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フェミニズムとクリスチャン女性
Feminism and the Christian women by Mary Kassian



フェミニズムは私たちに次のような物の考え方を提供しています。

曰く、個人の権威――なかんずく女性の権威こそが――最も重要なものであると。

そして神の権威の前にへりくだる代わりに、私たち自らが、自分の手中に、権威を牛耳ろうとしてしまっています。

「これが私の望むやり方なの!」
「これが私の望む世界のあり方なの!」
「これが私の望む男のあり方なの!」

そして、「これが私の望む、神のあり方なの!」と。

私たちは程度の差こそあれ、皆、ある意味において、フェミニストだと思います。

なぜなら、フェミニズムというのは、すでに社会の中枢思想となっているため、私たちはもはやそれを「当たり前のもの」として受け入れてしまっているからです。

フェミニズムは私たちの物の考え方であり、

デパートで買い物をする時に、私たちが目にするものです。

映画を観ても、それは、「女性はこうあるべき」だと私たちに説いてきていますし、

本の中にも、教育制度の中にも深く浸透しています。

このようにフェミニズムは完膚無きまで、社会に融合しているため、
私たちの文化全体がこう叫んでいるかのようです。

フェミニズム――これが私たちの信仰!
フェミニズム――これが私たちの規範なの!

60年代初頭、ベティ―・フリーダンが米国でフェミニズム運動を興しましたが、彼女は女性たちに対し、「正しい問い」をすることからこの運動をスタートさせたのです。

その問いとはこれでした。

女性たちに喜びと満たしをもたらすものは何なのか。

女性たちに、人生における目的と意味を与えるものは何なのか。


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(ベティー・フリーダン)

この問いに対しフェミニズムが用意した答えにより、女性たちはそれ以後、――聖書の道――とはかなり異なる人生の行路をたどっていったのでした。

☆☆

私たちはあまりにも壊れ、傷ついた世界に住んでいます。

今日の女性たちは、どのようにして人間関係を築くことができるかを知ろうと模索しています。

非常に多くの女性が、痛み、傷ついた状態で、どこに行くともなく、さまよっています。

「どうしたら、私の求めている幸せを得ることができるの?」
「どうしたら、喜びを得られるの?」

彼女たちはその答えを求めています。

それに対し、フェミニズムは答えます。

「あらゆる境界線を投げ捨てなさい。
あらゆる権威を否定しなさい。
全てをつかみ取りなさい。
外に出ていって、職場進出しなさい。」

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しかし、こういったものは、女性の心のうちに宿る深い切望に対しては、何ら解答をもたらすものとなっていないのです。

女性のみなさんにぜひ気づいていただきたいこと――、

それは、みなさんが探し求めているものは、本当のところ、霊的な求めなのだということです。

そしてみなさんの心の願いは、ただただ、イエス様との個人的な関係の中で満たされるものであり、また、神様のお造りになった創造のデザインに従って生きることによってのみ、満たされるものなのです。

あなたのうちにくすぶっているその切望感、何かを追い求めているその願いは、外的なものによっては決して満たされません。

そして、フェミニズムによって提供されている解決案や定式によっても、それは満たされることはないのです。








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