KJV Genesis 1
(「はじめに神は天と地とを創造された」という創1:1の欽定訳のことばも、ティンダルの訳です。)


亡命生活


こうしてティンダルはヨーロッパに亡命し、各地を転々としながら、懸命に翻訳を続けました。

1525年にヴォルムスにて最初の英語新約第一版が出版され、翌年にはケルンで第二版が出されたのですが、その間の大変さを私たちは次のエピソードからもうかがい知ることができます。

そして、ドイツでとうとう印刷を始めましたが、大変です、反対している人に見つかってしまいました。

ティンダルは一枚でも印刷したものを無駄にしたくなかったので、できたての聖書(まだ本になっていませんので、ばらばらの紙)を持って、別の町まで逃げて、ようやくそこで無事に印刷しました。

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翻訳にいそしむティンダル

でも、英語ですから読んで欲しい人は海の向こうのイギリスにいます。仕方なくティンダルは、オランダ人などの船員に頼んでロンドンまで内緒で届けてもらいました。残念ながら正式なルートで送ることはできませんでしたので、小麦袋などに詰め込んで、隠して送りました。

たくさんの人たちがこのティンダルの翻訳した英語の新約聖書を買って読み、神さまのことを信じるようになりました。

実は、買う人も命がけでした。英語の聖書を持っていることが警察に見つかったら、もちろん取り上げられますが、そればかりではありません。

国に黙って聖書を買ったというだけの理由で、死刑になることもあったのです。ですから、見つからないように大事に隠しておき、誰もいない夜にそっと読んだりしていました。参照



ティンダルの新約聖書が密輸入されてくるようになると、トーマス・モア大法官やウォルセイ枢機卿は激昂しました。

「(このティンダル訳聖書は)キリストの聖書と呼ばれる価値のない駄作だ。いやむしろ、こんなものは、ティンダル自身の聖書、もしくは彼の主人である反キリストの聖書と呼ばれてしかるべきだ」とモアは叫びました。

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ティンダル訳の聖書 source


なぜ「反キリストの聖書だ」とまで反発を受けたのか?


1611年に出版されて以来、最も信頼のおける英訳聖書として世界中で愛読されている欽定訳(KJV)。実は、この欽定訳(新約)の84%はティンダル訳からそのまま取られたものだとされています。つまり、ティンダル訳は五百年という歳月を経ても尚残る、非常に優れた訳なのです。

それなのになぜ、トーマス・モアを始めとするカトリック教会側は、この翻訳を「反キリストの聖書だ」とまで弾劾したのでしょうか。

その理由の一つは、ティンダルが新しく使った訳語のためでした。例えば、ecclesiaをティンデルは「church 教会」ではなく「congregation (信徒の集まる)集会」と訳し、presbuterosを「priest 神父・司祭」の代わりに「elder 長老」と訳したのです。

そうです、これは、「司祭の執り行う秘蹟を通してでなければ、人は救われない」というカトリック教会のドグマの心臓部を射抜くものだったのです。

だから、既存の教会組織は、なんとしてでも、ティンダル訳聖書およびティンダル自身を亡き物にしようと必死になっていたのです。


旧約をも翻訳し始める


新約を出版したティンダルは旧約聖書にも取り掛かりました。申命記を訳し終えた彼は、出版業者を探そうと舟でハンブルグに向かいました。しかしその舟は難破し、彼は訳し終えた原稿、写しなど全てを失ってしまいました。さあ、また一からやり直しです。

こうして彼は1535年に逮捕される直前まで旧約の翻訳に邁進していました。まず1530年に、モーセ五書のポケット版が出版され、34年には創世記の改訂版が出されました。また31年にはヨナ書を刊行したとも言われています。


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source

また最近の研究によれば、モーセ五書の翻訳後、ティンダルは歴史書、つまりヨシュア記から第二歴代誌までも翻訳されたことが明らかにされています。(1537年に刊行されたマシューズ・バイブルの歴史書部分がティンダルの翻訳であることが判明したからです。)

こうして敵から逃れつつ、翻訳に全力投球していたティンダルでしたが、全く思いがけないところから「裏切り」がきたのです!


(3)につづく。



聖書翻訳に命をかけた人―ウィリアム・ティンダル(最終回)命の尽きるまで

聖書翻訳に命をかけた人―ウィリアム・ティンダルの生涯と信仰