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神を自分の宝として持している人は、このお方にあって全てを持っています。

他の多くの宝はこの人には与えられないかもしれませんし、与えられたとしても、それを持つ楽しみというのは加減されるため、その幸せは決してこの人にとって必要不可欠のものとはならないのです。

また仮にそういった楽しみが一つ、また一つと取り去られていったとしても、この人はほとんと喪失感を覚えないでしょう。

なぜなら、この人は全ての物のであられる方を持しているからであり、この方のうちにあって、彼はあらゆる満たし、あらゆる楽しみ、あらゆる喜びを持っているからです。

たとい彼が何を失ったとしても、彼は実質上、何をも喪失していないのです。

なぜなら、彼は今やこの方のうちにあって全てを持しており、それを純粋に、正当に、そして永遠に持っているからです。



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祈り


おお神よ、私は汝のすばらしさを味わってきました。

それは私を満足させると共に、汝に対するさらなる飢え渇きへと私を誘います。


そうです、さらなる恵みの必要性を私は切実に感じています。

私のうちには汝を求める願いが欠如しており、それを恥ずかしく思っています。


おお神、三位一体の神よ。汝を求めることをしたいのです。

切望感で満たされたい。そしてさらに飢え渇きを覚えられたらどんなにいいかと願っています。


どうか汝の栄光を見せてください。そうすれば、私は真に汝を知ることができるでしょう。


憐れみの中で、私の内に新しい愛の業を始めてください。

そして私の魂に語りかけてください。「わが愛しい者、さあ立って、出ておいで」と。


そうして――長い長い間さまよっていた――この靄(もや)の立ち込める低地を起ちて、

汝の元へと飛翔していくことができますよう、恵みをお与えください。


イエスの御名によって。アーメン。



A.W.Tozer, The Pursuit of Godより 私訳





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主よ、汝の御声に耳を傾けることを教えてください―A・W・トーザーの祈り

汝の導かれるところへ―エミー・カーマイケルの詩

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