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リチャード・バクスター(1615-1691)


そして神ご自身、しもべたちが困難によって試みられ、取り扱われるのをお許しになられる。

主は私たちがただ静かに座っていて報酬を得るようには意図しておられず、戦うことなくして勝利の栄冠を、あるいは敵や対抗勢力なしの戦いを意図してはおられない。

罪のなかったアダムは、誘惑によって試みられるまで、自身の信仰の状態や報いに際しては不適切であった。

それゆえ、殉教者たちはもっとも栄光ある冠を受けるにふさわしいのである。

なぜなら、彼らは最も熾烈な試練を通ってきたからだ。ならば、私たちは神のなさる方法に対しておこがましくもつぶやいてよいものだろうか。

私たちを誘惑し、試みる自由を得たサタンは、私たちが航海に出るや、ここぞとばかりに、嵐や大波のうねりを起こすのだ。

そうすると大抵、若い初信者たちは怖気づき、「生きて停泊港に辿り着くことは決してないだろう」と悲観してしまう。

それだけではない。サタンはあなたが以前に犯した罪の数々をクローズアップして見せ、「こういった罪は決して赦されない」とあなたを説得してくるだろう。

また、あなたの情欲や堕落のすさまじさを見せつけ、「どんなにしたってお前は、こういったものを克服することはできない」―そう信じ込ませようとするだろう。

またサタンはあなたが今後通るかもしれない反対や苦しみの大きさを見せ、「お前には決して耐えられまい」と言ってくるだろう。

サタンはあらゆる手段を用いて、あなたに貧困、喪失、試練の数々、傷、悩み、暴虐、親しい知人の不人情などを味わわせ、神のことを悪しざまに言わせようと挑んでくるだろう。

さらにサタンはできることなら、あなた自身の家族をしてあなたの敵となさしめるよう働きかけてくるかもしれない。

サタンはあなた自身の父や母、夫や妻、兄や姉、子どもたちをあなたに敵対させ、あなたをキリストから引き離そうと迫害を加えてくるかもしれない。

それゆえ、キリストは私たちにこう言われる。

――もし私たちがこういった全てを憎まないなら、

つまりそれらを手放すことができないばかりか、
彼らが私たちを主から引き離そうとしている時に、
(あたかも自分の忌み嫌う物を取り扱うごとく)断固として彼らに対することができないのなら、
私たちは主の弟子となることはできないのだと。

わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子となることはできません。(ルカ14:26)



もし、あなたがすでに悪魔に対し宣戦布告し、キリストの兵士として、どんな代価を払うことになっても救われようと決意したのなら、悪魔からのもっとも熾烈な攻撃があることを予期していなさい。へブル11章を参照のこと。

しかし、以下に挙げることを鑑みるなら――たといこの世と地獄があなたを非常な苦しみに遭わせようとも――失意するには全く及ばないことに気づくだろう。

そう、神があなたの側についておられるのだ。あなたの敵はことごとく主の御手の中にあり、主は一瞬のうちにこれらを叱責することもできれば、滅ぼすこともおできになる。

おお、塵や悪魔の息や憤りが、全能の主に対して何をしえよう?

「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」(このローマ8章をしばしば読みなさい。)

あなたが神と契約を結んだ日、あなたは最も堅固な岩であり要塞に入ったのだ。

そして防御された城に居を構え、地と地獄のありとあらゆる敵対勢力に対し挑んでいるのである。

もし神があなたを救うことができないのなら、それは神ではない。

そして仮に主があなたを救わないのだとしたら、主はご自身の契約を破棄しなければならない。

実に、主はあなたを救おうと決意しておられるのだ。

――ただし、それは苦難や迫害「から」の救いを意味するのではなく、主は、その「ただ中にあって」、そしてそれに「よって」私たちを救おうとしておられるのである。

そして、こういった様々な苦しみの中で「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となる」(ローマ8:37)。

つまり、キリストゆえの苦しみの中でこれらを忍耐によって克服することは、武装した軍隊によって我々の迫害者を制覇するよりも、はるかに望ましく、すぐれているのである。

おお神にあって、高らかに勝利を歌っている聖徒たちのことを考えてみなさい。

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。」(詩編46:1,2)



たとえあなたの「敵は多く」「一日中、彼らは私のことばを痛めつけ」「彼らの思い計ることはみな、私にわざわいを加えること」(詩編56:5)であっても、あなたは次のように言うのである。

「神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。」(詩編56:10,11)



キリストの次の御言葉を思い出しなさい。

「また、体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体もゲヘナで滅ぼすことのできる者を恐れよ」(マタイ10:28)。



もし全世界があなたを迫害する者たちの側についているのなら、あなたはやはり恐れるかもしれない。

しかし神があなたの側についているというこの事実に比べるなら、それらは無限に卑小なことなのである。




Practical works of Richard Baxter,
Chapter 2, "Directions to Weak Christians for Their Establishment and Growth”
私訳



力と清さ Mission Timothéeの賛美の霊性

主の日にささげる祈り―リチャード・バクスター