私は経験によって次のことを悟るにいたった。つまり、聖書の言葉が平明な自国語で民衆の目の前に置かれない限り、彼ら民衆のうちに、いかなる真理も打ち据えられ得ないことを。 
     ウィリアム・ティンダル ―モーセ五書への序文より(1530)




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先日の「聖書翻訳と神の愛」の記事でも触れましたが、聖書が民衆の言葉に訳されていった歴史をみることを通しても、私たちは――自分たちの罪のために十字架にかかり死なれ、蘇られた復活の主イエス・キリストの福音を全世界の民に啓示しようと願っておられる神の愛を知ることができると思います。

今日は、聖書をヘブライ語、ギリシャ語原典からはじめて英語に翻訳した殉教者ウィリアム・ティンダル(1494-1536)の生涯と信仰をみなさんとご一緒にみていきたいと思います。


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William Tyndale

☆☆

ウィリアム・ティンダルは1494年、英国のグルーチェスターシャーという田園のひろがる、のどかな町に生まれました。


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グルーチェスターシャー


1506年、ティンダルは、オックスフォード大に入学します。

その後、ケンブリッジ大でも研鑽を積むことになるのですが、この期間を通し、ティンダルは、ルターの宗教改革思想に触れると共に、エラスムスの編纂したギリシャ語新約聖書にも親しんでいきました。

その当時、聖書はラテン語のみで記されており、イギリスの一般民衆は誰も神の言葉を自分で読むことができませんでした。1229年にトゥールーズで宗教会議が開かれましたが、その時、次のような教会法規が定められたのです。

一般人が旧約ならびに新約聖書を所持することを禁ずる。一般人が所持してよいのは、(礼拝用の)詩篇集、聖務日課書、聖母マリアの小聖務日課書に限る。また、これらの書物を、自国語に訳してはならない。(Colman J. Barry, ed., Readings in Church History, Westminster, 1985, p 522)



こうして祭司という、ラテン語を解するエリート階級の人だけが御言葉を独占する状態が何世紀にも渡って続いたのです。

そのため、民衆の中には、既存のカトリック教会に対して漠然と不満を抱く人もいましたが、御言葉へのアクセスの道が閉ざされていたため、「具体的にどこが非聖書的なのか」ということを掴むことができずにいました。

こうして、既存の教会のドグマと、聖書そのものが啓示している真理との間のとてつもない隔たりに気づいたティンダルは、「この聖書を誰もが理解できる英語に翻訳しよう」というビジョンに燃やされ始めました。しかしそれは非常に代価の伴うビジョンでした。

ここで一つ有名なエピソードをご紹介しようと思います。

ある時、ティンダルは聖書に関することで、ある聖職者と議論になりました。

激昂したこの聖職者の「われわれには教皇がぜったい必要だ。教皇無しに生きていくよりはむしろ、神の掟無しに生きていく方がどれだけいいか分からない。」という言葉を聞いたティンデルはこう答えました。

「私は教皇も、彼の作ったあらゆる掟も斥ける。もし神が私を生かしてくださるなら、近い将来、畑を耕す少年の方があなたよりも聖書に通じるようになるでしょう。そうしてみせます」と。(Foxe's Book of Martyrs, p 139

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こうして聖職者たちの間で、「ティンダルはラディカルな異端者だ」という評判が立ち始めると共に、多くの祭司たちが彼に対し露骨な敵意を示し始めました。

1523年、ティンダルは新約聖書の翻訳許可を取ろうとロンドンに向かいましたが、そこでも祭司によってその申請はすげなく却下されました。


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時はカトリックのチューダー朝。

ヘンリー八世ならびにウォルセイ枢機卿、トーマス・モア大法官は体制を維持させるべく、徹底的な「異端狩り」をしていました。

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↑ウォルセイ枢機卿
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↑トーマス・モア大法官

1521年に、ヘンリー八世は、ルターの著書『バビロニア捕囚』(←ローマ教会の悪弊を批判した本)に対抗して、『七秘蹟の擁護』という小冊子を記し、ローマ教会を熱烈に擁護しました。

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↑ ヘンリー八世

さらに聖パウロ教会の前で、ルターの著書は公に焼かれました。こうした「偉業」により、ヘンリー八世はローマ教皇より「信仰の擁護者」という称号を授けられたほどだったのです。

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焼かれるルターの著書

このような政治的・宗教的環境の中に、ウィリアム・ティンダルは置かれていました。まさに四面楚歌の状況だったのです。

しかし「聖書のみ言葉を平易な英語に翻訳したい」というティンダルの思いは、このような状況にも関わらず、ますます強まっていくばかりでした。

「でも今の英国でこの作業をすることは不可能だ。この使命を果たすには、祖国を離れるしかない。」

おお読者よ。あなたの魂に幸いをもたらす神の御言葉―。これを読むという行為が――財産没収や死刑、あるいは王の平安・権威への冒涜とみなされるとしても――失望・落胆してはいけない。

なぜなら、もし神が私たちの味方なら、――たとい大司教や枢機卿、教皇が敵対するとしても――それがいったい何の障害になろう? William Tyndale



こうしてウィリアム・ティンダルは一人起ち、ヨーロッパ大陸へと向かったのでした。




(2)につづきます。








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