと望む者は誰であれ、集うことができる会を、です。

そして、聖書的な真理であると示されるものに対し、――それが幼児洗礼であるのか、再洗礼であるのかにかかわらず――我々は進んでそれを受け入れ、信じるつもりであります。神さまが皆さまと共におられますように。アーメン。
       ゾリコン在住のアナバプテストおよび奉仕者一同


この嘆願書は、かつてのゾリコン・アナバプテスト教会のメンバーだった人々の間で回し読みされた。その後、それは参事会に送られた。

参事会がゾリコンの人々の言う事などに耳を貸すだろうか、と、マルクスはあまり期待が持てなかった。しかし、もしベルゲル行政官と、グリューニンゲン・アナバプテストの両方がすでに討論会開催を要請しているのだとしたら、僕たちの文書もあるいは役に立つかもしれない、と彼は思った。

十月の終わる前に、チューリッヒが実際に討論会を予定しているという知らせが入ってきた。それによると、今回の討論会は、徹底したものになる。よって、これ以降、さらなる討論会を開く必要はもう決してなくなるだろう、と。

アナバプテストの兄弟たちに対しては、ぜひ来て、聖書が実際には何と教えているのかをきき、学ぶよう、そして洗礼に関し、どちらが神の前に正しいのかを見極めるよう奨励していた。

公開討論会の開催日時は、11月6日ということに決定した。この告示はスイス全国に発布され、全国から人々がチューリッヒに向かおうとしていた。しかし、興奮の中心はなんといっても、チューリッヒ市、グリューニンゲン、ゾリコンにあり、人々は大いに沸き立っていた。

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討論会開催前に、フェリクス・マンツは再度、捕えられた。

その後、彼は塔の中に連行され、グレーベルおよびブラウロックと共に牢につながれた。三人の指導者が共に投獄されたのは、これが初めてだった。

そしてこの三人は、討論会の目的にあわせ、議論に参加すべく、参事会の議事堂に連れてこられることになっていた。

1525年11月6日、月曜の朝、マルクス・ボシャートは、ゾリコンの多くの仲間と共に、チューリッヒに徒歩で向かった。一行が到着した頃には、議事堂はぎゅうぎゅう詰めで、外にも人が群がっていた。

しばらくして告知がなされた。議事堂にはこれだけ大勢の参加者を受け入れるスペースがないため、会場を、近くにあるグロスミュンスター教会に移すことにするということだった。

その後、あわただしく本や椅子や家具などが教会堂まで運ばれ、人々も移り始めた。

マルクスは群衆と共に進んだが、前の人のかかとを踏まないように、ゆっくりと小刻みに歩いて行った。前方には、高くそびえたつアーチ型の戸口が見え、そこからどんどん人が入って行った。中に入ると、案内係に席を案内してもらい、マルクスは着席した。講壇の上では、係の人々が大慌てでテーブル席を整えていた。

アナバプテストの指導者たちは、一方の側のテーブルに座り、反対側の席には論敵であるツヴィングリの陣営が座ることになっていた。そして両テーブルの脇にはいずれも議員や高官たちの席が用意されてあった。秘書官たちは任務をひかえ、インクだめをインクで満たし、羽ペンを手入れしていた。

討論会はなかなか始まらないだろうと初めからマルクスはにらんでいた。グロスミュンスター教会への移動で、すでに開会式は遅れていた。ようやく始まったと思いきや、マルクスには見覚えのない議員の何人かが、演説を始めた。

――現在の混乱期を振り返りつつ、彼らは、『ツヴィングリが教会のために、いかに偉大な事を成し遂げたか、彼がいかに反対する者たちに大いなる愛と忍耐を示したか、そして三回目に当たる本討論会を開くにあたり、彼がいかに平和的に、反対者たちにその誤りを示そうとしているか』等、えんえんと一時間余りも話し続けた。

お昼近くになってようやく、討論会は幕を開けた。まずツヴィングリ卿が洗礼について長々と演説をした。「確かに、幼児に洗礼を授けよという、直接の掟は聖書にはありません」と彼は認めた。

「しかし新約聖書を読むと、洗礼を受けた幾つかの家族の例をみることができます――ステファノの一家、ルデアの一家、そしてピリピの看守の一家など――。こういった所帯が成人だけで構成されていたと考えるのは荒唐無稽です。その中には子供や赤ん坊もいたにちがいありません。」

「それに加えて」とツヴィングリは説明を続けた。

「イエスご自身が仰せられたではありませんか。『子供たちを、わたしのところに来させなさい。神の国は、このような者たちのものです』と。御国の子供として、彼らは洗礼を受ける権利があるのです。誰がそれを禁じることができるでしょう。」

