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(アララト山、クルディスターン)

私は1989年、クルディスターンのS市で生まれました。

私の一族は全員がKomalというクルド人政治組織の党員であり、幼い時から、私はこういう緊張した政治的環境の下で育ちました。

2002年、私が13歳の時、一家に身の危険が迫ったので、私たちはイラク側のクルディスターンに逃げました。その地で私は、党の報道カメラマンとして、また戦闘員として活動を続けました。

そして2013年、私は単身、ヨーロッパに政治亡命しました。

教会に誘われて

ヨーロッパに亡命後も、私は相変わらず、党の報道スポークスマンとして機関紙に記事を書いたり、党の会議で発言したりしていました。

そんなある日、語学のクラスの友人に「教会に行ってみませんか?」と誘われました。

私は全く無宗教的な環境で育ったので、キリスト教についてもほとんど知識がありませんでした。それなので、これをいい機会に、一度教会を見学してみようと思いました。

こうして日曜日に二回ほど近所の教会に行ってみたのですが、その時は特に何を感じることもありませんでした。

しかしその後、別の友人からRという教会に誘われ、その週の日曜日に、その教会に足を運んでみました。

ちょうどその日、そこの教会で、いわゆる聖餐式というものが行われていたのですが、私はそこに神の臨在のようなものを強く感じました。それは自分の内側に変化を起こさせるような強烈ななにかでした。

狭心症のいやし

私は幼い時から、心臓に疾患があり、ヨーロッパに来てからもすでに二回、呼吸に苦しさを覚え、病院に運ばれていました。また不眠症にも苦しんでいました。

担当医からは一か月半後に手術をする必要があると言われていました。

私の通い始めていた教会では、多くの兄弟姉妹が、昼となく夜となくとりなしの祈りをささげていました。私が自分の病のことを話すと、彼らは私のために熱心に祈ってくれ始めました。

すると本当に心臓の疾患がいやされたのです。手術の必要もなくなりました。

このような奇跡を目の前にし、私は、イエス・キリストが生ける神であることを心から信じるに至りました。そしてすぐに教会で奉仕するようになりました。

党員かイエス・キリストの弟子か

こうしてイエスを救い主として信じた私は、バプテスマを前に、自分の生き方を振り返ってみました。一番大きな問題は、Komalの党員としての、私の身の振り方ついてでした。

イエス様を知れば知るほど、党員として政治活動をしつつ、かつクリスチャンとして生きていることの矛盾と不可能性を感じるようになっていきました。

ライフル銃を片手に、平和の君であるイエス様に従っていくことはできないと悟りました。

私は、これまで血なまぐさい戦いに明け暮れた人生を送ってきました。でも聖書には神は愛だと書いてあります。

私は地上の兵士ではなく、キリストの愛の兵士(Ⅱテモ2:3)として今後、人々を愛し、人々のために祈っていく人になりたいと思いました。

こうして私は政治と袂を分かつことに決心し、党に辞表を提出しました。

父に打ち明ける

パステスマを受けた後、私はイラクにいる父に救いの証しをするべきか否か迷いました。

父は党幹部として重んじられている人であり、私のこうした「逸脱」によって父に迷惑がかかることを恐れたのです。

私は「主よ、私に証する勇気を与えてください。そして父が私の言う事を受け入れてくれるよう助けてください」と必死に祈りました。

そして意を決して父に国際電話をし、約一時間ほど父に自分の信仰について語りました。驚くべきことに父は穏やかに私の証しを聞いてくれただけでなく、私の新しい歩みをも認めてくれたのです。

この事を通して、私の信仰はさらに強められました。

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(クルド人の村)

クルディスターンの民に福音の光を

先月、私は教会の皆と共に修養会に行ってきました。夜、宿泊所に戻るとき、横手をみると、二つの道がありました。

一つは広く平らなアスファルトの道、もう一つは、険しく細い坂道でした。

その時、主は私の心にこう語りかけてくださいました。「この広く平らな道を行くと、お前は安定した家庭、経済、キャリア、、すべてを得ることができる。でもそこにわたしはいない。

一方、あの細く険しい山道は、十字架の道、苦しみの道である。でもわたしはお前と共にいて、お前を助けよう」と。

クルディスターンは、闇で覆われています。そこには殺戮と争い、憎悪と苦しみがあります。

私は自分のこれからの人生を通して、同胞クルド人に、福音の光をもたらすことができるよう祈っています。

主よ、クルディスターンの地で、御名の栄光を顕してください。アーメン。



付録)盲目の賛美歌作者モスタファ・マーク


Niayesh (=讃美) 作詞・作曲 モスタファ・マーク

Khoda-vand Pedar mi parastam tora
父なる神よ あなたを賛美します
Shokurat ra gu yam
あなたに感謝をささげます
Be khatere Isa
イエスのゆえに

Khoda-vand Isa mi setayam tora
御子なる神(イエス)よ あなたを讃えます
Khune to bakhshid
あなたの血潮により
Gonahane mara
私の罪は赦されました

Ruhe Khoda-vand parishan halam man
御霊なる神よ 私の心は苦悩に乱れています
Dastam ra begir
私の手をとってください
Khaste az duranam
とても疲れているのです

Ruhe Khoda-vand be dade man beres
御霊なる神よ 私を助けに来てください
Mara lams nama
そして私の魂に触れてください
Ba nasime por mehr
愛にあふれた あなたのそのそよ風によってー。




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