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私たちは聖く、愛に満ち、かつ低い人生を生きるため、ここに召されています。

このような生き方は、私たちの主イエスに限りなく近い歩みをしていない限り、することのできないものです。


また何であれ、そのような歩みから私たちを遠ざけ妨げるようなものは、私たちのためのものではありません。


このように私たちを〈妨げるもの〉に関しては。そこへの最初の一歩に警戒する必要があります。


私たちがほんの少し横道に逸れてしまうことで、つまずいてしまうかもしれない魂のためにも、

そして、私たちの主の栄光のためにも、


今、主に尋ね求めましょう。

「私たちのうちに少しでも『ゆがんだ傾向』が見られるならば、どのようにしてでも、それをお示しください」と。


☆☆☆


私たちはイエス・キリスト、すなわち十字架につけられたお方以外のことは何も知るまいと決心しました。

なぜなら、私たちの召命は、その本質上、その他一切のことから私たちを分かつよう、要求してくるものだからです。


そしてそれは、次のこと以外の目標は持ちえないものなのです。

すなわち、主を知らない人々の間にあって、
キリストをあらわすこと、そして
キリストを生きること、です。


もし私たちが一途に主につき、主のために生きるなら、神の愛が私たちを通して、妨げられることなく、輝き渡るはずです。


そして何であれ、私たちの人生に聖潔をもたらすもの、そして

鏡を透き通らせるもの(――それを通して光が輝きます)、


これのみが、私たちに必要なものであって、

これ以外の一切は、価値を持ちません。



Amy Carmichael, God's Missionaryより 一部抜粋


なぜかぶり物?理由その4 【教会の慣習】

夢のある言葉に囲まれて生きていきたい