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(テサロニケ近郊の町)

青年会での集いに招いていただき、数日間、テサロニケ市およびその近郊の地域に行っていました。

使徒パウロがテサロニケ人の信者に、「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニアとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。」(Ⅰテサ1:8)と彼らの信仰をほめていましたが、私たちの出会ったテサロニケの信者のみなさんは、まさにそのような方々でした。身に余る歓迎を受け、また楽しい交わりのひとときが与えられました。

また、昨晩は、そこの教会で皆に慕われているヤニス・ダマスキノス長老(51)と直接お話する機会が与えられました。

長老の歩んでこられた半生および、テサロニケにおけるプロテスタント教会開拓の歴史について、貴重なお話をうかがうことができましたので、それをこれから記事にしようと思います。

ーヤニス長老、こんにちは。まず初めにお伺いしたいのですが、どのような経緯でプロテスタント教会の開拓にかかわるよう導かれたのですか。

ヤ:私は1964年、ギリシア正教徒の家で生まれました。1968年、母が、ディミトゥリアディスというアッセンブリー教会の伝道者を通して信仰に導かれたのが最初です。私は当時、四歳だったのですが、その時のことは今でもよく覚えています。二年後の70年には父も救われ、私たちの家が集会所になりました。

ー長老の牧会されている教会は、Ελεύθερα αποστολική εκκλησία πεντηκοστής (自由使徒ペンテコステ教会)という名前だとうかがいました。この教会の成立事情について少しお話ください。

ヤ:1920年代、ギリシアは戦争による苦境にありました。そのような中、アメリカに移民しそこで福音を聞いて信仰を持ったギリシア人たちが物資を送ってくれたり、いろいろと本国の同胞のために尽力してくれました。

1956年にはギリシア系アメリカ人の伝道者ディミトゥリアディス・ヤニス、続く62年にはクリスィラス・ヨルゴスといった僕たちによりギリシアに福音がもたらされました。65年、ルイス・フェンゴスがアメリカのアッセンブリー教団から独立して、ギリシア土着の教会(自由使徒ペンテコステ教会)をスタートさせました。

その後、前述のごとく、福音がテサロニケにも飛び火し、わが家で家庭集会が始まりました。そして三年後の73年、テサロニケにて最初の会堂が建ちました。

―こういった福音宣教の働きに対し、ギリシア正教会や政府はどのような反応をとりましたか。

ヤ:私たちの教会開拓および福音伝道の働きは、正教側からのさまざまな圧迫を受ける中で続けられてきました。子どもの頃、私たちは「裏切り者」「異端者」と言われ、近所の子どもたちから殴られましたし、教会に投石がなされたりしました。

しかし、このことをお話する前に、20世紀にギリシアで起こった二回に渡る軍事独裁政権のことを少し説明しなければなりません。第一回目は、1936年から始まったメタクサス将軍による独裁政権です。

この前後、ギリシアの各地で信仰復興が起こっていました。1927年にはアテネのペトラロナにて、33年にはディオティアという村で、続く39年にはカテリーニ市のデバスティ村で奇跡を伴う聖霊の顕現があり、多くの魂が主に立ちかえりました。

しかしこういった現象に危機感を覚えたメタクサス将軍は、「異端」政策をとり始めました。これにより、路傍で福音説教することは違法であることが法制化され、説教するには、政府の認可および正教会の祭司によるサインが要ることになりました。

メタクサスの制定したこの法律は、実に1990年まで有効であったのです。そのため、私たちの教会の伝道者たちも、留置所に抑留されたりしました。(しかし大抵、翌日には釈放されましたが。)

また、説教するための「政府による認可証」および教会の代表者名記載は、巧妙な懐柔政策であり、また、(キリストのみからだに分裂をもたらそうとする)サタンの策略でもありました。というのも、この政策を通して、ペンテコステ派は、39年の時点ですでに五つの組織に分裂してしまったからです。

それから、第二回目は、1967年、(ゲオルギオス・パパドプロス大佐等によって起こされた軍人クーデターによって始まった七年間に渡る)軍事独裁政権です。この時期にも、信教や出版の自由は非常に厳しく統制されていたのです。

1996年より、私たちはラジオを通して福音メッセージを伝え始めました。私も毎週木曜日に、聖書のみことばを説きました。しかし、正教会が政府に圧力をかけた結果、2004年にラジオによる伝道番組は閉鎖に追い込まれました。

―テサロニケにおける福音派とペンテコステ派の関係についてお聞かせください。両者の間に友好関係はありますか。

残念ながら、あまり友好関係はありませんでした。

しかし近年、いろいろな苦しい状況を通し、両者の歩み寄りと、協力関係が築かれつつあります。例えば、私はユースの子どもたちを連れて、福音派のサマーキャンプに参加しています。しかし、このような協力関係を一切拒み、「我々のペンテコステ派こそ正道なのだ」と公言する説教者もおられます。私はこのような態度は、ファナティシズムだと思います。

―ヤニス長老、もし今、若者時代に戻れるとしたら、何をしたいですか。もしくは、「これこれは、ぜひとも避けていたかった」、「こうしていたらもっと良かったなあ」と今になって思うことがあったら、教えてください。

ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

このみ言葉通り、失敗や苦しみといった道を私が通ることを神さまがお許しになったこと――そのことに感謝しています。思えば、1970年代、私たちの教会にはあふれるばかりの霊的祝福が注がれました。

しかしその時分、私たちは心のどこかで、「自分たちの信仰がすばらしいから、主は私たちをこんなに祝福してくださっているのだ」と慢心していました。

しかしそれに続く80年代、私たちは、相次ぐ教会の分裂やその他さまざまな問題に苦しみました。しかし、その苦しみを通して、主は私に、神の恵みがなんであるかを教えてくださいました。そして自分たちが本当に何者でもないことを教えられました。

ー最後にもう一つ、ご質問させてください。残りの人生をどのように用いたいと思っていらっしゃいますか。どんなことに時間とエネルギーを注ぎたいとお考えですか。

私は若者たちに神の恵みを伝えたいと思っています。多くの人がこの恵みを受け入れることを拒んでいます。また、律法主義とファナティシズム(狂信主義)に対し、これからも私は戦おうと思っています。

ギリシア・プロテスタント教会の最大の問題は、分裂です。キリストのみからだが分裂することを通し、真の信仰復興が妨げられています。

今、私たちは国家的な危機に直面しており、他の国の兄弟姉妹の祈りをぜひとも必要としています。なにか私たちに対してメッセージがありましたら、ぜひお聞かせください。

ありがとうございました。


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ギリシア人青年ミハリス君の救いの証し(テサロニケ市)

安らぎを求めている魂へ――F・B・マイヤー

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