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(19世紀のインド)

その1その2、その3からの続きです。

「今日」を生きる

たび重なる試練を通し、グローヴスは次のような霊的学課を学びました。

主が――ご自身の無限にして測り知れない摂理により――、私たちの計画をすべて無に帰すことをよしとされたことを鑑みる時、、、未来のための計画を立てることは極力避け、「今日」という一日の分を果たしていくことが、主からの強い召しであると感じざるをえない。



新たな援軍 来る

1832年、妻を失い、子どもを失い、自身も病に侵され弱っていたグローヴスの元に、イギリスから応援隊が駆けつけました。前述のクローニン、それからジョン・パーネル、そしてフランシス・W・ニューマン(←枢機卿ジョン・ヘンリー・ニューマンの弟)です。

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(フランシス・W・ニューマン)

彼らは奉仕を共にするだけでなく、すべての物を共有にし、お互いに助け合いました。また金曜日ごとに断食し、祈り合いました。

インドへの門 開かれる

1833年、グローヴスたちは、インド滞在のコットン大佐の訪問を受けました。コットン大佐は、工学の腕前を生かし、ゴダベアリ・デルタの飢饉を一掃し、現地の民を大いに助けていたキリスト者です。

コットン大佐からインドでの霊的状況を聞いたグローヴスは、大佐と共にインドを視察に行き、そこにとどまる一大決心をしたのです。

インドという土壌

それにしてもなぜ「インド」なのでしょう。

なぜグローヴスは少しずつ基盤を築きつつあったバグダッドという宣教地を離れてまでも、インドの地に向かうことにしたのでしょうか。

それはグローヴスが、「教派主義・セクト主義がキリストのみからだの成長に及ぼす弊害」をまざまざと見てきたことに由来していると考えられます。

「インドに行く唯一の目的は、、」とグローヴスは言いました。

「インドにいるあらゆる宣教団体の人々と、今まで以上に心において一つとなり、あらゆる相違にもかかわらず、私たちがキリストにあって一つであることを示すことです」と。

グローヴスによれば、教派主義の悪根が未だに根を張っていないインドのような土壌(注:1830年当時)においては、み言葉を土台とした、新約聖書的な集会がもっとも建てられやすいのです。

なぜなら、教派主義こそが、福音の伝播を妨げている主たる原因なのだから。――そう彼は考えていました。

こうして彼はインド各地を精力的に旅し、さまざまな信条を持つ多くの宣教師を訪問しました。

そして「グローヴスの奉仕から流れ出る善意と力、そして彼の無私の愛は、多くの人々の魂を勝ち取り、豊かな実が結ばれ」、その結果、「多くの人々の生活が変わり、彼らは主に奉仕するようになりました。」(『信徒の諸教会』p557)

こういった彼の姿勢を私たちは彼の英国時代からすでに見て取ることができます。例えば、彼がエクセターで洗礼を受けた後、ある人が彼に次のような質問をしました。

「あなたはバプテスマを受けているのですから、もちろんバプテスト派の方でしょう?」

それに対し、グローヴスはこう答えたそうです。

「いいえ、私は彼ら(=バプテスト派の人々)がキリストに従っているすべての点で、キリストに従いたいと思っています。しかし、一つの教派に入ることによって、他の人々と自分を切り離すようなことはしたくありません。」(『信徒の諸教会』p550)

また彼は次のようにも言っています。

もし誰かが――英国国教会であれ、スコットランド教会であれ、バプテスト教会であれ、独立派であれ、ウェスレー派に属しているのであれ――そこに誇りを持つなら、その人の栄光は、その人自身の恥辱です、、、

使徒パウロが言ったように、こういった人たちがあなたがたのために十字架につけられたのでしょうか。私たちが何かを誇れるとしたら、それは唯一、私たちが主の恵みによって主に贖われた者となったという、その事だけです。
Memoir of the Late Anthony Groves, 3d ed, p.49)



多くの誤解に遭って

しかし彼の善意は、必ずしも肯定的に受け取られませんでした。

いや、それどころか、どこに行っても彼は誤解され、「グローヴスは気取っている」「優越感を持っている」と揶揄されました。そしてこういった誤解や中傷により彼は深く傷つきました。

彼の言う事は、既存の組織の安定性を脅かすものとして疎まれたのです。そして彼は宣教師サークルから除名され、宣教活動に対する敵として、またそれを脅かす存在として疎外されました。

例えば、グローヴスは、仲間の宣教師たちに向かい、「シンプル・ライフを心がけよう。そして必要な物は主から与えられると信頼していこう」と呼びかけましたが、こういった勧告もなかなか受け入れられませんでした。

