聖徒は孤独な道を歩まなければならない

(The Saint Must Walk Alone)





かつて生きた偉大な魂のほとんどは孤独であった。

孤独というのは、聖徒がその清い歩みをするべく支払わなければならない代価のように思われる。

世界の黎明期に(もしくは、人間の創造という暁の後すぐに襲ってきたあの奇妙な暗闇の中でと言うべきかもしれない)、あの敬虔な魂エノクは、神とともに歩み、そしていなくなった。

なぜなら神が彼を取られたからである。またそこに多くの記述こそないが、エノクが彼の同時代人たちとはかなり異なる歩みをしていただろうことは容易に察することができる。

ノアもまた孤独な人だった。

洪水以前に生きたすべての人類の中にあって、彼は主の心にかなっていたのである。そして彼もまた、同胞に囲まれていながらも、やはり孤高な生涯を送っていたらしいことが察せられるのだ。

またアブラハムの周りにはサラやロトの他にも、多くのしもべや家畜の牧者たちがいた。

しかし、彼の生涯の記録および彼についての使徒の記述の読んでなお、「あなたの魂は星のように はるか遠くに住んでいる(訳註:ウィリアム・ワーズワースの詩の一節)」――そのような孤高さを彼の内に感じない人がいるだろうか。

私たちが知る限り、人の輪の中にあっては、神はただの一言もアブラハムに語りかけなかったのである。

顔を地に伏せ、アブラハムは神と親しく語り合った。そして彼持前の威厳が、他人の面前で平伏祈祷することを潔しとしなかったのである。

彼が、切り裂かれたささげ物の間を通り過ぎる「燃えるたいまつ」を見たあの晩の光景はいかに甘美で、かつ厳粛なものであったことだろう。

あの場においてこそ、、そう、おそろしい暗黒の恐怖が彼を襲うただ中にあってこそ、アブラハムは神の御声を聞き、自分が主の恵みを受けている者であることを悟ったのである。

☆☆

モーセもまた聖め別たれた人であった。

未だパロの宮廷にいた時分にも、モーセは独り長い道のりを歩いていたのだった。そんなある日、彼は人気(ひとけ)のないある場所で、エジプト人とヘブル人がけんかをしているのを目撃し、同胞の助けに走ったのだった。

その結果として彼はエジプトを離れることを余儀なくされ、砂漠の地でほぼ完全な隠遁生活を送ったのである。

こうして独り、彼が羊の群れを世話していた時、燃える柴の奇蹟が彼の前に顕され、その後、シナイ山の頂において、モーセは独り身をかがめつつ、あの神々しい神のご臨在――雲と火の間にあって一部は隠れ、一部は顕されていた――に立ち会ったのである。

☆☆

キリスト者以前の時代に生きた預言者たちは、それぞれ性格をかなり異にしているものの、彼らを結び付けていた一つの共通点――それは、強制されし孤独だった。

彼ら預言者は同胞を愛し、父祖の宗教に誇りを持っていたが、しかし、アブラハム、イサク、ヤコブの神に対する忠誠心およびイスラエルの福利に対する彼らの熱意が彼ら預言者をして、なかば強制的に群衆から分離せしめ、長期に渡る重苦しい歳月へと至らしめたのである。

「わたしはわが兄弟には、知らぬ者となり、わが母の子らには、のけ者となりました」(詩69:8)とある者は叫び、意図せずして残り全ての者の心境を代弁していたのだ。

しかしその中でも最も意味深いのは、――モーセや全ての預言者たちが記していたあのお方の――孤独に満ちた十字架への道のり、その光景であろう。

主イエスの深い孤独感は多くの群衆に囲まれている最中にあっても、決して慰められはしなかったのである。



真夜中だった。
オリーブ山の頂では
さきほどまで輝いていた星がかすんでいる


真夜中だった。
園では
受難の救い主が 独り祈っておられる


時は真夜中だった。
すべてをはく奪され すべてに捨てられ
救い主は ただ独り 恐怖と戦っている


愛しておられた弟子たちでさえも
もはや そこにはおらず
主人の嘆きと涙に 心留める者もいない

-William B. Tappan




主は――死すべき人間の視野からは隠された――暗闇の中でたった独り、息を引き取られた。

そして、(後になって多くの人が復活された主を見、その事を証言しはしたが)主が死より甦り、墓から出て来られた当初、それを目撃した者は誰ひとりいなかったのだ。

あまりにも崇高すぎて神の目を持ってしか見ることのできないものがある。

好奇心、騒々しさ、(そして、たとい良い意図ではあっても)的の外れた助言などは、主を待ち望む魂にかえってつまずきを与え、人間の理解を超えた神の使信を、敬虔な心に伝えることを困難にしてしまうのである。



私訳
(2)に続きます。




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