☆これは数時間前に公表されたばかりのホットな証しです。このテーマに関し、とりなしの祈りを捧げてくださっている方々に感謝します。それではどうぞお読みください。


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1)先生、ご自身のことと、それから牧会されている教会について少し教えてください。

パトリック・スミスと申します。私はカリフォルニア州チュラ・ヴィスタにあるアッパー・ルーム・コミュニティー教会で牧会をしている者です。

小さな、こじんまりした教会で、私たちは聖書が神の言葉であり、イエスが生けるかしらであることを信じています。


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2)どのような経緯で、「祈りのベールが今日にも適用される、永続的なシンボルである」ということについて確信を持たれるようになったのですか。

北米の大半のクリスチャンと同様、私も1コリント11:2-16の箇所を、単に「文化的なもの」として片づけていました。

しかし、約三年前のことになりますが、福音フェローシップという集いを通して、私は被り物が今日にも適用される聖書の掟であると信じる兄弟姉妹に出会ったのです。

その出会いがあったためか、説教準備をすべく、いざ1コリント11章に取り組もうとした際にも、ある程度、私の心は開かれていました。

1コリント11:10の「それも御使いたちのためにです」という箇所にさしかかった時、私ははっと立ち止まりました。

御霊がその瞬間、その聖句を光で照らしたかのようでした。

そしてその日初めて、「御使いというのは全く文化とは関係のない存在である」ということに気づいたのです。

そうしてそこから、パウロが他の聖書箇所においても、創造の秩序、神の国の中における権威の構造、自然という観点から、超越的・永続的な議論をしていることに私の目は開かれていきました。


3)大半の人は、この聖書箇所は女性に関するものだと勘違いしています。しかし先生は、説教の中で、「主はこの聖句を用いて、自分自身の髪のことについても悔い改めを与えてくださいました」とおっしゃっていましたね。この点についてもう少しお話ください。


そうなんです。1コリント11章は女性たちにだけに語られている箇所ではないんです。

被り物に関するパウロの指示が文化的なものではないことに気づいた時、私は自分自身の長髪もまた御心ではないことを示されました。

しかし悲しむべきことに、私はすぐには実行しませんでした。つまり相変わらず、長髪のままでいたのです。



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(パトリック牧師の長髪時代)


そして「男性が長髪にすることには問題がない」と書いてある註解書などを読んで、うずく自分の良心をなんとかなだめようとしていました。

しかし神は情け深く、忍耐強いお方でした。こうして一年後、聖霊が再び私に迫られた時、私はついに従順になり、短髪にしました。

女性は男性の栄光の現われであり、私には美しい妻がいます。ですから私にはこの他に栄光は必要ないわけです。

また私は路傍で説教していた時にも、トレーナーのフードを頭にかぶったり、時には帽子さえかぶっていました。

でも主に示され、それもやめました。神の御言葉に従いたいのです。王であるイエスをお喜ばせしたいというのが私たちの願いであり目的です。

御言葉が何かを言うなら、「主が私にそれを実践してほしいと願っておられるのだ」と受け取っています。

ヤコブは「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」(ヤコブ1:22)と言っています。


4)このテーマに関し、あなたの神学的見解が変わったということを、どのようにして信徒の方々にお知らせしたのですか。


私たちのホーム・チャーチは他の小さな教会(アッパー・ルーム・コミュニティー教会)と協力関係にあります。

はじめて合同の集会が開かれた時、私はみなさん全員に、「今までそれぞれが信奉してきた神学をいったん脇に置いてください」と言いました。

こうして私たちは地域教会として、直接、神の御言葉から神学を打ち立てようと心に決めたのです。

そして私たちは「神は、ほんとうにそう言われたのですか」(創3:1)という最初の誘惑の箇所について話し合い、「神の御言葉というのは、時として私たちにとって耳障りの悪いものに思える時であっても、依然として真理なのです」と説きました。

妻と私はこの箇所について学び祈ってきていましたので、説教箇所が1コリント11章にさしかかる一か月前にはすでに、妻は祈りのベールを実践し始めていました。

ですから1コリント11章を教会全体で学んでいく時には、私たちの心の準備はできていたのです。


5)1コリント11章に関するあなたの説教を聞いた信徒のみなさんの反応はどうでしたか


それは、すばらしいの一言に尽きました。信徒のみなさんはこの教えを字句通りにそのまま受け取られたのです。

神様をお喜ばせしたいという願いを抱き、彼らは、謙遜にして、しかも開かれた心を持ってここの聖句を受け入れたのです。このような教会に置かれ私は本当に祝福されています。

こうして半数以上の女性たちが礼拝の時、祈りのベールをかぶり始めました。


6)最近、被り物というこのシンボルの今日性について確信を持たれるようになった先生方がおられます。こういった先生方は現在、いかにしてこの教えを自分の教会に導入するのが最善なのかと考えておられます。何かアドバイスや励ましの言葉があったらお願いします。


神に信頼を置き、へりくだりと愛の内に前進なさってください。

私たちは牧師として、自分たちが教えてきたこと、もしくは教えてこなかったことについて、やがて神の前に申し開きをしなければなりません。ですから、神から来る栄誉、これを追い求めてください。

「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。」(ヨハネ5:44)





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