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美しいクルディスターンの山河


私:S牧師、こんにちは。まず、どのようにしてイエス・キリストを信じるに至ったのか、その経緯をお話ください。


S:私はスンニ派のクルド人家庭に生まれました。

私はクルド人民主党の党員として政治活動をしていたのですが、その過程で、次第に共産主義思想を抱くようになっていきました。

やがて私はイラン政府から指名手配を受けるようになりました。そこで私は故郷の町を去り、T市に移り、そこで偽名を使って潜伏生活を始めました。

その後、その地で現在の妻(当時、大学生でした)と知り合い、結婚しました。妻はトルコ系シーア派の保守的な家庭で生まれ育った女性であり、結婚後、「一度、あなたの故郷に戻ってお義父様とお義母様にごあいさつするのが礼儀だと思う」と私に故郷訪問を提案しました。


イラクに逃げる


そこで私たちは故郷のM市に戻ったのですが(2000年の暮れ)、その日の晩、政府の諜報員たちが私の両親の家を包囲しました。私はその足でN市に逃げ、そして徒歩で国境越えをし、イラク側のクルド人自治区に逃れました。

一週間後、私の父が業者にお金を払い、その人が馬の背に妻を乗せ国境を越え、妻を私のいる所に連れて来てくれました。こうして私たち夫婦は再び合流することができました。


クルド語で『創世記』を読む


妻は、T市という都会で大学生活を送っていた活発な女性でしたが、突如、電話も電気もなく(電気は一日に2時間だけ使えました)、言葉も分からないイラクのクルド人自治区で、私と共に亡命者生活を送ることになりました。

彼女がひどく孤独に陥っているのをみた私は、近所に住む(同じく亡命者の)Sさんに、「妻が暇つぶしに読める本があったら貸してください」と頼みました。

すると、Sさんがやって来て、二冊の本を貸してくれました。見ると、一つはインジール(新約聖書)であり、もう一つは、クルド語で書かれたA4サイズの創世記(分冊)でした。


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S牧師が使っているクルド・ソラニ方言の新約聖書

クルディスターン(イラン領)では学校教育は全てファルスィー語でなされ、クルド語による読み書きの教育は禁じられていましたので、私は興味深く、この創世記を自分の母語で読み始めました。

こうして六日ほどで私は創世記を完読しました。そうすると、「この続きはどうなっているのだろう?何が書かれているのだろう?」と関心が湧いてきました。


ジーザス・ビデオ


しばらくすると、Sさんが今度はビデオを持ってやって来ました。ファルスィー語吹き替えのジーザス・ビデオでした。

私と妻は電気の使える二時間の間に、このビデオを二人で観ました。十字架に架かるイエスを見た時、我知らず、私は涙していました。今思えば、聖霊に触れられたのだと思います。

実はその時、妻も隣りで泣いていたそうですが、私たちはその時、互いに自分が泣いているのを見られないように、こっそり涙を流していたのです。番組の終わりに、「このイエス・キリストを心の中に受け入れませんか?」という呼びかけがあったのですが、私はその時、黙ってこのイエスを心に受け入れました。


聖書の学び


こうして毎週火曜の夜、Sさんがわが家に来て、私たちはランプの灯りの下、聖書の学びをするようになりました。

六か月ほど経ったある日の学びの後、私の心に真の悔い改めが起こされ、涙のうちに私は主イエス・キリストを救い主として公に告白し受け入れました。

私の新生をみたSさんは、その週はじめて「今度の金曜日(イラクでは主日礼拝は金曜でした)、一緒に教会に行きましょう」と提案してこられました。(*迫害下にある教会においては、スパイによる諜報行為を警戒し、求道者や初信者はその動機の純粋性が確かに確認されるまでは集会の所在地などは知らされないことが一般的です。)

こうして2002年2月、私と妻は共にこの教会でバプテスマを受け、新しい人生の歩みを始めたのです。


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書き込みだらけの奥さんの聖書


新生そして迫害


その当時、私はバザールの一角に簡易テントを張って、そこでチャイ・ハネ(チャイやサンドイッチなどを売る露店)を開き、わずかながら収入を得ていました。

イエス・キリストを公に信じてからというもの、私はどこでも聖書片手に出かけて行きました。そしてお客がいない時にはすぐに聖書を開き、読み始めました。

しばらくすると、私の回心が巷で噂になり、客が激減しました。また、テントも何度も壊されました。ある晩、家に戻ると、うちの中が荒らされていました。警察に通報すると、「他の都市に移りなさい」と勧告されました。そこで私たちは別の市に引っ越し、そこから毎週、長時間かけて教会に通う生活を始めました。

私たちは喜びにあふれ、伝道しました。時には教会の人々と共に何千部というクルド語のインジールをトラックに積み、人々に配布しました。それから数年して、私は教会でクルド語およびファルスィー語礼拝を導く牧会者としての奉仕をいただきました。


私:その教会は、クルド人の歴史始まって以来、はじめてのクルド語による教会だとお聞きしています。その教会の成立事情を教えてください。


S:はい。イラクに住む、アッシリア東方教会のハーゼムというアッシリア人が、新生体験をし、福音信仰を持ちました。

イラクにおいては、アッシリア人とクルド人というのは犬猿の仲です。しかし1994年、主は幻の中でハーゼム兄に語りかけました。「クルド人に仕え、クルド人に福音を伝えなさい」と。

こうしてこの兄弟の伝道によって一人、また一人と魂が救われ始め、彼らは主を礼拝し始めました。

その当時、クルド自治政府はこの集まりを認めていませんでしたので、信者たちは、人目を避けつつ各地の公園に集まり、そこで礼拝を捧げていました。(そのため、この時期の教会のことを、私たちは『公園の教会』と呼んでいます。)

また、聖書の神のことをクルド人に説明するに当たって、ハーゼム兄はハードルにぶつかりました。クルド語の語彙の中に存在しない概念や言葉をどう表現するのかという問題です。

そこで彼はアラビア語やペルシャ語などからも借用しつつ、苦労しながら、新たに言葉を造っていきました。

その後、2004年になって、自治政府が私たちの教会を公認したため、私たちは会堂を建て、集うことができるようになったのです。










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