ツヴィングリの説明は続いた。――曰く、イエス・キリストの新しい契約の下、いかにして洗礼が、従来の割礼の儀式に取って代わったか。イスラエルの男児が、神の国の一員であることの印に、割礼を受けたように、キリスト教徒の子供たちは、洗礼を受けることによって、神の選民としての一員になるのだ、と。

チューリッヒのこの有名牧師が演説を終える頃には、すでに昼食休憩の時間となっていた。午後の集会では、アナバプテストも自分たちの見解を述べる機会が与えられると、議長は請け合った。

この大聖堂にはおそらく千人もの人々がいた。これだけ大勢の見知らぬ人に囲まれ、マルクスは戸惑いを覚えた。彼は少しずつ玄関口に向かい、ポーチに座って、レグラの作ってくれたお弁当を食べ始めた。どこにもかしこにも人がいて、互いに話し合っていた。マルクスは耳を傾けた。

「これでツヴィングリは大勝利を収めるお膳立てをしたわけだ。」頬を膨らませ、自分の周りに立っている人々を澄まし気に見渡しながら、一人のめかしこんだ男が得意げに言っていた。

「この討論会は徹頭徹尾、公平なものだよ。もう金輪際、アナバプテストの連中は、『俺たちはだまされた』なんて言い訳できなくなるだろう。

ツヴィングリは主宰者として他の州の第一人者たちを招致し、それに、討論の様子をよく見るようにって、偏見のない農民たちを十二名、グニューニゲン村から選任したんだ。いやあ、まったくツヴィングリという人は、偉人だよ。でも彼はアナバプテストの連中に慈悲深すぎるように僕には思えるね。僕ならここまで忍耐深くはできない。」

「お前さんは、連中の事をよく知っているのかい?」話を合わせようと、一人のさえない小男が尋ねた。

「ああ、知ってるとも、かなりね。あいつらは、いつも騒動を起こしている、扇動家の一団だよ。もし、連中が、聖書の言うような『平和をつくる者』だったら、あちこち行き回って、弟を兄に、息子を父に敵対させるようなことはしないはずだ。

それに奴らは、自分たちが他より優れているって思っているんだ。いや、それどころか、自分たちには罪がないとまで豪語しているんだ――お清い再洗礼者ですってね、ちぇっ!」

「でも、連中がかなり敬虔な生活をしているってことは、お前さんも認めるだろう。」三番目の男が思い切って訊いた。

「単なる上っ面だけだよ。ああ、そうだとも。」最初の男が論じた。

「心の奥底ではね、奴らはよからぬ事を企んでいるんだ。本当だとも。」そして彼は声をひそめた。「あの連中はね、ひとたび優勢になるや、政府を打倒しようと待ち構えているんだ。奴らは政府の存在自体、全く認めていないし、武力行使は間違っているって言っているのを聞いたことがあるんだ。」

マルクスは今にも会話の中に飛び込んでいって、政府に関する、兄弟たちの本当の見解を説明したかった。

――つまり、僕たちの言う、『政府の職に就くことができず、いかなる状況下でも武力を用いることができない人々』というのは、あくまで『キリスト信者』のことを指しているのであって、市民全般を指しているのではない、と。しかし最初の男はまたもや話し始めていた。

「連中は、聖書の一字一句を馬鹿みたいにそのまま、受け取っているんだ。そう、今朝も誰かが言っていたけど、セイント・ガルで、奴らは『あなたがたも子供たちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません』という節句を読んだんだとさ。

それで、彼らはどうしたかというと、地面にしゃがみ、手やひざでハイハイ歩きしながら、玩具で遊んだんだって――小さな子供のようになろうってね。」こういうと彼は頭をのけぞらせ、けたたましく笑った。その場で聞いていた人たちは、礼儀上、笑みを浮かべはしたが、誰も笑いには加わらなかった。

マルクスにはもう十分だった。それで彼は外に出ようとした。しかしその時、例のおしゃべり屋がまた新しい話を始めたのだった。マルクスはその場を離れることができなかった。

「こういった再洗礼派の連中の正体を明かしてやろうか。奴らはね、ただ単にスリルを求めている暇人の集まりなんだ。洗礼を受けるとすごく気持ちいいし、聖くなったような気分になるって。

そうそう、ツヴィングリがこう言っているのを立ち聞きしたことがあるよ。『もし洗礼が連中をそんなに良い気持ちにさせるなら、いっそのこと、何度も何度も洗礼を受けたらいい。受けるたびに、悪魔は連中に近づくんだ』と。」
そして男は再び笑った。

マルクスは早足で立ち去り、外に出た。もし誰かが、兄弟たちのことを笑い物にし、デマをこしらえたかったら、そうするがいい。でもマルクスは彼らの真実をよりよく知っていた。こういう根も葉もない噂話に腹を立てるようであってはならない。