というのも、これは当時の、「裕福な西洋人宣教師」VS「貧しい現地人」という社会構成に揺さぶりと反省を促すものだったからです。

また、グローヴスは、各教派が、現地人改宗者の数を競っている姿、また宣教団体が、権威や所有物、財政といった問題にやっきになっている現状をつぶさに見、次のように書き記しました。

、、私たちが低められることが、私たちの栄光であり、私たちの弱さが私たちの強さであるということを理解することは、並はずれた信仰を必要とするものである。

というのも私たちが行く所どこででも、私はそれとは逆の原理の悪しき影響力を認めるからである。

私たちの主に従い、私たちが仕えたいと思っている人々の間にへりくだろうとしないことは、私たちの持っている全ての真の力を破壊するものである、と私は確信している。

彼らの上に立つことによって、確かに私たちは権力を持つ。しかしながら、それは、この世の権力にすぎない。

主が目を開いて、私たちの道を示してくださいますように!

真理がインド人の心に強く印象づけられるとき、それは一般に、イギリス人におけるよりも、より強力かつ持続的に印象づけられるように思われる。彼らは、多くの場合、神の御言葉だけに委ねられている。また宗派の数が非常に少ないので、彼らが抱いている見解は、それだけ一層、聖書的である。

ヨーロッパの聖職者支配の諸悪――すなわち、プライドと世俗性――をこの国にもたらさないように全力を尽くすことが、今日ほど必要とされている時代はないのである。



また、当時、西洋の宣教師が、現地人クリスチャンと食事を共にすることを拒絶していた現状に対し、彼はこのように書いています。

私は、知れば知るほど、ヨーロッパ人によって行なわれてきたインドの宣教活動が、全くインド人の〈上に立ったもの〉であることを確信した。

、、神の子の謙遜を念頭において、この特権階級の問題を考える時、この中にキリストとは似ても似つかぬ、非常に不適切な何ものかを見いだす。

もし、栄光の中に父と共にいる神の御子がご自身を無にされ、罪ある肉と同じ形をとってこの地上に下られ、取税人や罪びとの友となり、彼らを高められたとするならば、ひとりの虫けら同然の人間が、自分が汚されることを恐れて、もう一人の虫けら同然の人間と食事をしたり、接触したりすることを拒絶するならば、それは真に忌むべきことと言わざるをえない。

ペテロに対する主の啓示は、何と強く、このことすべてを戒めていることであろうか。『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』



また宣教師が、口先だけの説教ではなく、自分の生活を現地人クリスチャンに実際に見せ、彼らと共に生きる中で、キリストのいのちを伝えていくことの大切さに関しても、グローヴスは次のような印象深いメッセージを残しています。

、、、私たちの大きな目的は、プライドが現地人とヨーロッパ人の間に差し込んだ憎むべき障害を紛砕することにある。

この目的のために、あらゆる伝道者が、自分の行く所どこにでも、二人から六人の現地人の伝道者を連れて行くことが望ましいであろう。

彼は、旅行中に、彼らと飲食を共にし、眠る。また彼は、座ったり立ったりする時に、彼らに対して神の国について語る。

それは、私たちの主が弟子たちを訓練された方法で、すなわち、彼らが許容しうる程度まで着々と徐々に、ここで少し、あそこで少し教えるといった方法で、彼らを短期間のうちに奉仕のためにふさわしく準備させるためである。

そのことを通して彼ら(現地人)は、徹頭徹尾、私たちの立場が、――自分たちのしていないことを他人にさせたり、自分たちの依拠していない諸原則に基づいて彼らを行動させたりするものではなく――私たちがむしろ、自分の愛する兄弟たちの中に見たいと願っているあらゆることの模範となっていることを感じ取るだろう。

そして私は、キリスト教会に近づきつつある暗雲の日の真っただ中において、小さな聖所であるような教会が、インドにおいて起こされることをいまだ望み見ているのである



こうしたグローヴスのメッセージは当時、少数の人の間でしか受け入れられませんでしたが、彼の感化を受けた現地人クリスチャン、アルーラッペンはその例外的な存在でした。

アルーラッペンはさまざまな宣教団体から(給与付きで雇うという)オファーを受け続けながらも、それらを全て断り、生活のニーズを主だけに寄り頼みながら、南インドを巡回し、各地で福音を伝えて歩きました。

そしてこの神の僕を通して、南インドの人々の間における真の福音化が促進されたのです!

