無題 (4)

三谷隆正著 『信仰の論理』 六、他者の体験より一部抜粋


およそ人という人にして、何らかの形において名誉心を持たないものはあるまい。

その名誉心とは如何なる心であらうか。

何が名誉の内容であらうか。


結局、自己一個の存在が己れ自身に対してのみならず、

他に対しても意義を持ち、価値を有するものであるといふことが明確にされること、

その事が名誉の内容であると私は思ふ。


自己一個の存在が、己れ自身の為めに役立つの外、

終に他に対して何の意義をも価値をも持たないものであるならば、

一己の存在は空の空なるものである。


、、おほよそ我々が我々の意志を縛るべき何ものをも見出さないとき、

天の下に我が聴くべき意志とては、

自己一個の意志の外何ものもない時、

我が胸中の淋しさと不安とは怖るべき程度のものである。


、、反之、一己が身を投じて奉仕すべき対象の与へられてある時、

一己の意志を縛るべき大いなる意志の見出されてある時、

我が前に我が一身を献げて拝跪すべき他者の姿をありありとおろがみ得る時、

その時に一己は、謂ひ難きの力と平安と満足とを得、歓喜に充ち、希望におどるのである。


愛のきずなは我等を縛るが故に甘美である。


神は我等を強制するが故に、然り、

絶大の力を以て、我等欲せず、我等意識せざる間に、

我等の知らざる方へ強ひて我等を導くが故に、

我等が安心立命の大盤石たることを得るのである。


、、已むなくモーゼは起つた。神に強ひられて起つた。

その大事業は決してその野心の産物ではなかった。エホバの意志に対する服従の産物に外ならなかった。


然りモーゼの力の源は服従にあつて自恃になかつた。

エホバに対する絶対服従にのみあつた。その他力にのみあつた。


同じ服従と同じ他力とが、イエスにとつてもその力の源であつた。

、、些(すこし)の私をもとどめず、

全身全霊ただ神の命のままに行動したのがイエスであった。


彼自身は能ふべくんば此苦き杯を免れ度いと願った。

然し神の意志は十字架にあった。


故に彼は神の意志に従つて十字架に上つた。


その一生を通じてイエスは神に強ひられたる人であつた、、そうして起つた。そうして力溢れた。


揺籃より十字架まで、彼を導き彼を支へたるものは、神以外の何ものでもなかつた。


、、イエスはその絶望の極に於ても猶「わが神」と叫んで、決して他の何者にもすがらなかった人である。

そこに彼の力の秘訣がある。

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如此して私は、我に或る大いなる他者を思念し感得するのみならず、

私の僅ばかりの来し方をかへり見て、そこに如実に他者の他力を体感し得る。


その来し方を彩る大なる転機にして、私が自ら計画し、

その計画した通りに成就したのであるものは、殆ど一つだにない。


私は私の一生を導くものが、私自身の思案工夫でなくして、

或る大なる他者の力であることを実感する。


私は、私の私意私案が、私の為に大なるもの、力あるもの

又貴きものをもたらして呉れた事のあるを知らない。


私の私案は、いつもつまらぬものであつた。

徹底せぬ欲求であつた。

妥協的愚案であつた。


偶々(たまたま)その愚案の実現せられた時、

私は自意を就げながら、猶不満であることを免れなかった。


然し、私のその愚案が紛砕せられて、

思はぬ痛苦が私の身に臨んだ時、

その時に私は、予期せざりし満足と激励と感謝とを

己がものとすることが出来た。


私は私の大なる幸福と、人の想に過ぐる満足とが、

決して私の私案によつて招来せらるるものでなく、

私の願はざる苦痛と思はざる艱難とを通して、

他より与えらるるに相違ないと信ずるようになつた。


私は最早、私自身の計画の成就されぬ事に失望しない。


私は、私を導く力が、

私自身よりは遥かに大に、遥かに賢くあり、

私が私自身を愛する以上に

強く且つ正しき愛を以て私を包む、

彼の他者の力と智慧とであることを信じて、

安んじて勇躍して、人生てふ不断の冒険を冒したく思ふ。


、、単に無限を想ふとか、

絶対普遍なるものを思念するとか、

敬虔なる感情を以て大いなる者の前に額く(ぬかずく)とかいふだけの事では

宗教の根柢たり、信仰生活の動力たるべく、

余りに力弱く且感傷的である。


信仰は智識ではない如く、また感情でもない。


ただ誠実なる意志とその具体的実現に伴ふ、

他力の実践的に如実なる体験、

それが活ける信仰の活ける基礎である。


信仰の基礎は如斯(かくのごとく)に、個人的である。


宗教は終に一般的概念を基礎として立つ事を得ない。

又単なる受動的感情を以てその根柢とすることを得ない。


(三谷隆正『信仰の論理』六、他者の体験、p56-67より一部抜粋)


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「信仰は冒険なしには成立し得ない。」―三谷隆正 『信仰の論理』より

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