狭い通りに吹き寄せた風に、マルクスは震えた。頭上にはどんよりした空があった。もうすぐ雪か、氷雨が降るかもしれなかった。もう冬がそこまで来ていた。

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午後の集会で初めて、兄弟たちに発言する機会が与えられた。まずコンラート・グレーベルが話した。彼は新約聖書の中から、「人々が信仰を持ったゆえに洗礼を受けた」という例を次から次へと挙げ、いつも洗礼に先だって、信仰がまず存在していたことを述べた。

「今朝ツヴィングリ卿が述べた、――全所帯がこぞって洗礼を受けた――という点についてですが、そういった家に果たして赤ん坊がいたのかどうか、私には不明です。

それに仮にいたとしても、そういった赤ん坊は、洗礼を受けた者のうちには数えられていなかったと私は確信しています。また、ツヴィングリ卿は、ピリピにいた看守の家族について言及しました。さて、聖書はその事に関して何と言っているでしょう。」

そう言って、コンラート・グレーベルは新約聖書を開いた。「以下はパウロとシラスが看守に言った言葉です。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』そして、看守とその家の者全部に主の言葉を語った、と。」

「ツヴィングリ卿にお尋ねします」とコンラートは挑んだ。

「パウロとシラスはここで主の言葉を赤ん坊たちに語っていたのでしょうか。もちろん、否です!パウロとシラスは、御言葉を説き明かしてあげた人々に、洗礼を施してあげたのです!

少し後の箇所には、看守が『全家族そろって神を信じた』と書いてあります。ここ看守の家で洗礼を受けた人々が、まず信仰を持ったことは、明白です。そして言及された他の所帯についても事情は同じであったと考えるのが理に適っているといえます。」

次にフェリクス・マンツが発言した。

「ツヴィングリ卿は、『子供たちを、わたしのところに来させなさい。神の国は、このような者たちのものです』という主の御言葉を引用しました。子供たちは御国の成員に含まれているので、子供たちに洗礼を施したい、そうツヴィングリ卿はお考えです。しかし、なぜそうする必要があるのでしょうか。

この点について、我々は次のように考えています。つまり、子供たちは神の前に純真な存在であり、従って、洗礼は彼らにとっては無意味な象徴なのです。子供たちはまず成長し、自らの罪深さを自覚するようになる必要があります。

そうした後、悔い改め、信仰を持って神を呼び求めることができるようになるのです。そうやってはじめて、洗礼は彼らにとって相応しい儀式――御霊によって新生し、キリストにあって新しく造られた者であることを証しするもの――となるのです。それゆえ、使徒ペテロは洗礼のことを、『正しい良心の神への誓い』と言っているのです。」

その時、ツヴィングリの右腕であるレオ・ユッドが口をはさんだ。

「しかしイスラエルでは子供たちは八日目に割礼を受けた。――この事は、私にとって、重要な意味を持っている。もし新生児が、物心つかない前に割礼を受けてよいのであるなら、洗礼を受けてもかまわないではないか。」

今度はコンラード・グレーベルが立ち上がった。「両者には違いがあります」と彼は大声で言った。「それも、かなり大きな違いです。あなたは割礼の目的を勘違いしておられる。

割礼は、単に、我々の先祖アブラハムと結ばれた神の契約のしるしに過ぎなかったのです。そしてその中で、主は、救い主がアブラハムの子孫から出るということを約束なさったのです。その契約はイエス・キリストにおいて成就されました。」

「割礼は、幼児洗礼の型や象徴ではありません。」コンラートは続けて言った。

「そうではなく、割礼は――人の手によらない霊的な割礼、およびキリストによる新生――の型であり、象徴であるのです。それゆえ、パウロはこう書いています。『キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。』

では、キリストの割礼を受けるのは果たして誰なのでしょう。信者ではありませんか。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのは誰でしょう。これもやはり信者ではありませんか。

まことに、それは神の言葉を聞いて信じた人のことを指しているのであって、幼い、未成熟な子供たちのことではない。そうです、断じて、そうではないのです。」

こう言ってコンラート・グレーベルは座ったが、今度は、ゲオルグ・ブラウロックが立ち、話し出した。「我々を救うのはキリストであって、儀式ではない、ましてや幼児洗礼など論外である。」彼は言った。

「御子を通しての他、誰も御父のもとへ行くことはできない。イエスは仰せられた。『わたしは門である』そして『羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗だ』と。それゆえ、、、」とブラウロックは言葉を切り、意図的にツヴィングリのテーブルの方をじろりと見て言った。