(アルーラッペン兄弟の生涯と働きについてさらに詳しく知りたい方へ。G.H.Lang, The History and Diaries of an Indian Christian (J.C. Aroolappen) をご参照ください。)

確かに、(クリスチャンも含めた)発展途上国の人々の「援助慣れ」と援助する宣教団体側の「支配」という問題は、今日も宣教地においては、切実な問題であり、その意味でも、グローヴスの次のメッセージに私自身、とても共感しました。

、、土着の人は、生来、援助を受け安逸をむさぼることを好み、それによって、他国人に依存するようになっています。

他方では、ヨーロッパ人は、土着の人を支配下に置き、自分たちは支配する立場にいることを好んでいます。

しかし、次のことはすべての人々に明白でなければなりません。

つまり、もし、土着の教会が、人ではなく主に寄り頼むことを学ぶことによって強められないなら、現在ある形態は、それがヨーロッパに依存している限り、たった一時の政治上の変化によっても跡形なく消え去ってしまうだろうということです



おわりに

アンソニー・ノリス・グローヴスはそれからも1853年に召されるまで、インドで地道に福音宣教の働きを続けました。

しかし、生前のグローヴスはほとんど周囲から理解されることがなく、本人も、「私の働きは失敗だった」と告白していることから鑑みても、彼の歩みは失意の連続だったのかもしれません。

しかし前の号でも触れたように、彼の死後、主はグローヴスを通して、永続する実を実らせてくださいました。

アルーラッペン兄弟を通したインドでの福音宣教、ハドソン・テーラーの中国内陸宣教団、ジョージ・ミュラーの孤児院の働き、インドの伝道者バクト・シング(Bakht Singh)、ドナヴァー・フェローシップのエミー・カーマイケル、それから中国のウォッチマン・ニーおよび家の教会など、、これらの僕たちは全て、直接的・間接的にアンソニー・ノリス・グローヴスの霊的感化を受けています。

無題 (16)
(ハドソン・テーラー)
無題 (18)
(ジョージ・ミュラー)
無題 (15)
(バクト・シング)
無題 (17)
(ウォッチマン・ニー)

それから最後にもう一つ、付け加えたいのが、グローヴスが友人であり主にある兄弟であるジョン・ネルソン・ダービーに宛てた手紙のことです。

グローヴスは、インドにいながらも、英国のプリマス・ブラザレンが次第にセクト主義の傾向を強めていっていることを危惧し、心を痛めていました。

グローヴスは終生、ダービーに対し、変わらぬ愛と尊敬の念を抱いていましたが、この長い手紙の中で、彼は「あなたは、あなたが離れた所に再び戻りつつあります。」とダービーに警告しています。

私が個人的にこの手紙を高く評価しているのは、ダービー個人がどうのこうのというよりも、この警告が、「クリスチャンが気づかないうちに陥ってしまいがちな霊的落とし穴について」非常に的を射たメッセージを含んでいると考えているからです。

自分の胸に手を当て、このメッセージを受け取ることで、私たちはそれぞれ皆、何らかの形で大きな霊的益を受けると思います。

それでは、四回にわたるアンソニー・ノリス・グローヴスの生涯に関する記事を、この手紙からの引用によって終えようと思います。

(1836年3月10日)アンソニー・ノリス・グローヴスからジョン・ネルソン・ダービーへの書簡 
Letter to John Nelson Darby

、、私は、神へのあなたの真実な思いに信頼していますので、あえて言います。あなたがもしほんの一、二歩、さらに進むなら、――あなたがすでに離れたと公言している組織についての弊害が――、今度はあなたがたのうちに起こってくるのを見ることになるでしょう。

あなたの集まりは、光や愛というより、教義や批評になりつつあります。そして、まだ実際には起こっていませんが、あなたの指導は、人間の権威を感じさせるものになっていくでしょう。

あなたの小さな集まりは、栄光に満ちた単純な真理を証しすることから、誤りだと判断した全てのものに反対するものへと変貌していきました。これは天から地への堕落だと私は心を痛めています。

、、私は豊かに主によって教えられたあなたの寛容な心が、あなたを取り巻くあなたよりも狭量な人々の意見に妨げられずに、いつか再び登場してくることを確信しています。

福音の中で、あなたに心からの愛をもって
A.N.Groves



ー終わり―

アンソニー・ノリス・グローヴスについてさらに詳しく知りたい方へ
【文献案内】


A.N. Groves, Christian Devotedness *この本のキンドル版は¥0です。
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G.H.Lang, Anthony Norris Groves *グローヴスに関するすぐれた伝記。
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「教会の偽教師につまずき傷つけられても、僕は最後までイエス様につき従っていきます!」―ジョエル・ホースト兄弟にインタビューしました。

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