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6.包括訳は女性を脆弱な存在と見下しています。(It patronizes women)


かわいそうな娘たち。

私たち女性の感情が傷つかないようにと、翻訳者の方々は聖書の言葉を変える必要性を感じておられるのです。

女性っていうのは、ちょっとしたことですぐ気分を害したり腹を立てたりするから、、、と。

でも一部の女性たちが、聖書の用語のことで腹を立てたりするから聖書の言葉を変えるというのは、結局、女性を見下していること(patronizing)にならないでしょうか。



7.包括訳は、女性に対する神の態度に疑問を差し挟む結果を生み出しています


ジェンダー用語に変更を加えるというのは、「神様は、女の子にも男の子にも同じだけの〈放送時間〉を与えなくちゃいけないのよ!」という前提に基づいた行為です。

両者の間にある相違を最小限にしようという試みは、結局、神様は私たち女性の気持ちを十分に配慮してくれていなかった、、と言っているようなものです。

そこから導き出される自然な結論として、神様は明らかに女の子よりも男の子の方を気に入っておられる、ということになります。

そういった結論は間違っています。そしてそのような前提自体、間違っています。



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8.包括訳は神様の知恵に疑問を差し挟む結果を生み出しています


〈かわいそうな神。神は私たちの助けを必要としているのです、、

神はあんまり賢明な方じゃないので、ちゃんとした用語を選ぶことができなかったんです。

だって神様は、現代に生きる私たち人間のようには啓蒙されてもいないし、賢くないんですもの!

さあ、だから私たちはこういう事態をおさめるべく、問題解決に乗り出し、「神のかたち」をアップデートし、現代女性のご気分を損ねないような聖書の訳づくりをし直さなくちゃならないんです。〉



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9.包括訳は、御言葉を「書き換える」という行為をさらに奨励してしまっています


「クリスチャンというのは、神に対する畏れもなく、自らの聖典をいじくり、勝手に書き変えることのできる人たちなんですね!なんと〈大胆不敵〉な人たちでしょう!」と、あるイスラム教徒の方がびっくり仰天しておられました。

そうです。現時点ですでに私たちは、「人間」に対するジェンダー用語を勝手に書き変える〈大胆不敵さ〉を持っているのですから、今後は「神」に対するジェンダー用語さえも書き変えていく――そういう〈大胆不敵さ〉をも近い将来、発揮していくことになるのではないでしょうか。

今後、さらに多くの聖書翻訳者が、「神の名をアップデートしなくちゃならない。そうすれば神はより〈ジェンダー包括的〉な方になるだろうから」と感じるようになるに違いありません。

「父母(ちちはは)神」「イエス――女性と男性の子」「天空にある、存在の偉大な源」「神・女性神(Goddess)」などという用語は、聖書の中にある男性ジェンダー用語よりもはるかにジェンダー包括的な神性の概念を伝えることができる――とこういった方々は考えているのです。

みなさん、もはや無邪気ではいられません。

私は長年、フェミニスト神学について研究してきました。ですから分かるのです。

自己を名づける(naming self)という行為は、世界を名づけることにつながり、それはやがてを名づけることにつながっていくのだということを。

これは本当に〈大胆不敵〉な行為です!



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10.包括訳は女性を真理から引き離します


私は同胞女性のみなさんを愛しています。深く。

私はみなさんがキリスト・イエスの中で癒され、すこやかにされていくことを願ってやまない者です。

ですから、もし私が聖書のことでペコペコお詫びし、御言葉の有する装飾なき美しさと力を受け入れないなら、、、

そして、――ある人々にとっては「愚かな物」であり「つまずきの石」とみなされているけれども、実際には義と聖化そして贖いをもたらす神の力であり知恵である御言葉――を宣べ伝えることをしりごみするなら、私は結局、みなさんにひどい仕打ちをすることになってしまいます。

神様および主の言葉を「もっと現代人に耳障りのいいものにしよう」と試みる時、私はみなさんを最終的に失望させることになります。

そうです。そういった行為により、私たちは十字架の言とその力を空虚なものにしてしまうからです(1コリント1:17-30)。

ジェンダーおよびジェンダー用語は重要です。

これは女性のアイデンティティーの本質に触れるものであり神のご性質および福音の本質に触れるものです

こういったものに関する聖書の教えを私たちが「改良」することができるなどと思うのは非常に間違っています。

大きな鳥瞰図でみると、創造のはじめから、ジェンダーに関する神のご計画は私たち人間についてというよりも、むしろ主ご自身に深く関わりのあるものであったことが分かります。

このようにして主がご自身の栄光を顕そうとお選びになった言葉やイメージ(象徴)、やり方などを私たちは完全には理解できないかもしれません。

でも私たちは次のことに信頼を置くことができます。

そうです、それら神様がお選びになったものは正しくふさわしいというだけでなく、それはまた良いものなのです。とても良いものなのです!そしてそれは私たち女性にとっても、とても良いものなのです



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善戦するに値する戦い


言葉は時と共に変わるものであり、それ故、翻訳というものは容易な作業ではありません。

でも私は、クリスチャンが、文化的「パレード・ワゴン」に我先に飛び乗って、包括語でもって神様の聖なる書物をアップデートしようとしている様子に心を痛めています。

そういう事をしておられる方々は、自分たちが何をしているのか、、そこに実際、何がかかっているのか、その深刻さを自覚していないようにお見受けします。

私の教え子の中には外国人留学生もいます。その中には、神様の概念についての理解で相当苦労している生徒たちもいます。

なぜなら、彼らの母国語の聖書には、原語の中に存在しているジェンダーの概念がしっかり反映されていない、あるいは訳されていないからなのです。

私たちの母語の中に付与されているジェンダーの性質、その言語学的概念を失うことで、私たちはとても大切で本質的な何かを失っていくことになります。

私たちの母国語の中に存在するジェンダーの区別を保持していくことは、善戦するに値する戦いです。

なぜなら、この問題をめぐっては、まさしく非常に大きなものがかかっているからです

ですから女性のみなさん、どうか、ジェンダー包括聖書というワゴン車に飛び乗らないでください。

勇敢であってください。政治的アジェンダに左右されないください。

あくまで正確にジェンダー語を訳出している聖書(たとえば、ESV訳、ホルマン・クリスチャン標準訳、新アメリカ標準訳など)にこだわり続けてください。

なぜなら、結局のところ、包括語および包括訳聖書というのは、私たち女性を害するものなのですから。




―おわり―




このテーマに沿った他の記事のご紹介:

「フェミニズムとクリスチャン女性」 ここです

「相補主義」と「対等主義」について――福音主義教会を二分する二つの視点【ジェンダー問題】その1その2


NIV訳 2011年度版に関する問題 【参考文献】

NIV 2011 1984

An Evaluation of Gender Language in the 2011 Edition of the NIV Bible, CBMW 
http://www.bible-researcher.com/cbmw.niv2011.2.pdf

Vern S. Poythress, Gender Neutral Issues in the New International Version of 2011
http://www.bible-researcher.com/poythress.NIV2011.pdf

Michael Marlowe, The 2011 Revision of the NIV
http://www.bible-researcher.com/niv.2011.html

Southern Baptists Reject Updated NIV Bible
http://www.christianpost.com/news/southern-baptists-pass-resolution-rejecting-2011-niv-at-annual-convention-51288/











祈りを深めるために―私の旅路

ジェンダー〈包括訳〉聖書が私たち女性にとって有害である10の理由(その1)