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神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。ユダ1:21



私のクリスチャン・ネームはハンスです。私はイラン北部で生まれました。

13歳の時、私はイスラム革命防衛隊の中の民兵部隊バスィージに入隊しました。そしてその中で対イラク戦に関する事、そしてさまざまなイスラム・イデオロギーを学んでいきました。

14歳の時、私はイラクへの出兵を志願しました。しかし規定の年齢に満たないという理由で却下されました。


革命委員会のメンバーとして


1987年、兵役を終えた後、私はイスラム革命委員会(コミテ)のメンバーとして徴用されました。クルディスターンのサナンダージ市では市を統括する役職に就き、そこでの功績が認められ、私はテヘラン中央の部署に栄転となりました。

ある日、勤務帰りに街の中央部を歩いていると、ある人が私に近づいてきて、「招待状」と書かれた封筒を渡しました。なんの招待状だろうと思って後で中身を開いてみると、テヘラン市内にあるプロテスタント教会からのものでした。

そこで私はその教会に行ってみることにしました。何回か教会に足を運び、また教会の人からも「イエス・キリストに心を開きませんか?」と言われましたが、私は拒絶しました。


旧約聖書とユダヤ人


私がキリスト教を受け入れることができなかった最大の理由は、旧約聖書にありました。

なぜなら旧約に「ユダヤ人は神に選ばれた民である」という内容が書かれていたからです。それも一か所ではなく、多くの箇所にそういう事が書かれてありました。

私はイスラム革命防衛隊で徹底的なイデオロギー教育を受けてきましたので、これはどうしても受け入れることのできない内容でした。私にとってユダヤ人を打ちのめすことは非常に重要な意味を持っていました。

実際、私は防衛隊の中の自爆テロ隊に志願しよう、そして自分が玉砕することを通して、一人でも多くのユダヤ人を滅ぼすことができるならそれが本望だと思っていました。

こうして私はイエス・キリストに心を開くことをしませんでした。みなさんに申し上げますが、これは大きな失敗でした。

というのも、私の上にはその時すでに、主の御手が置かれていたのに、私をそれを無情にも振り払ってしまったからです。


亡命


さてその後、モハンマド・ハタミ政権となり、私はある部署で働いていました。その部署は私以外、全員が反ハタミ派でした。そのため、ハタミ政権が崩壊し、親ハタミ派に対する公職追放が始まった時、私の立場は非常に危ういものになりました。

このような状況下、私は身重の妻を連れ、ドイツに亡命しました。

2013年、私と妻の間で大きな問題が起こり、私たちは離婚しました。この事は私にとって耐えられないほどの打撃となりました。

そして重度のストレスから私はついに脳溢血を起こし、49日間に渡り、脳死状態に置かれたのです。


イエス・キリストにまみえる


私の体は集中治療室にありましたが、その時、私の霊は肉体を離れ、上の世界に行っていました。

私はそこで亡くなった知人や多くの人々に出会いました。

興味深かったのが、知人もそうでない人たちも、私と目が合うと、皆、腕をのばし、斜め上の方を指さしながら「イエス・キリストを見なさい」と言っていたことでした。

私はこの場所で、この御方がヤシュアとか、ヤホバとか、マスィーとか、さまざまな名で呼ばれているのを聞きました。

私はこのイエス・キリストに属する人たちの群れに近づこうとしました。何かとても平安を感じたからです。

しかしその時、私は自分の息子の泣き声を聞きました。見ると、息子が私の遺体にすがりついて泣いていました。他の人間の声や姿ははっきりしていなかったにも関わらず、なぜか息子の声だけは人間の声として明瞭に聞こえてきたのが、今思うと不思議です。

その時、私はイエス・キリストの御前に移されました。この御方は私に葡萄酒を差し出し、「これを飲みなさい」と言いました。

「アルコールは飲みません。」と私は辞退しました。

するとこの方は下の方を指さし、私は本来、下の世界に行くべき者であることをお明かしになられました。

そしてもう一度、「これを飲んで、生きなさい。そして息子の元に帰りなさい。」と言われました。こうして私は葡萄酒を受け取り、それを飲みました。

そして次に目を開けると、自分は集中治療室の中にいました。


新生


意識を取り戻した後、私は「40日を過ぎた当たりから、脳死状態の私の延命治療を今後も続けるか否かで医者と家族との間で話し合いがもたれていた」と家族から聞きました。

それを聞いた私は家族に、「その話し合いがもたれている期間、私は上の世界でイエス・キリストと和解をした。そしてイエス様はもう一度私に命を与えてくださった。」と証ししました。

また家族から話を聞いて知ったのが、この期間、ある教会の牧師が祈りの要請を受け、生死の境をさまよっていた私のために、教会の皆が一丸となり熱心にとりなしの祈りを捧げていたということでした。

私の救いの背後に彼らの祈りがあったことを知りました。

二回目の手術が終わり、外出許可が出るや否や、私はその教会に行きました。(車椅子で運んでもらいました。)

25年前、私はイエス様の差し出してくださった御手を振り払い拒絶するという大きな過ちを犯していましたので、今度こそその失敗を繰り返したくなかったのです。

そしてその日、私は公に自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。


ユダヤ人への謝罪と和解


救われた後、これまでユダヤ人を殺そうとしてきた自分の罪を深く悔いる心が起こされました。そして私はその悔い改めを文書にしました。

その後、その悔い改めと証しの文章はヘブライ語にも訳され、イスラエルの新聞に掲載されたということを聞きました。

そして感謝なことに、私のその謝罪の心をユダヤ人は受け入れてくれたと聞いたのです。


黒人への謝罪と和解


私は救われる以前、黒人を忌み嫌っていました。特に、黒人の体臭に我慢ならないものを感じていました。

ある修養会に参加した時、そこの会場に、黒人教会からも大勢の兄弟姉妹が来ていました。

私はある晩、意図せず、彼らが集まっている場所に来てしまい、心の中で「しまった」と思いました。そして早くこの場を通り抜けようと思いました。

しかしその時、主が私の心にはっきりとこう語りかけました。「彼らもわたしの愛する子だ」と。

そして聖霊は私のその罪を非常に強く示し、私は悔い改めに導かれました。そしてそこにいた黒人の方々にその罪を告白し、赦しを乞いました。

彼らはその悔い改めを受け入れてくださっただけでなく、私を彼らの教会に招待してくださいました。

私はそこで公に兄弟姉妹に謝罪すると共に、キリストにある愛の言葉を伝えました。

今まであれだけ体臭を嫌っていたのに、その後、そういう感情は全く消え去り、私は彼らを愛するようになっていました。そして彼らに申し上げたのです。

「兄弟姉妹のみなさん、私は今、みなさんを愛しています。みなさんからはキリストの良い香りが溢れているのです!」


この証しを読んでくださり、ありがとうございました。



出典:شهادت زندگی برادر هانس







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