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ジョン・マッカーサー師へのインタビュー記事


マルティン・ルターが聖書の真理およびシンプルな福音に立ち返るよう教会に呼びかけたのとは対照的に、昨今のイマージング・チャーチは「秘義 mystery」を掲げ、福音に対するこれまでの理解に疑問を投げかけています。

「私たちは秘義を征服するよりはむしろ、それを包容したいのです。」とイマージングの指導者たちは言っています。

ある著名なイマージングの指導者はクリスティアニティ・トゥデイの中で次のように言っています。「私たちは未だ誰も福音を理解していないと思う、、、リベラル派だけでなく、私たちもそうだと思う。未だかつて誰も(キリスト教の)正しい教えをつかんだ人はいないのです。」

イマージング・チャーチというのは、世界規模の(非公式な)キリスト者ネットワークであり、この運動に関わっている方々は、「今日の世代の人々に対する神のやり方というのは、従来の確かな真理および伝統的な信仰告白などよりも、関係性やイマージングな思考にもっと焦点を当てていくことである」と考えています。

またこの運動は、教えよりも対話を好み、従来の教会ではもうやっていけないと感じている人々を惹きつけています。イマージング系の教会に入ると、あなたはそこに――椅子の代わりにソファーを、説教の代わりに会話を、確信の代わりに妥協を、真理の代わりに疑問を――見いだすでしょう。

ジョン・マッカーサー牧師は、イマージングの動きを深く憂慮しています。

この運動の指導者たちは、「私たちには福音がはっきりとは分からない」と言っていますが、その裏には、「聖書というのは、従来のクリスチャンがそうだと考えてきたようなこと――結局それではないのだ。」という一つの明確な前提があるのです。

イマージング・チャーチは神の御言葉の真理および確かさに対する襲撃の最新バージョンである、ということができると思います。

「結局彼らが言っているのは」とマッカーサー師は言います。

「神は何かを話された、、でも神はそれをただ小さな声でぼそぼそつぶやかれたに過ぎないので、私たちには神の言われたことがはっきりとは分からない。

『御言葉は不明瞭だ』という彼らの発言は結局、聖書的権威を傷つけ軽んじていることに他ならないのです。」

マッカーサー師は、――過去より現在にいたるまでの――真理に対する襲撃についての歴史を、『真理をめぐる戦争:惑わしの時代において我々は〈確かさ〉のために戦っていく(The Truth War: Fighting for Certainty in an Age of Deception)」という本に記しました。


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以下は数か月前に行なった師とのインタビュー記事です。


真理を聞かず、真理を語らず、真理に従わない


「イマージング・チャーチは知性的な運動ではありません。これは『聖書の霊感について、我々はその教えをくつがえすような証拠を見つけた』とか、『聖書の無誤性ないし権威についての従来の教えをくつがえすような決定的証拠を我々はついにつかんだ』とか、そういう類の運動ではありません。

これは一言でいえば、御言葉の明瞭性を認めたがらない人々によって起こされた運動なのです。」とマッカーサー師は言います。

「こういう種類の考え方というのは実に都合がいいのです。なぜなら、もし神の御言葉が明確ではないのなら、私たちはそれに従う責任を負わなくてもよくなるわけですから。」

「こうして、同性愛や、婚前交渉等の問題についてもはっきりした立場を取らなくてもよくなります。

そして結局、『さあ、お香を焚き、キャンドルの光の下でイエス様について想いを馳せよう、そして貧しい人を助けようではないか、それでいいではないか』ということになります。」

しかし『真理をめぐる戦争』のはしがきで師は読者に向けこう記しています。

「聖書は明瞭な書物ではないと主張することは、とどのつまり、神ご自身の知恵や統合性に襲撃をかけることに等しいのです。」

悲しむべきことに、多くのキリスト教書店は、店内の一コーナーを丸々、イマージング系の作家たちの著作に当てています。

マッカーサー師は、この運動の爆発的成長とその理由について次のように説明しています。

もし何も信じていないのなら、誰の気分を害することもなくなります。(主の掟に関し)何か特別なことを言わなければならない――そういった責務の下にも彼らはいません。

彼らは、従来の教会で育ってきた人々のトラウマや失望感を取り扱うことによって、人々を引き付けているのです。


私にイエス様をください――でもわが道を行く邪魔はしないでください


またマッカーサー師は、次に挙げる引用を、イマージング運動全体を反映するメタファーと捉えています。

ある若い女性が言ったそうです。「私は、ドナルド・ミラー(『ジャズのようにブルー』Blue like Jazzの著者)が大好きなんです。」

なぜなら、彼女はクリスチャンにはなりたいけれど、キリスト教信仰が彼女のライフスタイルに干渉してくることに対してはまだ心の準備ができていないからです。

「私はジーザス・ガールなの。」と彼女は言います。「でも、友達と飲み屋に行って、テキーラ酒で乾杯したりもしたいんです。」


神の御言葉を疑う――いつから?


