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Olaf Latzel牧師


ドイツで奮闘するラッツェル牧師

―妥協のない福音と彼がそのために払っている代価



(原題:Pastor Pays Price to See Germany's Spiritual Revivalココ


ドイツは、宗教改革発祥の地であり、かつては世界宣教の拠点でもありました。しかし今日のドイツは、他の西洋諸国と同様、深い霊的闇に覆われています。そんな中、御言葉の教えに関して妥協を拒む人々は、代価を支払わなければなりません。

ドイツ、ブレーメン市で牧会するオラフ・ラッツェル(Olaf Latzel)牧師ー。

彼は、大胆に福音の真理を宣べ伝えることに伴う代価が何であるか――とりわけ、伝統的なキリストの教えが、偏狭で不愉快、さらには「非キリスト教的」とさえみなされている今日のドイツにおいては尚さらそうです――を熟知している人です。

ラッツェル師は、メディアからのバッシング、地元政府からの取り調べ、そして同僚の牧師たちからの激しい非難を受け続けています。

なぜでしょうか。彼の「罪名」は何なのでしょうか。

それは彼がポリティカル・コレクトネス(political correctness)に対して膝をかがめていないからなのです。


妥協はしない


「私は明確に福音を説いているだけなのです。」とラッツェル師は言います。「主のために、このような方法で説教することが自分に課せられた責務だと認識しています。」

ラッツェル牧師の説教には、ごまかしがありません。このようなスタンスは、ある人々にとっては攻撃的に思えるのかもしれません。

しかし、彼は、今やドイツ中を、そしてドイツ国教会中を飲み込んでしまっているかのように見えるこの「妥協のスピリット」に対し、これに敢然と立ち向かっています。

その過程で、ラッツェル師はドイツ国教会、そして多くの牧師たちの怒りを買うようになりました。

「今日のドイツ教会における主要な戦いは、『神は誰か』という点にあります。」彼は言います。

ラッツェル師によれば、ある牧師たちは、「アッラーと、キリスト教の神であるイエス・キリストは同じ神である」と言っているそうです。

「しかし、もしもあなたがあるイスラム教徒に、『あなたの神には息子がいますか?』と訊くなら、彼は断固として『No!』と言うでしょう。」

「しかし、私たちクリスチャンの神には御子がいます。その方の名前はイエス・キリストです。ですから、両者は同じではないのです。」

「もしあなたが、聖書の真理をはっきりと伝えるなら――、

つまり、あなたが、『天に至る道は一つしかありません。その道とはイエス・キリストです。神はおひとりです。つまり、御父、御子、御霊です。この方以外にまことの神はいません。』と言うなら、確実にあなたは周囲との間に問題を引き起こすことになります。」


新生していない牧師たち?


今年、ブレーメン市で七十人の牧会者たちが、「多様性を!」というスローガンを垂れ幕に、ラッツェル師に対する抗議集会を開きました。


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さらに、地元検察官たちは「Hate Speech」のかどで彼の取り調べにかかり(その後、嫌疑は晴らされました。)、ブレーメン市議会は、師に反対する決議案を通過させました。

報道によれば、ドイツ人牧師に対するドイツ議会からの弾劾は、終戦以来、はじめてなされたものだということです。

しかしラッツェル師はひるみません。

それどころか、彼は「真の問題は、、」と次のように言います。「私の推定では、ドイツ国教会のほとんど(80%以上)の牧師は、新生していないといえます。」

「そしてこれは深刻な問題です。それゆえに、彼らは独自の教理を作り出しているのです。しかし、聖書は神の言葉です。――どの章も、どの書も、どの聖句も、どの字句も、ことごとくそれは神の言葉であり、私たちの掟なのです。」

ラッツェル師は、ブレーメンにある聖マルティニ教会の牧師ですが、この教会は、1679年、当時の牧会者であったヨアキム・ネアンダーが、かの有名な讃美歌「たたえまつれ Lobe den Herren」を書いたことでも知られています。


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Joachim Neander, 1650-1680


「ネアンダー牧師もあの当時、福音を大胆に説いたために、困難な目に遭っていたのです。」

これほど多くの攻撃やバッシングを受け、たじろいでしまう牧会者も多いことでしょう。

しかし元々軍人の家系であるラッツェル師は言います。

「私はキリストと悪魔との間でなされている戦いの渦中にいます。ですから、攻撃は、自分が実際に戦場にいることを再確認させてくれるものなのです。」

「説教するあなたが果たして正道にいるか否かということをどのようにして知ることができるのでしょうか。

そこには一つの徴候があります。そうです、あなたが敵対され、困難な目に遭っているという徴候です。その時、あなたは自分が正道にいるということが分かるのです。」

「その反対に、もしあなたがイエス・キリストの福音を宣べ伝えているのにも関わらず、皆が皆あなたに拍手するなら、あなたの中で何かが間違っているということを覚える必要があります。」

「なぜなら、もしあなたが聖書から真理を語っているのなら、悪魔は必ずやって来て、複数の方法でもって、あなたに攻撃をしかけてくるはずだからです。悪魔は神の言葉に対し攻撃をしかけているのですから。」


神の御手の中にある道具


しかし実際に、彼の懸念していることは、たじろいだり失望したりすることではなく、むしろ「うぬぼれ、思い上がる」ことにあるといいます。

「私はこれまでに一万人以上の方からメールをもらいました。そして多くの方が私の元に来て、『あなたは偉大な牧師です』と言いました。

そうこうするうちに、私の心の中で何かが起こり、ひそかに『そうだ、私は確かに偉大な牧師なんだ』と思ったりするようにさえなったのです。」

「そうすると、悪魔が来て、私にささやきます。『そうだ、そうだ、お前は実に偉大な男だ』と。」

「しかしそれは違います。私は何者でもありません。私は罪びとにすぎません。私はイエス・キリストのための一介の道具にすぎません。

そして主がこの道具を用いることができる時、私はその全ての栄誉をイエス・キリストに帰さなければならないのです。私は本当に無に等しい者です。」

聖マルティン教会のあの偉大な讃美歌には次のような歌詞が記されています。「再び、主の民の口から『アーメン』が告白されますように。」

ラッツェル牧師は、ドイツにやがて信仰復興が起こるであろうことを信じています。そして世界のクリスチャンに「ドイツの民のために祈ってほしい」と求めています。

「兄弟姉妹のみなさんにお願いします。どうかドイツのために、ドイツの人々のために祈ってください。霊的覚醒のために祈ってください。」

「イエス・キリストの御言葉が解き放たれ、失われている魂の元に届くよう、そして主が彼らを救ってくださるよう、どうぞお祈りください。」


ーおわりー



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