「それゆえ、幼児洗礼を施す者は皆、盗人であり、強盗である。」

そしてすぐにブラウロックは続けた。

「『子供たちは神の御約束の下にいる。よって、いったい誰が彼らへの洗礼を拒むことができよう』と言っている者たちへの回答として、我々は次のように答える。

――つまり、我々は子供たちが御約束の下にいるということをはじめから承知しているのだと。というのもキリスト自身がこうおっしゃっているからだ。『神の国は、このような者たちのものです』と。

そうであるのに、なぜ彼らはなおも幼児に洗礼を授けようとするのか。幼児洗礼というのは、神の御言葉の内に育った植物ではない。よって、取り除かれる必要がある。

しかしこれを支持する者たちは、他の道や戸口を見つけ出そうと躍起になっている。よって、こういう者たちは、盗人であり、キリストを殺す者なのである。」

ツヴィングリは何か発言したいようなそぶりをみせたが、ブラウロックは続けて言った。

「洗礼というのは、神の御子に献身し、悪より離れた信者に属するものであることを、皆しかと知らなければならない。また、こういった信者は御霊の実――愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制――を結んでいるのである。そして、この内に歩む者こそ、キリストの教会であり、キリストのからだであり、キリスト信者の教会なのである。

我々が望み、また確信しているのは、我々はその真の教会の内にいるということである。しかしツヴィングリ卿および参事会は、我々をそういった真の教会から追い出し、異質な教会に無理に押し込もうとしている。

彼らは、聖書からの立証もないまま、キリストにある本物の洗礼の事を、《再洗礼》といってまがい物呼ばわりしている。しかし願わくば、我々の行っているこの洗礼こそが、キリストにある真の洗礼であらんことを。よって、これらの事から言えるのは、幼児洗礼こそ逆に《再洗礼》であるということである。」

ゲオルグ・ブラウロックの息は切れた。彼は妨害されることなしに、言うべき事は全て言ってしまおうと決意していたので、自然、早口になっていた。言い終わると、彼は満足して腰を下ろした。

討論会はこれから活気を帯びてくるぞ、とマルクス・ボシャートは思った。

そして実際、その通りだった。午後の間ずっと、言葉は飛び交い、両陣営は相手方を説伏しようとしていた。時折、議論は混とんとしたものになり、その度に、議長が、「静粛に」と小槌をたたいた。

こうして三日間、討論会は続いた。水曜までには群衆の数も減ってきていた。両陣営とも、自分の見解を譲ろうとしなかったので、聴衆は飽き飽きし始めていたのだ。

大半の聴衆と同様、マルクスもこの討論会の結末が何であるかを知っていた。彼は個人的に思った。――アナバプテストの指導者たちは、自分たちの見解を立派に表明したし、偏見なき心で物事をみる人なら誰でも、彼らの信仰は聖書から出ているということが分かるだろう、と。

しかし、そうだからといって、ツヴィングリ陣営にすでに渡されている勝利をどうこうすることはできないのだった。

そう、ツヴィングリが勝つというのは、既定の結論だった。彼は初めから勝つようになっていたのである。

アナバプテストが正しく、ツヴィングリはこの間ずっと誤っていたと想像することですら――こういう考え自体が、馬鹿げたものだった。そんな屈辱的な告白は、ただ混乱と秩序の乱れを引き起こすだけだった。

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zwingli statue

そして皆の予測通り、ツヴィングリは勝利を収めたのだった。

主宰した裁判官および参事会は、兄弟たちに対し、「――今となっては公に立証されるところとなった――誤った教えをすみやかに捨て、国の法を遵守するよう」厳かに警告した。

マルクス・ボシャートは、意気消沈して、水曜の夜、家路に就いた。この三日間を通し、さまざまな事柄の是非は、彼の内でさらに明らかになった。しかし参事会の方針に何ら変化は起こされなかった。兄弟たちが聖書の真理に忠実であることは、彼にとってさらに確実なものとなった。

しかし、――ゾリコンの一介のブドウ作り農夫にすぎない彼が、この真理に生きることは、日を追うごとにさらに厳しいものになっていた。いや、もう不可能に近い、と彼は思った。

参事会側に、再洗礼者たちに対しての措置をやわらげる気配はなかった。それどころか、彼らの態度は急激に悪化していっており、それは誰の目にも明らかだった。

そう、彼らによれば、アナバプテスト主義はチューリッヒ州から徹底的に一掃されなければならないのだ。ツヴィングリ卿はいかなる例外をも許さなかった。彼にとり、チューリッヒは、分派した人々の住む地ではありえなかったのである。

獄中生活の記憶は、マルクスの脳裏に生々しく、そして痛烈なものとして残っていた。それゆえ、現状下において、彼のできることといったら、じっと待って様子を見る、ということしかなかった。獄中にいる三人の指導者たちが今後どうなるのか、様子をみようと彼は思った。

討論会が終わった後、三人は魔女塔に連れ戻されていった。

第30章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

第28章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』