「真理をめぐる戦争」というのは、今日のポストモダン文化に特有なものなのでしょうか。

この本の表カバーの挿絵――エデンの園の蛇の絵――からも明らかなように、マッカーサー師は、この戦いがはるか昔から続いている永続の戦争であることを記しています。

「真理に対する襲撃は、エデンの園時代から絶えたことはないのです」と師は言います。

「しかしその状況はひたすらエスカレートし、激化していっています。そしてそれは、暴徒の気分――つまり、各時代を支配している霊――の指示するままに、さまざまな形態や動きを取っているのです。」


歴史観の「修正」


イマージング・チャーチの提供する教会史観も、従来のそれとは異なっているとマッカーサー師は指摘しています。

ここでは史観の逆転現象が起こっています。

つまり、過去に生きた信仰の英雄たちは、愚か者として描き出されているのです。

そして逆に、反英雄――妥協し、信仰のために立ち上がらなかった愚か者たち――が英雄として讃えられているのです。

「彼らは宗教改革を無効にすることで、中世のスピリチュアリティーに回帰しようとしています。」


今日の教会――いかにして現状況に至ったのか?


今日の教会の現状についてマッカーサー師はこう書いています。

「教会史はじまって以来、これほど偽教師たち、教えを破壊する者たち、霊的テロリズムにさらされている時代は未だかつてなかったと思います。

そうです、プロテスタント宗教改革以来、これほど、教会内における聖書的無知が深いレベルで広範囲にひろがったことはなかったのです。」

師はその状態を作り出した原因を、ここ二十年余りに渡って行われてきたseeker-friendly運動(何よりも第一に、外部者・未信者の快適さを最優先しようという運動)に帰しています。

「こういったseeker-friendly運動により、堅固な聖書の教え――特に講解説教――が、講壇から姿を消していきました。

こうして教会は――大部分、新生していない人々で構成された――非常に非常に「浅い」(御言葉に精通していない)教会となってしまったのです。」

「多くの牧師が私に言います。『いえいえ、私は御言葉が両刃の剣よりも鋭いものであることを信じていますよ』と。

それに対し私はこう答えます。『あなたがそう考えておられるのなら、それは結構なことです。

しかし、あなたの説教を聞く限り、あなたはどこかのよもやま話やたとえ話、そして文化的な個人見解ばかりを話しているではありませんか。

それは結局、ご自分の考えの方が神の御言葉よりも、より説得力があると思っている証拠です。そうではありませんか。」

「いや、マッカーサー師は、人一倍、勇敢だし大胆不敵だから、真理をまっすぐに説教できるんだ」と言う人がいます。

それに対し、彼はこう答えています。

「それは答えにはなっていません。私に勇気と大胆さがある理由はただ一つです。――つまり、それは聖書に対する私の信仰ゆえなのです。

そして、御言葉に対し、御言葉をお書きになった神に対し、誠実であろう、与えられた任務を責任もって果たしていこうとする私の信仰ゆえなのです。」


明日の教会――それはどこに向かっているのか


「昨今のこういった神の御言葉に対する攻撃について、あなたは不安を感じておられますか?」という質問に関し、彼はこう答えています。

「いいえ、全く。なぜなら、真理というのは決して揺り動かされ得ないからです。」

「どんな逸脱が起こってきても、真理は常にあり、これからもあり続けます。」――神の御言葉に関し、彼はこう言っています。

しかしその一方において、私たちクリスチャンは、その真理を守り、擁護していく責務があります。

『真理をめぐる戦争』の中で、彼はこう書いています。「この真理を守り、宣言し、そして次の世代に伝えていくことは私たちの責務です(1テモテ6:20-21)」と。

キリストを愛し、主の教えの中に具現化されている真理を信じる私たちキリスト者は、四方で猛威をふるっているこの戦いの現実に目覚める必要があります。

私たちは――いにしえより続いてきた――この戦争において自分たちの分を果たさなければなりません。

そうです、私たちはこの戦いに加わり、信仰のために善戦するという聖なる責務を負っているのです。


(出典:https://answersingenesis.org/christianity/church/a-call-back-to-truth/)




↓これはイマージング・チャーチに関する検証ドキュメンタリーです。





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